今月のトピックス

 

 Octorber ’00

 

10/20(金),21(土) 日本シベリウス協会設立15周年記念イベント

 ホント、神に感謝、仏に感謝。チケットを購入しておきながらも、父の状況によっては、上京を諦めねばならぬところだった。
 シベリウスの音楽について、いろいろな示唆を与えられた貴重な機会であった。感動的なコンサート、知識欲を満たしつつも楽しいレクチャー。特に、管弦楽作品以外の作品に親しむ初めての機会ともなり、満足である。なかでも、ピアノ音楽の素晴らしさに気付かせてくれたのは嬉しい。久々に、泣けそうな感覚に襲われた。館野泉さんの演奏、そしてお人柄。心惹かれる。

<1> セミナー(バイオリン)

 場所は、音楽之友ホール。神楽坂の音楽之友社。予想に反して、下町的なごみごみしたところ。飯田橋から歩いたら結構な坂道だった。その坂道の途中に、これまた以外と小さなホール。スタッフの方々も、不慣れな感じではあったが、暖かい、アットホームな雰囲気が感じられた。
 二日にわたる行事の最初は、佐藤まどかさんを講師に迎えての、バイオリンのセミナー。3人の生徒さんが、主に中期の作品をみてもらう。
 佐藤さん、私の不明を恥じます。シベリウス国際バイオリンコンクール1995年の3位。東京芸大大学院にてシベリウスのバイオリン作品の研究を行っている才能豊かな奏者とお見受けした。リサイタルも、「1915〜18年のシベリウス」「1920年代のシベリウス」というテーマで行い、来年4月には「若きシベリウスの肖像」と題したコンサートを行うとのこと。その後も「ヴィルトゥオーゾ・ピース」「協奏曲、初稿と改訂稿比較」と予定されているとのこと。充分期待したい。

 さて、有名な、作品78−2の「ロマンス」、「ロンディーノ」作品81−2などの他、初めて聴くところで、「即興曲」作品78−1、「マズルカ」作品81−1、「ワルツ」作品81−3。
 まぁ、正直なところ、シベリウスのセミナーというよりは、バイオリンのセミナーとしての性格が強かったようで、「シベリウスだからこう弾く」みたいな観点まで深く踏み込めなかったような気もしたが、それにしても、「曲中のスラーのかけ方が、バイオリン的でない。ピアノ的である。この頃のシベリウスは既にバイオリンを弾いていないので、そのスラーにこだわる事はない」といった一言などは貴重なものであった。
 曲としては、「即興曲」が楽しい。ピアノがほとんど同じ伴奏を繰り返す中、重音を多用したパッセージが盛り上がる。かっこいいです。東京音大2年生のまだあどけなさの残る女性がパワフルに弾いていた。
 「マズルカ」は、いわゆるヴィルトゥオーゾ的な名人芸を披露する難曲。堂々と弾いていたのは、相原千興さん。桐朋の出、今後活躍されるだろうか、名前は覚えておこう。
 

<2> レクチャー「シベリウスとその時代」

 日本における北欧音楽のパイオニア的存在、菅野浩和さんのお話。テンポ良く、ユーモアも交えつつ、音楽史的な観点からシベリウス像にせまっていた。とても面白かった。

  まず、シベリウスの登場した、19世紀末の西洋の音楽の五つの流れを、話の前提として説明。
1.ベートーヴェンブラームス。構成重視の、古典からの正統的な流れ。
  ただし、ブラームスは既に筆を置き、カッコつきでレーガーあたりが後継者。過去のものとなりつつある。
2.ベルリオーズリストワーグナーとつながる、標題音楽、文学との結合、楽劇へ至る流れ。
  まさに絶頂。後継者としてはR.シュトラウス。ワーグナーの深刻さは継承し得なかったものの嫡子だ。ビール大好きのミュンヘン生まれ故(?)の軽さがワーグナーとは異質だが(笑い)。さらにもう一人、初期シェーンベルクも挙げておく。
3.リストから派生して、民俗的素材の活用、国民楽派の流れ。長い目で見れば、マンネリ、斜陽の道をたどりつつある。
4.楽派などを形成するに至らないものの、ワーグナーの遺産を受け継ぎつつ、単純にその道をなぞらず、死との対決、哲学的境地へと進んだマーラー。世紀末の苦悩のまっただなか。後継者はいるはずもないが、あえて挙げれば、後のショスタコ。
 (ちなみに、19世紀末は、第1次大戦勃発1914年まで、と菅野氏はとらえてみえる)
5.新たな手法の開拓。まずは、フランスのドビュッシー

 これらを前提としてとらえ、シベリウスの生涯の年表に、音楽史、社会史を結合させた資料に基づき、シベリウスの作品と他の同時代の作品を聞き比べつつ話は進む。

 まずは、ドビュッシーの「海」(1905)。そして、シベリウスの「大洋の女神」(1914)。シベリウスと印象主義の関係についても、いろいろ研究の余地はある。しかし、とりあえずは、題材の似通った両曲の聞き比べにより、ロマン主義の大袈裟な表現から程遠いスタンスが感じられはしないか?

 続いて、その、まさにロマン主義的な作品。市民革命は、音楽を、貴族から民衆に開放した。しかし、耳の肥えた少数の貴族に代わって、聴衆の数が増えるとともに、質も落ちる。大勢を相手にする、ということもあり、刺激的な大音響、耳を向けさせる色彩感の豊さが求められる。さらに、音楽の描写性の追求は、表現能力の拡大をもたらし、結果として、スケールの大きな、おどろおどろしい、圧倒的な音楽の誕生となる。
 いわゆる、前記の2の路線の極限として、シェーンベルクの「グレの歌」(1911)を聴く。そして、シベリウスの創作の出発点としての「クレルヴォ交響曲」(1892)を聴く。
 なぜ、ウィーン留学の成果が、こんな破天荒な作品なのか?もっと穏健な作品でないのか?いきなり、何故そこから出発したのか?
 2の路線が、シベリウスにとっても圧倒的な影響力を与えていた事は、まぎれもない事実である。線の太さ、筆の強さ。そこから、何故シベリウスは、離れて行ったのか?「クレルヴォ」の存在意義はしっかり押さえておく必要がある。

 続いて、同じくシェーンベルクの到達した、12音技法。
 彼は画家でもあった。その辺りに、新たな音楽の未来を切り開いたヒントがある。
 芸術の中でも、文学、そして絵画、の世界に新たな動きが芽生える。そのインパクトから30〜50年遅れて、その変化の影響が音楽の世界にも現れる。古典派しかり。ロマン主義しかり。ですね。音楽やってる連中は、ぬるま湯につかっているんです(笑い)。一番気持ちいいからね。
 20世紀初頭は、絵画の世界において、過去との決別、前衛が花開いた時代であった。
 1905、野獣派。1907、立体派。1909、未来派。1910、抽象絵画。画家でもあったシェーンベルクだからこそ、絵画の前衛の動向に敏感で、半世紀も遅れるようなことにはならなかった。まずは、後期ロマン派から、無調の試みへ。そして、紆余曲折の後、12音へと到達。その技法の完成品として、ピアノ組曲(1925)を聴く。
 さて、シベリウスは、・・・1929年、最後のピアノ曲「五つのスケッチ」。2人の到達点の違いが際立つ。

 シェーンベルクとは別に、ロマン派と決別したのがストラビンスキー。ダダイズム、フォービズム。破壊的な「春の祭典」(1913)を聴く。そして、第1次大戦。経済逼迫。大編成オケの野蛮主義では食って行けない。小人数で、簡素な田舎芝居を。というわけで「兵士の物語」(1918)もあわせて聴く。大戦後は、サティの新青年派、プーランクら六人組が新古典派を標榜。前衛も、大袈裟な表現を捨てて「軽み」を目指す。
 一方、シベリウスは?ロマン派、国民楽派の延長にありそうな第2交響曲(1902)から、第3交響曲(1907)ですでに、新古典的な「軽み」への方向転換。何故?田舎にこもったから?それだけ?
 ただ、第2が、自分のいる場所でない、と悟ったからこその転換ではあったはず。シベリウスの、音楽史を先駆けた転換についてはみんなでまた考えよう。・・・・第3交響曲第1楽章を聴きつつレクチャーは幕。

 テンポ良く、いろいろな問題提起を投げかけつつ、シベリウスの音楽について考えさせてくれました。特に、第2交響曲については、我が刈谷オケのパンフレット曲解でも、私もいろいろ考えてみたっけ。それにしても、こういう話、大好きだ。また、いろいろな人と論を戦わせてみたいものだ。

(2000.10.24 Ms)

<3> コンサート

 まずは、有志の人達も含めての弦楽アンサンブル、「アンダンテ・フェスティーボ」(1930)。協会15周年のお祝い。
 そして、本邦初演となる、弦楽四重奏、「ヴェゲリウスのためのフーガ」(1888)。佐藤まどかさんとそのお仲間さん達。ヘルシンキ音楽院在学中、師匠の厳格なフーガ教育への対応。後のシベリウスらしさ、はまだあまり感じられない、ロマン派的な作品だが、主題におけるシンコペートされたリズムが特徴的だ。短調で暗い情熱溢れる曲想は、北の作曲家ならでは、とも言えそうだ。
 続いて、セミナー受講生の演奏。休憩をはさんで講師演奏。
 まず、作品2の「二つの小品」。ピアノ伴奏つきのバイオリン独奏曲。1888年のオリジナル版の本邦初演と、1911年の改訂版との聴き比べという興味深い試みだ。もちろん佐藤さんの独奏で。
 まず、第1曲「ロマンス」。いきなり冒頭で、クレルボ交響曲第2楽章の冒頭の和音がピアノで鳴るのに驚く。ロマンスとは言え、美しい感傷的な旋律が朗々と歌われる、という訳ではない。流れ、がスムーズでなく、比較的、聞きにくい、把握しづらい作品。これは、原典版も改訂版も同様。あまり印象に残らないのがホンネ。
 さて、第2曲、原典版においては「無窮動」と題されている。これは、シベリウスらしさが聞こえる、極めてユニークな作品。パンフレットには「いささか奇妙な作品」と書かれていたが、確かに、バイオリン独奏曲としては他の類例がなさそうだ。とにかく、ずっと刻み続ける。シベリウスの管弦楽作品においても、弦の刻みは特徴的だが、その発想で書かれている。その刻みの中から、大きな旋律線が浮かび上がる。とともに、重音なども多用され、難易度は高そうである。ふと、シベリウスのオーケストラの響きが、バイオリンとピアノ2人によって聞き取られる場面もある。とても不思議な感覚。面白い。・・・・しかし、改訂版は・・・、そんな大味な、また無謀な試みは全く退けられ、またタイトルも「エピローグ」と改められ、全く別の作品になってしまった。途中、原典版では刻みの中から大きく浮かび上がった旋律が、改訂版では、全く普通の緩やかなアルコによる歌に改められ、いわゆる普通の作品に改悪されたのでは?とさえ思う。シベリウスの改訂は、たいてい改訂版に軍配が上がるのだろうけれど、この作品2については(1回聴いただけの即断ではあるけれど)、シベリウスの若き頃の無鉄砲さが個性を発揮している原典版に私は好意を寄せる。また、CDでよぉく鑑賞したい、とは思うけれど。
 佐藤さんは一度ステージを降り、今まで、ピアノ伴奏に徹していた、水月恵美子さんの独奏で、シベリウス最後の、作品番号つきピアノ作品、「五つのスケッチ」作品114(1929)を聴く。水月さんは、シベリウス・アカデミーのソリストコースを最優秀で卒業され、フィンランドでも活躍中のピアニストである。
 さて、この作品。かなり不思議な感覚。印象派的な雰囲気も感じさせるものの、和音が暗くよどんだ感じだ。かと思えばあっけらかんとした、なんだか白けたような、自虐的とさえ感じられる旋律線が現れたりと、??てな感じ。極めて控えめなムードが持続しているのも、筆を折る手前の作品らしい。なかでも印象に残ったのが、最後の第5曲「春の幻」。教会旋法の影響もあってか、旋律線がなんだか思った方向へ移行しない、屈折を感じる。ニールセン、もしくは、ショスタコーヴィチすら「幻」のなかに登場してしまう。かと思えば、中間部など、思いっきりロマン的な楽想が流れ出したりして、ホント不思議な感覚になってしまう。
 再び、バイオリンの佐藤さんのソロで、「五つの小品」作品81(1915〜18)。受講生の方も一部練習したこの作品全曲を、最後に模範演奏的な意味合いで鑑賞するという訳だ。さすがに、受講生の方々とは比較にならないほどに、充実した音色、音量と歌、をもっているというのが率直な感想であった。堂々たる、ヴィルトゥオーゾぶりが発揮される作品であることがよくわかった。

 さてさて、コンサートの最後は、館野泉さんの登場である。曲目は当日のお楽しみ。ということであった。
 まず、「村の教会」作品103−1(1924)。本日、最初に演奏された「アンダンテ・フェスティーボ」と同じテーマが含まれている。「村の教会」とは言え、堂々たる大伽藍を想起させる迫力ある演奏。
 続いて、「即興曲」作品5−5(1893)。きらめくような分散和音が特徴的な、最も知られたピアノ作品だろう。館野さんにとっても思い出深い作品だと聞く。
 最後に「ロマンス」変ニ長調、作品24−9(1901)。テーマが、「フィンランディア賛歌」の冒頭と同じということで有名な作品。今回、初めて聴いたのだが、素晴らしい曲だ。右手の連続する和音の伴奏を受けて、左手で中音域から歌が始まる。心に染みる。転調も交えつつ曲は徐々に盛り上がり、シベリウスの交響曲第1番のフィナーレの第2主題のクライマックスを思わせるような気分の高揚が見られ、まるでピアノ協奏曲のカデンツのような絢爛豪華なパッセージののちに主題は回帰、感動的な場面だ。その到達点に達した後、テーマは徐々に沈静化、交響曲第2番のフィナーレの、第1主題から第2主題へのブリッジを彷彿とさせる美しい和音のうつろいを思わせつつ、静かに曲を閉じる。猛烈に感動した。こんな素晴らしい音楽が、まだ私の知らないところで存在していた事に喜びが一杯になる。

 この9月に赴任したばかりの駐日フィンランド大使夫妻もお迎えしてのコンサート。大使からも一言いただく。赴任してそうそう、「クレルボ交響曲」のコンサートに行ったそうで、その素晴らしい演奏に感動したとのエピソードも交え、今後のさらなる日本とフィンランドの絆が強めていきたい、といった趣旨の挨拶。最後に、館野泉さんへの感謝の言葉、通訳も兼ねていた館野さんはその部分を訳すのにおおいに照れていたのが印象的。きさくで温厚なお人柄がにじみ出ていました。

 館野さんへのアンコール。明日弾くつもりだった、と言いつつ、「ロマンティックな情景」作品101−5(1923)。演奏に先だって館野さんの一言。シベリウス自ら「青春の青い空」と表現した作品。若い頃を懐かしむという側面。そして、春から夏にかけて、空がどんどん青みを増してくる「青の瞬間」と呼ばれる風景などが背景にある、といったお話の後、演奏は始まる。手探りのような、まだ何かを掴みきれてないような序奏、そしてふっと歌が流れ出る。その歌のせつなさと言ったら、言葉にどう表現していいかわからない。シベリウス58,9歳の作品、というくだりがふと思い返され、一日、ずっと東京にいて忘れていた父の現状がぱっと頭に浮かぶ。父に「青春の青い空」を懐かしむ能力が今あるのか?あってもなくなりつつあるのか?なんだか心を閉めつけられるような、そんな頭の中の想像に対して、音楽はひたすら美しく流れている。
 「ロマンス」に続いて私の心は大きく揺さぶられた。・・・・多言無用。

(2000.10.28 Ms)

<4> セミナー(ピアノ)

 昨日の感動よ再び、というわけで、第二日目。受講生達の選ぶ曲も、昨日の館野さんの演奏曲がしっかり入っており、いろいろ詳しく話が聞けるのかなと期待度も高く会場入り。

 一人目。「花の組曲」作品85より、「カーネーション」「きんぎょ草」
 まず、館野さん曰く、「シベリウスのピアノ曲は、フィンランドでは、サロン用、家庭用とみなされ、プロがなかなか演奏会で取り上げない。最近でこそぼちぼち演奏されてはいる。しかし、フィンランドのプロが演奏するとき、いじりすぎている。もっと素直に演奏した方が良いと思う。」
 軽く見られ続けた作品たちであるが故に、ピアニストも、交響曲作家シベリウスをピアノ曲にも持ち込んで立派にしたててやろう、とでもいう気負いがあるのだろうか?でも、「素直に演奏する」、これが基本。
 さて、その素直さの具体的内容だが、受講生への注意として、
「右手のメロディーを歌いすぎずに」
「左手の分散和音も、ふくよかな感じでなく」
「ただし、平板ではなく。con motoのニュアンス。心のはずみ、ワクワクするような感じを出して」
 
と最初の出だしから、曲に対する愛着ゆえからか、次々とアドバイスが出てくる。
「カーネーションのイメージ。左手の分散和音が、牡丹、バラのような大柄なイメージにならないように」
「トンボがふっと、肩に止まった。その着地点からスタートするように」
「mfという音量表示は、力強さというよりは、軽さ。空気の流れを感じるように」
「短調への転調。音に深みを増して」

 などなど、示唆に富んだ指摘の数々。
「最近、この曲弾いてないし・・・」と言いつつ、冒頭の出だしを弾きつつ探る館野さん。わざとらしくなく、自然な、絶妙な間、と音量の微妙な変化が、左手の分散和音のなかだけでも感じられる。感心する事しきり。
 ただ、どうも、最初でこだわり過ぎて時間配分が・・・。「きんぎょ草」はあまり取り上げられず。

 二人目。「村の教会」。昨日の館野さんの演奏曲だ。本日は、東大在学の男子による。「バンドでのピアノ演奏歴が長い」とプロフィールにもあったが、多分に我流であると感じられた。腕の動きが、独特な具合にしゃくれている。さすがに館野さんも、まずは、基本的な技術的な指摘から入らざるを得ない。特に、重厚な和音連結の続くこの作品で、確実でない音の出し方は致命的。音の厚みが逃げてゆく。その辺りの是正から入ったが、その後、本質的な側面へとアドバイスは移行する。
「小さな小品だが、威厳が重要。村の小さな教会であっても、神がいる。大きな表現を」
「アンダンテ・フェスティーボと共通するコラール素材。音域が次々と変わることだけで色が変わる。光が変わる。」
「64分音符の流れは、空間の広さを表現して」
「その空間の中に、楔を打ち込むように、鐘の音が鳴り響く」

 受講生と館野さんとの、醸し出す音量、それだけでないスケール感の違いが際立った。受講生もがんばってはいたが、なかなか大変そうだった。
 プログラムにはなかったが、時間があったので、もう1曲。「ロマンティックな情景」。昨日のアンコールで感動した作品だ。
 受講生の練習不足が残念であったが、館野さんのアドバイスは枝葉末節的ではない。昨日もおっしゃった「青の瞬間」の話から始まって。
「最初の不安な和音は、雪の上をそっと歩くような感じで」
「旋律は大きな流れを作って」
「独り言から、少しづつ、開いていくような感じ。その開いてゆくプロセスを大事に」
「次第に、何かがはっきりと記憶に出てきた・・・・でも、まだ遠い光・・・・」

 
 三人目。「ロマンス 変ニ長調」。これも昨日初めて聞き、素晴らしくて感動しまくった。レッスンを聞いているだけでもその音楽に泣けてくる。
「小品の中でも、大きな表現が求められる曲。オーケストラ的な大きな響き。クライマックスは、金管楽器、トランペット、トロンボーンが鳴っているように。シンバルも鳴っているかもしれない。」
「テーマは、フィンランディアと同じ素材。そのテーマは、語るように。先を見て、前向きに。」
「フレーズの最後の付点音符が重要。しぼまないように。・・・・「村の教会」「アンダンテ・フェスティーボ」のテーマもそうだったが、シベリウスの旋律に出てくる付点音符は重要なので気をつけて。付点音符の存在が彼の旋律に魅力を与えていないだろうか?」
「提示部でのテーマは、向かってゆく、これからの予感。同じテーマも再現部では、到達した後の余韻、感慨をもって落ちついて。弾く、歌う、でなしに「語る」雰囲気」

 そんな中でも技術的なアドバイスも。
「このクライマックスは、腕が長い方がいいな。」って、腕をひっぱって長くするんじゃなくて、ちぢこまらずに腕をなるべくまっすぐに伸ばして和音を弾くのだ。
「クライマックスは充分時間をかけて。もっと時間をあげて。」
そんな的確なアドバイスで、音楽のスケール感も変わってくる。
 最後に一言。

「フィンランドの最近のこのロマンスの演奏は、フィンランディアとの関連性か、愛国心、ドラマ性を引き出そうとこねくり回した感じだ。考え過ぎずに演奏するのが、シベリウスの意図に近いのでは?」

ここで、ちょっと中断。ここまで書いてきた今、10/30。昨日の話だが、NHK教育の芸術劇場、ミッコ・フランク指揮、バンベルク響。シベリウス・プロ。かなりこねくりまわしてましたね。楽譜に忠実に、という点、シベリウスには重要なポイントではなかろうか?ピアノ曲と管弦楽作品ではスタンスも違うかもしれないが、館野さんのピアノ・レクチャーの視点から見ると、フランク君の若さゆえ的な暴走?は、(個人的には面白いとも感じたが)受け入れにくいものなのかもしれない。また、この演奏については触れてみたいけど。

 四人目。「即興曲 作品5−5」。これも昨日の演奏曲。
 「音楽」を「言葉」で表現するのは、「言葉」が完全ではないし、説明できないのは承知だが、何をこの曲から連想するか?
 受講生の方は「竪琴」・・・・予習して来たかな、作曲背景を・・・・。館野さんの経験としては、フィンランドにやって来て、初めてこの作品を知ったとのことで、ベートーヴェンとかを演奏したフィンランド人ピアニストのリサイタルで、全然記憶にも残らない演奏だったのが、アンコールで、曲も知らないまま、この作品を聴き、おおいに感銘を受け、最も好きな愛奏曲となっている、と。その時のイメージは、星。流れ星。館野さんは東京の生まれだが、まだその頃、天の川がしっかりと見えたとのこと、その光景を思い出す、という。
 さて、シベリウス自身としては、この作品は劇音楽として着想され、ルネベリの詩の中では、「竪琴、リュートの響きに満ち溢れる」といった情景があり、そのインスピレーションが曲を決定付けている。
 具体的な指摘で、覚えているのは、
「呼吸、息づかい、息の流れを感じて」
「細やかな響きの中からメロディーが浮かび上がるように」
「言い切る音楽にしないで」。

 五人目。組曲「フロレスタン」(1889)。これは最近発見された初期の作品。館野さんが初CDを出しているはず。
 この曲については、趣向が若干違う。素人さんのピアノ・レッスンではなしに、館野さんとデュオ・コンサートもしているピアニスト、土屋美保子さんの演奏で、このまだまだ知られざる曲の紹介、といった趣で、かなり時間を割いてのセミナーであった。
 曲は4曲からなる組曲。民俗的な匂いもする、軽快で、かつ悲しげで、ショスタコ風自虐すらも聞こえそうな第1曲。エレガントなワルツ風な第2曲。緩徐楽章的な役割で、暗いムードな第3曲。軽く明るいあっけらかんとした曲想から第1曲への回帰がある第4曲。以上の構成。
 シベリウス研究の第一人者、タヴァッシェルナ氏によれば、ヘルシンキ音楽院に赴任したピアニスト兼作曲家ブゾーニの弾くシューマンの作品に感興を覚え、シューマンの分身で夢想家たるキャラクター「フロレスタン」に自らあやかって書かれたものと説明する。当日の菅野さんのパンフレットもそれに依っている。しかし、同じくピアニスト、館野さんの考えは、シューマンとは遠い、とのこと。
 シベリウス自身が、大まかな筋を楽譜に書きこんでいるらしく、それに依れば、まず、(1)森をさまようフロレスタン。(2)森の中で水の精に出会う。(3)水の精に恋焦がれ、逡巡ののち愛を打ち明けるフロレスタン、しかし、その愛の言葉とともに水の精は消える。(4)また、一人、森をさまようフロレスタン。といったもの。
 館野さんの想像、解釈は・・・・。いきなり話の途中で舞台裏に戻り、なんだと思いきや、シベリウスの友人である画家ガレン・カッレラの絵を持って来た。有名な「シンポジウム(饗宴)」。発表当時、かなり物議をかもし、ヒンシュクをかったという絵。若き芸術家達が飲んだくれてトリップしている、暗く、また、凄みを持った絵だ。その絵の左に実は、全裸の女性が当初は描かれていて、何らかの理由で、(当時としてはあまりにも衝撃的であったのだろう)削除されたのだと言う。そこから館野さんの想像は飛躍し、水の精は全裸であったに違いない、(館野さんの言葉としては「生まれたままの女性の姿」)そして、「シンポジウム」に描かれたような芸術家の集まりの場で、シベリウスたちは、即興的な芝居を演じたのではないか?その場で、単純なストーリーをもとに、シベリウスは音楽を書き、ピアノを弾き、芸術家たちが、即興的に「フロレスタン」を演じたのではないか?との想像を語っていただいた。
 その想像に、音楽史的な裏付けはないのだろうけれど、興味深い推測ではある。館野さんは、シベリウスの残した書きなぐられた草稿を解明し、出版に尽力するとともに、岸田今日子さんとも組んで、簡単に書かれたままのストーリーに補筆をして、語りを入れてのコンサートなども行っていると言う。
 音楽自体は、まだ、後のシベリウスを思わせるものはまだまだ薄く(短調が主導的といった辺りはシベリウス初期風とも言えるかどうか?)、個人的にはさほど好きな曲とも言いがたいが、興味深い作品ではある。ただ、当日、ずっと聞いてきた中では、最も寡黙で、音数の少ない、飾りのない単純さが際立つものではあった。また、館野さん曰く、「プーランク的」な第2曲の退廃的、官能的な響きは他のシベリウス作品では聞けないだろう。「フランスのカフェで流れてそうな音楽」。習作時代のシベリウスの姿を知り得る貴重な作品ではあるだろう。

 以上、ピアノ・セミナーは充実した内容で、本当に楽しめた。新しい発見、新しい知識、シベリウスのピアノ音楽に対する興味関心、そして愛着が一気に高まることとなった、とても良い体験であった。

 なお、本文中の館野さんのコメント的な部分については、多分に私的な表現に改まってしまっているきらいはあると思います。ノートをしっかりとったのですが、館野さんご自身のコメントと意図が食い違ってしまっているところもあるかもしれません。その辺りはご了承いただけると幸いです。明らかな誤解があるようでしたら、訂正いたしますので、ご指摘頂ければ幸いです。

(2000.11.2 Ms) 

<5> レクチャー「シベリウス研究の今、そしてこれから」

 講師は、シベリウス研究専門の音楽学者、神部智さん。今まで存じ上げませんでした。失礼しました。
 神部さんのプロフィール、高崎芸術短大専任講師。1993〜96年、ヘルシンキ大学留学。以上、パンフレットからの転載。

 とても感激した。音楽研究者の生の言葉を聞くのは初めてでもあったのだが、スリリングなのである。この知的な興奮は快感ですね。もっと知りたい。と好奇心も煽られる。このような研究成果、もっと身近に知る機会が欲しい。しかし、シベリウスくらいの存在では、日本においては、まだまだ、待っていても手に取れはしない。自分から探しに行かないと。・・・日本語の文献もまだまだ少ないようで・・・英語の勉強もかなり必要ではある・・・。
 神部さん、まだお若い。レクチャーの雰囲気は、全く堅苦しくなく、ざっくばらん。テンポ良く進めていただいた。しかし、当日配られたレジュメの内容の半分くらいの説明で終わってしまい、興味深いものも詳しくは話が伺えず、残念ではあったが、どだい限られた時間内でのこと、仕方ないか。

1.音楽研究の領域

 それではレジュメにしたがっての構成でそのレクチャーをまとめてみよう。ただし、これも前項の館野さん同様、私の個人的な言い回しになってしまい誤解してしまっているところもあるかもしれません。そのあたり、どうかご了承下さい。

 まず、音楽研究、が何なのか?といった話から。「シベリウス研究」について語る前提として、一般的にどんな研究をするのか、をまとめておこう。
 神部さんの個人的な分類、との断りがありましたが、まず、
伝記研究。作曲家の人物像、人生について。
資料研究。作曲家の残した一次資料の分析研究。一次資料とは、作曲家自身が書き、残した資料。手紙、日記、自筆譜など。ちなみに二次資料とは、一次資料をもとに他人が編集したもの、伝記など。
作品研究。音楽作品、そのものに焦点をあてる。つまり、なんとか交響曲の某楽章はソナタ形式で第1主題はなん小節から・・・といったことなど。
 さらに、もう少し、範囲を広げて、視野を広くとってみると、
音楽史的研究。音楽史の中での位置付け、他の同時代の作曲家との関係など。
社会学的研究。社会の中でどう受容され、評価されたのか。
 ざっと大雑把に、これらの研究内容があげられ、シベリウス研究においては現状がどうか、さらに将来どう進んで行くのか?これが本レクチャーの趣旨である。・・・・もう、これだけで興奮してしまう。はやく、次が聞きたい!!

(2000.11.4 Ms)

2.シベリウス研究の「現在」

伝記研究

エリック・タヴァッシェルナ 『ジャン・シベリウス』 全5巻 オタヴァ 1965〜88年

 シベリウス伝記研究の決定版。いまだにこれを超える物はなし。膨大かつ貴重な資料も収録、英語版はロバート・レイトンによるが、短縮版である。
 優れた点としては、フィンランド、そしてヨーロッパの文化的背景にも詳しい点、さらに、未亡人アイノからの情報提供、インタビューといった第1級の一次資料に恵まれている点。書簡についても、この著作から引用せざるを得ない現状にあり、シベリウス研究の原点にある著作。
 タヴァッシェルナの三つの視点として、シベリウスの人生、シベリウスの音楽、文化的時代的背景、にポイントが置かれているが、ピアニストでもあった彼によるところのシベリウスの音楽論は、信用できない、評判が悪い・・・・とのこと・・・・だが、果たしてどうなのだろう?
 ただ、神部さん曰く、第4交響曲の創作過程の研究は大変素晴らしい、と絶賛。前日の菅野さんのレクチャーの中でも、第4交響曲については「これほどまでに自分の内面をさらけだした交響曲はないだろう」とおっしゃっていたが、その辺り、タヴァッシェルナはどう書いているか?詳細は原著を・・・・。スウェーデン語ではねぇ・・・。

 ちなみに、余談として、シベリウスの最初の評伝は、1906年、イギリスにおいて、ニューマーチの著によるもの。やはりイギリスか。 

資料研究

ファビアン・ダールストレーム 『シベリウスの諸作品』 フィンランド・シベリウス協会 1987年

 現在、最も信頼し得るシベリウスの作品集。作品番号、タイトル、演奏形態、完成年、献呈者、初演データ、出版社、出版年など。
 資料研究の基礎として研究者必携である。
 余談として、シベリウスの作品番号、の問題。完成順ではなしに、かなり混乱した番号の順番となっている。その経緯はしっかりとは伺えなかったのだが。私としては初耳な話であったが、シベリウスは当初、作品に番号を付けていなかったらしい。それが、1915年、彼自身初めて最初の作品カタログを作成、そして1931年、有名なイギリスの評論家セシル・グレイが作品表を完成させた(シベリウスと相談のうえ?かどうか不明)。それらの経緯の中で作品番号が振られたようである。
 個人的感想ながら、作品番号の若いところに1910年頃の作品がいろいろ割りこんでいるのは、1915年作成のカタログに基づいているからなのか?それにしてもその意図はよくわからないのだけれど。

カリ・キルペライネン 『ヘルシンキ大学図書館所蔵のジャン・シベリウス自筆譜−完全カタログ−』 ブライトコップ・ウント・ヘルテル 1990年

 1982年、シベリウスの遺族がアイノラにあった自筆譜をヘルシンキ大学に寄贈したため、国家的事業としてカタログを作成。作品研究の貴重な資料が閲覧可能となった。
 ちなみに、昨日のバイオリン・セミナーにおいても、講師の佐藤さんは、ヘルシンキ大学からコピーを入手したと思われる自筆譜と印刷譜との確認を行う場面もありました。神部さんも、演奏家として素晴らしい態度である、と評価しておりました。

作品研究(作品の成立、改訂)

カリ・キルペライネン 「第7交響曲の一次資料と作品の成立について」『ジャン・シベリウスの自筆譜研究』所収 ヘルシンキ大学出版局 1992年

 キルペライネンは、シベリウスの自筆譜のカタログ作成の責任者でもあり、当然にして、その自筆譜研究にも熱心に取り組んでいる。とはいえ、神部さん曰く、もともとは12音技法の研究をしていた人のようである。国家的プロジェクトに抜擢され、シベリウス研究へと軸足が大きく変化してしまったという経歴の持ち主。
 さて、早速手に入った自筆譜をもとに、第7交響曲のスケッチから出版までのプロセスを解明。とてもスリリングだ、と神部さんの弁。そのさわりだけ教えていただいた。
 従来の解説には、1918年5月20日のシベリウスの手紙の文言「生命と活動の喜び、情熱的なパッセージを伴って。3楽章制で、フィナーレは<ヘレニック(ギリシャ風)・ロンド>」がよく引用されているが、キルペライネンに寄れば、1914年夏のスケッチに、現行の第7交響曲の冒頭のアダージョの素材が現れているが、その当時の構想では、4楽章制を採り、その第2楽章としてその素材が登場するらしい。スケッチを追っていくと、その第2楽章が拡大、他の楽章が削除、単一楽章の独立した楽曲へと構想が変化していくのだと言う。

 さて、ここでスケッチ研究の意義について。
 作曲家のタイプによって当然違う。ベートーヴェンに代表される「推敲型」。推敲型の作曲家のスケッチを研究することにより、その作品の構造上の問題がなんだったのか? どのような課題をもって作曲にあたり、どのようにその課題は克服されたのか、がわかる。もちろん、作品の分析にも有益である。ベートーヴェンのほか、シューマン、マーラーなど。
 逆にモーツァルトのようなタイプ。既に作品は頭の中に出来上がっており、それをただ紙に書くだけの作曲家。リヒャルト・シュトラウス、ショスタコーヴィチなど。彼らのスケッチはほとんど印刷譜と同じで、あまりスケッチ研究の余地がない。
 シベリウスは当然、前者、推敲型。だからこそ、スケッチ研究が面白い。

 ということで、次の例は実際には、スケッチの楽譜をピアノで弾きながら、作品の成立過程にちょっと迫ってみる。

ジェームズ・ヘポコスキ 『シベリウス−交響曲第5番−』 ケンブリッジ大学出版局 1993年

 1914年から翌年にかけてのスケッチの断片をいくつか楽譜を紹介しつつ、第5番のどの部分か、を想像してみる。楽譜を紹介できないのが残念。神部さんは6つの断片をピアノで弾き、その後、完成品のCDをかけて種明かし。その中には、やはり並行して進められた第6番の主題も。そして、私が知らなかったものでは、第5番のフィナーレに類似する音の動きではあるものの、リズムが若干違い、これがどう完成されたのか?という問い。実は、作品80の「バイオリンとピアノのためのソナチネ」、の主題なのだとか。私は未聴であった。

 興味深かったところで、作成年の明らかでないスケッチで、ピアノと同じく大譜表(ト音記号とヘ音記号の2段の楽譜)に、右手で第2楽章の冒頭の主題、左手で、第3楽章の第2主題、ホルンで出てくる「鐘のテーマ」として私は認識していたものが、同時に鳴り響く個所。これが上手い具合に調和している。私は今まで気が付かなかったのだが、この組み合わせは、現行版でも出てくるのだ。その時CDで聞いて初めて気が付いたのだ。しかし、そう言われなければわからないような微妙な響き。スコアで今、確認すると、第2楽章、練習番号Fの5小節目から4小節間。木管が第2楽章のメインの主題を歌う背後で、コントラバスが第3楽章の第2主題をベースラインとしている。
 この組み合わせは、初稿、第2稿にも登場せず現行版のみにでてくるとのこと。
 神部さんは、この第3楽章第2主題を「振り子のテーマ」と呼んでいたが、この「振り子のテーマ」が、1914年からのスケッチに頻繁に登場しているのに着目したのがヘポコスキであったと言うわけだ。ヘポコスキの著作の詳細までは伺えなかったのだけれど、第5番の作曲において、シベリウスは「振り子のテーマ」の扱いに相当な力を注いだのがスケッチに現れているらしい。そして、結果として第5番の構造上のかなめになっているのがこの「振り子のテーマ」であり、フィナーレの最後で大々的に展開、発展し、曲を解決に導くというのである。
 完成品を見るだけでは、何が主要主題として重要か的確に判断できないこともある。確かに、例えば第1楽章冒頭のホルンの旋律も重要ではあるが、必ずしも、最初に出るから作品の中核に位置する主題とは限らない。このホルンの旋律も、初稿では無かったのだし。・・・なるほどね。

 また、スケッチに寄れば、1914年からシベリウスに旺盛な創作欲の爆発があり、後の10年ほどかけて、その素材を整理、どう完成品へと仕上げてゆくか、が彼の創作方法であったということか。第5から第7までの交響曲も、もともとはその創作欲の爆発から生まれたのだ。

 余談。第5番だけが、大々的な改訂で有名なのだが、これは第1次大戦の影響か。ドイツの出版社と連絡がとだえ、フィンランドの弱小出版社では管弦楽作品の出版が出来ない、これが、幸運にもシベリウスに改訂の時間をたっぷり与えた事になる。
 逆に、交響詩「タピオラ」などは、本人に改訂の意志がありつつも、出版がどんどん進んでしまったとのこと。でも、あの頃のシベリウス、改訂するなんて引っ込めたら、そのまま改訂版が発表に至らず、第8交響曲と一緒に燃やされてしまったのかも??なんて考えてしまえば、「タピオラ」は幸運だった、と言えるのかなあ?

(2000.11.7Ms) 

3.シベリウス研究の「これから」

 さて、自筆譜という貴重な資料もそろって、改訂に関わる作品研究においては、今後も多いに期待されているところだが、今のところ研究手薄な作品として、「エン・サガ」「ヴァイオリン協奏曲」「レンミンカイネン組曲」が挙げられる。これらの作品についての研究論文を出せば一気に名を残す事が出来そうだ。神部さんも、「レンミンカイネン組曲」の研究をテーマとしているらしい。
 レジュメには、神部さんの論文も題名のみ紹介されていた。内容についての詳しい説明はなかったけれど。一応、こちらでも紹介しておきます。

 「ジャン・シベリウスの<レンミンカイネンと島の乙女たち>−美学的・形式的アプローチの新局面−」 『堀越学園・大学・専門学校紀要』第8巻(2000年) 31−56頁。
 初稿版(1895/97)と改訂版(1939)の比較を軸とした作品分析。

 ただ、ここのところの、ヴァンスカ指揮、ラハティ交響楽団による初稿レコーディングのペースが速すぎて、研究が追いついていないのが実情、とか。通常は、研究が先行し、価値が認められつつ、レコーディングへと至るのだろうが、シベリウスの場合は逆転してしまっている。神部さんの「レンミンカイネン組曲」の研究も、最近出た、ヴァンスカの初稿版を含めたCDにかなり助けられているという。なかなか、楽譜からだけでは大変そうですしね。
 今回のレクチャーでは、時間も残り少なく、さわりだけ紹介していただいたのだが、第4曲「レンミンカイネンの帰郷」Op.22−4(1895/97)初稿と、合唱曲「レンミンカイネンの歌」Op.31−1(1896)との関係について。
 私は恥かしい事に、まだ「帰郷」の初稿版を聴いたことは無かったのだが、初稿版のコーダで、「レンミンカイネンの歌」の主題が露骨に出てくる。これは知らなかった。「帰郷」の完成プロセスがわからないので、どちらが先かもわからない。この事実の指摘のみであったが、大変興味深い。

 ここからは私の推測。「帰郷」の改訂プロセスの中で、削除された素材を使って、同じ主人公の小品を別に書いた、ということか。結局のところは、1900年の改訂で、「帰郷」と「歌」の同一素材部分は無くなり、今では無関係な外見の両作品も、もともとは姉妹作、であったということか。
 
 しかし、その時もちょっと気にはなったのだが、「帰郷」の改訂版においても、「歌」との関連性は完全には消えていないようにも思った。帰宅後、再び聴き比べてみたが、改訂版における最後のプレストで、主和音の分散和音に基づく主題が繰り返される。この形、一度下がって、上昇する、という形、実は、「歌」の中で何度も繰り返されるファンファーレ風な素材との類似性があるのでは?。全く同じではないものの、似た傾向であることは確かだ。「歌」の主題自体は削除されたが、完全に「歌」の痕跡を消してしまったわけではなく、ほのかに関連性を暗示させてはいるのである。
 ・・・自作引用、とか自作の他作品との類似、といった視点、マーラーやショスタコーヴィチの専売特許ではなく、シベリウスもいろいろあるのだなぁ。ピアノ曲のセミナーでも「ロマンス 変ニ長調」「村の教会」などなど、他作品との明らかな類似、引用があったけれども、なるほど、シベリウスも、感覚的に聴くだけで無し、分析的に聴くのもまた楽し、との発見をさせていただき、とても嬉しい。

 それで最後に、これから、の話。作品研究は、今、言ったようなこと。資料研究においては、現在刊行中の、「シベリウス全集」の紹介。アカデミア・ミュージック鰍ウんのチラシを見ると、
 「全集の無いまま残されていた巨匠の全作品集、ついに刊行開始!!」
 1982年の、自筆譜の公開によって、ヘルシンキ大学と、ブライトコップ初め各出版社が国際的に協力体制をとってここまで漕ぎ着けたという。全45巻、1巻約2万円強か。ちょっと手が出ないのだが、最新の研究成果の反映した全集とのこと、シベリウス研究のさらなる盛り上がりを期待したい。
 あと、蛇足。伝記研究は、ダヴァッシェルナの独壇場だが、最近、アイノラのハウス・キーパーの証言が出たとのこと。シベリウス版「家政婦は見た」なのだけれど、彼の酒癖の悪さ、程度の話・・・か。

 大変、興味深い話の数々、堅苦しくなく、ざっくばらんに軽快にお話いただけた。また、神部さんのお話、さらには研究成果も伺う機会がもっともっと欲しいですね。今後の活躍、おおいに期待しています。ああ、楽しかった!! 

(なお、当日のレジュメには、上記の他にも多数の著作の紹介がありましたが、説明は伺えなかったので、ここでは割愛させていただきます。シェンカー理論、音楽記号論、など興味深い単語も並んでいましたが、一体どんな研究なんだろう?)   

(2000.11.9 Ms)

<6> コンサート

 今回の、協会15周年記念イベント最後のコンサート。まずは、有志による「フィンランディア賛歌」の合唱。コンサートに先だって、谷口ひろゆきさんを講師に迎えて、フィンランド語の発音についても勉強。そして、菅野さんの指揮による、アカペラ合唱。
 続いて、午前から行われた、ピアノ・セミナー受講者の人達による演奏。結構、ミスも多くて辛い面もあったが、前日のバイオリンと違って、いわゆるプロを目指すような奏者というわけでもなかったし、当然、緊張の問題もあるし、さらには、本番前にほとんどピアノに触れず、コンディションも良くない状態であったのかとは思う。
 休憩後は、再び館野さんの登場で、ピアノ・ソロ・コンサート。
 まず、館野さんのお話。シベリウス・ファンにとって最も関心の高い事項として、第8交響曲の話がある。これについて、フィンランドの作曲家コッコネンと話をしたことがあったそうだ。コッコネンも、シベリウスと同じく、ヤルベンパーのトゥースラ湖畔に住み、アイノラにも何度か訪れているのだが、「私には、第8交響曲の素材がどういうものであったか、だいたいの見当はついている」と言っていたそうだ。「作品の構想を練っていた頃の他の作品と、何らかの関連性があるはずだ。」
 それ以上の詳しい話はなかったのだが、それを裏付けるような例として館野さんは、昨日も演奏し、かつ本日もセミナーで取り上げた「ロマンス 変ニ長調」を含む作品24のピアノのための「10の小品」を挙げられた。
 ロマンスにおける「フィンランディア賛歌」の旋律との関係は昨日も話題となったが、実は、その他の作品においても、「賛歌」との関連があるのだと言う。ロマンスは作品24の9なのだが、それに先立つ、「アンダンティーノ」作品24−7、「夜想曲」作品24−8、それぞれ、主題は、「賛歌」と同じく、ミ・レ・ミ・ファ、という音の動きで出来ている。といった説明の後、「10の小品」より3曲を演奏。
 続いて、有名な「樹の組曲」作品75。フィンランドの人達もぼちぼち客席にいたので、組曲のなかのそれぞれのタイトルをフィンランド語でも紹介していた。私自身、この作品、有名なわりによく聴きこんでおらず、どれが何の樹かは覚えてはいない。しかし、4曲目が始まるや、第5交響曲のフィナーレの前半を思わせる、わさわさした動きの中で、自分の目前に、この夏、アイノラの庭の1番低い位置から見上げた、家とその周りにそびえたつ木々の映像が、あまりにも鮮明に思い浮かんできた。ほんとに、あの時に見た光景、そのままの音楽だ、と思った。とても感激してしまった。ちなみに第4曲のタイトルは「白樺」である。続いて、最後が、最も知られている「樅の木」。とても美しい旋律。そして、フランス音楽をも思い出させるようなお洒落なハーモニー。シャンソン風なコード進行も。なんだか心を閉めつけられるような、メランコリーを感じさせる名曲だ。認識を新たにさせていただいた。

 アンコールに応えて、再び、「即興曲」作品5−5。続いて、「今回の趣旨とは若干外れてしまうけれど」、という前置きの後、「どうしても弾きたくなったので・・・」と、カスキの「激流」という小品を演奏していただいた。シベリウスよりちょうど20年若い作曲家カスキは、シベリウスに認められた人材であったが、シベリウスの死んだまさにその日に亡くなったと言う。この「激流」、当然初めて聴いたのだが、「即興曲」の柔らかな細かな音の流れをそのまま、激しく豪快に鳴らし続けるような曲想で、シベリウス作品との関連性もほのかに感じ取れる。なかなかの佳品である。

 最後は、館野さんのピアノで、シベリウス本人の編曲による、交響詩「フィンランディア」ピアノ版。中間部において、有志で「賛歌」を合唱。
 このピアノ版が曲者である。館野さん、この話を伺ったのが直前らしく、当日のピアノ・セミナー終了後、あわただしく一度自宅に戻り、この楽譜を練習し、この本番に臨んだとのこと。かなり、凄いアレンジで、オケのやっている動きをそのまんまピアノでやれるのか?といった綱渡り的な部分も多く、かつ、オケ版にはないピアノ特有な、超絶技巧的装飾も多く施され、実のところ、聴いていてヒヤヒヤしてしまった。それはともかく、「賛歌」の合唱には、当日のお客さんの中からも、フィンランド人の方も飛び入りで前へ出て合唱に参加したりして、いい雰囲気であった。

 これにて全日程は終了のはずではあったが、誰も席を立とうとしない。というわけで、協会側としては、音楽で閉めたかったのだが、一言挨拶しないと終われないような状況となり、館野さんが再度、シメの挨拶、そして、最後は、今回、何回か聴かせていただきつつ、感動を与えていただいた、「ロマンティックな情景」作品101−5で幕を閉じることに。カスキ作品、そしてフィンランディアと、くたくたになりそうな激しい曲の後にも、こんな優しく繊細な曲を選んで演奏していただいた館野さんにブラボー。
 今回、シベリウスの特にピアノ作品に対する理解が多いに深まったと思います。それも館野さんの演奏、そしてお話あってのことです。とてもありがたく、かつ嬉しい気持ちで一杯です。またこんな機会に恵まれたらいいな。

(2000.11.12 Ms)

<7> 補足

 充実した体験の後、その面影を追って、記憶をより確かなものとしたく、帰宅後も思い出に浸りつつ、いろいろCDを聴いてみた。
 まずは、何と言ってもピアノ曲である。
 アイノラにある、シベリウスのピアノを使って館野さんがレコーディングした「アイノラのシベリウス」(以前より我が家にあり。しかし私が購入したものではなく、あまり聴きこんではいなかった)。後期の作品を主に入れている。最後のピアノ曲「5つのスケッチ」作品114、さらに有名な「樅の木」始め「樹の組曲」作品85、感動的な「ロマンティックな情景」作品101−5など、感動体験を呼び起こすに充分な演奏である。満足。ただ、その中では、「村の教会」作品103−1については、あの豪快さが聞かれずに残念。ただ、昔の楽器だし、レコーディングの状況も良くないし、迫力の面からは、「アイノラのシベリウス」には限界がある。生で聴いた館野さんの演奏、教会の大伽藍、打ち鳴らされる鐘の音のイメージは自分の心の中でしか今や再現は出来ないのだ。
 さらに、廉価盤ナクソスのシリーズから、ホヴァール・イムセの演奏CDを帰路購入し聴いたが、これは失敗か?「6つの即興曲」、例の第5曲は、練習曲のような感想。館野さんの演奏に見られた、機械音型の中のわずかなためらい、そして歌心がここには感じられず、勢い良く飛ばして流しているだけのように聞こえる。テンポも速い。技巧誇示の曲ではあるまい。さらに、続く第6曲(館野さんの演奏は聴いていないが)、これが非常に遅い。もたれっぱなし。奇をてらった演奏、という全体的な感想。シベリウスの演奏としては全然逆を向いてはいないか?素直に、考え過ぎずに、自然に演奏する、そんな態度が聴き取れる演奏を望む。
 さて、そのナクソス盤の後半には、作品24の「10の小品」。目当ては当然、「ロマンス変ニ長調」。やはり、速い。もっと情感込めた(でも自然な)演奏で聴きたい。また、冒頭の右手の和音の伴奏も軽い。確かに、後で楽譜を確認するとスタッカートではある。しかし、弾み過ぎた軽快な感じはいかがなものか?もっとソフトな丁寧なタッチが必要では?あっさりし過ぎた感がある。「フィンランディア」を意識したドラマ性、劇的な作り物を目指したものではないとは感じられるが、逆にそれが「非ロマンス」的な、愛想のないものになったきらいがある。・・・・ただ、ここで少々反省。私は館野さんの演奏で刷り込まれてしまったか?でも、とてつもなく感激したし、この曲の演奏はこれしかない!!と思ってしまったのは確かか?どうしてもあの時の演奏を追ってCDを聴き、と言うより聴き比べてしまう。
 ただし、作品24の、その他の曲は刷り込みもなかったせいか、違和感なく聴くことは出来た。興味深いものとしては、第1曲「即興曲」・・・これまた即興曲というタイトルか。暗い情熱が初期シベリウスを彷彿とさせている。個人的には、ショパンのピアノソナタ第3番をもっと寒くしたような印象。愛奏されてしかるべき佳曲と思う。さらに第3曲「カプリース」。細かな同音連打が特徴的。ややラフマニノフのアレグロ・フィナーレ的なかっちりした感じを受けたがどんなものだろう。縦の線をしっかり合わせよう的なノリ(わかりにくい例えか)。それにしても、短調作品に良い物が多いような気もする。短調が目立つのが、初期シベリウスらしい、といったところか?
 続いて、バイオリン曲。これは、11月の上京で、BISレーベルのシベリウス全集32巻のバイオリン作品集第1巻を購入。作品2の「2つの小品」原典版、改訂版の両方、作品78の「4つの小品」、第1曲「即興曲」、第2曲「ロマンス へ長調」が含まれている。概ね満足。特に作品2の原典はやっぱりオススメです。
 
 これらのCDすべてが、必ずしもあの幸福な体験の追体験にはならないのは当然なのだが、それらの音楽自体の素晴らしさをふと、音として聴きたくなる事は今もある。そんな時、静かに流しておくのも良し、じっくり耳を傾けるも良し、今後は楽譜を見ながら聴くも良し、シベリウスの音楽の新たな面に親しむ事となった契機として、本当に、シベリウス協会さんに感謝、である。

補足はまだ少し続きます(2000.12.6 Ms)

 


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