今月のトピックス
May ’01
5/13(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第20回定期演奏会
蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 2001年5月13日(日) 開場1:30pm 開演2:30pm R.シュトラウス 聖ヨハネ騎士修道会の荘重な入場 (アンコール) ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女 指揮 山本訓久 Vn独奏 福本泰之 1:40pmよりプレトーク&プレコンサート「現代音楽はこわくない!?」 (プレコンサート演奏曲) ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲より |
いつものことながら、充実した演奏活動を続けている蒲フィルさんに、今回も合流させていただきました。打楽器奏者としては、さほど出番のないコンサートながら、また、いつものことながら楽しくお手伝いさせていただきました。ありがとうございます。
今回の私のテーマは、「最後に笑うのは俺だ」です(?)。今回は、各曲、最後に合流するのが常に私、という役回り(出番のないシベリウスは除いて)。
まず、今回が日本初演、かもしれないというR.シュトラウス、私の担当、小太鼓は最後8小節のみ、ひたすらロール。
小組曲は、タンバリン。第4曲のみ。
ボレロは、銅鑼。これまた最後の数小節のみ、かつ、打楽器群の中でも駄目押しの3拍目、ドン・シャン・グヲーンの大太鼓、シンバル、銅鑼の最後なわけです。
アンコールは俄然、張り切って、「乙女」は、「牧神の午後」的な、アンティーク・シンバルで要所を押さえつつ、最後は私の一発ソロで終わり。
駄目押し、ザンパはとにかくガチャガチャ鳴らしまくるトライアングル。
トータル的に、最後に笑う・・・・というか、(最後に笑われるのがオチか?)、いつまでたっても座ってるけどあの人何するのかしら、と思わせつつ最後はめでたしめでたし、という按配なコンサートだったわけです。
さて、蒲フィルさん、設立20周年、そして今回20回定演、さらに2001年ということで、「20世紀プログラム」と銘打ってのコンサート。なかなか私的には楽しめました(小中学生には、少々難しかったかな・・・・会場の雰囲気とアンケートを見た限りでは・・・・)。
まず、プレコンサート。現代音楽レクチャー。音楽の授業の開始のピアノ和音にて開始。この、ドミソ・シレソ・ドミソ、と言う古典的な機能和声の崩壊をワーグナーに聞き、その他、12音、セリーの音楽、そして民俗音楽からのインパクト、そして、ジャズからのインパクト、といった具合に20世紀音楽の大雑把な説明を、指揮者の山本先生のお話と蒲フィルの選抜メンバーの演奏で。
ドビュッシーの「ケークウォーク」は、オケ版での演奏。中間部に「トリスタン」のパロディがあるというのも、にくい選曲だ。このドビュッシーから、本日の演奏曲の解説へとスムーズに話は移行。・・・今回は、プレ・コンサートというより、レクチャーとしての色彩が強くて、啓蒙的な企画でした。ちょっとリラックスしてコンサートへの導入を、という雰囲気にはなり辛かったでしょうか?でも、なかなかクラシック界では、20世紀の音楽を聴く機会も少ないし、こういった企画も意義はあります。今後もいろいろ趣向をこらしての企画を楽しみにしたいと思います。
さて、プログラム。
R.シュトラウスの作品は、日本初演かどうか調べられなかったものの、多分そうだろう、との山本先生のお話。CDは、小澤の「アルプス交響曲」の余白に入っているのだが、これは原典版、金管とティンパニのみの版らしい。今回は、R自身の編曲によるオーケストラ版。CDは見つかりませんでした。
曲は、いかにも機会音楽らしく、華やか、かつ重厚な感じ。ですが、レクチャーで聴いた、ドミソ・シレソ、の古典的感覚から抜けきれていない、前世紀(19C)的なもの。主和音の分散和音をファンファーレ風に金管楽器が模倣していく。それがどんどん盛り上がってゆく、という趣向の曲。途中、「マイスタージンガー」風な、タッタカター、という合いの手もあったりして、ワーグナー万歳ってかんじもしつつも、音楽的には、「隠れ名曲」だ、とまでは主張できない程度の作品か。・・・そう言えば、かの有名な「英雄の生涯」の冒頭にしたって、ベートーヴェンの「皇帝」の冒頭ピアノカデンツと同じ和音構造だったりして、やはりR.シュトラウスは、19世紀をひきづった作曲家であることは再認識できた。
続く、シベリウス。なかなかアマチュアではやってくれません。確かに、オケも、ソロも難曲ですし。今回の挑戦、大健闘、と称えたい。
音楽的には、R.の後だと、シベリウスの和音感覚が、古典にしばられていない、というのがよくわかる。不協和感は少ないにせよ、和音の解決感、よりは浮遊感をより感じさせる・・・これは、まったく違った感覚ながらも、続くドビュッシーもそうなのだが。音楽史上のシベリウスの位置、というものが何となく浮かび上がるような選曲、並び方であったということか。
休憩をはさんで、フランス・プログラム。小組曲。アマオケとしても、フランス音楽入門的存在としてよくとりあげられる(ベルリオーズ、ビゼー、サン・サーンス等々では、おフランスになりきれない。かといって、ドビュッシーやラベルのオケ作品も手が出ない、という我々にとっては、幾分手軽な、いわゆる近代フランス、印象派へのチャレンジの作品となっている。)。
蒲フィルさんも、山本先生のタクトのもと、フランス的なムード、うまく漂わせていました。棒も結構いやらしく、まるでピアノ曲を作るような、微妙なテンポの変化の連続。それを奏者一丸となって、弦楽器のエキストラさんまで念入りな練習を積み重ねてここまで作り上げていったのには恐れ入ります。私も奏者として、うまく、団員の皆さんの作った世界に乗り込むことが出来ました。
最後は、お待ちかねな「ボレロ」。正直、客席の雰囲気としては、緊張感の欠如は見られていたのですが(特にシベリウスを客席で聴いていてそう思いました。学校の先生である団員の方も多く、小中学生も多くいましたが、やはり辛いところはあります。)、この曲だけは、客席からの緊張感が感じられました。
管楽器のソロもそれぞれ、キャラを生かした印象的なもので、それを支える小太鼓も、沈着冷静、確実な演奏(芸大生に応援に来ていただいたのは正解であったと思います。)。個人的には、エス・クラ、ホルンのソロに祝杯を上げましょう。良かったです。プロだと思われるサックス2本もさすが、水を得た魚的なソロなわけですし、色っぽく、感動させてくれました。
最後の駄目押し、ホ短調への転調からハ長調へ戻るところ1拍で猛烈なリタルダンドがかかったのは壮絶な印象。こんな演奏は聴いたことない。小太鼓もかなりやりにくかったでしょうが、オケ全体がうまく粘って、その解決の大太鼓の最初の1発が快感!私の銅鑼も、ふと、オーケストラ・ダスビダーニャのショスタコの12番「1917年」の演奏がよぎりつつ、かなり燃えました。最後の一発も、すぐ消さなきゃいけないこともあって躊躇しがちな音符だと思いますが(鳴らしすぎるとすぐ止められない)、今回のテーマ「最後に笑うのは俺だ」に従って、躊躇なく鳴らし、全身で楽器に抱きついて自分としては効果的な1打を演出できたのでは?と思っていますが、さてはて。
(あと、今回感じたのは、ニールセンの5番がボレロに影響を与えたのか?という問題。これは別途触れておきたいですね。)
アンコールに先だって、山本先生がマイクを持ち、蒲郡出身で、蒲フィルの音楽顧問でもある先生から団への20周年のプレゼントとして楽譜を贈呈、それが、「亜麻色」のオケ版編曲。とても柔らかな雰囲気の素晴らしいアレンジでした。私の、アンティークシンバル(Ges)も効果的に書かれていて、キラッと存在感を与えるような音色を出すよう工夫したつもり。
最後は、これは、19世紀にもどってしまったのでしょうが、最近では珍しい「ザンパ」。思いっきり速く、威勢の良い演奏でした。とにかく、ガンガン、いってまえ、という演奏。結構好きだなあ・・・弦、木管の皆さんはホントご苦労様。
今回も、私の演奏歴の中でも、心に残るコンサートとなりました。今後も、さまざまな趣向で、お客さん、そして団員の皆さんとともに、楽しむことが出来れば幸いです。
あと、今までの蒲フィルさんとのおつきあいについては、こちら(2000年5月)、とこちら(1999年12月)も良かったら見てください。
(2001.5.19 Ms)