今月のトピックス

 

 January ’02

1/19(土) 読売日本交響楽団 第30回東京芸術劇場マチネーシリーズ

 オスモ・ヴァンスカを迎えてのシベリウスを中心とした北欧プロ。1999年のラハティ響との来日、シベリウス交響曲チクルスの大成功は、私の記憶にも鮮明に残っている。その感激や再びとなるか?期待と不安の交錯。
 今回の読響との初共演、楽団の要望もあって、まずはシベリウスで、とのことであったようだ。パンフのインタビューなど見ると本人は、シベリウスばかり、というイメージになるのを恐れ他の選曲を提案するも、まずは顔見せだからということもあって承諾とのこと。今回のマチネーはメインが
シベリウスの交響曲第2番。サブがグリーグのピアノ協奏曲。名曲コンサート的選曲だ(同プロで1/21、「名曲シリーズ」としても演奏とのこと)。しかし、やってくれた、オープニングは、シベリウスの交響詩「ポヒョラの娘」。これが1番の今回の目玉だ。

 やはり、「ポヒョラ」、素晴らしい出来で感激。初めて生で聴くのだが、ハープ、コーラングレ、バスクラ、さらにコルネット2本、とシベリウスにしては大編成なオーケストラから、繊細に、また色彩感豊かに、またパワフルに、様々な音が引き出され、楽想も次々と目まぐるしく変転し、聴く者を捉えて離さない魅力ある作品であることは再確認。そして、演奏も見事、オケは一瞬の隙もなく整然とコントロールされており、乱れもなく一気に聴かせてくれた。これは、メインでも同様だが、とにかく、音量、速度ともコントラストがこれ以上ないくらいに強調されており、とにかく凄かった。クレシェンド・デクレシェンド、さらに、アッチェレランド・リットなどの変化も極端なほどでありつつも完璧なコントロール下にあったのが素晴らしい。「ポヒョラ」においては、弦の速いパッセージ、機械的音型なども壮絶なスピードでぐんぐん飛ばしまくり、また、それでいて弦のサウンドは金管打に消される事なくパワー溢れる存在としてあり、とにかく釘付け(弦の統率力と迫力は特筆すべきだ。この前提の上に成り立つシベリウスの音楽、とてつもなく快感なのです)。逆に、繊細なピアニシモもまた健在。
 全体に、ホルンとコルネットが弱くやや不満の残る場面もあったが、コーラングレ低音の渋いソロ始め木管の健闘ぶりも素晴らしく、またハープの効果的な使用がこの作品の特徴だろうが、その存在も隠し味的なものから前面に出てくるものまで心地よくはまっていた。やはり、曲を知り尽くした指揮者により緻密に作り上げられてこそ、この名演、感激はあったものだろう。作品が完全に自分の物として変幻自在にこの難曲をまとめあげていたのが良く感じ取れた。ヴァンスカの指揮も凄いが読響も見事その要求に応えた凄い演奏を披露してくれて大満足・・・きっとこれ以上の「ポヒョラ」、今後聴けないんじゃなかろうか?

 交響曲第2番も同様にすばらしい演奏だ。個人的に、ちゃんとしたプロオケで聴いたことのほとんどない作品だと思う(わざわざ、この曲だけを目当てにコンサートに足を運ぶ事はあまり考えた事はことはなかった)。初めて安心して聴けたという面もあるが、曲の持つダイナミックな起伏、コントラストがここまでも明瞭に聞こえてきて、それがまた迫力であり、スケールの大きさでもあり、初めて、この作品の持つ尋常ならざるテンションの高さを体感するに至るや、いままでシベリウスの2番を本当に聴いたことはなかったんじゃないか?とすら思ってしまう。ただひたすらうるさいだけでも感動するわけもない。この曲の持つ性格、まっすぐに順調に進むわけでなく、いろいろな障害物がありつつも、それを押し退け力技でじりじり、ぐんぐん進む・・・その力の源泉となる強靭な精神力、すなわちシス(忍耐、フィンランド魂)こそ聴かせてくれなきゃ、この作品を聴いたことにならないんじゃないか?
 とにかく張り詰めた緊張感は全曲を通じてあり、特に第2楽章と第4楽章はとにかく気が抜けるところもなく異常なまでのムードがあった。第2楽章の基本テンポは随分遅いものだ。冒頭の低弦のピチカートからしても細かなニュアンスを感じさせており思い入れを感じさせる。また、テンポのコントラストも凄く、アッチェレランド、さらに急激なクレシェンド(ティンパニ良し)などなど内臓をえぐられるくらいのインパクトが曲の至るところに地雷の如く潜んでいる。
 とにかく第2楽章の世界は普通じゃなかった。金管による休符を挟んだ威圧的断片的なるコラールも、基本のテンポ感に沿って長い休符はたっぷり空けて(意外とこの休符がテンポ感に堪えられず速めてしまうケースは散見されないか)、こちらとしては息も出来なかった。聴く側も凍りつくしかないな。そしてティンパニの怒涛のロール。ここまで聴かせてくれる指揮者もなかなかいないのでは・・・。そんななかで中間部、ティンパニと低弦の音が消えて完全な静寂(この休符フェルマータも長かった・・・)、そこから聞こえるか聞こえないかくらいの弦の祈りのような旋律がほんとにかすかにかすかに聞こえ始めるやぐっと心に染み入るものがある。この感覚、これこそヴァンスカの真骨頂であり、シベリウスの音楽の本質じゃないか。
 また細かな点だが、第2楽章の最後の辺りの、モチーフが断片的に重なるところ、木管の細かなトリルのような音があるが、これがトリル風ではなくタラタラタラと粒が明瞭に聞こえるほどのテンポ感で丁寧に演奏されていたのも印象的であった。とにかく丁寧さは至るところで感じられた。第1楽章展開部のティンパニのGisの四分音符の弱奏なども聞こえるか聞こえないかというあたりで随分とこれまた遅く(それまでと一気にテンポを変えて)、続くクラリネットの不気味なムードを漂わせてハッとさせたり、とにかく絶妙な配慮がそこらじゅうにあった。聴く側の集中力がいやがおうでも高まる。
 フィナーレもまた勢いで押しまくるわけでなく、丁寧な曲作りが、底の浅い歓喜ではない心底からの揺るぎ無い確信の如き歓喜、を感じさせた。必要以上にもたれることなく心地よく第1主題がひととおり提示された後、不穏な雲が覆い始めるような第2主題の低音オスティナートの開始部分、このウネウネがそれこそ大蛇のような生き物のような(微かに聞こえるというよりは、比較的ゴツゴツと音量の<>なども明瞭に聴き取れる感じで私には大蛇的に聞こえたのだが)表現で、あっという間に束の間の歓喜は消え去る。その低音オスティナートの上に悲歌は発展を続けるが、再現部においては一度、その悲歌がふっとまた静寂に近い囁きにまで音量を落とし(この極端さは凄い・・・低弦はかなりやりにくいことだろうが)、そこからまた悲歌は発展。最後には高らかな凱歌を導く。しかし、それも淋しく一度落ち付くものの、高弦の刻みが太陽のまばゆいばかりの光を照らし出し(この明るさの表現は感動もの)、低音から新たに歓喜は涌き上がる。そこで、また新たに遠いところより管のコラール風な和音が近づいてくる(この転換部分が、意外性を見事感じさせ、新たなる生命の誕生、とか、とにかく次元の違いをここで感じた)。そしてやっとトランペット・トロンボーンの勝利の旋律は鳴り響く。その背後から弦の刻みはさらにさらに増殖、この弦の迫力にこそ真の歓喜のパワーを感じる。金管の旋律がひとフレーズ終わって休んでいる間に弦がさらなる高次の歓喜のテンションをクレシェンドで導くや、金管はさらにさらに高らかなる勝利の旋律を吹奏、弦は刻みをやめてたっぷりとしたシンコペーションで堂々と金管を支え続け、ここに作品中最大のクライマックスを豪華に築き上げ、揺るぎ無い確信たる歓喜のうちに曲は閉じられる。感動!
 細部にわたる緻密で丁寧な曲の作り、そして、確固たる必然を帯びたような曲の流れ・・・とにかく、ややもすれば通俗的な作品として何となく雰囲気で演奏してしまう、という落とし穴に陥る事無く、今までに私の聴いた2番とはぜんぜん違う作品とすら感じさせる演奏・・・(事前に彼のCDを聴いていなかったことも理由だろうが)新鮮でありかつ、曲の凄みを体で感じた。こんな経験が出来て本当に幸せです!

 さて、グリーグもなかなか私的には本格的な演奏で聴くことのないのだが(アマオケで、とか、新進演奏家のコンサートとか)、オケの側としてはシベリウスと同様に細やかな配慮に富んだ名演と感じた。第2楽章の冒頭など泣けますよ。
 ソリストは、舘野泉氏の予定が病気とのことで、急遽、若林顕氏に変更。残念ではあったが、見事代役はその責任を果たしオケとの息もぴったりに難なく仕上げていた。全体的にテンポも落ち着いた丁寧な演奏。北欧のほの暗い叙情を充分に堪能させてくれた。そう言えば、今回のプロ、全てにチェロのソロがあったが、これまた良し。グリーグの第3楽章の渋過ぎるソロもいい味をだしていた。
 読響を聴いたのはどれくらいぶりだろう(このHPでは初登場か)。かなりの実力だ。また、今後もヴァンスカとの共演、シベリウス秘曲ものとか是非聴かせてもらいたいものだ。

(2002.1.21 Ms)


   「今月のトピックス’02」へ戻る