ショスタコーヴィチ |
劇音楽「リア王」 作品58a より 道化の歌
我が敬愛するショスタコーヴィチ・・・・数年前までは、ショスタコーヴィチの作品の大半は「隠れ」名曲であった。しかし、今や彼の、交響曲、協奏曲、室内楽作品、バレエ音楽、オペラ・・・などなど、どこにも隠れてはいない、誰もが認める「名曲」となった。が故に、彼の「隠れ名曲」を紹介しにくくなってきている。
そんな中、あえて、まだまだあまり聴くことの無い、劇音楽というジャンルから今回は紹介しようと思う。
交響曲第7番「レニングラード」の作曲と同じ年、第2次大戦の最中に書かれた、シェークスピアの悲劇に基づいて作曲された作品。期待度満点、なのだが、聞いてがっくり、誰が聞いてもショスタコ、とわかる個性の刻印された作品ではあるが、それ以上にこころに響くものは足りない、と感じた。劇における音楽の使い方にも問題があるのだろうが、1分程度の、音楽の断片といったほうが良さそうなものが多く、劇音楽だけを聞いても、物足りないのである。音楽自体のインパクトも(旋律やオーケストレーションなど)弱い。
彼は同じ題材で晩年、映画音楽も担当している(最後の映画音楽作品となる作品137)。そちらの方が、断然素晴らしく、楽しめる。後期の音の少ない中にも内容の詰まった充実したショスタコ・ワールドが展開されている。ま、そちらを紹介した方が良かったのかもしれないが、こちらの劇音楽版には、見逃せない重要なポイントがある。それが、リア王のそばについてまわる道化役の歌う「道化の歌」である。
それこそ1分程度の歌が10曲ばかり作曲されているのだが、その冒頭を飾る曲が、なんと「ジングル・ベル」の旋律なのだ。そう、クリスマス・ソングの定番、「ジングル・ベル」は何を隠そう、ショスタコーヴィチによる作品なのである・・・・・・と思いたいのだがさて、どうだろう。
ただ、ジングルベル、違う作曲者名が楽譜に付いているような気もする。きっとアメリカあたりの、いまや忘れられた作曲家の手になるものだとは思うが、はたしてその作曲年代が1941年より前か後かで話が大きく違ってくる。それを遡る15年ほど前に、アメリカのミュージカルナンバーを40分で編曲した「二人でお茶を」の例もあり、ソ連にいながら、ショスタコもアメリカのポピュラー音楽について無知ではなかったはずだ。どこかで聞いたメロディーが、無意識のまま浮かんでしまったのかもしれない。もしくは、アメリカ製の音楽に「道化」のイメージをかぶせる何らかの意味付けがあったのかもしれない。
そして、また、逆に、アメリカの作曲家が、無意識に、あるいは意識的に、その「道化の歌」の旋律をジングルベルという歌に仕上げてしまったのかもしれない。真相は、今の私にはわかりません。ただ、ショスタコーヴィチという作曲家が、20世紀の人であることもあり、我々と意外なところで密接につながっている、という認識の手助けになるかも、という意味で今回紹介させていただきました。クリスマス・ムード一杯の街を歩きながら、ジングルベルが流れるたびに、ショスタコの「リア王」からの「道化の歌」を思い出してこそ、真のショスタキストと言えるのだ!!!
ただ、キリスト教を禁じられたソ連にあって、クリスマスソングを作品に取り入れて大丈夫だったのでしょうか。
なお、晩年の映画の中でも、道化のセリフが一部、ジングルベルと同じメロディーに乗せてしゃべる場面があります(映画音楽としての存在ではなく、ほんの1,2秒の話です)。よっぽど彼は、この旋律に愛着をもっていたのでしょうか。「道化」にどうしても歌わせたかった理由があるのでしょうか?
どなたかショスタコの「リア王」と「ジングルベル」との切っても切れない縁を説明していただけないでしょうか?このあからさまな引用(?)、類似について語られている文章に私はまだであったことがありません。ジングルベル誕生の秘話があかされることはあるのでしょうか?
(千年紀最後のクリスマスを目の前にして悩みつつ 1999.12.23 Ms)
ジングルベル情報について入手しました。
作曲は、ピアポントというアメリカ人。作曲はなんと1850年頃。意外と古いんですね。シューマンが交響曲第3番を書いていた頃か。出版は1857年。ということは、ショスタコーヴィチは、明らかに、アメリカのクリスマスソングと知っていて引用した、という可能性が高いような?
ジングルベル誕生の逸話についてはこちらのHPが参考になるでしょう。
この「隠れ名曲教えます」の「グロフェ」の項でもちょっと触れている、ビクター・ハーバートというアメリカの作曲家(ドボルザークにチェロ協奏曲を書くきっかけを与えた)が、私はこんな曲を書きたい、とジングルベルを指して言っていたというのも、面白い逸話です。果たして、このジングルベルが、どのような形で世界に広まったのか?ロシアでも歌われていたのか?それとも、一部のロシア人しか知らなかったのか?好奇心はさらに高まる。
(1999.12.25 Ms)