グラズノフ

交響曲第7番 へ長調 「田園」 作品77

 グラズノフというと、まずボロディンの歌劇「イーゴリ公」をリムスキー=コルサコフと共に補筆完成させたことが思い出されよう。しかし、彼のオリジナルとなるとまだまだ未知の世界、という方も多いだろう。小規模で可愛らしい「バイオリン協奏曲」、NHK−FMの昼のクラシック番組のテーマとして随分昔に使われていた美しい「演奏会用ワルツ第1番」、吹奏楽コンクールの自由曲としても知られる華々しいバレエ「四季」の秋からバッカナール、などがそこそこ有名であろう。しかし、彼は「ロシアのブラームス」と呼ばれるだけに(誰が呼んだのだろう?随分違うような気もするのだが・・・。今もそう呼ぶ人はあまりいないような・・・。)交響曲の作家としてしかるべき評価を受けるべき作曲家のはずなのである。

 そこで今回紹介するのが、へ長調の「田園」。誰かのパクリだと、もろわかりなのに、よくぞ書いてくれたというような作品だ。しかし、冒頭から、ウン、なかなかいいムードを出している。木管を中心にひなびた素朴な旋律が受け渡されて行く第1楽章提示部から随分聴きやすく、いわゆる「牧歌的」な田園そのもの。期待充分!そこへ飛び込む第2主題。あれっ。どこかで聴いたよなァ???なんと「風の谷のナウシカ」を彷彿とさせる旋律だ。久石譲も盗作疑惑か?ただ、ドッシラソー、なんて旋律は誰でも書いてるし、偶然の所産だろうとは思います。
 とにかく、旋律の親しみやすさ、美しさ、そして管弦楽法の冴え、聴いて損は無いでしょう、第1楽章は。
 その後、第2楽章からは「田園」はどこかへ行ってしまい、実は標題音楽ではなく、純然たる絶対音楽だと思い知らされることとなる(ブラームスの2番やシベリウスの2番が「田園」だと言われるのと同レベル)。金管のゆったりとしたコラールを主題としたパッサカリア風な冒頭。そして中間部のチャイコフスキー的なメランコリー。ロシア風味全開のこの楽章、ふと冬のイメージがよぎる。そこで彼のバレエ「四季」を思い出し、第1楽章「秋」、そして順次、冬、春、夏、などと空想して聴いてゆくと(彼の思惑とは相違するだろうが)、ますます親しみがわいてくる。
 第3楽章は、グラズノフお得意の、バレエ音楽的な軽めのスケルツオ。やはり、木管が大活躍、目まぐるしい16分音符の分散和音は、花の周りを舞う蝶のよう(あぁ何て短絡的な空想だろう。でも楽しい)。
 さて第4楽章は陽気なお祭り、という感じ(これまた発想が貧困で申しわけ有りません)。ロシア民謡風な、五音音階的な単純な主題が反復され、後はひたすら、先行楽章の各主題が次々と姿を変えて出没。何となく彼の創作力の枯渇、息切れが聞こえてきそうでちょっと残念。ただ、流れ出した音楽の中に、通俗的な主題や、断片的な動機をやや無秩序に放り込んでゆく方法論は、(外面的な、聴いた感じはそうでもないが)ストラビンスキーの「ぺトルーシカ」の謝肉祭の情景との関連性もあるかもしれない。また、第2楽章での金管の鳴らし方や、第4楽章のコーダでティンパニがオクターブの音程でリズムを刻みつつ盛り上げて行く様が、ショスタコーヴィチの10代の習作「主題と変奏(作品5)」に見られることなどから、この1901年の作品が20世紀ロシア音楽の輝かしい歴史を準備する重要作だ!などという誇大妄想も抱きそうになってしまう私であった。

 冗談はさておき、全部ではないにしろ、他にも彼の交響曲を聴いてみましたがこの「田園」をしのぐ魅力的な作品にはまだ出会えておりません。幸い、現在NAXOSから彼の管弦楽作品が順次録音されているので、これからもどんどん発掘したいと思っています。少なくとも、ティンパニ奏者である私にとっては、グラズノフの「田園」は、ベートーヴェンの「田園」と比較にならないほど、お気に入りであり重要な作品なのです。皆さん、とりあえずはだまされたと思って「ナウシカ」目当てに聴いてみてください。気に入るようであれば、アマオケの皆さん、演奏してみましょう。編成もピッコロ以外は特殊楽器の無い通常2管編成。現代の日本でなら、結構受ける曲だと思います。

 グラズノフは、まだロシア五人組のオマケ程度にしか扱われていない作曲家ではありますが、彼らとストラビンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチを結ぶ重要な位置にいると思います(ベートーヴェンとブラームスを橋渡しするシューマンに似ているかもしれない)。この項でもどしどし紹介していく予定です。

我がオケの次回定演のサブプログラムの選曲会議の朝、脱稿す。(1999.3.28 Ms)


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