今月のトピックス

 

 June ’01

6/29(金) 日本フィルハーモニー交響楽団 第531回定期演奏会
          (ネーメ・ヤルヴィのシベリウス・シンフォニー・サイクル B)

 6/29、日本フィル、ネーメ・ヤルヴィの指揮での、シベリウス交響曲チクルス第3夜。またまた上京。サントリー・ホールにて。
 劇音楽「クオレマ」より4曲、交響曲第4番、休憩をはさみ、そして第1番。

 「クオレマ」については、事前の情報、そして当日のパンフレットには、作品番号順の演奏ということであったが、会場に張り紙あり、「悲しきワルツ」と「ロマンティックなワルツ」が入れ替え、とのこと。なるほど、その方が演奏効果はありそうか。コンサート開始で、いきなり「悲しきワルツ」、あの緊張の極限のようなピチカート、よりは、まだ明るい雰囲気の後者の方がよいだろう。そして、この組曲の最後が、「ロマンティックなワルツ」のやや中途半端な終わり方よりは、思いっきり悲愴な「悲しきワルツ」の終わり方の方がかえって良いだろう。この変更は、なるほどと思った。そして、その通り、いい効果をあげていた、と思う。本日の私にとってのメインは、もちろん「クオレマ」であった。作品44及び62をまとめて演奏、なんて機会、まずないですし。ただ、地味な曲ばかりで、生で聴くと聴衆にとってはやや苦痛か?と心配もしていたが、この曲目変更を見て、うん、これなら、と期待したところだ。

 さて、コンサートは原因不明ながら10分ほど遅れて開始。何かトラブルでも・・・・と不安にはなったが、問題なく演奏は開始。安心。
 全体としての感想、とても良かった。ヤルヴィの指揮ぶり、初めて拝見。正直、それほど指揮者には大々的な期待もしてはいなかったのだが(可もなく不可もなく、といったイメージだったり。器用に何でもこなすが、それ以上のものはない、とか、そんな意見を耳にしますし)、百聞は一見に如かず。ステージ横の席から指揮者の顔の表情までしっかり鑑賞させていただいたが、巨匠の風格、安定ぶりを、音楽そして外見からも感じることが出来た。

 「クオレマ」の4曲を続けて演奏、というのはコンサートではなかなかやらない。現実、静かな曲ばかりで組曲としては体裁が悪そうだが、聴いてみて感激。すごくいい。
 「ロマンティックなワルツ」を最初に持って来たのは正解だ。ややくすんだ明るさながらも、この地味な今回の演奏会の雰囲気を作り出すには最適。冒頭から「悲しきワルツ」じゃ、緊張感が苦痛だ。まずは、長丁場のコンサート、リラックスできる雰囲気作りだ。ワルツとはいいながら、絵に描いたようなあからさまなワルツの伴奏形は出てこない。なんだか漂うような浮遊感。そして、変幻自在なオケの音色の変化。シベリウスの特徴が前面に出された作品でもあり、また、ヤルヴィの指揮、そして、日フィルの演奏も安定したもの。一気にこの1曲でシベリウス・ワールドにひきこまれた。
 「鶴のいる風景」、これは抽象的な作品だ。緊張感の連続。途切れ途切れで沈黙。さらに、フラジオを使った悲鳴のような唐突な高音。冷たさもまた心地よいのだが、よっぽど、シベリウス慣れした耳でないと、辛いかも。シェークベルクです。と言っても信じる人がいるくらいじゃないか?コンサート会場では聴きづらい作品かなとも思う。
 続く、「カンツォネッタ」などは前曲に比べれば、旋律も明確、さらに美しい。これは、名曲じゃないか。「悲しきワルツ」よりいいぞ。彼のレコーディング、BISで「カンツォネッタ」は2種我が家にあるが、やや早めのテンポ(シベリウスの交響曲第4番とのカップリング。3’41。)で安心。遅い方の演奏(同じく第7番とのカップリング。なんと5’08。同じ曲とは思えない。)ではさすがにだれる。まして、ゆっくりな曲2曲のあとにまたこれではたまらんかっただろう・・・。弦楽オケのレパートリーとして、もっと定着していいんじゃないか。切ないメロディー。ヴィオラの渋い歌。チェロのピチカートの心地よさ。このコンサートで最も感動した場面だ。これが聴けただけでも満足。
 最後に演奏された「悲しきワルツ」、これも名演だ。ヴァンスカのピアニシモと同様、長調に転じた部分の静けさは心に染みる。テンポの変動も壷を得たもの。やり過ぎず、またあっさりし過ぎでもなく、細かいところで、強弱、テンポなどなど微妙なニュアンスも変化させ、とても丁寧な演奏。完成度の高さは絶品だ。
 4曲続けても、退屈はしなかった。やや聴衆に緊張感を強いているな、とは感じつつ、これがシベリウスの音楽の特徴でもある。さして問題でもない。今日のこの形でなら「クオレマ」、もっとコンサートで取り上げられてしかるべきでは、と感じた。いつまでたっても、「フィンランディア」「カレリア組曲」ばかりじゃつまらないし、シベリウスのほんの一面しか知ったことにならない。交響曲以外のレパートリーとして、この「クオレマ」全4曲は勧めたい。編成が小さいのが難点ではあろうが(弦と、フルート・クラ・ホルン各2本、そしてティンパニ)。特に、アマオケとしては、第1番、第2番の交響曲以降に挑戦する直前に、是非取り上げていただきたい。シベリウス後期のエッセンス、是非この「クオレマ」から汲み取っていただきたい。あぁ、私もやってみたい・・・・ティンパニはそんな面白いわけもないが、あの雰囲気を作ることに挑戦したいところだ。

 交響曲第4番。これまた速いな。特に第3楽章はあっさりしたもので、賛否わかれるところだろう。ヴァンスカをイメージしたら別の曲か、と怒るかも。ただ、個人的には、悪くはない、と感じた(正直、この4番に限っては自宅でほとんど聴く事はなく、曲に対する固まったイメージも持ち合わせていない。どんなテンポ感でも受け入れ体制ができている。)。フィナーレの軽やかさ、ロシア系指揮者ならでは?のスピード感は妙に心地よかった。あと、素晴らしかったのはなんといっても彼の指揮ぶり。あの複雑な作品、指揮棒が、金管や低弦、そしてティンパニといった、弱奏から何気に入って、いつのまにやらクレシェンド、曲の雰囲気を一変させる数々のフレーズなど、的確に入りを指示し(すごい忙しい指揮だ)、クレシェンドは顔でも表情つけて、彼を見ることで次の音楽の展開すら予見でき、構成をしっかり把握させてくれる。とにかく曲を熟知(あたりまえか)していて、安心できる。それも必死にではなく、いとも簡単そうにやってのけている。第4番を軽々振れる人、そうそういないと思うな。あの安心感、良かった。当然オケもそんな彼の棒ゆえか、安定していた。
 例えば、冒頭のチェロのソロなども朗々と素晴らしい演奏を聴かせてくれていた。聴いた席がチェロの後方で、聴き取りにくい位置であったにもかかわらず、不満はなかった。
 さすが、渡邊暁雄氏(1919〜1990)の棒のもと、シベリウス交響曲全集を2度も世に問うたオケだけのことはある、素晴らしい演奏だった。ちなみに、今回の全曲演奏、1962年、1981年と続いてきた全曲演奏に続く20年ぶりの計画、渡邊氏82歳の究極の、円熟の全集となるはずものだったと聞く。その遺志を継いだ日フィル、シベリウスの権威であるヤルヴィを迎えての全集ともなれば、様々な意味で力のこもった演奏であったことだろう。
 
 さて、後半もヤルヴィの指揮さばき、その傾向は第1番も同様で、全楽章ともに速めのテンポで爽快。忙しい指揮棒の指示。そして、豪快に金管打も鳴り響き、初めて第一番をまともなオケで聴け、それもヤルヴィ、感謝である・・・・昔昔、名古屋フィルは某大学オケより下手な弱々しい演奏で憤激したよホントに。同時に演奏した第2番の方は慣れていたせいかそこそこだったが、慣れてない曲になった途端、崩壊するのは淋しい限り。
 しかし、しかし、・・・・フィナーレでティンパニとトランペットが致命的なミスをしたのは残念だった。
 展開部も佳境に入り、ティンパニが、ミシミシミシミシと8分音符で連打するところ、けっこう目立つ、カッコイイところだが、一拍早く入って、一拍早く終わって・・・・そのまま、ティンパニは頭が真っ白になったようだ。最大のクライマックスを迎えるに当たって、ティンパニは楽譜を見失って、何となく演奏している程度、完全に落ちたわけではないが、自信なく弱奏を続けるのみ・・・・憤激。ただ、シベリウス万歳だ。この最大にクライマックス、ティンパニは途中で楽譜を真っ白にさせ、大太鼓に最大の音響を託していたのだ。大太鼓奏者は少ない出番だ、満を持してティンパニの穴埋めするべく、クライマックスを完璧に作ってくれた。
 クライマックスもなんとか乗りきった後、第2主題の雄大な再現、とてもスケールの大きな、かつ、停滞感のない演奏が続く。ティンパニのミスも忘れかけた頃、トランペットにアクシデント。第2主題の長調の旋律が崩壊、ホ短調に移行する重要な局面、ティンパニが鉄槌を第2拍で降ろすところ、トランペットが早くから出てしまい、その後の和音が濁り、弦と半音でぶつかり続けるような(初期ショスタコ風?)音楽と相成った。ああ、感動的な幕切れが・・・。シベリウス交響曲チクルス・・・・これで終わってしまうのか・・・・口惜しい、ほんとに口惜しい。それら以外はとても満足いく演奏だったのに・・・。
 駄目押し、まだある。すべてのプログラム、弱奏終止。すべて客の拍手が早いのには・・・・・。客の質、悪いぞ。
 ま、生のコンサート故のハプニングはつきもの。そんな苦々しさよりは、断然感動的な場面が多く占めていたのは確かなことだ。それにしても暑い毎日、シベリウス・ワールド、涼を運んで良し。

 さて今回の上京、フィンランド政府観光局も訪ねていろいろ情報を仕入れてきた。さらに、前回の上京で見つけた乃木坂のデンマーク料理店、おいしくって気に入って再度訪れた。つまりは、北欧づくしなわけです。暑い夏、やっぱ北欧音楽、北欧料理、これに限ります。

(2001.7.2 Ms)
たぶん、だぶん より移動。加筆修正。(2001.7.8 Ms)

 

6/24(日) 豊田楽友協会管弦楽団 第12回定期演奏会

 恵まれた練習環境のもと、昨年の「ウェストサイドストーリー・シンフォニックダンス」「ラプソディ・イン・ブルー」さらには、「ピーターと狼」に引き続き、果敢にも20世紀の大曲に挑み続ける当楽団。今回のプログラムは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番をメインに、そして、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をサブに2曲プロでのコンサート。指揮は、お馴染み、ノリノリな20世紀もの大好きな西野淳氏、ピアノ独奏は地元出身のパワフルな演奏を聴かせてくれるネアカなお姉さん、原小百合さん。

 正直なところ、なかなか辛い練習が続いた。エキストラの私が言うのも僭越ながら、ショスタコの名を初めて今回聞いた、もしくは、この5番、練習が始まるまで聞いたことのなかったような団員が多数を占めるなかでの練習、妙な不協和音、ひねくれた旋律線、どんどん変わるテンポ、どうも、社会人から初めて弦楽器を始めたような団員の方々にとっては、ホント、未知なる体験にとまどいの連続であったことであろう。
 トレーナーの先生も団として依頼をしているとのことであったが、その方、(いささか楽屋オチ的な話で恐縮だが、)私の今所属するオケを立ち上げた、某中学のオケ部の顧問ながら、当オケでのドボルザークの8番の指揮が振れずに団員から総スカンをくってしまったらしく去って行ったとのこと、豊田のオケでも満足な指導が出来なかったと伝え聞きます。そんな中で、私の先輩である打楽器奏者のSさん(私のショスタコ好きを高校時代に決定付けてしまった自分史上最重要人物であるのだけれど)が、団員にショスタコをより理解していただくための団内新聞の発行、そして精力的なトレーナーとしての指導に燃え、なんとか演奏会の舞台へ乗せられる演奏へと導いていったのであった。ここまでの道程、苦労の連続であっただろうとホント察します。

 しかし、前日の会場での練習で初めて指揮者のタクトで全曲を通したところ・・・・通らない・・・・結局、曲の全体像が全く見えていなかった・・・・。また、正直これは怒りを伴ったのだが、団員と思しきハープ奏者に至っては、第1楽章すべての音を休符が数えられずに落ちていた次第、もう、お先真っ暗だ・・・とすら思った。
 でも、その危機感ゆえか当日はなんとか持ちなおし、予想外の演奏が披露できて一安心・・・・不満は多々あるのだけれど。演奏会終了後のレセプションでは、長いお付き合いである指揮者の西野氏と今回のコンサートの本音を語り合ってしまったなぁ、ここでは公言しないけれど。

 さて、個人としては、練習の過程で焦燥感をかなり感じてはいたのだが、Sさんのトレーニングの際に、打楽器の代奏、そしてハープ、チェレスタ、ピアノパートの代奏なども体験させていただき、ショスタコ理解がさらに深まったのがとても良かったし、念願であった小太鼓のパートにもチャレンジでき、自分としては、今出来る能力を100%表現できた、と自負したいところである。
 演奏が終わったときの爽快感、約3ヶ月間の練習の体験、着実に一歩づつ、この瞬間に向けて前進していたのだ、と思い返すと感動もひとしお。やはり、ショスタコの5番、名曲だと思うし、私の好きな曲であることは確かである。今回舞台に乗れてホント幸せでした。Sさんに感謝です。そして、指揮の西野先生、さらには豊田のオケの皆さん、お疲れ様でした&ありがとうございました。

 ラフマニノフに関しては、難パートであるシンバルに初挑戦、不合格ではないだろうが、自分の実力の程を思い知らされるいい体験だった。精進がたりません。オケとしての出来はかなり良かったと思う。ピアノ・ソロも、がつがつ堂々たるものでオケに何時も消されず、たくましいラフマニノフが好感持てる。レセプションにてお話させていただいたが、「歌う音楽はやっぱり一人で演奏するのがいい。次回は、是非プロコフィエフの2番のコンチェルトがやりたい。」との大変に嬉しいお言葉までいただいた。是非そのときはトラで呼んで下さーい。ラフマニノフの病的なムードをさらに推し進めたかのような名曲・・・・大好きです。

 今後がさらに楽しみな豊田のオケ、注目度満点です。コンサート自体もホールがほぼ満席。地域に定着し、地元で喜ばれているであろう当団のオケ活動が大変羨ましく、また、ご一緒させていただけるのならこれに勝る喜びはありません。

 おっと、これを忘れちゃいけない。アンコールは、ショスタコの「タヒチ・トロット」、いわゆる「2人でお茶を」というミュージカル・ナンバーのアレンジもの。これが演奏できたのも涙ものだ。管楽器の皆さんのノリノリなジャズ風なニュアンスとても良かったですね。アンコールもばっちり決まって、もう何も言う事なし。
 あとは、今までの練習の過程を、だぶんコーナーから移動しておこう。捨てるのはもったいないし。

「ピアノ協奏曲リハーサル風景」

将来ステージ上にパイプオルガンが・・・。

Sさん、いつもありがとうございます。

今後も熱演、期待してます。

しかし、いいホールもってるなぁ、豊田市・・・・。

 今日、某アマオケの練習の代奏で、ショスタコの5番を演奏させてもらった。団員である先輩の打楽器奏者の方がトレーナーとして急遽棒を降ることとなり、打楽器全くなしで練習するのもどうかということで、私が出向いて、出来うる限りの楽器を叩いた。ティンパニ、大太鼓、シンバル、小太鼓、木琴、鉄琴、さらには、ピアノも叩きました。さらに、ハープのパートもピアノで。これだけ一度に担当すると面白い。こんな経験をさせていただいたS先輩に感謝。
 この曲のティンパニは、本番でやったことはないのだけれど、やっぱフィナーレは燃えますね。結構単純過ぎて、なんだか気恥ずかしい気もして、また、ショスタコが不本意に書いたであろう曲だろうか?との迷いもあったり、ティンパニ自体、独裁者スターリンを象徴するように思えたり、・・・・とにかく、この曲のティンパニは自分としてはあまりやりたくない、と感じていたのだが、実際、やってみると、そんな理性的な判断よりは、本能に直接来てしまって、私が横暴な独裁者役になりきってしまうのだから、音楽の力とはすごいものだ。
 練習が終わってから、先輩と食事をしたのだけれど、アマオケの運営についての論を戦わせつつ、自分が未だに燃えているのに気がついた。強力なリーダーシップこそ組織においては必要だ、と熱弁をふるう自分、すっかりショスタコのティンパニ・パートを媒介としてスターリンが乗り移っていたのかもしれない。あぁこわ。
 実際、そこのアマオケでは、私は、独裁者の太鼓持ち的役割と思われる小太鼓を担当するのだが、個人的な希望としては、いつかピアノを担当したいと思っている。フィナーレの最後の単音の連打、独裁者への抵抗を思いっきりやってみたい。ティンパニや金管に消されてたまるか・・・といった意気を感じさせる演奏をピアノを通してやってみたいのだ。

 3月最終週は多忙。4月新体制の準備を何とか3/31、土曜日で済ませたおかげで、今日、充実した休日が過ごせた。しかし、土曜日は職場の机やキャビネットの移動でやや筋肉痛。そんな体調ながらもショスタコを乱打してしまう私、まだまだいけそうね。・・・なんて明日の体調が不安・・・。

(2001.4.1 Ms)

 いつの間にやら、桜の季節は過ぎ、初夏を思わせる日々が続く。この時期、せわしなく毎日は過ぎる。しかし、休日は充実した音楽活動でリフレッシュ。とても恵まれていると感じる。
 4/1の続き。某アマオケのタコ5体験。
 4/7は、指揮者N先生初来団とのことで、打楽器奏者2人で出来得る限りのパートをかけもって演奏。フィナーレのコーダ以外はほとんど2人で音が並ぶ。ハープ及びピアノのパートもほとんどピアノで演奏し楽しませて頂いた。前回は第1、第2楽章はほとんど触れる事無く、今回、第1楽章の展開部のピアノ(低弦ピチカートと重なるグロテスクなパッセージ)を演奏できるのを楽しみにしていた。
 4月第1週はホント仕事が忙しく、家でピアノの練習もできない。仕方なく、仕事の行き帰りにスコアを眺める毎日。これがまた良かった。疲れた時も、イライラした時も、腹が立った時も、この曲を思い出すだけで、ショスタコの辛さを思えばなんて自分は小さな事にひっかかっているんだろう、と思える。この4月始め、タコ5のスコアを持ち歩いた事、かなり自分にプラスだったと思う。
 さて、そんなスコアリーディングの成果、合奏練習では概ね良好で推移していた。学生時代からお世話になっているN先生からも「ピアノ弾けるの?」と驚かれたり、団員の人からは本番もピアノお願いしますと言われたり・・・(小太鼓とピアノの掛け持ち、意外性が良い?しかし、フィナーレはどちらを取るんだ?)・・・しかし、第3楽章、第2楽章ときて、さぁ第1楽章。ピアノ、初回は完全に指揮を見る余裕なく、あぁ、アッチェレランド乗り遅れを自覚しつつ、途中で一気に辻褄合わせ。2回目は、指揮を見たら楽譜を見失ってメロメロ。しかし、リズムだけは合わせて、無調なパッセージだから素人にャわかるまい、とやっている間になんとか楽譜どおりに修正。ただ、そのまま3回目のチャレンジなく次へ行ったのは口惜しい。完璧にやりたかった・・・。
 しかし、ショスタコのハーモニー感覚、旋律感覚の一端をハープやピアノのパートを通じて充分堪能できたのが嬉しい。おまけに、打楽器も、小太鼓は特に第1、第2楽章は燃えるし、当然フィナーレの大太鼓もテンション高いし、決して他の曲では味わえない自分の高揚感に麻痺していたようだ。特に、スケルツォの木管群の響きにはクラクラしていた。本気で危ない野郎だ。

 これだけいろいろやりまくれるのはこれで最後だろうが、本番は本番としてまた、楽しみたい。(なお、ネット上、このオケの今回の定期演奏会の情報が未だ掲載されていないので、とりあえず匿名としておきます。)

(2001.4.13 Ms)

 GWをはさんだ、北欧音楽GM(黄金月間)も過ぎ、再びショスタコがらみな休日2日。
 4月上旬にお邪魔した某アマオケとの合流、昨日は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のシンバルを。今日は、ショスタコの5番の小太鼓その他を。
 今日は午前10時から午後5時までめいっぱいタコ三昧。実は出番は超少ないわけで、ぼうっと待ち時間も長い。その分、炸裂するように楽譜は書いてあるのだが、本番はともかく練習はやや辛い。特に弦のみ部分の完成度に難あり、ほとんど弦のための練習が続く。さすがのタコでも眠くはなる。しかし、せっかくな貴重な時間、スコアをじっくり眺めつつ、曲解ネタを探してみた。
 ふと、第4楽章の展開部、どこがどういう風に展開部なんだろう? どんどん新たな主題が出てきて? と前々からの疑問を解決すべくスコアとにらめっこ。今日の結論としては、第2主題、つまり提示部でトランペットが吹奏するカッコイイ主題の冒頭(1,2小節)、半音(短2度)上昇と、その短2度も含めた1オクターブの上昇という音程関係に細分化するなら、展開部において、1stバイオリンがずっと奏でる漂うような伴奏形も、半音とオクターブという音程の繰り返しだし、再現部直前のハープ(いわゆる復活のモチーフ)にしても作りは同じ。第2主題に由来する素材だ。この音程をもった旋律線は、再現部においても、第1主題の再現に紛れて登場するし、コーダで3/4拍子になったところでもやや姿を変えて再現される。
 ただ、雰囲気にまかせた音楽ではなく、ソナタ形式の展開部として(第1楽章ほどではないものの)提示された主題をちゃんと展開している様が初めて理解できた。これをもとに、また曲解書きたいな。仮題「復活の意思とその挫折?〜ショスタコの交響曲第5番第4楽章第2主題の展開を巡って〜」なんて書けたらいいなぁ。

 さて、今回のコンサート、2曲プロながら、これまた含蓄深い選曲で頭が下がる。ラフマニノフは第1交響曲初演の大失敗という挫折、ショスタコは歌劇「マクベス夫人」の不当な国家権力からの批判、それぞれに作曲家としてつぶれても当たり前な状況にあって、それぞれ、彼らの代表作とも言える大傑作を書き上げる。彼らの不屈の精神力と創作力の賜物たる2つの作品、これらが2つ並んでいるだけでも、私は心が高揚してくる。
 それぞれ、グラズノフという作曲家を介してつながるし、また、第1楽章展開部がどんどん速度を上げて興奮してゆくという独特の形式感も共通項として挙げられる・・・・この2曲の関係論なども格好の曲解の題材だと思われる。
 今日は、奏者としてはやや欲求不満的、しめりがちであったが、無駄じゃぁない。それにしても、ショスタコの5番は奥が深いな。まだまだ私にいろいろな問題提起をしかけてくる。無人島に1冊だけ本をもっていくなら、てな月並みな質問、私ならタコ5のスコア、なんて答えたりしてね。

(2001.5.20 Ms)

 中学の指導から山超え谷超え約1時間半、某アマオケに合流・・・・結局本番1週前になるも、HPでは情報の更新なし、曲目も指揮者も未定のまんま・・・これはまずいねぇ・・・。ショスタコの5番。正直なところ、演奏会は不安だ。テンポ設定とか、歌、とか課題山積、ひととおり楽章ですら通す事無く、本番を迎えようとは・・・怖いなァ。でも、自分は自分、投げる事無く精一杯な演奏を目指そう。ショスタコ5番も4度目の演奏か・・・なんだかんだで演奏の機会が多いのは嬉しい。好きな曲でなおかつ演奏体験も多い、というのはなかなかないしね。
 土日はその某オケ打楽器奏者の方のお宅にて宿泊させていただく。ショスタコのCDの聴き比べやら、超お宝映像ビデオ鑑賞会・・・小松一彦指揮、レニングラード交響楽団のライブ、これはいいです。ロシア人の打楽器はほんとに独特だし凄みを感じる。そんな私達、ロシア人に感化された演奏になるのかどうか?来週が本番、気合入れていこう!!ショスタコ生誕95周年の記念すべき演奏だ。

(2001.6.20 Ms)

豊田オケ関連記事整理含め(2001.6.25 Ms)

 この辺でやめておくつもりではあったが、せっかくのショスタコ生誕95周年記念演奏、詳細を語らぬのもつまらない。辛口なのは少々我慢頂いて書きたいことを書いてしまうか。

 正直なところ、振り返りたくない演奏、となるに違いない、てな悲愴な覚悟でいた。とにかく弦楽オケ部分が・・・・。好きな曲が聴くも無残な状態であることほど辛いことはない。でも、リハより随分良い演奏であったのは客観的に言えるだろうし、そんな問題以上に、なにかしら自分に響くものがあった。本番の演奏には。自分の演奏も概ね満足いくものであったのも理由のひとつだろうが、それ以上に、このメンバーでここまでよく辿り着いた・・・・とホントに感激した。上記の練習記録を読みつつ思い出す。もう、すごいことになっていた。アンサンブルの乱れ、音程の不確かさ。しかし、がむしゃらさは常にあった。一途なものはあった。わからない、と言いつつも何かしら熱いものはあった。きっと、モーツァルトなら大失敗に終わったろう。ブラームスでも聴くに絶えられなかったに違いない。しかし、ショスタコの音楽には、技術不足を補う心意気みたいなものが曲の存立に大きく影響し、ややもすれば効率的に完成度を上げる作用があったのか、とすら感じた。(まぁ、そんな単純な図式は成り立たないのだろうが、でも、私の感動の理由はその辺にありそうな気がする。客観的に「下手」と認識しつつも、ブラボーと叫びたくなる・・・・そんな演奏こそ魅力的ではないか?そこそこ上手いが、さてそれで?てな演奏ほど不愉快なものもない。)
 演奏会から3日、なんだか、あのコンサートへ向けての練習3ヶ月間がむしょうに懐かしく、いい思い出に昇華していってしまいそうだ。こんな体験、初めてではないか?いろんなアマオケに出ているけど。エキストラながら団員の皆さんとの一体感、そして達成感があった。ショスタコの音楽に負うところ、決して少なくはない、と確信する。

 さて、演奏を振り返ると、やはり、第1楽章、提示部あたりはもう消化不良。もっと弦、歌わなきゃ。現代的なわけわからん旋律にも見えるだろうが、私はとても美しい歌、だと感じる。提示部は木管に救われること大。特にフルート、オーボエ、提示部の雰囲気をリードしていたと思う。
 第2主題、和声を担当する中低弦、音を間違えるはハーモニー感覚に難。余談ながら、エス・クラの楽譜に誤植あり(99小節目)。長めなクラ・ソロの手前、ユニゾンなのにずっと変な3度の和音が聞こえていた。本番直前に直ったけど。曲はよく聴きましょう。スコアはよく読みましょう。
 展開部。ピアノの入りが1小節早かったのは大減点。かなり怪しいピアニストであった。芸大生?唯一スタカートでない音符も、見落としていた、ずっと(144小節目)。本番前に注意しようとして忘れていた私。本番はその音、黒鍵から滑り落ちてはずしてた。注意してもしなくても・・・・か。
 フィナーレも同じなのだが、テンポが上がるところ、弦にアンサンブル感覚なく、危なっかしい。しかし、それが妙な危機感、焦燥感を醸し出すとともに、奏者の側としてはすんごい必死になっているのがビシビシ伝わってくる。何かしら鬼気迫る凄みがある。真剣勝負。指揮者もまた。テンポ・アップしたいながらも、やり過ぎは崩壊への道。その崩壊寸前のテンポ感の探り合い、指揮者も必死だ。指揮者は最善の選択をあらゆる局面でしていたに違いない。それが今回の聴きどころだった。
 展開部において一息つくのが、行進曲の乱入。私の出番だ。楽団所有の小太鼓を使わせていただいたが妙な余韻の残るチューニング失敗作のようだ。表面の皮をミュートして余韻をカットし乾いた音で、ツッタカ・リズムを機械的に余分な動きを殺ぎ落として、軍隊的な面持ちでやったつもり。鼓面も斜めに急角度、マーチングを意識して、自分に軍隊的な冷徹さを鼓舞させた。そして木琴へ受け渡し、さらにティンパニとともに戻ってきたところは、秩序的でない乱打を心がけた。ややストリンジェンド。ミュートも外して「音色への配慮」といった芸術的観点を意識して無視した。とにかく、壊れた感じを何らかの形で出したいと思った。奈落に突き進むような凄さ。自分としてはこの展開部の2ヶ所の出番、成り切ってやった。
 2重フーガ、さらに提示部の再現の大テュッティ。金管の頑張りが良かった。特に、ホルン、良く聞こえていた。あそこのユニゾン、ホルンが朗々と歌うとかっこいいね。指揮者も力がこもる。棒のテクとして感激したのだが、旋律の16分音符のアクセント、スラー、などが棒で見事に表現されていた。カッコイイ。聞こえて来る音以上に楽譜に忠実。あの棒のとおりに音が聞こえていたらもっと感涙ものだっただろうな。
 ティンパニ燃え。駄目押しのダーダダ・リズムの2台両手叩きの重々しいこと。第1楽章の最大の力学的な転換点、ここに納得させられればこのソナタ形式は完全に制覇。その後のホルンとフルートのカノンも美しく(フィナーレのクライマックス後のホルン・ソロも良かった。ホルン結構調子良かったですね。)。うん、以外とうまくいったわけだ、第1楽章。

(2001.6.27 Ms)

 第2楽章、テンポの不安定さが気になる。第一、冒頭の低弦からしてバラバラ。弦だけの部分が不安。特に、45小節目の木管のテーマを導くVn.がいつも走る走る。あと、そのテーマが弦に移る場所(64小節目)、sub.pが意識できずフォルテのままつっこんで凄くガサツに聞こえてしまう。ま、でもホルンの雄叫びも安定していたし、冒頭、エス・クラもいい感じだったし、結果としては楽しく聴けたからいいか。不安定さも何故か許せる。微笑ましい。トリオのVn.solo、本番、緊張してしまったか・・・でもこれまた許せる範囲。多少音が外れても全く音楽は動じない、傷つかない。ショスタコの音楽の懐の深さよ。
 コーダのオーボエ良かった。バーンスタイン風な嘆き節。そのあとのイ短調の大袈裟な終始との絶妙な対比とあいまって、ここのオーボエに哀愁を感じたのならこの第2楽章大成功・・・かな。
 さて、我が小太鼓パート、団所有のややガサツな楽器からSさん所有のプレミアの良い楽器にチェンジ。第1楽章だけ、暴力的なニュアンスを出したかった。第2楽章以降は整然と精悍に。決まったかな?自分としてはまずまずの自信作だ。

 第3楽章、タチェット。お客さん気分でお休み。細かな点まで挙げればなかなか手放しで良かった、とは言えないのだけれど、クライマックスの熱さに感銘。120小節目の弦とピアノのトレモロはがくっとくるほど迫力不足だったが(私に言わせればピアノの手抜きだ。打楽器奏者の私の方がここは絶対うまく演奏できたかなぁ。打撃的な北斗の拳的トレモロ。)、そのフレーズの最後のクレシェンド、思いっきり指揮者は伸ばして音を搾り出す(やはりピアノが勝手に一人で先に終わってたのはいかがなものか。)。そのクレシェンドと音の伸びにハッとするやいなや、緊張感溢れる沈黙、そして、新たな局面。コントラバスの高音域のうめき、音程はいささか怪しいのだが、雰囲気が凄い。血が吹き出てきそう。その上にチェロの張り詰めた旋律が、また、凄い荒い感じで、何かしら心に迫り来る。決して美しいわけではない。でも、説得力ある表現であり雰囲気だ。個人的には、この交響曲で最も感銘深く、また印象的な、最大のクライマックスだと思っている(金管打が吠える場面ではないが、精神的にはこの作品で最もテンションが高い場面と言えないか)。この演奏では、かなりこの第3楽章のクライマックス、いい線まで行っていたと思う(逆説的には、フィナーレの前半がやや弱かったとも言えるのだけれど。ただ、この作品の本来的な在り方として、第3楽章クライマックスに重点があるのは聴いていてとても感動できる。)。
 最後はぶー。チェレスタとハープ、せっかく隣同士なのだし、ほとんどの音がずれているというようなアンサンブル能力では、ヒンシュクじゃない。完全なアマチュアの団員の皆さんの方が断然アンサンブルしていましたよ。

 第4楽章、中庸なテンポ感。遅過ぎず早過ぎず。しかし、第1楽章で述べたとおり、指揮者とオケのせめぎあいの中で、テンポが十分に上がらなかったのはとても口惜しい。練習では多少崩壊しようとも攻めのテンポが存在していた。特に、32小節目の音型を利用した加速はとても興奮していたのだが、本番ではその加速は聞けなかった・・・・でも団としては崩壊を最小限にとどめつつ一心不乱に進む姿は観客を興奮の渦に巻き込むのに十分であったとは感じた。第2主題のトランペットが外したのは痛かったが、うまく持ち直してさらなる加速。私はいつのまにやら、サスペンデット・シンバル担当となって、この曲でもっとも大きな音量表示であるフォルテ4つへの駄目押し的破壊のクレシェンド。ティンパニの怒涛の両手叩きも圧巻。練習では、金管がインテンポに出来ず遅れ気味で崩壊していたが本番は決まりました。ここが決まらないとガクって感じでしたもの。最後のコーダへの少しづつの前進も、着実に一歩一歩踏みしめて一体感を感じつつ、あの感動的な凱歌を迎えられて、ああ幸せ。出番の少ない小太鼓ではあるが、朗々たるロールを心がけつつ自分の持ち場はしっかり守ったつもり。金管とティンパニ、満足ゆく楽章終止の役割、存分に果たしていた。・・・・個人的な感想としては、今までで最も気分爽快に演奏を終えることが出来た。確かにトライアングルで終わるのはちょっと空しい感じもした。大太鼓で終わったときは、最後のティンパニとのアンサンブルがなかなか完全にはいかなくて、達成感はあったものの心残りもあった。小太鼓で今回終わってみて、今までにない喜びを大いに感じた。団として、私の予想をはるかに越えた出来、であったのも嬉しかった。やはり、ショスタコの5番、何度でもやるべき音楽だな、これは。次のタコ5体験、いつになるのやらって感じではあるが楽しみにその機会を待とう。

 今回のコンサート、パンフレットの解説も、とうとう「曲解」路線が豊田にも上陸。嬉しい限り。ビゼーの「カルメン」との関係を中心にとらえたタコ5の曲目解説、Sさん素晴らしいッ!

(2001.6.28 Ms)

 

6/9(土)、10(日) ロシア・アニメ映画祭

 6/9,10と名古屋にてロシア・アニメ映画祭を鑑賞。ショスタコが音楽をつけた「バザール」(「司祭と下男バルダの話」の一部)と「おろかな子ネズミ」を見て来た。とても感激。「バザール」は、やはり当局からの横槍があって途中で制作中止、冒頭の3,4分足らずしか完成していない。とてもグロテスクな映像の数々、凄いインパクト・・・音楽は、バザールの物売りの歌が矢継ぎ早に出てくるものだが、例のロジェベン編のオケ用組曲とは無関係のよう。「子ネズミ」は、結構リアルに描かれた動物たちの登場するオペラ的な作品、ネズミ、ブタ、ガチョウ、馬、そして猫たちの子守歌の描き分けが楽しい。
 その他、1930年代のモノクロ作品、けっこう技術も低く、ネタ的にもつらい作品も沢山あったが、当時のソ連の音楽の生の姿を垣間聴いて面白い。ショスタコ初期に通じるもの、ストラビンスキー風なもの、ガーシュインばりな初期ジャズを思わせるもの・・・音楽の面からも楽しめた。
 さらに、名作と言われている戦後の2つの長編「イワンの子馬」「雪の女王」は凄い完成度・・・時代を感じさせないな。手塚治虫、宮崎駿らに影響を与えたと言うが、確かに彼らの先駆に位置するものと見た。特に後者、パンフレットの寄稿にもあったが、宮崎駿の原点にあるだけの作品。キャラクターデザインといい、全体が醸し出す雰囲気と言い、宮崎ワールドだな。ホントに。音楽は、ムソルグスキー、R.コルサコフ、グラズノフの模倣程度だが、結構BGMとしてはもったいないくらいいい出来。アメリカ、ハリウッド映画よりは、格調高く響くような。
 なかなかに楽しめた。詳細はおってまた書きたい。・・・ショスタコのアニメ映像の一部を少しだけ紹介しましょう。

「バザール」 「おろかな子ネズミ」

 (2001.6.10 Ms)
記事追加(2001.6.13 Ms)

まずは、パンフレットから抜き書き、ショスタコを取り巻く当時(1930年代)の状況が、アニメ業界からも読み取れるような。

<1> バザール

1936年レンキノ作品(未完) 4分
監督:ミハイル・ツェハノフスキー

 ショスタコーヴィチの音楽にのって怪しげな物売りが次々に登場、さわがしく猥雑なバザールの光景が展開する。本来は、プーシキンの物語詩「司祭と下男バルダーの話」全体をアニメ化し、長編となるはずだったが、ショスタコーヴィチの音楽とツェハノフスキーの実験的スタイルが「形式主義」とあるとして批判されたために、完成に至らなかった。現在残されているのは、冒頭のバザールの場面のみである。「郵便」「パシフィック231」で試みた映像と音の探究をさらに進めようとするツェハノフスキーの意欲は、この断片からもうかがわれる。グロテスクな絵と音楽の迫力は、他の追随を許さず、完成しなかったのが残念である。この作品が頓挫した時期は、ソ連にディズニー、フライシャーのアニメが、その工業生産的制作プロセスの紹介とともに入ってきた時期でもある。小人数でこつこつ作る個性あふれるアニメーションは、急速に姿を消してゆく。

 映画祭全体に関する記述からも、このような部分があります。

 「ソビエト映画の発展 T」

 (前略)ソビエトのトーキー映画第一号は、劇映画は「人生案内」(1931)だが、アニメの第一号が何かはわからないが、(中略)その中でやはり異彩を放つのは、ツェハノフスキー。「バザール」(1936)は物語詩による作品で、やはりデザイン感覚が圧倒的に違う。エネルギッシュで怪しげで猥雑な市の表情、すこしピントがぼけた背景が移動しているから簡素なマルチプレーン撮影台ができていたのだろう。ディズニーの開発より1年早い。しかも、音楽はショスタコーヴィチ。この野心的な作品は制作中止を命じられ、ここに見る断片のみが残されている。ツェハノフスキーの作品は形式主義的だと批判され、上映禁止になることが多かったそうだ。それだけこの作家は体制のためよりは自分の作りたい作品を目指していたということだし、また、たかがアニメに政治が理不尽に介入する時代になっていたことも読み取れる。
 この時期、1934年には <全ソ国立映画大学付属実験アニメーション工房> が設立され、はじめてセルが導入される。そして1936年6月には <全ソ・アニメーション映画写真産業総局の指令> が公布された。これが国立アニメ製作所設立の第一歩となる。
 社会主義国の方針は、国営のアニメ製作所を設け、資金ぐりや人材確保に苦しまずにアニメが制作できる環境を用意し、そこでは次世代をになう子どもたちの思想・情操教育に寄与する作品を作る、というものだろう。そういうタテマエが成立してしまうと「バザール」のような作品は到底子供向けとは言えず、また社会や人間のみにくい部分も描き出すタイプのアニメは <歓迎できない危険な映画> だったのかも知れない。

 物語全体の筋とは、きっと関係のない、冒頭の導入に過ぎないであろうこの「バザール」、全編完成していたら確かに凄い存在感のアニメだったろう。とにかくキャラクターがグロテスク。ちなみに上に掲げた絵は、マドンナの絵、である。絵を売る商人が、「マドンナの絵はいらんかねぇ」と歌い、その絵がズームアップされるや、天使が出てきてマドンナのおなかに矢を射る。しかし、どこがマドンナじゃ。
 音楽は、あまり伴奏部分が聴き取れず、ひたすら矢継ぎ早にでてくる様々な商人が、物売りの歌を歌ってゆく。正直、映像のインパクトが強過ぎて、音楽まで思い至らないような気もするが、逆に、その映像のグロテスクさにマッチした、違和感のない音楽が流れていたということか。
 期待して見聞きしたのだが、音楽に対しては何か新しい発見はできずじまい。ロジェスト編による管弦楽用組曲とは全く異なる素材ではあった。また、いささか信頼できるか不安な、ロシアで10年くらい前に出たピアノ編曲版の楽譜とも関連性はなかった。そう言えば、その楽譜にも物語に沿って挿絵が書かれていたが、ツェハノフスキーのキャラクターデザインとは全く異なるもの。
 パンフの解説によれば、この作品も当局にショスタコが目をつけられる一因の一つになったのかもしれない。歌劇「マクベス夫人」の批判とリンクしないだろうか?とにかく、猥雑、不気味。健全な映画ではなさそうだ。ただ、監督のツェハノフスキー、オネゲルの「パシフィック231」にアニメをつけていたりするわけで(これも批判の対象)、ロシア・アバンギャルドの時代、アニメ界にも当時の最先端の現代音楽が浸透していたのも興味深く、そういう音楽的素養も持ち合わせたであろう芸術家たちとショスタコが交流していた、という事実も面白い。

(2001.6.16 Ms)

<2> おろかな子ネズミ

1940年レンフィルム作品 15分
監督:ミハイル・ツェハノフスキー

 ロシアの有名な詩人であり児童文学の作家であるマルシャークの原作をアニメ化。誰もが眠る夜、子ネズミは眠れない。母ネズミの子守歌も子ネズミには耳障り。子守りを探してという子ネズミの頼みで隣近所のいろいろな動物があやすが効き目がない。最後に困り果てて皆はネコのおばさんに子守りを頼む。甘い歌声に子ネズミはうっとり・・・・。結末は原作と異なる展開を見せ、ヒューマンな社会主義の理念がかいま見える。カラー時代が始まり色彩を模索しているために却って抑制された彩色で美しい。動物達の特徴がよく描けており、彼らの声の特筆を作曲家ショスタコーヴィチは見事に生かしている。

「ソビエト・アニメの発展 U」

 1936年以降、大半のアニメは <連邦動画撮影所> で制作されるようになる。高価なセルも、大勢のスタッフも使える。そこで撮影所は、 <ディズニーのような、ディズニーに劣らぬ作品> 制作を推奨する。 (中略) アニメ技術は決して低くはないが、構成やストーリーテリングがどうもディズニーに及ばない。
 その中で異色はやっぱりツェハノフスキーだ。「おろかな子ネズミ」(1940)は、「郵便」に続いてマルシャークが脚本に参加し、「バザール」に続いてショスタコーヴィチが音楽に参加する豪華な布陣である。制作中止命令も上映禁止もなんのその、の勢い。
 子守歌をいくら歌っても寝ない子ネズミに困り果て母さんネズミはガチョウやニワトリ、牛などさまざまな仲間に子守歌の代役を頼むがききめがない。思案の末にあろう事か猫を呼んでしまう!さあどうなる。
 この時期、ソ連のカラー映画はいまだ模索の時代にある。第二次大戦の終わりに東ドイツのアグファ・フィルム工場を接収してアグファカラーを採用するのだがその4年前。まだニ原色のカラーらしいが、浮世絵を思わせる渋い色彩はむしろ新鮮。親切そうに子守を引き受ける猫もまた浮世絵ふう、一勇斎国芳の猫に似ている。動物たちのデザインも、その国の特徴を生かしながら擬人化した動きもおもしろく、 (中略) 圧倒的な存在感。日本のアニメはとかく人間キャラばかりで、こういうタイプの作品がないからよけい魅力を感じるのだ。ふと気がつくとツェハノフスキーの作品は全部レニングラードで作られている。作風の違いはそんなところにあるのかも。戦後は <連邦動画> に参加、短編中編さまざまな作品に腕をふるい、多分最後の長編と思われる「野の白鳥」(1962)はやはり独特の美意識とデザインが魅力を放っている。

 こちらの作品も監督が同じ、ツェハノフスキー、彼については、以下の記述あり。

 ミハイル・ツェハノフスキー(1889−1965)
 モスクワ絵画彫刻建築学校卒業。「郵便」(29)でアニメ界にデビュー。さまざまな実験を試みる。「郵便」のトーキー化もそのひとつで、最初期のトーキー作品。音楽実験映画「パシフィック」(31)は批判を浴び、「バザール」(36)は未完のまま上映禁止となるが、「おろかな子ネズミ」(40)では開発途上のカラー技術を実験的に使っている。戦後の「七色の花」(48)は世界的に好評を得た。

 なんだかこの監督もショスタコと同じような境遇で作品を作り続けたのだろうか?などと想像してしまう。体制からの圧力に対峙しつつ、結局は生きて作品を作ることに活路を見出し、妥協を余儀なくされつつも「自分」を持ち続け、また成功も勝ち得た芸術家だった・・・・ような気がしてしまう。さてどうか?
 音楽についてはつい最近、映画と同じ楽譜による演奏CD(シャイー演奏によるフィルム・アルバムに収録の管弦楽のみの版ではなく、声楽入りのもの)を入手、とても楽しく聴けたのだが、まさか本物の映画も見る機会がすぐに来ようとは。まず音楽の感想も、「だぶん」からこちらへ移動しておきましょう。

 さて、ショスタコのCDとしては、ベラルーシのオケによる映画音楽集。「コルジンキナ」「僧侶とバルダ」など、ロジェベン版でのみ聴かれる隠れ名曲の他の演奏、初めて聴いたが、たるい。ロジェベンを意識してか、違う演奏を目指して失敗している。遅い。重い。ハチャめちゃさが欲しい。「黄金の丘」もイマイチ。しかし、このCD、「愚かな子ネズミ」原典版の世界初録音がメイン。これが素晴らしい。シャイーのCDで、他人の手が入った版が聴けるが、ようは、声楽パートを割愛し、オケだけでやれるようにしただけ。原典版は、ナレーションと子ネズミの語り、そして、母ネズミ、犬、ブタ、猫などの歌が入って、とても楽しい。「1幕の子供のためのオペラ」としてのサブ・タイトル通り、オペラを書きたくて書けなくなった彼のささやかな抵抗でもあろうし、かつ、非政治的なスタンスに立った、彼の本質を表す佳曲である。子ネズミを寝かしつけようという動物たちのコミカルな子守唄、鼻を鳴らしてうるさいブタの子守唄、結局自分が寝てしまうオチ。馬の、やたらと威勢の良い子守唄、などホントに楽しい。ハープやチェレスタなどが効果的なオーケストレーション。それこそ、「トムとジェリー」を彷彿とさせる愉快な世界。「ピーターと狼」ほど鮮やかではないけれど(プロコに比べるとショスタコ、表面上の貧しいイメージは否めないな)。子供のための作品として、もっと普及してもいいのではないか?CitadelなるレーベルのCTD88129。興味あれば是非探して聴いてみてください。ここで、また曲解、「愚かな子ネズミ」に触発されて、オペラ作曲への夢、止みがたく、結果として発表できないのを承知で「賭博師」の作曲に突入したのかな?

(2001.4.30 Ms)

 正直なところ、今回の映画祭、名作として知られている長編「イワンのこうま」「雪の女王」以外は、上記のパンフで言うところの、<ソビエト映画の発展TU>にあたる作品の数々を鑑賞、駄作も多く見せられた。その中で、この「子ネズミ」はダントツのレベルであり、また楽しかった。音楽に負うところも多いにあろうが(個人的嗜好が強いかな)、キャラクターデザインも彩色も芸術的センスを感じさせ、戦前のソ連アニメの最高峰くらいの位置にあるんじゃないか?淡い色使いも良い。キャラも、なかなか実写に近いくらいの写実性、つまり「トムとジェリー」みたいないわゆるアニメ的なキャラではない。そのくせ、動物たちは服を着てたりするので違和感もあるけれど。顔の表情も、動物ほんものに近い。子ネズミを子守歌で眠らせた猫のおばさんが、今までと一転、ギラリとした目を見せるあたり、怖いくらいに本物の猫だった。
 アニメとして、映像、音楽ともに一流の風格を感じさせる。ショスタコの実力も改めて思い知らされた・・・・やはり天性のオペラ作曲家になり得る人材だったってことか・・・・なんだか悲しいような気もするが・・・・・。

 (2001.6.18 Ms)

<3> ソビエト・アニメの発展

 二日間の映画祭でA〜Fプロまでの計6つのプログラムで上映、私が鑑賞したのは一日1プロづつ、つまり上記のショスタコのアニメが含まれたプログラムのみである。
 その2つのプログラムには、日本の現在のアニメの源流を成す長編名作「イワンのこうま」と「雪の女王」が含まれると同時に、東京における上映においては、「ソビエト・アニメの発展」とタイトルされた、モノクロの短編の数々も含まれていた。アニメとしても、また、当然の如く音楽としても、ショスタコのものが断然楽しめ、かつ、レベルの高さを感じさせ(監督であるツェハノフスキーの力量に負うところも大だろう)、他の作品に対しての言及は必要もないと感じたのだが、滅多にない機会でもあるし、自分の記憶から風化してしまうのももったいないというわけで若干、その他の作品についてもコメントを残しておきますか。

(1) 習慣のとりこ

1932年 ソユーズキノ・モスクワ工場作品 16分
監督:アレクサンドル・プトゥシコ
作曲:N.M.ブラヴィン

 人形アニメ。雑然としたあばら家のようなアパートに住む男が、南京虫のせいで夜眠れないのに腹を立て、現代的なアパートへ引越し。しかし、引っ越してみると、昔が懐かしくて眠れない。南京虫を始めボロの家具、日用品をあばら家から取り寄せて、やっと安心、熟睡。という話。
 音楽は、ひたすら、歌で進行。アニメ映画初期、オペラやバレエなどの感覚で音楽を書いていたのがうかがわれる。そう言えば、昨年の、ショスタコの映画音楽第1作「新バビロン」(1935)の上映も、音楽は止まる事無くずっと流れていたな。音楽がストーリーの進行に説明的な役割を多く担っているのだ。さて、この映画の音楽については思い出せない・・・「南京虫がなつかしい〜」などと歌われていたような。芸術的というよりは騒がしく、また軽めのものであった・・・かな。

(2) スイカ泥棒

1934年 モスクワ映画コンビナート芸術アニメ工場作品 10分
監督:アレクサンドル・イワーノフ、パンテレイモン・サゾーノフ
作曲:レフ・シヴァルツ

 コルホーズにスイカ泥棒がでたという知らせを受けて、ワーシャと愛犬が泥棒退治に。犬がスイカに化けて(かなり無理な展開)、泥棒であるブタのアジトへ潜入。めでたく泥棒を退治する。
 キャラクターデザインに違和感。まつげの長いワーシャ少年のウィンクが気色悪い。おかまみたいだ。泥棒のブタも妙にリアルな感じで愛嬌もない。見るのが辛い作品だった。なぜか音声はなし。

(3) オルゴール

1934年 モスクワ映画コンビナート芸術アニメ工場作品 21分
監督:ニコライ・ホダターエフ
作曲:D.ロバチェフ

 オルゴールとは、ここでは人工知能のこと。19世紀の風刺作家シチェドリンの「ある町の歴史」を原作としているらしい。
 「最悪ではないが最低の皇帝」の治世のこと、グルーポフ(愚者の町)の市長が死んだ。皇帝は、一番声の大きい者を市長にせよと命ずる。軍人が市長に選ばれ、皇帝によってオルゴールを頭に仕込まれる。滞納税金の取り立てが彼の任務。グルーポフに乗りこむや、図書館を砲撃。残されたのは滞納者一覧のみ。滞納者の村へ軍隊を引き連れて村を攻撃。悲しむ村民達から金を無理矢理徴収する。
 市長を称えるパーティーでは市長自ら踊り歌いまくる。そのパーティーからの帰り道、馬車は落雷によってタイムスリップ、現代の町を走るものの車に激突、大破、市長は死ぬが、オルゴールは歴史の証人として博物館に保管されましたとさ。
 白黒の画面、背景はほとんどなし。戯画化された人物たちもあまり派手に動き回らず、映像としてはえらく単調。ストーリーも、ロシア帝政批判なのはわかるが、魅力に乏しい。
 音楽もまた、聴きづらい。というのは、ショスタコ初期にも通じる、ドタバタ喜劇風ながらも、旋律線が予想不可能な動きをみせたり、不協和音だったり。歌えそうにない。そんな中で耳に残ったのは、皇帝の登場。皇帝はなにか命令を下すたびに、チューバらしき金管楽器を吹き鳴らす。その旋律は、チャイコがよく引用しているロシア帝国の国歌の冒頭2小節。その後は違う旋律へと移ってゆくが。ロシア帝政批判であることは鮮明に見る側に刻印され得る作品ではある。

(4) 皇帝ドゥランダイ

1934年 メジラブポムフィルム・アニメ工場作品 21分
監督:アレクサンドル・クルス
作曲:アナトーリー・アレクサンドロフ

 これまた、ロシア帝政批判ものか。雷帝と自称するドゥランダイ、美女である女帝テチョーハとの結婚を望む。テチョーハは、鉄の巨大な塊を投げる、一気に何十リットルもの水を飲み干す、などの難題をドゥランダイに課すが、無力な彼は、力持ちの鍛冶屋シーラに全てやらせて、結婚することとなる。しかし、テチョーハは結婚するやすぐ皇帝が無力なのを知り、皇帝を追い出して、ドゥランダイ帝国はテチョーハ帝国に併合されてしまいましたとさ。
 あまり音楽がつけられていなかったように記憶する。映画の冒頭でまったくストーリーとは関係のない道化役者が2人登場、歌い踊りながら、物語の登場人物を紹介する。その歌と踊り、さらには道化的な役回り、ロシアならでは発想か。その程度の感想。アニメとしては、ホント、つらいほどにつまらなかった・・・・。

6/9鑑賞分につき記載。6/10鑑賞分は後日。ロシアにおける30年代のジャズ、これは面白い体験。(2001.6.20 Ms)

(5) にぎやかな航海

1937年 連邦動画撮影所作品 13分
監督:ウラジーミル・ステーエフ
作曲:A.ツファスマン、A.カミン

 ここから、6/10鑑賞分。パンフに寄れば、「ソビエト・アニメの発展U」ということで、Tで紹介された前4作品に比べれば技術も高くなり、アメリカの映画の影響もあって、随分見やすい、普通の感覚のアニメとなっている。その中でも、この「にぎやかな航海」は、当時のジャズ音楽がストーリーとも密接に関係しており、当時のソ連のジャズ音楽をそのまま鑑賞できて楽しい。ほとんどアメリカのものと遜色ない。「トムとジェリー」あたりの音楽を想像していただければだいだい当たっているだろう。しかし、1937年、ソ連で、こんなアメリカ的な音楽、許されていたのか?
 ショスタコのジャズ組曲、を思い出そう。第1番(1934)は、サックス主体のドラムスやバンジョーまで入った小編成の、いわゆるジャズ風なサウンドでありながら、第2番(1938)になると完全な管弦楽によるものでジャズ的ではないものになってしまう昨年、イギリスでプロムス・ラストナイトで初演された、いわゆるジャズ的な雰囲気をもった同名の作品ではなく、シャイーによる演奏の「ショスタコ・ジャズ・アルバム」参照。)。ショスタコにとっては、プラウダ批判、そして交響曲第5番初演、と、大きく創作活動が転換せざるを得なかったはずであり、ジャズ組曲ニ作品の変貌ぶりも、その影響かとも思ったが、当時、ちまたではまだまだ、ホントのジャズは許容されていたとなると、よくわからない。ショスタコはいち早く、アメリカ風ジャズから手をひいたのだろうが、一体何故だろう、誰よりも先駆けてジャズが危うい、ということに気付いたのか?(二種類存在する、ジャズ組曲第2番についても謎のままだ。)ソ連におけるジャズへの抑圧の歴史、も一度調べた方が良いか。以外と、第二次大戦中は同盟国の音楽ということでまだ許容されていて、ジダーノフ批判の頃(1948)、冷戦とともにジャズも完全に葬り去られた、ということなのだろうか?いろいろ考えてしまうな。

 さて、根がショスタコ・ファンゆえ、こんな楽しいアニメ見つつも、ソ連におけるジャズとは?なんて考え込んでしまって、おっといけない。
 とりあえず、パンフレットから映画の紹介。

 波止場にコートの襟を立てた男が現われる。マグノリア島ミモザ劇場でのコンサートに向かうカエルの音楽家である。船ではネズミの船員たちが掃除をしているが、キイキイと騒いでいるうちに喧嘩が始まってしまう。音楽家はピアノを取りだし演奏する。みんなは音楽に合わせて、協力して仕事に励む。嵐にみまわれて船が壊れるが、それも音楽に乗せてみんなが協力すると、たちまち新しい船ができあがる。ミモザ劇場でのコンサートは、船員たちも総出演で盛り上がる。オリジナリティにはいささか欠けるが、ディズニー路線で成功した作品のひとつで、今でも人気がある。音楽を担当した、ツファスマンは、当時の流行に乗って人気の絶頂にあったジャズ音楽家。ノルシュテインの「話の話」(79)やミハルコフの劇映画「太陽に灼かれて」(94)で、「疲れた太陽」という歌の古い録音が使われているが、これもツファスマン・バンドの演奏によるものである。

 カエルの持ち歩くカバンがあれよあれよとピアノに早変わり。ピアノによるジャズ(ジョップリン風)に乗せて掃除するネズミたちに、警笛を吹いて「やめろ、ふざけるな」と制止する親分(ポパイに出てくるプルートだな、ありゃ。)。トランペット、トロンボーン、クラリネットと、楽器を取り上げられつつも音楽を続けるカエル。しかし、プルートがピアノを甲板から海に投げつけるや、カエルもそれを追ってドボン。
 カエルがいないまま航海は続く。すると、みるみる海は荒れ始め、暴風雨。船は無人島へ打ち上げられ大破。プルートが命令してもネズミたちは「元気が出ない」と倒れるばかり。そこへ、ジェットスキーのようなピアノに乗ってカエルが現われて、ピアノを弾きつつ歌を歌う。するとネズミは元気が回復、歌を歌いながら、壊れた帆船は、蒸気船に生まれ変わる。
 劇場に着いたカエル。今日は独演会の予定でしたが、急遽ビッグバンドによるコンサートです。とネズミたちを紹介。サックスのアドリブも冴える。ブラスも派手に鳴り響く。音楽の力って素晴らしい!ってな結末。プルートだけは、コンサート会場でも警笛を鳴らし、船長に怒られてました。
 ・・・・・なんだかありがちではある。でも底抜けに楽しい。誰もソ連の映画とは思わないと思う。1937年、まだアニメ界は悲惨な状況ではなかったのか?

(2001.7.3 Ms)

(6) イワシコとバーバ・ヤガー

1938年 連邦動画撮影所作品 12分
監督:ワレンチナ・ブルムベルグ、ジナイーダ・ブルムベルグ
作曲:アナトーリー・アレクサンドロフ

 イワシコ坊やが湖に釣りに出かける。それを見た魔法使いの婆さんバーバ・ヤガーは、イワシコを食ってやろうと策を巡らす。ヤガーの魔の手から逃れてイワシコは無事家に戻れてめでたしめでたし。
 ロシアの民話に基づく題材。バーバ・ヤガーと言えば、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の最後から2曲目に出てくる。ニワトリの足の上に立つ小屋に住んでいる、というのは知識としては知っていたが、アニメでもちゃんと小屋に足がはえていた。ヤガーが帰ってくると後ろを向いていた小屋が振り返る。なかなか興味深いシーンだった。
 音楽的には、わかりやすいロシア国民楽派ってとこか。湖に出たイワシコに母親が、「おいしいお菓子が出来たわよ」なんて歌っていたのはさながらオペラのソプラノのアリアみたい。それを真似てヤガーが、がらがらなだみ声で歌ってたのはいかにもって感じで笑えた。
 キャラクター的にはアメリカ的な雰囲気はあまりない。伝統に基づくロシアならではアニメを目指しているようだ。やや地味だが。パンフによれば、「この時代に奨励されたディズニー・スタイルの影響は見て取れるものの、むしろその長所を消化して、ロシアならではの独自のリズムと語り口をもった作品を生み出そうという意欲がうかがえる。これはのちの「イワンのこうま」(47)などの反ディズニー路線の源流と見ることも出来よう。」

(7) 船乗りシンドバッド

1944年 連邦動画撮影所作品 22分
監督:ワレンチナ・ブルムベルグ、ジナイーダ・ブルムベルグ
作曲:N.ボゴスラフスキー、Yu.ニコリスキー

 こちらは、アメリカ風キャラクター。題材もアラビアン・ナイト。海賊と戦ったり、壷から煙とともに現われる魔人が出て来たり、それなりに見せ場もある。現在の私達の感覚からしても安心して見ていられる内容。
 最後は、魔人をねじ伏せて願い通り自分の帆船を手に入れ、世界に漕ぎ出すぞ・・・という決意が壮大な音楽とともにまたまたオペラ的に朗々と歌われる。これまた、リムスキー・コルサコフ的音楽・・・・題材的に交響組曲「シェヘラザード」を意識したか?
 そんな雰囲気、前々作「にぎやかな航海」で見せたアメリカ追随的なものから、少なくとも音楽は、社会主義リアリズムにも通じるような、ロシアの伝統を十分踏まえたものへと変貌をとげつつあったことを物語るものなのか?アニメ映画も国家的プロジェクトとして、ロシア芸術の延長にあるソ連独自な道の模索、を音楽からも感じた。確かに、このシンドバッドの音楽まで聴くと、次は「イワンのこうま」(47)、「雪の女王」(57)と素直に並べて違和感ないものを感じる(両者とも制作はやはり、連邦動画撮影所)。ロシア・アニメの系譜、なかなかに興味深く、映像、音楽の両面から楽しむことが出来た。

 さて、いろいろなロシア・アニメ堪能させて頂いた。映像的には、初期のものは辛いもの多々ありながらも、それ以外はそれなりに楽しく鑑賞できた。結局は、音楽のことを考えるのなら、ショスタコの音楽のユニークさ、独自性がとにかく光っていた。昨年の、「新バビロン」日本初演、そして、今年1月の「ベルリン陥落」「ミチューリン」の映像つき演奏、それに続いての、ショスタコ・アニメ音楽、彼の凄さ、改めて痛感だ。交響曲だけが彼の世界ってわけじゃあない。映像とのコラボレーション、彼の才能の開花を痛切に体験できた。
 それにしても、ロシア・ソ連の文化を探検するのはホント楽しいね。こういう企画、どしどしやってもらいたいもの。

(2001.7.5 Ms)


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