今月のトピックス
September ’00
9/23(土) 大友直人プロデュース・東京芸術劇場シリーズ第52回
最初にお断りです。 この8月より更新ペースが格段に落ちました。8月は北欧旅行などあって、旅行後も仕事に追われ、なかなかパソコンをいじることも出来ませんでした。当初の予定では、今頃は、バリバリ、記事の更新を今までのペースで書き進むつもりだったのですが・・・・ 私の実父の入院により、正直のところ、精神的なダメージ、そして家庭の為に費やすべき時間の増大、など、大変な有様です。 ただ、日常の継続、とそれらとのバランスは保たなければとても滅入ってしまいます。自分に言い聞かせるつもりで、蛇足ではありますが、今までどおりとは行かないものの、「曲解」を継続する、という私の意思表明を、今、ここに掲げておこうと思った次第です。 当面の間は、演奏活動の自粛はもちろん、演奏会へ出向くことすら、制限もされてきます。「トピックス」については、大ダメージなのですが、今後も現実の音楽活動が制限されようと、音楽的な視点は日常生活にしっかり留めているわけですから、「トピックス」だけはしっかり書き進めて行こうと思います。今後も、このコーナーをよろしくご支援の程、お願いしたいと思います。 |
さて、事前に購入したチケットが無駄になるかどうか、一瞬危ぶまれたのですが、なんとか、9/23、上京し、標記のコンサートへ行って来る事が出来ました(当初は、一泊し、在京のアマオケ、TAMA21さんのショスタコの5番を聴こうと予定していたのですが、当然それは断念し、とんぼ返りで、実家に戻ったのでした。西本智美さんの指揮を是非拝見したかったなァ)。
シベリウスの「クレルヴォ交響曲」(原語による歌唱)の再演です。1996年、同じく大友氏の指揮、東京交響楽団で、原語初演され(そのコンサートも行きました)、日本における2回目の演奏を聞いてきたのです。
楽譜も出版されず(第3楽章のみ出版)、CDで耳から聞くのみのこの作品、実演を聞き、かつ見ることができるのは、日本ではまだまだ奇跡的な出来事と言えましょう。しっかりと作品を、私の体全身で受けとめてきました。
まず、感涙モノの感激を私に与えてくれたのが、男声合唱です。早稲田大学グリークラブ、そして稲門グリークラブの皆さん。すばらしかった。
第3楽章で、物語の進行役のような形で、「カレヴァラ」の「クレルヴォ」のストーリーを歌い始めるのですが、オケを凌駕する圧倒的な声量、存在感で、私の心を惹きつけました。オケの序奏から合唱に移ったときの、驚き、そして、感動、近年にないほどの音楽の分野における(良い意味での)衝撃でした。4年前には、きっと違う団体だったのだと思いますが、ここまで合唱に感激はしなかったと記憶します。
「クッレルヴォ、カレルヴォン、ポイカ(クレルヴォ、カレルヴォの息子)」という歌詞が、常に節の最初に歌われるのですが、その表情の変化も素晴らしかったです。特に冒頭の力強さ、そして、ある時は優しく、そして雄雄しく。
第5楽章フィナーレもまた、神秘的な雰囲気から始まり、クレルヴォの死に至る過程を徐々に感情を高ぶらせつつ歌い、そして、最後にその死を絶叫する、そのクライマックスへの移行も、この英雄の悲劇の幕切れに相応しい、大きな音楽を作りだしていました。聴く者の感情を揺さぶらずにはいられない、本物の感動、を味わわせていただいたのです。本当に、ありがとうございました。
オケについても、大友氏の指揮は、やや、早めのテンポで曲を推進させ、冗長さを全く感じさせないもので、作品の持つ力を最大限、聴衆に提示していたと思います。分厚い弦の響き、そして、金管の充実ぶりが光っていました。低弦はかなり厳しそうな細かなスケールなど、うねうねさせるパッセージも多く大変そうでしたが、パワフルに弾ききり、シベリウスらしい雰囲気を効果的に表現していたと思います。
特に、前半の2楽章は、私が大好きなこともありますが、ベストです。第3楽章は、ソプラノとバリトンのソロを聞きづらくしていた部分も若干ありましたが、些細な事でしょう。第4楽章がもっとも聴いていて辛い部分ですが(曲自体が貧弱なのは否めない)、結構割りきって、オケを鳴らしきった事により、アメリカの宇宙的映画音楽系なノリすら見せて、芸劇をハデハデなスペクタル・オーケストラ・サウンドのルツボと化すほどの盛り上がりを構築、それはそれで面白かったです。この開放あって、フィナーレの神秘がより生きてくるわけです。第5楽章は、徐々にテンションを上げる合唱が、とてつもなく強力ということもあり、オケもフルパワー全開、第1楽章の主題再現など、もう、涙涙、完全に、「クレルヴォ」の世界に私は取りこまれ、感激の嵐。ああ、聴いて良かった。
打楽器的な感想。この作品の打楽器使用の特徴は、当然トライアングルであろう。特に、第3楽章の前半、クレルヴォがそりで走る場面、ずっと、粒のリズムが指定されている(と思われる)トレモロを、強弱の差を表現しながら演奏しつづけるのですが、なかなかに効果的ながら、音量や音色のコントロールが難しそうです。その他、最弱奏の、一歩間違えば耳障りになりかねないトレモロも多く待ち構えており、これらが上手く決まったが故に、寒々しい光景を彷彿とさせるイメージ形成に一役買っていたと思われます。ベタで配置されたティンパニより2段高く、合唱のすぐ下に陣取っていただけの存在感と有益な効果を聴衆にアピールできていました。
シンバルも、以外と大活躍で、合わせによる弱奏の一発ソロが多くあり、緊張も高まります。サスペンデッド(吊るしシンバル)のバチ打ちの弱奏も隠し味を与え(よぉく耳をすまさないと聞こえない)、シベリウスの繊細なオーケストレーションが、実演故に手に取るように理解できたのが楽しくもありました。合わせシンバルを3対も用意していたのは、好感が持てます。ドビュッシーの「海」並のシンバル奏者の感性が試される作品ですね。
その他、改めてこの作品と対峙し、後の交響曲第1番、第2番と引き継がれる要素、ウィーン留学時代に心酔したブルックナーからの影響、さらには、ロシアのムソルグスキー、ストラヴィンスキーらの原始主義との接近をはるか感じさせる、呪術的な雰囲気(「構成」よりも「感性」、さらにその「感性」にしてもフランス的な「洗練」ではなしに、ロシア的な「野卑」)などなど、シベリウスの作品系列における特異な位置に思いを馳せたいい機会でもありました。
シベリウスと言えば、晩年の孤高の境地、こそ高い評価を得ていますが、私は、初期の、やや(孤高ならぬ)通俗的な一面も好むところであります。また、「クレルヴォ」体験から考えた事など、まとめてみる機会は持ちたいものだと考えています。
忘れてましたが、サブプログラム、モーツァルトのフルート協奏曲第2番については、これまた書きたいこともありますが時間の都合により後日。(2000.9.24 Ms)
サブプログラムは、全くもって興味もなかったのだけれど、一言書いておこう。どうせなら、ニールセンのフルート協奏曲など聞きたかったのだが、モーツァルトの2番のフルート協奏曲。曲自体は、それほど心に残るわけでもない。
ソロは、トルコの出身という、シェフィカ・クトゥルエールなる女性。どうも、オケの伴奏の音が大きいのか、ソロが全く映えない。ロングトーンも音程が下がる傾向があったようで、少々苦しかった。さらに、曲自体としては、全楽章にコーダに入る前に、カデンツァがあるので、構成が似ていて飽きてしまい、あぁまたカデンツァかぁ、とがっくり来てしまう。
さて、協奏曲が終わってからがさぁ大変。まずアンコール、「ヴェニスの謝肉祭」管楽器でよくやる技巧誇示の曲か。はいはい。でも協奏曲よりは、音も太く存在感あり、まぁまぁの奏者なんだ、とは思い直した。拍手に答えて「ハンガリー田園幻想曲」、これまたフルートソロの名作。序奏の辺りを軽く聴かせてくれるのか、と思いきや、全曲、伴奏も無しで吹ききるとは思わなかった。いささか閉口。伴奏のある、それも大曲なんだから、この辺の感覚、ヨーロッパの伝統をあまり重く感じてない故の気軽さか?これで終わりかと誰しも思っただろうが、日本の名曲「春の海」、吹き始めたとき、客席からは拍手。しかし、冒頭のロングトーンはいきなり音がどんどん沈む。尺八を意識したんだろうか?もう、我々のテンションが下がりきっても、また1曲・・・聞いたことはあるが題名は知らない。「なんとかのセレナーデ」のはずだが・・・・計4曲、協奏曲の時間以上にアンコールに費やされていたのだ。
何にしても引き際は肝心。デビューしたてでリサイタルもろくにやってない故に、ここぞとばかりレパートリーを披露したとでもいうのか。こちらは、クレルヴォ目当てなんだから、もう少し、演奏会のトータルプロデュースを考えて欲しいものだ。大友直人氏はいかが感じられたのだろう。ソリストのアンコールまでは管轄外か?
私がコンサートに関わる人間なら、ソリストにも釘はさしたいところ。フィンランドのメイン曲。サブはトルコのソリスト。日本でのコンサート。どうも対ロシア包囲網的な匂いもしないか?ロシアを日露戦争で破ったために、フィンランドもトルコも親日家が多いという。また、一方でアジア的な要素を強く持つコンサートとは言えそうだ(フィンランドもアジア系混在)。プログラムとして、対ロシアなら、その流れに沿ったアンコールなら納得がいく。また、広く捉えて、アジア的、をテーマにしてもよかろう。それなら、「ハンガリー田園幻想曲」と「春の海」くらいでやめた方が、断然よかったはず(ハンガリーも古くはフン族の血が、そしてモンゴルの血が混じる。この作品の日本はじめアジアの音楽との関連性はよく指摘されるところ)。うん、それだったら、私のこの感想も随分、穏やかな好意的なものになったかもしれない。
とにかく、コンセプトも無しにとにかく、知っている曲を、もしくはやりたい曲をやりゃあいいってもんじゃない。・・・などと書くうちに、あれっ、と感じるものがある。
フィンランド、トルコ、日本、・・・・さらにハンガリー・・・ここまではアジア風で片付くが、モーツァルトは、オーストリア、ドイツ・・・・・「ヴェニス」はイタリアか。なんだか対ロシアから対ソ連という図式が浮かび上がる・・・・さらに、トルコを除けば、第2次大戦の枢軸国側・・・・そもそも防共の同盟か・・・。実は精巧にしくまれた、反共産主義コンサートだったのだろうか?アンコールにしくまれた政治的メッセージを聞き取るべきであったか?しかし、それにしても長かった。
現状としては、とりあえず山を越えて安心。しかし油断は禁物。な土曜の静かな朝に。(2000.9.30 Ms)
9/9(土) プロムス2000・ラストナイト・コンサート〜ジャズ組曲第2番世界初演の謎〜
突然の速報です。
9/9のイギリスでの標記のコンサートにて、ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番(マクバーニー補作)の世界初演が行われた模様です。BSで中継されたのを録画して知りました。
ジャズ組曲第2番とは言え、シャイーの指揮によるCD収録のものとはまったく別の代物。第1番と同様にいわゆる当時のジャズパンドの編成に基づくもののようで、金管バンドにサックス、バンジョー、ギター、ピアノ、ドラムス、バイオリン、コントラバスが加わります。
3曲からなり、行進曲風(フォックストロットか)、ワルツ風、スパニッシュ風で、いわゆるショスタコのひねくれた旋律線をもった、ジャズのようなジャズで無いような微妙な領域にある世界・・・第1番の延長にある作風です。
ただ、他人の補作となっており、そのマクバーニーもステージに出てきたようですが、詳細は不明(どういう補作なのか?)。解説に寄れば、2年前に発見され、ショスタコの未亡人の委嘱により補作が行われたということ。
とするなら、現行の第2番、ジャズとは言いがたい、サロン・オーケストラのための軽音楽組曲といった趣の作品がなぜ第2番と呼ばれているのかが謎である。いったい、どちらが本当の第2番のジャズ組曲なのだろう?
根拠の無い推測・・・・プロコフィエフのピアノ協奏曲の第2番も現行版は、初演と全く違う代物のはず(スコアが紛失して書き換えたら全く違うものになったという)。もしも、現在、偶然にも、その初稿が出てきたら、全く違うのに同曲が2曲存在する事となろう。それと同様にこの場合も何らかの理由で同曲が2曲存在し、本来のジャズ組曲第2番こそが、今回補作された、よりジャズっぽい作品であり、何らかの要因で、ジャズ的でない作品に替えられて、現在シャイーの録音した第2番の名を与えられたというわけなのか?
プラウダ批判の後、どうも具合の悪そうな本来の第2番は破棄され、例えばピアノスコアのみ残っていたり、もしくは、パート譜の一部だけが残っていたりしたため、今回復元されたのだろうか?詳細が知りたい。また、現行の第2番の作曲の経緯もどうだったのか?気になるな。とりあえずの速報でした。
(2000.9.10 Ms)