今月のトピックス

 

 May ’00

 

5/25(木) セントラル愛知交響楽団 第46回定期演奏会        

 「ロシアからのメッセージ」と題されたコンサート。
 シチェドリンの「カルメン」組曲、休憩をはさんで、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番、そして、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」組曲
 私にとっては理想のプログラム。3曲ともに大好きな作品。おまけに、「ロシアから〜」というタイトル以上に、この作品たちは、すべて古典のパロディと言う性格で統一されており、そんな観点からもコンサート全体が楽しめる趣向となっているのだ。さらに、どの曲をとっても通常のオケとは異なるオーケストレーション、楽器の取り合わせであり、聴きなれたオケ・サウンドとの変化も面白い。こんなスマートな選曲・・・いやがおうでも期待が高まる。

 カルメン。もう文句無しに楽しめた。弦楽オケと打楽器によるカルメンは、その音色の多彩さが魅力だ。打楽器奏者5人は、打楽器アンサンブルも精力的にこなされている、首席の白川和彦先生はじめとするFIVE MALLETSの皆さん。気心知れた仲間たちといった感じで息もぴったりなアンサンブルが堪能できた。
 なお、私の席は、ステージ真横の席。ステージ最後列の打楽器陣を横から眺められるという席。最左翼に陣取る荒川先生(名フィル奏者でもある)の真上という位置もあって、私も演奏に参加しているかのような錯覚に陥る。音も舞台上のちょっとしたノイズなども少々気になるので、余計に参加しているような雰囲気が感じられてしまう。
 それはさておき、やはり、弦の充実ぶりは気持ちが良い。打楽器の活躍する「アラゴネーズ」「ハバネラ」「ボレロ(オペラ「カルメン」第4幕にバレエシーンが追加される場合に演奏される「ファランドール」がここではそう題されている)」「闘牛士」なども当然興奮度が高いが、さらに、「アダージョ」における弦の歌心、鳴りの良さが予想外であったので感銘も受けたのだ(オペラ全編を知らなければ馴染みのない部分ということもあり、適当に聞いていたのだが、ぐいぐい惹き込まれた)。「闘牛士とカルメン」という静かな一品も、繊細な音色の変化が絶妙の効果を上げていた。
 ビジュアル的にも、全ての団員の方々が、赤のハンカチやら、スカーフ、リボンなどどこかに「赤」をまとっていたのも楽しめた。1stバイオリンにどぎつい赤の口紅をしていた女性がおり、正直、ドキリとしてしまった。なお、曲の最初と最後に主導的役割を果たす(ハバネラの断片を演奏する)チャイムにも赤いリボンが結ばれていたのも楽しかった。演奏終了後、常任指揮の松尾女史が指揮台に置かれていた(最初から私は気になっていたのだが)赤いバラ一輪を、ティンバニの白川先生に渡していたのもほほえましい光景であった。

 休憩中に膨大な打楽器群は完全撤去。ピアノが搬入される。ピアノとトランペットという2人のソロを弦楽が伴奏するというこれまた変則的な配置である。トランペットは弦の後方に立っての演奏。
 ショスタコのソリストは、中沖玲子さん。なかなか優しそうな風貌なピアニストだが、これまた壮絶な変貌ぶりで、精力的に弾きこなしていたのが素晴らしい。ピアノのタッチが確認できる位置でなかったのが残念だった。しかし、爽快なテンポで、少々のミスタッチをも恐れず、果敢に攻めてゆく演奏は興奮する。オケ側に、そのソリストの気迫より乗り遅れた面が目立つこともあったのが惜しかったが、結構複雑に絡み合うスコアをよく整理されていたことは評価できる。
 団員のトランぺッターが第2のソリストを務めていたが、視覚的にはかなりの緊張が伝わっては来たが、聴覚的には立派なソリストぶりを発揮。特に弱音が素晴らしい。第2楽章の長いソロなど、木管的な音色で繊細に歌っていた。数年前のN響の定演でトランペットが要所で外しまくっていたこともあり、かなりな難曲ではあろうが(精神的にも)見事でした。
 さて、フィナーレ後半のピアノ・カデンツァも、音を外しながらも躊躇なくひたすら突進。楽譜に忠実に、途中の休止、テンポを遅くしてからアッチェレ、といった小細工なども一切無しにコーダへなだれ込む。最後の追いこみは圧巻でした。ほんと、ブラボー。家に帰ってから、ショスタコの自作自演CDを改めて聴いてみたが、ほとんど同じノリだった。
 しかし、ピアニストのやりたがらない曲であることは痛感できるなァ。ほとんど、曲芸、アクロバットな、いちかばちかの綱渡りの連続。このスリリングな感覚がこの作品の魅力の一つなのだろう。音を外さないように、とテンポを落としたら演奏する意味はなかろう。サーカスで綱渡りの綱の変わりに木でできた平均台みたいなものの上を歩いているの見てもつまらんわなぁ。

 最後はプルチネルラ。ここでやっと木管楽器が登場。クラリネットは今回ずっと降り番。オケの編成もようやく通常にもどる・・・のだが、細工がある。弦楽器はトップがみんなソリストである。トップサイドは奏者なし。前列は一人づつ。コントラバスのトップもチェロの後列よりは前進。今回の裏方さんは大変でしたね。
 さて、うってかわって、バロックそのままなムード漂うくつろぎの時間。しかし、オーケストレーションの妙があちこちにほどこされている。ソロとテュッテイの駆け引きも楽しい。聴いて、見て、両方楽しい。また、伴奏に現れる、古典的でないハーモニーや、奇をてらった効果。古典的美と並行しながら毒もあるこの作品の味が堪能できた。トロンボーンとコントラバスのコンチェルタンテな1曲もユニークに、ユーモアたっぷりな存在感を示していた。
タコと違い、余裕すら感じられる演奏には脱帽。前回聴いた、イギリス現代モノが、ホールの大きさの割には音量がありすぎて聞きづらかったことと比較して、今回は室内オケ編成でもっともホールに最適な規模であった事もあろうが、それ以上にオケの実力が物を言っていると思う。
 大満足。観客も客席のほぼ8,9割を埋めており、コンサート全体として大成功であった。と感じた。

(2000.5.28 Ms)

5/7(日) 蒲郡フィルハーモニー管弦楽団 第18回定期演奏会        

 ホントに、いつもながらいい経験をさせていただいています。蒲フィルさんでの演奏は充実感あふれるものです。ありがとうございます。

 今回は、2000年にひっかけて2つの第2交響曲。ボロディンとシベリウス。
 私はボロディンでのエキストラ出演。いい楽器といい演奏。叩きがいのあるタンバリンを担当しました。フィナーレのみの登場ですが、提示部の主題と同時に鳴らすリズムパターンで、トレモロ部分を全部16分音符で叩くという指揮者(山本訓久氏)の指示に多少とまどいはあったものの、なんとか許容範囲に仕上げたつもり・・・これ難しいです。打楽器奏者の人はわかると思うけど・・・親指ロール奏法の方が楽ですよね、この部分。
 要所で皮の音も存分に鳴らし(トライアングル、タンバリン、大太鼓の順に一拍ごとソロがあるところはおいしいね)、偶然来ていただいた知り合いの方からもまずまずの評判でした。
 演奏全体としては、フィナーレ以外はちょっともたれ気味、というよりはあえて重さを狙った解釈で、面白く聞けました。テンポの変わる部分も楽譜に忠実に、かなりオーバーに表現していたのが共感持てました。第3楽章は泣けるほどに、ボロディンの音楽そのものに十分浸る事ができ(ミスを連発されると興ざめな事はなはだしい部分ですし)、続くフィナーレへの私のテンションも高まったと言うわけです。

 シベリウスにも共通ですが、木管の安定ぶりと、金管のパワフルさはいつも感激します。ただ、今回、シベリウスに付いては、金管の荒さが少々目立っていたように思いました。しかし、最後のコーダの圧倒的な鳴りッぷり(2番パートが一部、一番パートを凌駕しかかっていたのも面白い。さらに、ホルンがしっかりと堂々たる後打ちを延々たっぷり聞かせていたのもグーです)には満足。
 弦楽器も、アクティブなコンマスさんのもと、統一感をもって、この曲想の変化にみんなしてついていこうという気迫も感じられ、また、分厚い響きも随所に堪能でき、北方の、太っ腹な、スケールの大きな演奏に近づいていたのでは、と感じました。

 さて、今回、当日、驚きかつ喜んでしまったのが、フィンランド大使館から後援を頂いていたということ。パンフレットにも、フィンランド大使館報道参事官の方の挨拶とサインが・・・・カッコイイですね。こんなことができるだなんて。うらやましい。それを受けて、アンコールは、同じくシベリウスの「悲しきワルツ」、そして、お客さんもボツボツ帰り始めてはいましたが、駄目押し、「フィンランド大使館さんからの後援を頂いていますので、「フィンランディア」を演奏します」との指揮者のコメントに、客席もちょっとざわめき立ちました。「あぁ、あの曲が聞けるんだ」といった驚きと喜びの混ざったようなリアクションを感じました。
 トランペット5本、トロンボーン4本と団員フル稼働?で開始される威圧的なコラールからして凄みの充分あるもの。そして、木管もほぼ倍管か。嘆きの歌も悲痛だ。ティンパニも重々しく鳴り渡る。私も何十回とこの曲やっているが、こんな身震いするような演奏が私の出番の直前に鳴り響いていたことはかつてない。燃えてきた。しかし、ひたすら、がむしゃらになることはなく、冷静な堂々たる演奏を心がけよう。勝利への狼煙を上げるような役割(?)のシンバル。ただし、提示部はつとめて冷静に。シンバルが加入するだけで音楽は変わる。燃え上がるのは再現部!!効果的なクレシェンド・モルトも満足ゆくものとなった。最後のコラールも朗々と鳴り渡り、演奏後の爽快感は並ではなかった。この演奏、フィンランド大使館の方は、どう聞いてくださるか?

 あと、演奏会の趣向としてもいいな、と思うのが開演前のロビーコンサート(前回もやってましたね。前回の記事はちなみにこちら。99年12月です。)。今回は、弦楽アンサンブルでアイネ・クライネなどやっていたが、指揮者の方の解説で、ボロディンの2番の簡単な紹介、そして、ボロディンの弦楽四重奏曲「ノクターン」の抜粋、さらには、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーボ」という具合。してやられた、という選曲。こういうことがスマートにできるオケっていいですよねェ。
 数年前までこのオケの打楽器奏者だった女性ともロビーで偶然出会いましたが、すっかりママさんになって子供連れ。子供の手前、コンサートは聞けないが、ロビーコンサートだけ聴きにきた、とのこと。子供さんはあまり落ち着いて聞いてはいなかったようですが、こんな雰囲気もうらやましい限りと感じました。気楽にクラシックに接する事のできる場、ということでこのロビーコンサートは私の評価する事、大です。まして地方のアマオケたるもの、こんなサービスもできれば、より地域との密接な関係を築いていけるのではなかろうか?(刈谷のことをふと思えば淋しい限り。余裕ないですねぇ)
 また、この団体の創立者で音楽監督の方が、3年間のベルギー滞在から帰国。お土産にストリート・オルガンを買ってきていました。休憩時、演奏会終了時に、打楽器奏者の男性がロビーでハンドルをぐるぐる回して、ヨーロッパ情緒あふれるメルヘン世界を醸し出していたのもいい雰囲気でした(フィンランド、ロシア的ではないけれど)。ボロディンのシンバルより疲れた、と笑っていましたが。音楽の溢れる、幸せな空間が、このコンサート全体に漂っていたのはとても楽しく、嬉しい経験でありました。 いろいろ暗い事件もあったこのゴールデン・ウィークの最終日。そんな暗さや不安を吹き飛ばすような、とても充実した一日でした。
 これからも充実した活動、おおいに期待しています。

(2000.5.15 Ms)

 

5/3(水) 中田喜直氏逝去 〜2000年GWに思う〜        

 「夏の思い出」「ちいさい秋見つけた」「雪の降る町を」などの歌曲、童謡の作曲家である中田さんが5/3亡くなられた。享年76歳。ご冥福をお祈り致します。

 日本を代表する作曲家の死は、当然もっと大きくマスコミに取り上げられるべきニュースであった事だろう。しかし、佐賀市の17歳のバス・ジャック・・・・。このところの、未成年の凶悪犯罪の連鎖的状況は、私達の生活そのものへの恐怖感を増大させつつある。この事件の引き金にもなったとされる、豊川市の17歳の殺人事件。我が家から1,2kmほどの場所であった。本稿を書く間にも、また神奈川で17歳が電車内で事件を引き起こしたらしい。
 一体、何が、今の若者をそうさせるのだろう?一概に答えが出る問題でもないし、また、このような突発的な強暴的性格が現在の若者全てに内在する問題でもないとは思う。ここではそれらの問題に深追いはしない。ただ、この危機的状況において、中田さんの訃報は、何かしら象徴的にさえ思え、私の中ではリンクされてしまっている。

<1> 童謡なき、動揺の時代

 確かに、最近、童謡はあまり歌われてないような気がする。幼稚園においても、最近のヒット曲的なものがよく好まれているのでは。もう少し広げて見れば、小学校でも、昔ながらの文部省唱歌のようなものも消えているのでは。
 自然破壊やライフスタイルの変化が、そのような古い歌を忘却の彼方へ追いやっているのだろうか。私の子供の頃は、ドリフターズの「カラスの勝手でしょ」なんていうのや、カックラキン大放送(えらく懐かしいな)で野口五郎が歌っていたパロディの数々、「春の小川は、埋めたてられた」(ちょっとマニア度が高いか!)などというのが面白おかしく歌われていたが、みんな知っているからこそのパロディであり、今や、そんなパロディですら成り立たないほどに歌われていないのが現状かもしれない。

 中田さんの訃報に対するある報道番組でのコメントとして、小さいもの、弱いものへのいたわり、いつくしみ、を感じることのできる作品が我々の共感を呼んでいるのでは、というものがあった。「かわいいかくれんぼ」「めだかの学校」・・・・なるほど。ご自身も手が小さくて苦労した経験を生かし、鍵盤のせまいピアノを考案、その普及に尽力した、という功績も紹介されていた。
 いま、うしなわれつつある、童謡や昔の唱歌には、自然への愛情、つまりは、動物、植物への観察眼や、それらとの共存をうかがわせる優しさが、歌詞にも、そして旋律にもあるのかもしれない。無意識の内に、それらの歌を歌いながら、いつしか子供たちは、他者への思いやり、という感覚を自然に身につける事も出来ていた・・・・などと考えてしまうのだが・・・・。
 そんな単純なものではけっしてないのだろうが、童謡の歌われない時代に、激しく動揺した若者たちが存在するという事実は、両者が全く無関係だと言い切ることも出来ないような気がするのだ。いかがだろうか。

 リズム感の要求されるノリのいい曲、踊りたくなる曲も結構だが、そんな衝動的な、本能的な、刺激の強い音楽ばかりでなく、子供たちにとっての童謡についてもっと考えてもいいのかな、と思う。(ただ、この世の中、刺激的な音楽に満ちていて、子供たちにとっても、童謡はすでにかったるい存在なのだろうか?)昨今の事件を思うにつけ、我々が失ったものは何なのか、しっかり再発見、再認識していかないと、とんでもないことに将来なるような気がして、暗い気持ちになる今日この頃。

<2> 著作「メロディーの作り方」

 ここからはおよそ20年も前の私の、中田さんに対する思い出など3つほど書かせていただきたい。

 10歳から私はピアノを習い、それと同時に音符の書き方を覚え、作曲の真似事を始めた。その頃買った1冊が、中田さんの「メロディーの作り方」。日本語のアクセントを重要視しつつ自然な旋律を作りましょう、といったスタンスが貫かれたもので、初心者でもわかりやすいように書かれていた。その中の一章が、当時の私にとっては衝撃的だった。
 「君があ用は」は歌曲として失敗である、という主張。国歌「君が代」を例に、上記のようなスタンスから、みなさん、こんな旋律をつけるのはやめましょう。と事細かに説明していたのだ。
 歌詞をやたらと引き伸ばす旋律。日本語のアクセントを無視した旋律。
 特に、出だし、「君」のアクセントから間違っている。この歌曲として、「君」は最重要なキーワードであるにもかかわらず(「君」が天皇か国民かという議論ではなしに、歌詞全体の内容から判断しての話)、「君」だと認識できない旋律となっている。また、「さざれ石」という単語が、「さざれ」と「いし」に見事に分断されていてこれも、旋律からは歌詞の意味がわからない。などなど・・・。

 日本語のアクセントをしっかり認識して旋律を作るというスタンスは私にも影響を与えた。小学6年の時、私の小学校は開校5年目でまだ校歌が制定されておらず、とりあえずそれの代用として、校長先生の作った詩に生徒が曲をつけ、学校の愛唱歌を作ることとなった。それに応募した私は、中田さんの教えに従って曲を書き、見事採用。今、歌われているかは定かではないが、校歌が制定されるまでの5年間は確実に、私の作品は山奥の学校で響き渡っていたのだ。
 その後、私の音楽の世界は広がり、学生時代はYMOもどきなテクノポップ、サティ風なピアノ作品、ショスタコーヴィチにもろ影響受けた打楽器アンサンブル曲、そして吹奏楽のための交響曲やコンサートマーチなどなど量産するに至ったが、(コンクールの入賞歴もなく)多くの人に演奏され聴かれる曲は、この小学校の愛唱歌のほかには全くない。と同時にこの曲以上のレベルにある音楽を私は結局書けずに、もう20年も生きてしまっている・・・。
 そんな私にとっては、小学生の頃の個人的な思い出と共に、中田さんの著作は私の心の中にずっと生き続けている。かけがえのない我が師の一人なのだ。

(2000.5.13 Ms)

<3> こどものためのピアノ曲集

 中田さんと私との関係のなかで、もっとも思い出深いのが、ピアノの発表会で演奏した彼の曲のことだ。
 「こどものためのピアノ曲集」と題された楽譜の中から、確かやはりこれも小学6年か中学1年かの頃、最後に載っていた「エチュード・アレグロ」なる曲を私は弾くこととなった。やや、タイトルはつまらない感じもするが、曲はよくできている。発表会では毎回絶対誰かが弾いていた人気曲。数少ない男子と言うことで、パワフルなこの曲を先生から与えられた。
 トッカータ風に、細かい音符が続くなか、効果的なアクセントが現れたり、左右両手交互に和音打撃を速く繰り返したりと、子供の興味を惹くようにいろんな仕掛けがしてある。中間部は歌うようなメロディ。私は初めてペダルの踏み方もこの曲で教わった。そして、最後の盛り上がりも興奮するが極めつけは、曲を終結させる3か4オクターブの上昇グリッサンド。幼心にカッコイイ、と満足満足。前年の発表会では、ベートーヴェンのト長調のソナチネだったのだが、断然この「エチュード・アレグロ」は楽しく、またその曲の弾き方、そして見せ方、さらにはライブでの受け、なども実感し、今さらながら、今の私の打楽器奏者としてのパフォーマンス感覚の芽生えがこの辺りにあったのかな?とも思えてくる。今でも私の愛奏曲のひとつ。

 さて、その曲集は、日本における子供用ピアノ曲の草分け的存在だそうな。曲集にも、あるピアニストから、西洋の音楽ばかりでは子供の興味が持続しない。との相談を受け書き下ろしたとか書いてあった。ご自身の童謡「ひらひらちょうちょ」という曲もあったな。「むらまつり」と題して、笛や太鼓を模倣した日本情緒溢れる曲。「夕暮れの歌」、歌曲作家としての本領を子供相手にも妥協なく提示した美しい作品。長調で書きながらも、ちょっと上品でかわいらしい「悲しいワルツ」。短2度の不協和音がクラクションを思わせ、ユーモラスでかつスピード感に勝る「スピード自動車」は男の子の乱暴なタッチに充分耐えられる面白いもの。私自身、子供心に面白がって弾いたのは「エチュード・モデラート」。ハ長調のバイエル的なつまらないモティーフが、唐突に経過句もなくシャープ4つのホ長調、そしてシャープ2つのニ長調、と風変わりなパロディ的な世界が、ドイツ的な音楽感のこびりつきつつある子供には新鮮で斬新。
 この「エチュード・モデラート」に関心を示した辺り、ソビエト音楽への心酔を遥か準備するものであったか?
 
 レッスンで習ったのは「エチュード・アレグロ」のみだったが、その音楽に惹かれ、曲集すべて個人でさらってしまった。バイエルですっかりピアノへの興味を失ってしまう子供が多いのはもったいない話だ。中田さんの作品に出会えた私は幸せだったと思う。音楽のつまらなさを知る事無く育つ事が出来た。一度、ピアノの先生方には手にとってもらいたい作品だし、ピアノの弾ける方も弾いてもらいたい。わけわからない現代音楽ばかりではなく、子供にも親しまれるこんな素晴らしいピアノ音楽が日本にある、ということを広く知っていただきたいと思う。

<4> 「オーケストラがやってきた」で演奏されたピアノ協奏曲? 

 これも、上記の出来事と同じ頃かと記憶するが「オーケストラがやってきた」というTV番組で、2週にわたり、日本の作曲家12人にそれぞれの誕生月にちなんだオーケストラ小品を書いてもらう、という企画があった。いつもの山本直純氏と故黛敏郎氏がゲストで曲を紹介していった。統一テーマとしては、故芥川也寸志氏の提案で、山本氏のトレードマーク、ヒゲをローマ字表記したH・I・G・Eを音列として主題にしてほしい、ということだった。ただし、は音名にないので適当にそれぞれで音を入れてください、ということであった。

 そうそうたる面々が並んでいたと記憶する。小中学生の頃の記憶なので間違いがあれば、ご容赦願いたいが、

1月 羽田健太郎、2月 一柳彗、 3月 三木稔、 4月 すぎやまこういち、5月 外山雄三、6月 山本直純・・・・次週においては、

7月 三枝成章、8月 中田喜直、9月 池辺晋一郎、10月 林 光、11月 八木正夫、12月 諸井誠・・・・だったと思う。

 1月は「鬼の酒盛り」と題されたダイナミックでユーモラスなもの。3月はいかにも日本的な美的感覚を彷彿とさせるもの。6月は雨のイメージに基づく親しみやすいメロディのもの。など、当時の私の耳でも十分楽しめる企画であった。現代における作曲の状況を垣間見る事ができる貴重な経験であった。ただ、分からない曲は分からなかったし、記憶にも残っていない。
 一番記憶にあるのは、4月「エープリルフール」、春の祭典もどきの一昔前の現代音楽が続く、あまり面白くないものだったが、最後の一発、どかんと不協和音が鳴る予定だったのだろう、指揮者山本氏がオーバーアクションで指揮棒を振り落とすと、木魚がポクと一発。山本氏がこける。そして、観客に向かってお辞儀をするところで、コンサートマスターが立ち上がってオケに指示を出し、オケが不協和音を一発ぶっぱなして、さらに山本氏がこける、という、指揮者をオケがだます、という趣向が面白かった(きっと、指揮者用フルスコアと奏者用パート譜とで終わり方が違うように書かれていたのだろう。今思えば、やらせのような気がしないでもないけど)。

 第1週が面白く、第2週も見たのだが、冒頭は7月「夏のバイオレンス」。いかにも三枝な派手派手しいもの。ティンパニ協奏曲だ、との本人のコメント。ひたすらバカすか叩きまくるそのネタは、その後、NHK時代劇「宮本武蔵」のテーマに転用され、さらに吹奏楽コンクール課題曲「ファイブ・リングス」へと転用されたネタだったのかもしれない。一つ飛んで9月は「シンフォニー・スリーナイン」。3部分で構成され、1部は9度音程の連鎖、2部は「セフテンバー・ソング」なるポップスの引用、3部はいろいろな第九交響曲のパロディ(ベートーヴェン・ドヴォルザーク・マーラー・ショスタコーヴィチなどだったと記憶)と凝りに凝ったもの。
 そんな刺激に満ちた2曲にはさまれた中田氏の作品は「夏のメモリー」。オケの作品などほとんど書いたことがないという彼が、現代にあっても歌える旋律は必要だと言う主張そのままに、心穏やかになるような優しいテーマが流れる。ただ、当時の私にとっても、目新しさのない、弱い作品、との印象は持ってしまったが、自己顕示欲の塊が如く三枝作品のあとではちょっと可哀想だったかなァ。「私にとって8月といえば終戦は避けられない思い出」と語る彼を前に、山本氏も故黛氏も「夏のバイオレンス」などと言っているようじゃダメですよ、などと話を合わせていた。オケとピアノによるこの作品、本人曰く「未完成なまま提出してしまいました。また機会をみて完成させたい。」とのこと。オケのハーモニーが消えゆく中で、ピアノのアルペジオが繰り返されながら、静かに閉じられたのは記憶にある。その後、この「夏のメモリー」なるピアノ協奏曲的作品はどうなったのだろう?中田さんの訃報に接し、ふと「夏の思い出」がTVで流れる中、もうひとつの「夏」はどうなったのかが気になったのだ。

 作曲家をうっすらと夢見ていた子供の頃の自分の思い出の幾つかが、ほとんど心の奥深くに眠っていたのだが、奇しくも中田さんの訃報によって幾つか蘇ってきた。懐かしくもあり、かつ淋しい気もする。でも、「思い出」は大事にしていきたいものだ。数々の思い出の上に今の自分というのは存在しているのだから。

(2000.5.14 Ms)


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