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Carlめ(軽め)にコラム

第4話 ニールセンの2楽章 

 ニールセンの交響曲第5番を発端に、彼の作品におけるト長調について考えたところですが、またしても5番を聴きつつ私がここで考えておこうと頭によぎったのは、2楽章制という構成についてです。聴き慣れてくると、この2楽章制も違和感なくなってしまっていますが、やはり、不思議な構成ですよね。
 2楽章制と言えば、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタのような、通常あるべき後続楽章を欠いた形の、急−緩の2楽章制が最も単純なものとなるでしょうし、他の例としてはサン・サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、これは、通常の4楽章制を2楽章づつ接続したもの。これらは比較的分かりやすい形なのですが、ニールセンの例はそんなにも単純でなく、独特です。さらに、最近生で聴いた、フルート協奏曲、これもまた独特な2楽章制。それに先立つ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲も2楽章制。この3曲の存在だけでも、
ニールセンに特有な2楽章制、という事実が認められていいのではないでしょうか?4楽章制を基本とする交響曲(弦楽四重奏曲も)、3楽章制を基本とする協奏曲(独奏ソナタも)など多楽章ソナタという分野にあって2楽章制は、やや特異な形と言えましょう。逆に1楽章制ならば、例も多々ありますし、また5楽章制という例も2楽章制に比べれば珍しくはありません。何故、ニールセンが2楽章制にこだわりを見せたのかは当然わかる筈もありませんが、音楽史の中で、このニールセンの特異な例を位置付けてみたいと思った次第です。・・・・またまた大きく出ましたがたいした話もできず・・・・かな。

<1>3楽章制、4楽章制

 ハイドン、モーツァルトの手によって、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、独奏ソナタなどなど、ソナタ形式を用いた楽章を主に第1楽章に配置する器楽ソナタの形式が整備されていった訳だが、バロック時代からの伝統も影響してか、協奏曲や独奏ソナタは3楽章制を基本とし、交響曲、弦楽四重奏曲など新興の形式のものは、メヌエットという舞曲も取り込んで(バロックにおける舞曲を中心とした組曲の発想との類似)4楽章制を基本とするという定型が出来あがっていった(ただ、私自身、古典派音楽、または室内楽も詳しくないので、このように理解することが不適であるのならご教示お願いします。)。

<2>ベートーヴェン、そしてロマン派における楽章数

 それを受け継いだベートーヴェンではあったが、さすが革命児だけあり、様々な実験もしている。交響曲においては、第6番「田園」(1808)における5楽章制が著名なところ。標題音楽的に交響曲を扱ったことで、嵐を描いた楽章を定型に対して余分につけることとなったわけだ。その他、晩年の弦楽四重奏曲などは、5以上の多楽章制をとるものもあり、標題性とは無縁ながらも、楽章自体の巨大化とあわせ、楽章数の増大も新たな傾向として出現する。
 ロマン派を迎え、ベルリオーズが正面きって標題交響曲を作曲した際も、幻想交響曲(1830)において5楽章制を採用した。第3楽章までは古典的な交響曲とほぼ同じ楽章の配置だが、第4楽章「断頭台への行進」からは古典的な枠をはみ出し、標題を全面的に捉えて自由な音楽を展開する。
 一方、標題交響曲でない、絶対音楽の立場をとる交響曲においても5楽章制のものが登場する。シューマン交響曲第3番「ライン」(1850)。これは、緩徐楽章が2つ存在するもので、第4楽章が付加されている形と理解できる。本来、フィナーレの序奏にあたるべき部分(第4,5楽章は主題の循環がある)が巨大化、独立したものであろう。ケルンの大聖堂での儀式に感銘を受けて、どうしても付加したかった部分なのだろう
(挿入された2つ目の緩徐楽章の存在とその後のシューマンの末路とが妙に重なり合ってしまうのは私だけだろうか?余談ながら。)

 といった具合に5楽章制の例がロマン派初期において、標題音楽、絶対音楽ともに登場している。しかし、まだそれを踏襲する交響曲としては有名なものではすぐに現われてはいないようだ(チャイコフスキー交響曲第3番「ポーランド」(1875)という例もありますが・・・あまりに地味な例か)。

 一方、楽章数を減らす例としては、リストの2つの交響曲がある。ダンテ交響曲(1856)の2楽章制、ファウスト交響曲(1857)の3楽章制。標題交響曲として、描写対象と楽章数を一致させたもの。1楽章制を採る「交響詩」の創始者でもあるリストにとって、これらの交響曲も、交響詩的な発想が原点にあったかもしれない。
 絶対音楽としては、先程も触れたサン・サーンス交響曲第3番「オルガン付き」(1886)。これは、2楽章制ながら、4楽章制の定型から大きく外れたものとはなっていないもの。続いて、当作品と同様フランスのもので、同じく主題循環という手法も採用しているフランク交響曲(1888)。3楽章制。これが歴史的に重要だと思われるのは、4楽章制という定型があって、1楽章分削除した3楽章制ではなく、複数楽章を統合して3楽章制とした点であると私は考える。ただ、第2楽章が緩徐楽章とスケルツォ・メヌエット楽章の統合と見る向きもあれば、第1楽章が緩徐楽章を取り込んでいるとする指摘もあるようだが。
 なお、忘れてはならない例として、シューマン交響曲第4番(1851)の1楽章制もある(リストの交響詩、そして1楽章ソナタとの関連性もありそうか)。ただ、主題循環のある4楽章制の作品を連続してアタッカでつないだ形とも取れて、現実には4楽章制との解説もないわけではないが。なかなかにシューマン、3番といい4番といい、当時としては実験精神旺盛な交響曲作家でもあったわけだ。付け加えながら、ベートーヴェンの5番「運命」、6番「田園」での比較的単純な楽章連結の発想(楽章統合に至らない)は、シューマン、メンデルスゾーンの交響曲、協奏曲にもその例がいろいろ見られるもの。

 ロマン派の時代にあって大半の交響曲作家は、4楽章制を堅持していたと思われる(シューベルト、ブルックナー、ブラームス等々。チャイコフスキー、ドヴォルザークは若干の例外はあり。ちなみに、当然ながら未完成作品は考慮しない。)。室内楽まで含めた傾向としては私は語る資格はなさそうだ。ただ、協奏曲も概ね3楽章制堅持のなかで(サン・サーンスやラロ等に例外もあるが)、ブラームスが、ピアノ協奏曲第2番を交響曲に準じて4楽章制で書いていることは、なかなかに野心的な試みで特筆してもよいでしょう。

 さて、19世紀末、先人がさまざまな楽章数に対する実験が行われた結果を受けて、二人の交響曲作家が全く逆の方向に向かって独自な交響曲を打ち立てることとなる。マーラーとシベリウスである。
 マーラーにおいては巨大化。シベリウスにおいては凝縮。楽章数においても、マーラーは5楽章制こそがライフワーク的であるのに対し、シベリウスは、先のフランクの例と同様な、楽章統合を一歩一歩進めてゆき、その結論として交響曲第7番の1楽章制があるわけだ。

<3> マーラーの5楽章

 マーラーの交響曲に特徴的な5楽章制、という指摘は確か諸井誠氏によるものと記憶しているが、確かに、未完成の10番と、「大地の歌」を含めた11曲の交響曲のうち、2,5,7,10番の4曲が5楽章制であり、他の作曲家に比べて、5楽章制をもって彼の特徴の一つとしても問題にはならないと思う(未完の10番については疑義もあろうが)。ただ、第1番「巨人」にしても、当初は5楽章からなる交響詩(1888)、であったわけだし、また第3番の6楽章制なども考慮に入れれば、楽章数の増加は、楽章の巨大化、楽器編成の巨大化と軸を一にして、彼の交響曲の特徴となり得ていると言えよう。
 その5楽章制のあり方もそれぞれで、ワンパターンではない。第2番(1894)においては第4楽章の歌曲が付加されており、第5番(1902)は第1楽章の葬送行進曲が付加されている、と理解しておきましょうか?第7番(1906)は緩徐楽章である「夜曲」が2つ存在し、未完成となった第10番(1911)はスケルツォが2つという計画。
 5楽章制に注目するなら、ベルリオーズとシューマンを継ぐ者としてマーラーが登場した、と考えてみてもなかなかに象徴的なことかもしれない。ベルリオーズのように標題を想定しつつ交響曲を作りながらも結果として標題を外して絶対音楽志向を目指したマーラー。絶対音楽志向でありながら、シューマンのように主観的な表現に偏ってゆくマーラー。などと空想するのだが。この辺りはかなり曲解か。

<4> シベリウスの1楽章

 マーラーが定型的な4楽章制に対して楽章数の増加を進めたのに対して、シベリウスは、その交響曲の到達点である第7番(1924)で、素晴らしい1楽章制交響曲を完成させた。シューマンの交響曲第4番のような4楽章制のアタッカ風な構造でもなく、また、R.シュトラウスの標題交響曲(「家庭交響曲」(1903)、「アルプス交響曲」(1915))としての1楽章制でもなく、4楽章の要素をよどみなく1楽章という形式に融合させた、彼ならではの作品である。
 彼がここに到達するまでに、第2番(1902)におけるアタッカによる第3,4楽章の連結、そして第3番(1907)におけるスケルツォとフィナーレの融合、第5番(1919)における冒頭楽章とスケルツォの融合といった、2つの3楽章制交響曲が存在する。
 19世紀末、交響曲という形式がマンネリに陥る事無く、新たな模索を進める中で、マーラーとシベリウスはそれぞれに楽章構成に関して逆の立場を取る実験を続けた、ということとなろう。

 しかし、シベリウスで是非指摘しなければならないのは、クレルヴォ交響曲(1892)である。これこそ5楽章制。標題交響曲。さらに、声楽付き。シベリウスの後の進路からすれば全くの異端児である。だが、ちょっと待て、ベルリオーズ、シューマンの5楽章制交響曲の後継者としてのマーラーが、交響曲第2番「復活」で登場するのに先んじて、なんとシベリウスが、マーラーの先をゆく音楽史上の大問題作を発表していた、ということになるわけだ(「巨人」の5楽章制交響詩の初版を考慮に入れれば、マーラーの方が少し先になるが)。
 シベリウス、マーラーともに、後期ロマン派の生みの親となる、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーらの新しい音楽、そして、巨大化を遂げていたブルックナーの交響曲といった影響の元、まずは、5楽章制という形式を選んだことは興味深い事実ではある(「クレルヴォ」の存在については、日本シベリウス協会設立15周年記念イベントにおける菅野浩和氏のレクチャーも参考に。
こちらへ。)。

 ・・・といった前提のもと、さぁ我らがニールセンの「楽章」について切り込んでゆきたい。

ニールセンHP1周年企画、ってほどでもないか(2002.5.6 Ms)

 


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