ESPANSIVA! NIELSEN

オススメ曲紹介

 このコーナーでは、当HP主催のMsの個人的な判断によって、ニールセンの作品より「オススメ」なものをセレクトして紹介してゆきたいと思います。皆さんのニールセン探検の地図のような役割となれれば良いのですが・・・・。ただ、個人個人それぞれに趣味趣向が異なる訳ですから参考にならない場合もあるかもしれません。あしからずご了承のうえ、ご覧下さい。

室内楽曲
 やはり、ニールセンと言えば「交響曲」というわけですが、ヴァイオリニストであった彼にとって若い頃から演奏を楽しみ、また、作曲を始める出発点にあった形式である「弦楽四重奏曲」、これは是非とも押さえておきたい分野です。学生時代からクァルテットの演奏を楽しみ、早くから作曲も試みています。後年クァルテット・リーダーとしても活躍し、また、オーデンセからコペンハーゲンの王立音楽院への入学を目指した少年ニールセンにとって、携えてきた弦楽四重奏曲が院長であったデンマーク楽壇の重鎮ゲーゼに認められたという経緯も忘れてはならない事実でしょう。
 そしてまた、軍楽隊での金管楽器の経験がありながらもなぜか、金管ではなく木管楽器には終生愛着を感じていたのか、交響曲、管弦楽曲においても多く活躍の場が与えられていますが、木管楽器のための室内楽曲も多様な編成で作品が残されています。そんな中での私のオススメは・・・。

 私のオススメ、まず弦楽四重奏曲から。
 弦楽四重奏曲は作品番号付きの全4曲、聴く事をオススメします。初期にほとんど集中していますので、難しさを感じさせる作品はほとんどありません。古典派、前期ロマン派、そしてブラームスらの作品の影響下から次第に自己の個性を開花させてゆく様がこの4曲を聴き通すことでよくわかります。そして、ほぼ並行して書かれている交響曲(第1番から第3番まで)との関連なども見て取れて興味は尽きません。
 まず、弦楽四重奏曲第1番ト短調(Op.13,FS4)1887〜88年の作、1897〜98年改訂。王立音楽院の指揮者であったヨハン・スヴェンセンに献呈。
 彼が始めて作曲家として世に問い、また、出版もされ今なお聴く機会を持つ最初期の作品。短調を主調として緊張感、そして重厚感があり、ドイツの正統の延長にある、古典的な構成美を目指したもの。ブラームスとの親近性を強く感じます。まだニールセンの個性は見つけにくいながらも、弦楽器の鳴らし方はさすがな腕前である一方、和声的な感覚は当時としては斬新さも見られ、師ゲーゼをして「混乱している。しかし、才能ある混乱だ!」と言わしめたとか。また、第4楽章のコーダは「レジュメ(要約)」と表記されており、先行楽章の主題が対位法的に重なり合う興味深い部分です。
 弦楽四重奏曲第2番へ短調(Op.5,FS11)1890年の作。初演時のヴァイオリン奏者アントン・スヴェンセンに献呈。
 第1番の作曲の後、交響曲への野心は挫折(第1楽章が「交響的ラプソディ」として独立)、再び弦楽四重奏曲の作曲にたち返ります。この第2番の成功あってこそ交響曲第1番の作曲が勢いづいたのではないでしょうか。彼も演奏者として加わったベルリンでの私的な初演では、ブラームスの友人である名ヴァイオリニスト、ヨアヒムからも称賛を受けたといいます。ニールセンの名を世界的に知らしめた最初の作品です。まだ、ブラームス的な響きは残存しながらも、長調における半音低められた第3音、第7音など、彼の旋律的な特徴も見られ、ニールセンの語り口が楽しめます。
 私が特にオススメするのは第2楽章。心に染み入るような美しい音楽です。5音音階的な旋律の動きが、ドヴォルザークの「新世界」第2楽章、チェロ協奏曲第1楽章第2主題なども思わせ、ホロリと来ますよ。懐かしさ、郷愁を感じますね。また、交響曲との関連では、フィナーレのコーダは6拍子で書かれており、後の交響曲第1番のフィナーレとの類似も感じられます。
 弦楽四重奏曲第3番変ホ長調(Op.14,FS23)1898年の作。なんと、ノルウェイの作曲家グリーグに献呈。また、1921年5月に行われた演奏を聴いたシベリウスも絶賛したと言いますから、北欧の3巨匠揃い踏みの因縁の名曲とでも言って良いでしょうか。
 前2曲は短調作品でしたが、第2番の成功の後、ここでニールセンは始めて弦楽四重奏曲という分野でのくつろぎを感じたのか、明るく、リラックスした世界を表現しています。ちなみに、初演後、出版が決まり、楽譜を持って写譜屋へ向かったニールセン、途中で馬が転倒した馬車に出会い、楽譜を見物人の少年に預けて馬を助けている間に少年は姿を消してしまい楽譜は行方不明。仕方なく彼は記憶をたどって書き直したそうです・・・・彼には悪いのですが、とても微笑ましくも風変わりなエピソード、ニールセンらしい人間的な?お話。
 オススメの楽章はまず、第2楽章。明らかに、交響曲第2番第3楽章の先駆を成す深みを持ったもので、同じく変ホ短調という珍しい調性も見られます。そして第4楽章は、伴奏型が明らかに同じく交響曲第2番第4楽章と同じで雰囲気の類似が見られ、その陽気な明るさは特筆すべきでしょう。
 弦楽四重奏曲第4番へ長調(Op.19,FS36)1906年の作、1919年改訂(Op.44)。コペンハーゲン弦楽四重奏団に献呈。
 第3番に続いて長調の作品。当初は「Piacevolezza(戯れ、陽気の意)と題されて初演されましたが不評につき、後年改訂、タイトルは削除。転調に転調を重ねる彼独自な進行的調性も明確に見られ、当時の聴衆としては斬新に映ったのではなかろうか。また、第1楽章の3拍子は、交響曲第3番第1楽章の雰囲気に近づくこともままあります。装飾音符付きの短い音符に続いて低い長めの音符(タラッ・ター、と繰り返されます)、ユーモラスで耳につきます。第4楽章も主題が同様のモティーフから出来ていて楽しさ全開といったところ。第2、第3楽章もやはり交響曲第3番のそれぞれの楽章との類似を見つけることも出来るように思います。第3楽章はハイドン的ないたずらっぽい雰囲気が面白いです。並行して書かれた、喜劇風な明るさに満ちた歌劇「仮面舞踏会」との関連も指摘されており、また第4楽章を筆頭にして全体に、ディベルティメント風な軽さが支配しています。
 あまり作品の改訂を施さないニールセンのわりには、弦楽四重奏曲に限っては改訂をいろいろしています。それだけに気合の入った、こだわりのある、そして慎重な態度も見て取れるようです。それ以上に、後期ロマン派の時代にあって、時流に逆らったかのようにこれだけの弦楽四重奏曲を連作しているニールセン、古典的なスタンスを明確に表わしているかのようですし、一度、是非、彼の音楽の故郷(交響曲作曲の下準備も兼ねていたのかも)とも言えるクァルテット、聴いてみてくださいませ。 

(2002.3.25 Ms)

 さて、弦楽四重奏曲以外でも興味深い室内楽作品は多々あります。続いて、ピアノ伴奏付きのソロ作品は除き(ヴァイオリン・ソナタなどについては独奏曲の項にて紹介いたしましょう。)、その他の作品を追ってゆきましょう。
 ニールセンならではの最高傑作の部類に入りそうな、木管五重奏曲、これこそ、弦楽四重奏曲よりまず先に紹介すべきものだったかもしれません。が、ここでは作品成立順にいきます。

 弦楽五重奏曲ト長調(FS5)1888年の作。作曲家としてのスタート地点にあり、弦楽四重奏曲第1番と前後して書かれた姉妹作。緊張感みなぎるト短調の四重奏曲と明確な対照をなす、ト長調の柔和な響き。ベートーヴェン、ブラームスの交響曲における、「運命」「田園」の対比も想起させます。
 第1楽章、Allegro pastraleのおっとりとした牧歌的な雰囲気、彼の少年時代、田舎での生活をふと思わせるような安らぎを感じます。コペンハーゲンに出てきてからみっちりと勉強を始め、ブラームスと同様、古典、伝統の重圧のなかで作曲を始めたのかも知れないながらも、この五重奏曲にあるおおらかな牧歌的な感覚は、彼が一生涯持ち続けた感覚のような気がしてなりません。オススメは茶目っ気たっぷりな第3楽章。冒頭のモティーフは後年の弦楽四重奏曲第4番の同じく第3楽章のイタズラの仕掛けとしても登場します。なお、第4楽章の第1主題は、個人的には日立グループCMソング「このぉ木何の木・・・・・」を一瞬思い出すんですが私くらいでしょうか・・・。
 続く弦楽五重奏曲は、アンダンテ・ラメントーソ〜若き芸術家の棺の傍らで〜(FS58)1910年の作。弦楽四重奏曲の連作を打ちきった後の作品となります。FS5の五重奏曲は、弦楽四重奏に第2ヴィオラを追加した編成ですが、こちらはコントラバスを追加。弦楽オーケストラとして演奏されることもあります。私自身も弦楽合奏曲として親しんでいますので、そちらでの紹介と致しましょう。

 彼自身、慣れ親しんだはずの、弦楽器のみの合奏による室内楽は、このアンダンテ・ラメントーソをもって終わり(ただ、無伴奏ヴァイオリン曲は最晩年に2曲あり、娘婿となったハンガリー出身のヴァイオリン奏者テルマーニの存在に負うところが大きいでしょう)。続く室内楽作品は、かいなきセレナード(FS68)1914年の作。王立管弦楽団のメンバーがベートーヴェンの「七重奏曲」(作品20と思われます)を演奏する際の他のプログラムとして書かれたもの。編成は、Cl.Fg.Hr.Vc.Cbの五重奏。やや異色な取り合わせと言えましょうか。ちなみに、ベートーヴェンの作品にはさらにVn.Va.も加わっているようで、より普通な編成で小型のオーケストラといった面持ちです(私は未聴)。このVn.Va.を省くという編成、偶然でしょうが、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」(1930)と同じです・・・1925年に彼らは会っているようですし(写真も残っています)、ニールセンのアドヴァィスあってのことか・・・などと想像もしますが、さて・・・。そう言えば、ストラヴィンスキーのオラトリオ「エディプス王」(1927)などもフランス語の歌詞をあえてラテン語に翻訳して歌わせているのですが、その発想はまさしく、ニールセンの「愛の賛歌」(Op.12,FS21)と同様。デンマーク語の歌詞をラテン語に翻訳したもので作曲している訳です。ニールセンとストラヴィンスキー、なかなかに怪しい関係です・・・よくよく考えれば、管楽器への愛好、アンチ・ロマン派、現代的感覚の中にも古典的な調性感の残存などなど・・・結構、息投合したのかしらん・・・。ストラヴィンスキーの新古典主義の影にニールセンあり!!という説などどんなものでしょう。
 さて、曲は管楽器にほとんど主役が回っています。低弦は冒頭、ギターを模したようなピツィカートで伴奏し、昔のセレナード(恋人の家の窓辺でギターなりマンドリンを片手に愛の歌を歌う。)を彷彿とさせます。最後の部分の行進曲も管楽器中心ですが、フレーズの最後の辺りでいつも弦がごちゃごちゃ動き回る合いの手を入れている辺り、交響曲第4番、第5番の最後のアレグロ部分での発想の萌芽と見てはどうでしょう?ちなみに、交響曲第4番の最初のスケッチを書き始めた頃の作品です。
 また、くつろいだ雰囲気の小品ではありますが、その背後には、結婚生活の危機が迫っていた(BIS,CD−428解説より)とのこと、それがこの風変わりなタイトルに現われているのでしょうか?彼の死後、1942年に出版された隠れた作品ながらも興味深いものと言えましょう。

 弦楽による室内楽から手をひいて、弦と管の混在の編成の作品を経て、とうとう管のみによる室内楽作品が登場します。木管五重奏曲(Op.43,FS100)1922年の作。ハイドンやイベールといった有名作曲家の作品と並んで親しまれているこの木管五重奏曲、木管(ホルンも含めて)奏者なら誰でもご存知のものでしょう。同時期の作品、交響曲第5番での緊張、迫力とは正反対の、くつろいだ、音楽の楽しさを素直に表明したかのような微笑ましいものです。最初期の弦楽五重奏曲の雰囲気はこの作品になお息づいているようですし、弦楽以上に、管楽であることがその雰囲気を強調もしていると思われます。第1楽章の、のんびりとした楽しい語らいのひととき。メヌエットである第2楽章の、ほんわかムードで飾らない素朴な踊り。第3楽章の序奏のみはコーラングレによる嘆き節も聞かれますが、主部はニールセン自身のまとめた賛美歌集からとった主題による変奏曲で、各奏者の名人芸を堪能させるソロも織り交ぜながら楽しく進行します。この変奏曲の世界をさらに推し進めたところに、交響曲第6番の第4楽章の変奏曲がありそうです。
 ちなみに、この作品の作曲の契機は、コペンハーゲン木管五重奏団のメンバーによる、モーツァルトの協奏交響曲(Ob.Cl.Fg.Hr.のための。私は未聴。)の練習に立ち会ってとのこと。確かに、モーツァルト的な軽妙なディベルティメント風な作品と言っても良さそうです。さらに、フィナーレ最後の賛美歌主題の再現は、「Andantino Festivo」との標記です。素朴な賛美歌が美しいハーモニーで、オルガンそして合唱のような柔らかい息づかいをさせながら響き渡る至福の時です。同年生まれの、ニールセンと並び称される北欧の巨匠、シベリウスの晩年の、アンダンテ・フェスティーボ(原曲、弦楽四重奏版は1922年の作)と重なり合うのは偶然の所産でしょうが、それにしても、ヴァイオリニストとして始まった二人の交響曲作曲家の晩年の2つの作品、ここに彼らの因縁と到達点の違いをも象徴的に感じてしまうのは私だけでしょうか・・・・・。

 こう、室内楽曲を時代順に並べることで、同時期の交響曲との関連、比較がとても興味深いものとして浮かび上がるようですし、また、弦楽四重奏の演奏という自身の楽しみから出発して、それが木管楽器に対する興味、愛好へと次第にシフトしていくさまが明瞭に見えてきます。ということで、このMs流曲解もやや含めたオススメ・コーナー、室内楽作品にかなり重点を置いてみた次第です。是非とも、多種多様なニールセンの室内楽ワールド、堪能していただければ幸いです(ピアノ伴奏付き独奏作品は別項にて。まだまだいろいろありますよ。)

 なお、日本語で入手できる文献のみならず、適宜、Simpson著作その他外国文献、輸入CD解説などを参照しております。

多忙な日々の合間を縫って、ニールセンの室内楽に囲まれながらの束の間の至福の時、記す。
(2002.4.6 Ms)

 


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