アイブズ

交響曲第2番

 アメリカン・クラシックと言えば、やはり、ガーシュインによって始まるジャズとの融合の系譜が本流に当たるのだろうか。グロフェ、コープランド、そしてバーンスタイン・・・ポップで親しみやすい作曲家たちがずらりと並ぶ。その一方で、音楽の在り方を根本からくつがえした、前衛の流れもあり、むしろそちらの方がプロの間では評価が高いようだ。ジョン・ケージがその代表だ。
 チャールズ・アイブズをまず知ったのは、実際の作品の音よりも、「ストラビンスキーよりも先に、複調、ポリリズムを実験し、シェーンベルクより先に12音列的な作風、あるいは無調に到達した」といった説明的文章であった。当然、ジョン・ケージの親分みたいな作曲家だと思いこみ、全く私の眼中にない人となったのだ。

 さて、そんなアイブズと出会いを果たしたのは大学時代、とある大学オケの定演であった。
 メインプロに、アイブズの交響曲第2番とあり、そんな曲知らんが、アマチュアでもできるのだろうか?と半信半疑、期待もせず足を運んだ。そして、その体験は今でも忘れることの出来ない、衝撃的な出会いとなったのだ。

 第1楽章、ほとんど弦楽のみで奏される、美しく静謐な宗教的な調べ。もう既に、前衛作曲家としてのアイブズというイメージは払拭される。幼少の頃から、片田舎の教会で親しんだ宗教音楽。決してブルックナーのごとき荘厳な(大げさな)表現でないところが余計に私の心に染み込んでゆく。
 第2楽章、一転して山登り、ハイキングに出かけるかのような、鼻歌的なそして健康的な主題。しかし、その主題は常に、トランペットの茶化し、あるいはファンファーレ風な一節に妨害されながら、ユーモアにあふれながら、オケ全体がじゃれ合いながら曲は進行する。そして、楽章最後には、金管の緩やかなコラール、ふと、マーラーの5番がよぎる。しかし、コラールはあっさりとしたもので、やはり、後期ロマン派的な誇大妄想とは無縁で、シャイな田舎者らしさがかわいらしい。(コラールにかぶる木管のフレーズが、始めて聴いたときに、鐘の音として私には認識された。なんだか不思議な聴体験であった。)
 第3楽章、アメリカの西部、大草原を舞台にした映画のひとこまを思わせる素朴な緩徐楽章。
 第4楽章、第1楽章の再現。しかし、オーケストレーションを変えており、冒頭のホルンのオクターブなどマーラーとの接近を感じさせる。
 そしてアタッカで第5楽章、弦楽を中心としたこれまた素朴なダンス風主題、そこにピッコロと小太鼓による、ブラスバンドのパレードが通りすぎる。かと思えば、フォスターの「草競馬」がトロンボーンで現れたりと、心ウキウキ、楽しい田舎生活を彷彿とさせる。さて、楽章終止部では、トランペットの進軍ラッパ風なシグナルを合図に、第2楽章の主題の再現(トランペット)、そして国民的愛唱歌の引用(トロンボーン)、そして様々なモチーフが一挙に同時進行し、ドンチャン騒ぎ的な結末を迎える。ここに、私は、未だかつて無かったほどの感動を覚えたのだ。

 既出のモチーフを統合させて、新たな局面を開かせる作曲技法はよく見られる。高度な対位法を駆使するためか、ドイツにその例は多く見られるようだ。ベートーベンの「第九」第4楽章の中間で、「歓喜の歌」のモチーフと宗教的テーマが統合される箇所、ワーグナーの「マイスター」前奏曲の後半、マイスターの主題、行進の主題、愛の主題の結合、が有名だろう。
 しかし、それらの例においては、和声的な秩序が前提にあり、既出の主題をそっくりそのまま使用してはおらず、各主題は変形されているのだ。
 アイブズの例(第5楽章コーダ)に戻ろう。ここでは、既出のテーマは和声的な秩序を無視し、自らの旋律線を勝手に各々主張している。だが、完全な混乱には至らず、それぞれのテーマは生き生きと奏でられ、聴衆の耳にも複数の主題が認識できるようにできている。
 つまり、民主主義に例えるなら、ドイツ的な発想は、各個人が自己主張しあいながらも、「全体」という秩序が最優先され、各個人それぞれの譲歩の末に、一つの結論に至るというものである。アイブズによれば、多少の秩序の乱れには目をつぶり、各個人の自由こそが最優先される、ということになろうか。
 私は、このドイツ的な調和と一味違う、アイブズの対位法に、一聴にして衝撃を受け、感動を覚えたのだった。ドイツの秩序重視の極端な行き先がナチであることを思えば、このアイブズの自由重視な作品が、新鮮、かつ、救いに思われたのだ。(ただ、あくまで第2番は、彼にとっての通過点であり、彼の到達点は、作品としては、交響曲第4番などの複雑な引用を多用する難解な作風であり、自由の謳歌が引き起こした、現在のアメリカの犯罪に満ちた混乱を想起させるものに変容しているのは私にとっては残念だ。)

 それはともかく、ガーシュインが、ジャズを導入しアメリカ音楽のイメージを確立する20年あまり以前、ジャズに毒される前の時代に、ジャズを使わずに真にアメリカ的な交響曲をアイブズは完成していたのだ。とにかく、楽しく、魅力的な作品である。

 お薦め演奏は、バーンスタインの87年の録音。60年代のものもあるが、最後の部分が、トロンボーンのみが主役になってしまい、私の上記のイメージではなかったのが残念。
 アイブズについては、まだまだ、一聴にして楽しい作品が多くあります。また、紹介したいと思います。(バーンスタインの87年録音の余白もお薦め曲オンパレードだ)

 ちなみに、私にアイブズの魅力を教えてくれたのは、愛知学院大学管弦楽団であった。橋本元首相のご子息も在団されていたことでも有名です。

(1999.5.15 Ms)


特別企画(国歌と国民の幸福なる関係とは?)

アメリカ変奏曲

〜国歌のアレンジ、かくあるべし?〜

 最近、例の国歌法の関連で、「国歌」が話題になることも多い。つい先週、9/28も、ニュースステーションで忌野清志郎が、ロック調の「君が代」をやっていた。まず、ハーモニーとして違和感有り、また、原曲のほとんど四分音符ばかりの旋律そのままに、ただ速くしただけということもあり、滑稽さすら感じた。最後の「苔のむすまで」の「まぁぁでぇ」がもう一度繰り返されるのも、なんだかダサい感じ。それが、転調しつつ繰り返されるのは、なかなか面白いと思ったが、もう少し、編曲(特に、和声的処理、及び、旋律のリズムの変奏)を凝ってやってもらえれば、案外、自分の趣味の範疇に食い込めるくらいの存在になり得るかもしれない。一聴の価値はあるかもしれないとは思う。

 そこで、クラシック音楽における国歌の変奏、アレンジ、そして引用についてもいろいろ思い出してみた。
 一番ポピュラーなのは、チャイコフスキーの諸作のロシア国歌の挿入か(1812年序曲、スラブ行進曲)。
 ただ、影響力から言えばフランス国歌が重要か。シューマンの歌曲、ドビッシーのピアノ曲なども引用あり、コダーイの「ハーリヤーノシュ」におけるユーモラスな例もある。ベルリオーズは、引用ではなく、編曲として、大管弦楽、合唱、独唱のための版を作っている(大学時代、フランス語の授業で聞かされたのが、えらく大袈裟な、オペラティックなアレンジだったが、きっとあれがベルリオーズ版だったのか?)
 さらに、忘れてならないのが、愛すべき、ショスタコーヴィチの最初の映画音楽「ニュー・バビロン」。20代になったばかりの彼の才気溢れるこの映画音楽に、フランス国歌が、よりによって「天国と地獄」のカンカン踊りと同時に鳴り響く。とてもおもしろい効果だ。

 などなどが、まず、ぱっとひらめくもの。しかし、成文法はないものの、イギリスの国歌こそ、最古の国歌でかつ、芸術的価値も高い、とされている。作曲者は、ヘンデル、パーセルなど有名作曲家なども名が挙がり、諸説あるようだ。しかし、芸術作品への引用と言う面では、イギリス軍が、ナポレオンを打ち破った戦争を描いた、ベートーヴェンの戦争交響曲「ウェリントンの勝利」が彼の作品中最高の駄作として有名だが(打楽器奏者としての私は、彼の作品で最も楽しい作品だと思っているが)、それ以外に、意外なところで旋律が引用されている。
 その例が、ウェーバーの「歓呼序曲」。昨年のドレスデンの歌劇場オケの450周年記念コンサートでも演奏されたこの有名でない作品、何故か、コーダで高らかに、イギリス国歌がワンフレーズ大合奏だ。ウェーバーは最後のオペラ「オベロン」をイギリスからの委嘱で作曲、実際にイギリスへ出かけている。だから、その訪英に関係の曲かと思いきや、ドレスデンでの祝典で演奏されたようだ。つまり、当時、ドレスデンを首都としたザクセン王国の国歌が実は、イギリス国歌から旋律を拝借していたということらしい。(余談だが、このコーダ、管楽器で荘厳に3拍子で旋律が吹奏されている伴奏部分が弦楽器による速い音階的パッセージ、これ、絶対、ブラームスの大学祝典序曲の元ネタだ!!おまけに、シンバル、大太鼓、トライアングルまで登場。オーケストレーションが全く同じなのだ。しかしまぁ、ブラームス、ホントに影でこそこそ分からないようにいろいろ盗作してるなぁ。一度、ブラームス主要作品における盗作リストでも作ろうか。かなりうまいこと盗んでいるので、ちょっとやそっとじゃバレないものも多いけど。)

 さて、そろそろアイブズのアメリカ変奏曲の話をこの辺で始めよう(お待たせしました。)。アメリカ変奏曲、なんて言われると、アメリカ国歌によるものかな、と思われるかもしれないが、聴いてびっくり。ありゃ、これもイギリス国歌だ。
 最初は、ヒネクレ者のアイブズのこと、また、人を食ったような題名だ、と思っていた。だが、どうも、この題名は大真面目のようだ。
 現在のアメリカの国歌が制定されたのは1931年のことという。それまでは、準国歌的な歌が4曲あり、それぞれ歌われていたらしい。その中に現行の国歌もあったが、イギリス国歌の旋律を借りたその名も「アメリカ」という歌も含まれていたらしい。前述のザクセン王国と同様な事情だ。他にも、一時期、スイス、ロシア始め、イギリス国歌の旋律を借りた国歌は、ヨーロッパ中でもてはやされたようだ。今でも、どこか、ヨーロッパの小国ではイギリス国歌の旋律による国歌を採用していると聞く。
 つまり、イギリス国歌が何度も繰り返されるこの曲、確かに間違いなく「アメリカ」変奏曲なのだ。アイブズもややこしいことしてくれたなぁ。

 もともとは、この作品、オルガン曲だったようだが、同じくアメリカのウィリアム・シューマンが管弦楽編曲し、世に知られている(以下のコメントは、シューマンによる編曲によります)
 題名は真面目だとしても、内容が、いかにもアイブズらしいもので、笑える場面も多い。
 まず、主題の提示が、妙に安っぽい、そして調子っぱずれなもの。おいおい、国歌なんだからもっと荘厳に・・・・と思ったら、いつのまにか、おとなしく格調高く思わせておいて・・・・。安心するのもつかの間、第1変奏は、変奏曲の常套手段、主題に対して細かな音符が対旋律として装飾されるが、これまた滑稽な、主題をせせら笑うような雰囲気。かと思えば、続く第2変奏、シューマンのオーケストレーションのせいもあるが、ブラームス風!!な牧歌的な安らぎ。パロディ全開だ。意味不明な間奏をはさんで、第3変奏、酔っ払いの鼻歌の如き気楽さ。第4変奏に至って、なんと、スペイン風ボレロ。おいおい、植民地争奪戦でイギリスと死闘を演じたスペインが、見事復活、イギリスを征服か?この部分、かなり笑えます。
 しかし、イギリス人も不機嫌になりそうだが、当時、それをアメリカの準国歌として歌っていた人々も、これには顔をしかめたことだろう。ただし、今思えば、アメリカも中南米からのスペイン系移民が幅を利かせているし、スパニッシュに蹂躙されるアメリカの将来を暗示していたのだろうか?(そんなことはないか。)最後は、最初の部分が回帰して、普通には終わります。交響曲第2番のような複雑さはありません。ただ、妙に軽い雰囲気だな。格調高く、高貴なるイギリス風ではない。絵に描いたようなアメリカン・サウンドだ。

 アイブズが作曲をしていた20世紀初頭、アメリカはまだ、ガーシュインらのジャズ的なアプローチに達してはおらず、完全にヨーロッパの亜流に甘んじていた。そんなアメリカ音楽の後進性の象徴として、イギリス国歌から拝借された準国歌「アメリカ」があったのかもしれない。イギリスから独立して1世紀以上経過しながら、まだイギリスの影響下、いや支配下にあるんじゃないか。それを強烈に皮肉って、笑いの対象にすら変化させたのが、この「アメリカ変奏曲」かもしれない。ヨーロッパの亜流から脱して、アメリカの音楽を模索していたアイブズの心意気が刻印された「アメリカ変奏曲」、これが許されたところもまた、アメリカ民主主義の懐の深さってところか(実際は現状のアメリカ国歌が制定されたので、イギリス国歌による「アメリカ」がどうコケにされようと、構わないってことかも)
 
 国歌を、公認の荘厳な、紋切り型の一アレンジのみ許可する、などというのは愚かなことだ。名曲ほど、様々な編曲が施されつつ、様々な形で、聴衆に受け入れられてゆくのだ。国歌にも、様々な変容の機会を与えるのが普通だろう。アイブズの「アメリカ変奏曲」には、国民と国歌の幸福な関係が微笑ましく描かれているのだ。

 さてさて、ひるがえって1999年の日本、果たして、アイブズのような、自由で無邪気な(国歌だという、必要以上に神経質な構えを持たない)「アメリカ変奏曲」的アプローチが「君が代」に可能かどうかの一つの答えが出された。レコード会社によるロック編曲の発売停止。ただ自主制作は許されるようだ・・・・。
 現代日本の作曲家も、一度、超前衛的な手法で、芸術的な「君が代変奏曲」でも作ったらどうだろう。どんな評価が待っているのか?
 例えば・・・・・、三善晃先生、童謡「かごめかごめ」がオケの発作的爆発の合間に児童合唱によって亡霊的に歌われる代表作「響紋」のようなアプローチで「君が代」の変奏曲、いかがですか。政治家の方々が、もしくは政治家にはばかった音楽関係者が、世界的大作曲家にNOを付きつけるのかどうか、見てみたい。これで、現代日本が、スターリン時代のソ連と同レベルかが判明すると言うわけだ。何度も書くが、今の日本、かつてのソ連か?先週、9/30の茨城県の放射能事件も、チェルノブイリの如く、国家の衰亡、機能停止を暗示するように思えて・・・・・。日本、大丈夫か?
 
 それはともかく、皆さんも一度、「アメリカ変奏曲」を聴いて他国の国歌の自由なバリエーションを堪能したうえで、日本の国歌についてもいろいろ思いを巡らすのも一興では?

 なお、我が国の国歌については、今月のトピックス’99年7月分もご覧下されば幸いです。

(1999.10.4 Ms)


「隠れ名曲教えます」へ戻る