旬のタコいかがですか? ’06 2月

(ショスタコBeachへようこそ!)

 

 

2006年 2月

当HP(交響曲第5番関連)が「レコード芸術」にて紹介

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<2> ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」における「引用」私論2006

<2−6> マーラーと交響曲第4番

 この、延々続く、まだまだ終わりの見えない稚拙な文章は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番に関するもの、であったはずだが、前作第4番に触れた時点で、マーラーは避けて通れない存在であることは論を待たないであろう。そこで、以下においては、ショスタコーヴィチとマーラーの関係を確認しつつ、第4番におけるマーラーからの影響を見た上で、さらに第5番におけるマーラーからの影響なども見てゆきたいと思う。

 とは言え、私は、マーラーに関してあまりに無知である。交響曲でこそとりあえず全部聞いたことがある、といった程度で、その詳細を語るにはあまりに無力だ。いまやマーラーに関する文献も山のようにあるが、それらを逐次確認しているわけでもない。ということで、私の「曲解」など出る幕は極めて限られてこよう。よって、様々な文献からのまさしく「引用」をもって、この項は構成せざるを得ないだろう。

〜 ショスタコーヴィチはマーラーについて何を語っているか 〜

 まず、公式見解的文章ということで、前述の「自伝」から、

 「オペラに関して言いたいことは、現代音楽では声楽のジャンルが非常にひろく普及しているということである。とりわけ声楽交響曲が。これは多分、オーストリアの偉大なグスタフ・マーラーの声楽交響曲から始まったもので、ちなみにマーラーは私の最も好きな作曲家の一人である。」
(自伝P418)

 「偉大なグスタフ・マーラーの音楽が全世界の称賛をはくしている時代に生きうることほどよろこばしいことはない。その天才の力は、音楽芸術を愛するあらゆる人びとを魅了する。まだそれほど昔ではないが、マーラーはなるほどすぐれた指揮者ではあっても、作曲家としてはつまらない、とよくいわれたものである。こういう批評ほど不当なものはない。」
(自伝P424)

 両者ともに、出典は異なるものの、1968年の文章だ。後者は、まさにマーラー自体をテーマとした文章だが、前者は、やや文脈から外れた形でマーラーについて触れ、マーラーへの愛好を傍論的に語っている。
 ちなみに、いわゆる前世紀末のマーラー・ブーム(もう、「ブーム」は過去のものだ。完全にマーラーの作品は定着していますもの・・・それにしても、自分は歴史の証人か・・・という書きぶりだな)の契機として、岩波新書「グスタフ・マーラー」柴田南雄著によれば、1960年の生誕100年におけるベルリンでの主要作品連続演奏、そして1967年の「ヴィーン芸術週間」においてほぼ全作品の演奏が行われたこと、を挙げている(柴田氏著作P6)。
 「これらの機会が」「ブームに拍車をかけたのである。」
とのことだ。
 ちょうど、この時流にのった時期に、ショスタコーヴィチのコメントは出ている。若い頃からマーラーに親しんだ彼としては、世界的にマーラーが演奏されてゆく風潮を、好感をもって見守っていたことだろう・・・ただし、余談だが、先ほどの自伝、P424の続きは、

 「ソヴェトの音楽家、音楽愛好家たちは、マーラーの作品を心から愛している。それらはそのヒューマニズム、その民族性によって近しいものとなっている。」 とあり、さらに

 「マーラーは、人類の最もすぐれた理想を実現するためのたたかいにおいて、永遠にわれわれ、地上における公平な社会の共産主義建設者であるソヴェト人たちとともにあるにちがいない。」 と結ばれる。

 結局のところは、いかにも体制側に立った、政治的な意味をも持った、固い公式見解風なもので、読むとおおいに違和感を感じるものではあるが、少なくとも最初に掲げた部分については、マーラーの音楽に対する愛好を積極的に語った、貴重な文章ではあろう。

 さらに、自伝を見てゆくと、他には、ずっと遡って1938年、ムラヴィンスキーが交響曲第5番を指揮したことに対する感謝のコメントの中に、

 「リスト、ショパン、グスタフ・マーラーその他の大演奏家たちは、第一級の作曲家でもあった。したがってすべての演奏家にとって、作曲をすることは有益だとわたしは思う。そうすることによって、演奏する作品にいっそう行きとどいた理解がもてるようになる。ムラヴィンスキーが音楽院の指揮科だけでなく作曲科をも卒業しているのは喜ばしいことだ。」 

 とあり(P86)、1938年の段階で、マーラーを第一級の作曲家と位置付けているあたり、若い時からのマーラーへの意識の高さを物語るものと推測されよう。作曲家マーラーを、リスト、ショパンと並ぶ存在として当時、世界中捜してどれだけの人が認識していただろう?

(2006.5.3 Ms)

〜 さらに、ショスタコーヴィチとマーラーの関係を追跡すると・・・ 〜

 ここで、自伝以外をひも解こう。まず、前述のファーイ著作からマーラーとの関わりを示唆する部分を抜書きすれば、

 「マーラーの音楽を探究するようになったのは、ソレルチンスキーとの交際により生まれた、実りある成果のひとつにすぎない。」(P66)

 これは1927年春から芽生えたソレルチンスキーとの友情について語られた箇所での記述である。いわゆる「バッハからオッフェンバッハまで」幅広い音楽に対する興味を広げるのに貢献してくれた友人である。

 続いて1933年10月15日のピアノ協奏曲第1番の初演に絡んでの記述で、恩師シテインベルクの、当該作品に対する衝撃として、

 「なぜなら耳障りであるだけでなく、ベートーヴェン作品の編曲、及びハイドン、マーラー作品からの抜粋から、生きのいいオデッサ民謡や底流を成すジャズやミュージックホールの音楽に至るまで、不遜にもさまざまな様式が寄せ集められていたからであった。」とある(P101)。

 ここで言う「マーラー作品からの抜粋」の詳細は不明だが、世俗的な音楽素材の引用が極めて顕著に見られるこのピアノ協奏曲の背景にマーラーの作品が存在していることは想像できそうだ。マーラーの第1番の第3楽章における民謡の引用を改めて持ち出すまでもなく、マーラーの音楽の特徴を、ショスタコーヴィチも応用しようと試みた最初の例だろうか。
 ただし、ロシアにおいては、国民楽派の手法として民謡の引用は昔からあったわけで(ロシア五人組はもちろん、西欧派のチャイコフスキーも、有名な交響曲第4番のフィナーレを始め、初期の交響曲に例はある。)、民謡の引用自体が即マーラー的とも断定できないだろうが、マーラーにせよ、ショスタコーヴィチにせよ、民族の個性を芸術音楽に刻印させるべくした引用とは違う次元のものとして見るのが適当と思う。
 マーラーにおいては、「「崇高な」芸術音楽/「軽薄な」民俗音楽というヒエラルヒー(序列)に対する挑戦」 (村井翔著「作曲家◎人と作品 マーラー」音楽之友社刊(P18))という捉え方が参考となろう。
 ショスタコーヴィチにおいても、初期の映画音楽、舞台音楽で通俗的な娯楽音楽の要素は様々に使用しており、その経験が徐々に、高尚なる(高尚なるイメージで語られるべき)芸術音楽、それも絶対音楽たる協奏曲、そして交響曲へと広がっていったと想像する。

 ファーイ著作による、その次のマーラー関連の箇所はずばり、交響曲第4番に関するものである。

 「交響曲第4番を聴くと、ショスタコーヴィチがベートーヴェン後の交響曲の伝統、とくにマーラーの音楽に、異端者としてであれ強く惹き付けられていたことが分かる。」(P125)

 この論点はまた、第4番とマーラーとの具体的な関係ということで後で触れよう。この後も、ファーイ著作においては、例えば1953年6月の、文化代表団としてのオーストリア派遣に関連して、

 「もっとも早い時期から自分に最大の影響を及ぼしてきたオーストリアの作曲家はグスタフ・マーラーであると、仲間の一人の打ち明けた。」(P233)

 という記述もあるので補足しておこう。その他、ファーイ著作においては、交響曲第5番、第10番に関連してマーラーの名が現われる箇所もあるがここでは割愛しておく。

 

 また、前述の千葉氏著作からマーラー関連の記述を拾ってみると、1935年2月のソヴィエトの交響楽討論会でのショスタコーヴィチの主張として、

 「かつての自分のように、プロパガンダ的な歌詞を交響曲の内容とすりかえる安易な手法をやめ、形式主義の批判を恐れずに純粋に音楽的な手段によって内容を追求しようと呼びかけ、そのために西側の交響楽をより真剣に研究することを提案している。」

という点が紹介され、さらに、続いて、西側の交響曲の研究という提案に絡めて、

 「同じ会議でソレルチンスキイは、資本主義の危険を克服したソヴィエト音楽こそが、いまや衰退期にある西洋ブルジョア交響楽を、継承発展できる歴史的立場にある、というマルクス主義的な音楽観を主張し、最後のブルジョア交響曲作家マーラーこそが、もっともソ連の作曲家に近い存在だと指摘した。」

 そして、この討論の後、作曲された交響曲第4番は、

 「絶対交響曲の形式に民謡や通俗音楽の様式を並存した独特の音楽語法、それに随所に見られる引用のようなパッセージは、マーラーの影響なしには考えられない。」という訳だ。(以上P74)

 まさしくマーラーにおける「崇高な悲劇性と軽薄な娯楽性の併置」(前述の村井氏著作「マーラー」P194。マーラーの交響曲第1番第3楽章に関する解説)を想起させる。さらに、マーラーとの関連について、より具体的に作品を挙げたものとしては、

 「同僚のフィンケルシュタインの回想によると、交響曲の作曲中、ピアノの譜面台には、終始、マーラーの第七番の楽譜が載っていたという。また、このころのものと推定される、マーラーの第三番からの抜書きも残されている。」(P189)

 と、いろいろ見て来たところで、次は、具体的に、交響曲第4番における、マーラーの痕跡を探究してゆこう。 

(なお、補足として、前述ヴォルコフの「証言」中公文庫においても、P75、P83にマーラーへの愛好が、P131にマーラーの交響曲をピアノで再現した逸話が記録されているので、付記しておく。)

(2006.5.4 Ms)

〜 交響曲第4番におけるマーラーの影響 〜

 このテーマで私が新たに書くべきことは、ほぼないだろう。様々な場所で様々な指摘がされているでしょうから、簡単に私の知り得る限りで列挙していきましょう。一般的な事項と思われる点については、あえて、出典は明らかにしません。

 まずは、外面的な事柄で、

@ 巨大なオーケストラの編成
A 長大な演奏時間

 これらはまず目に付く。が、先を急いで、その他の点として、音楽素材の共通点や、引用と見られる箇所で重要だと思われる点を挙げてゆこう。

B 第1楽章における4度音程の「カッコウ」
 マーラーの全交響曲の開始を告げる4度の下行音程(A−E)。この音程が、「カッコウ」の鳴き声の模倣となって、第1番第1楽章冒頭で繰り返される。マーラーの音楽を特徴付けるあまりに有名な発想の部分である。
 また、この4度の音程から、第1楽章の主題(62小節目以降。「さすらう若人の歌」第2曲の引用。D−A−D−E−Fis−G−A)は誕生し、その後もホルンのファンファーレ(208小節目以降。A−D−A−A−D)、その他にも、ティンパニの乱打等々、4度下行は強調されている。また、後続楽章も同様。さらには、他の交響曲においても、4度音程は重要な位置を占めていよう。
 ショスタコーヴィチの第4番第1楽章においても、374小節目以降、「カッコウ」動機は現われる。この2音のみが単独で木管楽器により奏されるのだ。露骨なまでの完全引用、と言えよう。しかし、ショスタコーヴィチにおいては、この「カッコウ」は、4度音程を崩壊させた形で、446小節目以降、グロテスクな変容を見せており、マーラーの単純な模倣にとどまらず、パロディ的にもあつかわれている。また、第1楽章の終結は、コーラングレに、この4度の「カッコウ」が託される。

C 第2楽章のレントラー的楽想
 マーラーの第2番第3楽章と同様に、速くない3/8拍子で、うつろなムードな弦楽器が16分音符の続く旋律を紡いでゆく。ただし、旋律線自体の共通性は、順次進行が目立つというくらいで、引用と言うよりは、借用と言うべきか。

D 第3楽章冒頭の葬送行進曲
 マーラーの第1番第3楽章と同様に、ティンパニの歩みにのって葬送行進曲が開始される。マーラーにおいては、@と同じく4度音程。対するショスタコーヴィチは、増4度で屈折した雰囲気を醸し出す。楽章冒頭に露骨にこれを持って来たあたり、マーラーからの借用とみてよいだろう。
 また、その葬送行進曲の歌い出しの3音(2小節目以降。C−D−Es)が、マーラーの第5番第1楽章(練習番号2。Cis−Dis−E)との類似を指摘している文章を見た記憶がある。その3音だけで、即引用と断定はできないとは思うが気に留めておいても良いかとは思う。マーラーの絶大な影響下で、無意識のうちに似たものを書く場合もあるだろう。

E 第3楽章後半の勝利の凱歌を導き出す低弦の動き
 マーラーの第2番第3楽章の最後(練習番号51の3小節目)に一瞬現われ、さらに第5楽章冒頭(練習番号2以降)になって繰り返し聞かれる、C−H−C−G−A−Hという低弦の旋律線は、ショスタコーヴィチの第4番第3楽章968小節目以降ほぼ同じ音型で、それも低弦に出現し、結局は995小節目以降、まさにマーラーと同じ音高に収斂してゆく。8小節にわたり、わざわざ、マーラーからの引用だと、わかって欲しいように書かれているかのようだ。完全引用と見て良いのではないか(参考に、マーラーの第1番第2楽章108小節目以降も、音高は違うものの同様の音型が低弦にある点も留意)。
 個人的には、ショスタコーヴィチの該当箇所を聴くと、マーラーの「復活」第5楽章がよぎり、「復活」へ向けた新たな胎動、期待感が高まる効果を感じている。ショスタコーヴィチにおいても、この引用箇所を通り抜けて、最後のハ長調の凱歌が産み出されるわけだ。しかし、マーラーの「復活」のような終結は最後に訪れないのだが・・・。「復活」を知る人間に、肩透かしを食らわせているようにも思えてしまうのだが。
 ちなみに個人的には、不勉強なため、この指摘は他の文献で拝見した記憶がないもの。

F 第3楽章終結部の葬送行進曲再現
 マーラーの第7番第1楽章冒頭の、テノール・ホルンのソロ(2小節目)及び続く木管楽器の応答(9小節目)の反映が、ショスタコーヴィチの第4番第3楽章1167小節目以降のホルンに感じられる。管弦楽法上も、類似の音色を使用しているので気付きやすい部分と思う。
 テノール・ホルンの最初3音の下行(Fis−D−Gis)を反行させると、ショスタコーヴィチのホルン・ソロの冒頭3音(G−C−Fis)と類似している。ただ音程関係は完全には一致しないので、より類似を求めるのなら、マーラーにおけるテノール・ホルンの歌い出し3音を変化させたと思われるトランペットの音型(48、49小節目。B−E−H)とを比べれば、より分かりやすいだろう(4度と増4度の音程の積み重ねを上に向かうか、下へ向かうかだけの相違となっており、この部分の不完全引用と思える。)。

 なお、ショスタコーヴィチのこのホルン主題自体は、楽章冒頭74小節目以降のコーラングレの旋律に由来するが、その時点では、4度と増4度の音程こそ一致するものの、後続の旋律のリズムはマーラーとの類似を思わせない。しかし、楽章終結部での再現においては、リズムが変化し、マーラーの例(木管楽器)に近く、引っ掛けたリズムになって、共通性を認識させている。ただ、音程関係を細かく見れば相違もあり、完全な引用元の特定はできず、不完全引用と見てどうだろう。
 ちなみに個人的には、不勉強なため、この指摘も他の文献で拝見した記憶がないもの。

G 第3楽章終結部の、短調を印象付ける第3音の半音下行
 マーラーの第6番「悲劇的」の示導和音(イ長調主和音とイ短調主和音の連結)における、第3音、Cis→Cという半音下行と同様に、ショスタコーヴィチの第4番第3楽章1197小節目以降にも、Fes(E)→Esという半音下行が見られる。こちらは、主和音同士の連結ではないが、短調主和音に解決する点では共通し、前述のOttaway著作P32でも、
 「楽章の終りに向かって、<運命的>イメージの長3度が短3度に沈み込むあたり(練習番号249)、重荷を背負った情景にマーラーの第6交響曲が重なってしまう(後略)
との指摘があるもの。引用と呼ぶにはあまりに小さ過ぎる共通項ではあるものの、短調主和音を強調させる発想として、マーラーから借用したとは言えそうだ。

(2006.5.10 Ms)

 さらに、楽想の類似以外の、主に構成的は観点からの指摘としては、

H 第1楽章における、ソナタ形式の応用・破壊
 ・・・とでも名付ければ良いのか・・・この辺りは専門家にお任せしたいところだが・・・楽章の構成として、ソナタ形式を応用しながらも、単純な、古典的な、提示−展開−再現、という3部構成からかなり逸脱した形式感をもって、提示しながらも展開、さらに再現も全く同一の姿で再現しない、といったマーラーの特徴が、ショスタコーヴィチにおいてもこの第4番第1楽章では踏襲されているのではないか。
 ショスタコーヴィチにおいては、第1番は卒業制作として、比較的(第4番と比較するなら)、形式としては穏健に書かれているとは思うが、第2、3番はソナタという形式自体を取り入れず無視している。第4番は、一応ソナタ形式的な構成を大雑把に押さえつつ、マーラー的な奔放なソナタ形式のあつかいに則って構成した、と見られるのではないか。

I 第3楽章における、葬送的楽想と通俗的楽想の交錯
 ショスタコーヴィチの交響曲第4番第3楽章は大きく4部に分かれ、第1部が葬送行進曲、第2部がスケルツォ、第3部が通俗的楽想の無秩序な連鎖(前述の全音スコアの解説では「市場風組曲」と名称されている。)、第4部が勝利の凱歌と葬送行進曲の回帰、と分析できるだろうが、この、古典的な構成感からするなら支離滅裂な感も強い形式感、この発想は、やはりマーラーの存在を感じざるを得ない。
 個人的には、前述の千葉氏著作P189の、同僚フィンケルシュタインの回想に引きずられて、葬送的楽想と通俗的楽想の交錯が、マーラーの第3番第1楽章を思い起こさせる(マーラーにおいては、第1番第3楽章に始まり、葬送行進曲の楽章の例は多いが、同一楽章において葬送の雰囲気を忘却させるほどに通俗的な馬鹿騒ぎを展開させる最も顕著な例として第3番をイメージしてしまう。また、トロンボーンのソロが活躍するという共通点も見出せよう・・・ただし、その使い方は全く正反対なほど性格的には異なっている・・・)。

J 第3楽章の唐突な勝利の凱歌
 Iでも触れた、ショスタコーヴィチの交響曲第4番第3楽章における、4部からなる構成のうち、第4部に関する指摘である。この、第4部冒頭の勝利の凱歌は、楽曲の推移からみて必然性を感じさせるものかどうか?
 これは多分に個人的な感想の域をでない事とは思うが、ベートーヴェンの「運命」「第九」に見られる周到な準備、そこに至るプロセスを経て「歓喜」がやって来る、といった類のものとは明らかに相違していないか。よって、この作り物の「歓喜」は葬送行進曲に取って代わられてしまうのではないか。
 この、脆弱な「歓喜」をマーラーにも認めるとするなら、彼の第7番のフィナーレを私は思い起こす。
 第7番のフィナーレについて、ここで深く立ち入ることはしないが、前述の村井氏著作「マーラー」P240以降に大変面白い指摘があり、そのほんの一部だが抜書きすると、

 「第一、第二、第三あるいは第五交響曲のように「苦難」から「栄光」への道筋、そのしかるべき手順が踏まれていないために、聴き手はこの唐突なハッピーエンドにどう対処したらよいかわからず、とまどってしまうのだ。」

 「終楽章の「栄光」は、
「あまりに手近」に手に入ってしまうために、逆に「書き割りの空」、つまり偽物だということがばれてしまう(後略)」

 「理性が人類を幸福な未来へ導いていってくれることがまだオプティミスティックに信じられていた百年前ならいざ知らず、マーラーが第7交響曲を作曲した二十世紀初頭は、
啓蒙主義のこうしたプロジェクトの破綻が誰の目にも明らかになった時代だった。」

 「マーラーがしたことは、交響曲という「伝統の形式」の命ずるところに従って、ハッピーエンドを作り続けることは1905年という時点においては、もはや
茶番でしかないという内部告発であった。」

 これらの、第7番終楽章の解説を、そのまま、ショスタコーヴィチの第4番終楽章の第4部に掲げても何ら違和感はないのではないか。
 想像するに、ショスタコーヴィチは、マーラーの第7番のフィナーレの「書き割りの空」、必然性のない唐突な勝利の凱歌をさらに徹底して陳腐に書きあげ、それが「書き割り」だとして、剥がしさって、その裏にあるものまでも、明確に表現してみせた、とは言えないか。そして、その裏にあるのは、葬送行進曲の象徴される「死」であり、その点は、Gでも指摘したマーラーの第6番「悲劇的」の象徴を持ち出す事で、より強固な主張になっているだろう。
 蛇足ながら、剥がされた「書き割りの空」は、この世の楽園たる共産主義国家の幸福、ということか。

 さて、この楽曲全体の結び方、については、ショスタコーヴィチは終生、体制との関係において、悩みの種となったと想像する。
 体制側の欲する「楽天的フィナーレ」を採用するか、しないのか?
 採用したとして、どう書くか?
 第4番の撤回後、第5番をも含めて、ほとんど第10番まで全ての交響曲に付きまとった問題である。「フィナーレが弱い」という批判である。

 とした時に、この第4番の結びこそ、ショスタコーヴィチの最も素直な告白、かつ危険な告白、いや、「告発」ではなかったか。
 
 あえて前述の村井氏著作を真似て書けば、
 「指導部の執拗な説得に従って、ハッピーエンドを作ることは、1935年という時点においては、もはや茶番でしかないという内部告発」こそ、この第4番の結びではなかろうか?

 そして、この第4番の結びこそ、ショスタコーヴィチのマーラー研究の成果の最も重要なポイントを含んでいる部分ではなかったか?
 Iで触れた、第3番第1楽章葬送と通俗の交錯
 そして、その結論としての、Jで触れた、第7番のフィナーレ唐突な歓喜
 さらに、その唐突さ、非論理性、必然の不存在ゆえの、葬送の回帰。続いて、Gで触れた、第6番「悲劇的」の象徴の出現。
 そして、これらが必然的に導くのが、文字どおりの「悲劇的」終焉・・・・・・。


 本筋からやや離れてしまったが、第4番あってこその第5番、という視点から、第5番を解く鍵を探すことも含め、少々長々と第4番の考察をしてきました。

 この第4番において、ソレルチンスキーの影響下で、マーラーを継ぐ者としての自覚がそうさせたのか、あまりにも多くの、マーラーからの引用、借用を行ったショスタコーヴィチの姿が見えてくる。
 ただ、数えたらきりのないほどのマーラーの痕跡が認められるなかで、最後に触れた、GIJの指摘こそは、我が論考において、かなり強調しておきたいところだ。

 さて、第4番でマーラーからの多大な影響を表明した彼が、第4番の初演を閉ざされ、次に書く第5番において、そのマーラーからの呪縛を解いたのか、さらにマーラー漬けであり続けたのか、次の項で考えてゆこう。

(2006.5.21 Ms)

 

<2−7> マーラーと交響曲第5番

 交響曲第4番において、強烈なほどに「ポスト・マーラー」を意識していたショスタコーヴィチだが、その「ポスト・マーラー」たるスタンスを第5番においては、あきらめたのか、そうでないのか。前項の、第4番とマーラーとの関係を基に洗いだして見よう。

〜 第5番において放棄したマーラー的要素 〜

 まず、@Aについては、放棄したと見なせるだろう。
 オーケストラの編成については、第4番のような巨大さからは縮小。演奏時間も1時間超から45分程度に短縮。

 そして、葬送行進曲的楽想も姿を消した。つまりDIも放棄された要素である。
 ただし、Fに掲げた旋律についてはどうだろう。
 <2−5>@でも触れたように、第5番第1楽章3小節目のヴァイオリンの旋律線が、第4番第3楽章1171小節目以降のホルンの旋律の不完全引用だとするなら、この第4番の例の引用元こそ、マーラーの第7番第1楽章9小節目にあり、結果として、第5番においてもマーラーからの引用が認められることとなる。ただし、ここで共通する付点8分音符と2つの32分音符の組み合わせによるリズムは、第4番では採用されず、第5番でマーラーの例と完全に一致する形として現われている点に注意しよう。より、マーラーの第7番からの引用であることを明確に示していると言えるかもしれないのだ。
 また、このリズムは、<2−2>Aでも触れたように、「バロック風」な特徴を持つもので、前述の村井氏著作「マーラー」P244においても、交響曲第7番第1楽章の解説で、「バロック時代の荘重なフランス風序曲をも思い出させる」との指摘があるもの。
 マーラー、ショスタコーヴィチそれぞれが、バロック音楽からインスパイアされて、交響曲の冒頭に偶然、この特徴あるリズムを置き、重要な主題としてその楽章において充分展開している、とも考えられるが、果たして、ショスタコーヴィチがマーラーからの引用という意識を持ってこの部分を書いたのかどうなのか、断定的なことは言えないが、<2−2>Aで言う「古典重視の姿勢」を冒頭で目立つように掲げつつも、同時に、マーラーからの影響も未練がましく残した可能性がある、という程度には言わせていただけないだろうか。
 結論として、葬送行進曲は放棄されつつも、そこに含まれたFの旋律線は引き続き第5番でも採用された、というわけか。

 その他、放棄された要素、と言うより、第5番においては引用が使用されなかった旋律線、発想という点では、EGは、ここに挙げておくべきだろう(「復活」への胎動を予告するリズム、そして、「悲劇的」の示導和音)。

 ということで、今、挙げた以外は放棄されず、第5番でも活用されたマーラーからの影響、ということで話を進めてゆきたい。つまり、残った項目は、

B 4度音程
C レントラー
F バロックのフランス風序曲のリズム
H ソナタ形式の応用・破壊
J 唐突な勝利

 ということになる。・・・うーむ、いろいろ問題がありそうだ。特にJについては聴く側の感覚次第でどうとでも言えそうな要素ではあろう。が、とにかく、一つづつ検討を加えたい。

(2006.5.28 Ms)

〜 第5番においても採用されたマーラー的要素 〜

 まず、問題のなさそうな項目からつぶしてゆこう。

「バロックのフランス風序曲のリズム」

 Fについては前項において述べた通り。第5番においては、リズムに関して、第4番よりもマーラーとの一致の度合いが高まったもの。
あと4項目については、いづれも重要な論点であり、やや丁寧に見てゆきたい。

「4度音程」

 まず、Bの指摘について。
 第4番においては、マーラーから「カッコウ」動機が露骨に引用されているが、そうした、言わば安易な手法は第5番においては放棄されている。
 しかし、4度音程自体は、第5番において中心的な音程として充分に活用されており、第4番における表層的な「カッコウ」の引用以上に、本質的な意味においてマーラー的と言えないだろうか。

 最も分かりやすい例として、マーラーの第1番においては、冒頭に示された4度音程は、「カッコウ」としても活用されると同時に、第1楽章の主要主題を産み出す基ともなり、のみならず、第2、3楽章においても、特に、冒頭で単独で明確に繰り返し提示され、その4度音程の上に主題が歌われてゆく。

 翻ってショスタコーヴィチの第5番を見てみれば、第1楽章の序的な主題提示の後、4小節目の後半から、低弦そしてヴィオラが、カノンにより4度音程を伴奏として響かせる。そして、その4度音程は、展開部の最中、188小節目から、ティンパニ等の行進リズムに乗って現われ、それ以降も、再現部の243小節目以降、そして、コーダの313小節目以降、全てティンパニ主導で聞かれるわけだ。
 そして、第4楽章冒頭においても、そのティンパニの完全なソロにより4度音程が打ち鳴らされ、そのAとDの音が交互に鳴るその上に重なる形で、金管の主題は、A−D−E−Fと歌い出される。この金管の主題は第4楽章通じて何度も繰り返され、コーダにおいても長調で高らかに吹奏されると同時に、ティンパニにおいても、くどい程に叩き付けられる。

 ただ、これらのティンパニの4度音程について言えば、実は、古典的な常套句、である。そもそも、バロック音楽以前のいにしえの時代より、2台のティンパニの調律方法は、主調の主音と属音ということになっていて、つまりは、2台のティンパニの音程関係は、4度か5度のどちらかであった。
 ちなみに、その常套的な調律方法に革新を加えたのはベートーヴェンで、第8番や「第九」に聞かれるオクターブの調律は、効果的であり印象的である。
 ベートーヴェン以降、ティンパニの調律は、4、5度音程に限ったものではなくなるが、それでも、マーラーは4度音程が余程お気に召していたのか、各交響曲で、さかんに目立つ部分で4度音程をティンパニに託し、その2音を交互に叩かせている。第1番第1楽章の最後、第3楽章の冒頭。第2番第3楽章の冒頭。第3番第6楽章の最後等々、挙げてゆけばきりがない。その中でも、第1番、第3番は、ニ長調における使用法で、DとAの2音はまさに、ショスタコーヴィチの第5番と同じ音であることに留意したい。特に第3番は、楽曲の終止部分で、ティンパニにDとAの4度音程を託し、ショスタコーヴィチの第5番との関連性が想起されやすい。先ほど引用した千葉氏著作にもマーラーの第3番に関するものがあった。・・・「同僚のフィンケルシュタインの回想によると、交響曲の作曲中、ピアノの譜面台には、終始、マーラーの第七番の楽譜が載っていたという。また、このころのものと推定される、マーラーの第三番からの抜書きも残されている。」(P189)
 そして、この4度音程のティンパニ自体、特にソロで、主音・属音を交互に響かせるなら、マーラーを確実に想起させるものと思えないだろうか。ショスタコーヴィチにとってみれば、古典的であることを示しつつも(ショスタコーヴィチの第1番第4楽章における旋律的なティンパニの使用法に比較して何と退行したことか)ポスト・マーラーである主張をも同時に想起させる、カッコウならぬ格好の音素材ということで、第5番において盛んに活用したのではないかと想像したりもする。マーラーからの発想の借用、と考えてどうだろう。

 さらに、余談ながら、ショスタコーヴィチの交響曲において、再び4度音程のティンパニを活躍させているのが第12番の最後。
 しかし、基本的には第5番以降、第6番第1楽章、第7番第4楽章、第8番第3楽章(ここでの例は、あまり旋律的ではないかもしれないが)、第10番第4楽章、第11番第2楽章、第15番第4楽章等々、3台ないし4台のティンパニを旋律的にあつかって目立せる手法が復活しており、第5番の4度音程の多用は、交響曲の全体像から捉えなおせば、本来のショスタコーヴィチらしからぬ側面とも言えるかもしれない。

(2006.6.2 Ms)
補筆(2007.2.18 Ms)

『余録』

 もう一点、4度音程絡みで続けますと、第5番第4楽章冒頭の金管の主題、A−D−E−Fについては項を改めて触れる事とするが、この、アウフタクト、そして小節の頭、の2音における、A→Dという音の動き自体に注目して、これもまた、マーラー的なる象徴事例かも、という仮説も述べておきたい。これこそ、さらに曲解率の高いものであり、読み飛ばしていただいて構わない部分ではあります・・・。

 そもそも、マーラーにおける4度音程については、前述の柴田氏著作「グスタフ・マーラー」P46以降で詳しく触れられており、「西欧以前、あるいは非西欧世界への親近性」を感じさせ、また、バルトークやコダーイにおける、西欧化していないマジャール系農民の音楽における4度音程の重要性についても述べられている(参考までに、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」第1楽章における4度音程の重要性については、一つの例になるだろう。)。
 マーラー音楽における4度音程へのこだわり、は西欧よりも東欧に近いロシアのショスタコーヴィチにおいても、感ずるところがあったかもしれない。・・・これは根拠薄弱な邪推・・・。
 それを踏まえて、マーラーの作品をざっと見渡すと、4度音程を含む主要主題が多数あるなかでも、ショスタコーヴィチのこの事例と同様に、アウフタクトと次の小節の頭に4度音程(属音→主音)を持つ旋律線が思いの他多いことに気がつく。
 全てのスコアを検証するのも大変なので、交響曲の主要主題のみを、長木誠司氏著「グスタフ・マーラー全作品解説辞典」 立風書房刊 に掲げられた譜例を中心にして参考に拾ってゆくと、主なものだけでも、
 
 第1番
  第1楽章、ホルンのファンファーレ(208小節)。
  第2楽章、冒頭のスケルツォ主題(8小節)。
  第3楽章、冒頭の葬送行進曲のオーボエによるオブリガート(19小節)。 
  もちろん、第4楽章のコーダ、ホルンの立奏部分の手前からも(652小節)
  さらには、初稿「花の章」の冒頭トランペット。

 第2番
  第1楽章、木管による下行旋律(26小節)。ただし、冒頭、低弦の旋律にも多数4度音程の強調部分あり(5小節目以降)。
  第3楽章、トリオにおけるニ長調の部分の金管と木管の掛けあい各々(練習番号37以降)。

 第3番
  第1楽章、まさに冒頭のホルン主題。
  第2楽章、冒頭はじめメヌエット、トリオの各主題(練習番号3、4)。
  第5楽章、冒頭、木管の歌い出し。
  第6楽章、冒頭のヴァイオリン主題。

 第5番
  第5楽章、冒頭のファゴット(4小節)。チェロによるフーガ主題(55小節)

 第7番
  第2楽章、冒頭のホルン主題。もちろん、主部の主題も同様(練習番号72)。
  第4楽章、冒頭のホルン主題(練習番号175)。
  第5楽章、冒頭の金管(トランペット及びホルン)(6小節)。

 これらは、各楽章の主要主題であり、つまりはその楽章においては多少の変容は伴いつつも、何度も何度も、登場してくるはずである。マーラーにとっての4度音程へのこだわりの一端が良く示されてはいないか。特に、第1、3、7番においては、複数楽章においてアウフタクトで始まる4度音程(属音→主音)が散見され、特に楽章冒頭の主要主題にこれらの共通パターンが多数仕込まれており、見逃すことが出来ない一大特徴となってはいないだろうか?全曲を統一する最重要な要素と言って過言ではなかろう。

 そして、このようなマーラーの常套的旋律が、意識的または無意識のうちにショスタコーヴィチに入りこんで、彼自身の第5番の冒頭の旋律へと転化していった、などという可能性は果たしてあったのか、なかったのか。この2音をもって、マーラーと関連づけて良いものかどうか・・・これまた、邪推、であり、曲解の域を出ないだろう、と思いつつ、意外にショスタコーヴィチの本心を突いたかしら、との気がしないでもない・・・。ここまで、沢山の事例を目の前にすると、単なる偶然だろう、とは片付けたくない。
 こういったマーラーとの旋律線の一致については、A−Dの2音のみならず、A−D−E−F(またはFis)の4音に拡大して見比べても、意外に多くマーラーに見られるので、またおって独立した項目をたてて探究したい。

(2006.6.4 Ms)

「レントラー」

 続いてCの指摘について。もちろん、第5番第2楽章についてである。
 第4番においては、あからさまにマーラーの第2番第3楽章を思わせていたが、第5番においてはどうだろう。私自身はさほど、マーラー的と受け取っていなかったが、様々な文献を見てゆくと、この楽章からマーラーを聴き取る方々が多いようだ。

 まず、同じロシアの作曲家ミャスコフスキーのコメント。前述のファーイ著作P137によれば、
「モスクワ初演に向けたリハーサルを何度か見たミャスコフスキーは日記にこう記している。「(前略)第二楽章は(メヌエット、レントラーの特徴が)マーラーの焼き直し。」」とある。
 
 また、前述の井上氏著作P73においても、
「彼のこれまでの曲の多くのものとちがって、自然な情緒をもち気どりのないこの楽章は、ワルツまたはレンドラー舞曲の交響曲化である((中略)むしろマーラーのスタイルによる交響曲化である。)。」とマーラーに言及している。

 具体的にどの部分が、という指摘があるものはなかなか見当たらないのだが、前述の千葉氏著作P192においては、
中間部は、シューベルト=マーラー風のレントラーである。」との指摘がある。

 個人的なこじつけで指摘をするなら、低弦で始まる冒頭部分は、マーラーの第1番第2楽章冒頭と発想が似ていると言えなくもないだろうし、14小節目の木管のユニゾンなどは、マーラーでよく聴かれる響きでもあり(ショスタコーヴィチにおいてはすぐさまEsクラリネット独奏に移ってしまうが)、45小節目以降の旋律の付点リズムの連続はマーラーの第6番のスケルツォ楽章の主題と同様のリズム感であり、さらに、その部分の弦の伴奏の2,3拍のEs−Dという動きは、同じハ短調の、マーラーの第2番第3楽章でも繰り返し聴かれるもの・・・・と、細かく見てゆけば共通点は見出せ、その様々な積み重ねが、マーラー的な印象を持たせるのだろうか。
 ただ、今あげた4点、それぞれ一つだけに気付いても、マーラー的とまで思えないかもしれないが、マーラーの各交響曲を隅々まで聴いている方々なら、マーラーの真似じゃないか、と思わせる箇所がひっきりなしに、またかまたかと登場するわけで、「マーラー風」と感じることになるということか。

 さらに一点、この楽章がAllegrettoの3/4拍子であることは注目しておこう。
 実は、ショスタコーヴィチが、天性からのスケルツォ書きの名人であることは断言できるだろう・・・作品1さらに作品7といった10代の頃から、単独で「スケルツォ」という名の管弦楽曲を書き、交響曲第1番においても第2楽章は、個性的なスケルツォ楽章で彼の独自性を発揮したものとなっている。初演時にスケルツォがアンコールされてもいることからも察することができようが、独創的で魅力あるスケルツォと私も考える。
 そして、注目すべきは、それら全てが2拍子、もしくは4拍子で書かれており(主部についての指摘。トリオ・中間部は3拍子のパターンはある。)、ベートーヴェンや、ブルックナー、マーラーにおけるスケルツォ楽章が、基本的には、伝統的なメヌエットの残滓たる3拍子を採っているのとは違っており、ショスタコーヴィチも第5番以降においても、2、4拍子系のスケルツォ楽章を好んで書いている(交響曲なら、7、8、10、13、15番を挙げておこう)。3拍子系のスケルツォももちろんあるが(交響曲なら、6、9番)、大抵は急速な3拍子で、1小節を1拍とカウントするものである。
 そんな中、自らの個性たるスケルツォの様式から一旦離れて、第4番では、Moderato con motoのあまり速くない3拍子を採用し、レントラーへの接近を感じさせているが、ショスタコーヴィチの全スケルツォ楽章の比較のうえでは、その第4番の路線の延長線上で第5番も捉えることができよう。
 スケルツォ書きの大家ショスタコーヴィチにおいて、人生で最もマーラー風なスケルツォ楽章に接近したのが、第4番、そして第5番もその範疇で捉えられることは意識しておいて良いのではないか。

(2006.6.12 Ms)

『余録』

 余録続きとなってしまうが、この第2楽章に関連して、N響のヴァイオリニスト永峰高志氏の指摘を偶然、とある文献で見つけたので紹介させていただきましょう。
 「弦楽専門誌 ストリング 2000年5月号」レッスンの友社刊の、「新・オーケストラの聴かせどころ」という連載から、クイズとして、まさに今回の私の視点と同じく「第5番の第2楽章でマーラーから影響を受けたという事がよく判る箇所」がどこか?というものがあります。

 回答としては、ショスタコーヴィチ第5番第2楽章は、マーラーの第9番第2楽章を参考にしている、というもので、具体的に、ショスタコーヴィチの冒頭、低弦の主題に対しては、マーラーの第2楽章90小節目以降(TempoUの箇所)が、そして、ショスタコーヴィチの中間部、ヴァイオリンのソロに対しては、マーラーの第2楽章の49小節目以降が楽譜を用いて対比されています。

 永峰氏曰く、「こうして譜面を見比べるとたいして似ていると思わないかもしれませんが、実際に演奏していると響きやテイストが全く違うこの2曲の中で妙に同じ匂いがするというか、お互い引き合う所がこれらの場所です。他にもこのような所は何箇所もあります。(正解も!)」。

 私個人としては全く気がつかなかった点であり、音程、リズムの一致による音符の同一性という観点からの私の「引用論」とは違う視点からの指摘ですが、日々楽譜と付きあっているプロのプレイヤーの目、もしくは耳も、おおいに参考になりますね。

(2006.6.26 Ms)

「ソナタ形式の応用・破壊」

 続いて、Hについては、第5番第4楽章に注目したい。
 参考までに、第1楽章におけるソナタ形式は、2つの主題の提示、展開、再現がしっかり把握されやすいと思われる。ただ、243小節目以降の、再現において、かなり提示部とは変容された形となっているが、ベートーヴェンの「第九」第1楽章の例を想起していただければ、ショスタコーヴィチがさほど伝統から逸脱したことをしているとは思われないはずだ。
 しかしながら、第4楽章のソナタ形式ははっきり言って、私には分析ができない。ソナタ形式と言えるのかどうか?

 そこで各種文献を参照すると、

 全音スコアの園部三郎氏による解説(現行版のスコアとは相違)P16〜18においては、
「この楽章は大体においてソナタ形式であるが、ロンド形式の変形ともみることができる。」
「終楽章の主部は、第1楽章の提示部の場合と同じように、ただ単に2つのテーマを提示するというやり方ではなくて、いろいろな主題的な素材を発展させ、展開させるという形をとっている。」
「展開部には、普通の交響曲にみられるディナミークも、ドラマチズムもなく、(中略)新しい性格と内容をもっている。」

 前述の千葉氏著作P192においては、
「ソナタ形式だが、じゅうぶんな主題展開や確固とした再現部を欠いたまま、ニ長調の楽観的なコーダで結ばれるため、どこか性急でおおげさな印象を残しかねない。」・・・この指摘は、Jの「唐突な勝利」とも関連してこよう。

 さらに、前述のOttaway著作P41においては、
「これはどこから見てもソナタ型をした楽章の変形とさえ言えず、むしろ輝かしい即興曲であり、衝動的であるがよく抑制されている。」

 参考までに、この第5番のフィナーレ同様、第7番「レニングラード」のフィナーレも、ソナタ形式からの逸脱を思わせる構成となっており、全音スコアの第7番における寺原伸夫氏の解説でも、
「主要主題を提示したあと、すぐさま352小節にわたって延々と展開する。緊張し、突進するような長大な展開部を、彼は書かずにいられなかったのだ。」とある(ちなみに、マーラーの第1番のフィナーレも、いきなり主題提示とともに展開部を繰り広げているような様相ではある。)。
 第5番も、提示部において既に主題の展開は開始され、それがある種「即興曲」のような趣となろう。ただし、主題の展開はなされており、全くの無形式ではなく、「衝撃的」だが「抑制」のとれたもの、ということか。ただし、主題の展開を提示部でした以上、展開部にあたる中間部分では、まったく違う楽想が必要となり、ソナタ形式を応用しつつも、破壊されている、と見なせよう。

 こういった特徴が、マーラーの影響と見なせると思うのだがどうだろう。
 やはり、マーラーのソナタ形式においても、単純な、提示−展開−再現という3部構成は見られず、提示しながらの展開、本来の展開部における新規の楽想の挿入、再現部における主題の変容、短縮は見られるだろう。その比較的わかりやすい例として、マーラーの第1番の第1、4楽章を挙げておこう。
 前述の村井氏著作「マーラー」において、第1楽章の解説(P193)で、
「主題をそのまま再現しなければならないというソナタ形式のお約束は、マーラー音楽の基本特性とまったく相容れない。なぜなら「突発」後には音楽がまったく違ったものにならねばならぬからだ。」
 第4楽章の解説(P194)で、
「展開部に入ってまもなく、音楽は「地獄から天国」へ至る一筋の光明を見出す。(中略)激しい闘争の末、(中略)曲を結ぶニ長調に達するのだが、まだ再現部が書かれていない!(中略)マーラーはいったん勝利をあきらめ、第1楽章序奏部の回想へと撤退する。その後、順序を逆にして第2主題の短縮再現、第1主題の短縮再現と続く(後略)」
 とあり、ソナタ形式を意識しつつも、自由な形式感をもって曲を構成しているさまが見て取れる。。
 マーラーにおける、ソナタ形式の応用・破壊は、ショスタコーヴィチにおいても第4番(第1楽章)にまず影響を与え、第5番(第4楽章)においても、第4番ほどの破天荒さはないものの、単純な古典的な形式感では掴みきれないあたり、マーラー的と言って完全な誤りではないと考える。

(2006.7.4 Ms)

「唐突な勝利」

 先に述べたとおり、ショスタコーヴィチの第5番のフィナーレが、先行3楽章で充分準備なされた後の必然的帰結なのか、それとも、唐突な勝利として腑に落ちないものなのか、これは多分に聞き手の主観でどうとでも捉えられる問題だろう。なので、深くは立ち入らないでおこう。
 ただ、第4番の第3楽章における唐突さ、のような、あからさまに違和感ある、歓喜の登場は避けられていることは明白だが、果たして、第5番も歓喜へのプロセスが納得いかない種類の音楽なのか、様々な人々の感想に耳を傾けておくのは必要だと思う。

 実際に、ショスタコーヴィチが計算づくで、「唐突」と思わせようとして書いたのかどうか、これは詮索しようもなかろう。公式見解を読んでも、そんな素振りは感じられない。当たり前の話ではある。
 前述の「自伝」P86において、初演後2ヶ月たった1938年1月の「文学新聞」でのショスタコーヴィチの以下のコメントが紹介されている。

 「わたしはこの交響曲で、大きな内的、精神的苦悩にみちたかずかずの悲劇的試練をへて、世界観としてのオプチミズムを信ずるようになることを示したいのである。」

 なお、第5番の成功に大きく寄与したと思われる、作家アレクセイ・トルストイによる、「人格の形成」というキャッチフレーズも、フィナーレのコーダを、素直な楽天主義の表明として受けとめ、そこに至る過程をも必然として理解したゆえのものであろう。

 また、余談ながら、私自身、ローティーンの頃から、第3楽章から第4楽章への転換も、第4楽章のコーダへの道程も、心ときめかせて必然として聴いてしまっているのだから、ここで、「唐突」であることを自ら証明しようなどとは全く思わない。

 ・・・が、各種文献を紐解けば、
 先程も引用した、千葉氏著作P192における、
 「ソナタ形式だが、じゅうぶんな主題展開や確固とした再現部を欠いたまま、ニ長調の楽観的なコーダで結ばれるため、どこか性急でおおげさな印象を残しかねない。」という指摘をはじめ、

 当時の批評の多くも、
 「最終楽章で示される喜びと「楽天主義」が本物であることを、完全に確信していたわけではなかった。」(前述のファーイ著作P135)
 第2楽章がマーラーの焼き直しと断じたミヤスコフスキーも、
 「第4楽章は刺激が強すぎる。中間部はいいが、最後が悪い。ニ長調の堅苦しい応答部。オーケストレーションはひどい。」(前述のファーイ著作P137)と日記に記し、
 前述の井上氏著作P77においても、「第五交響曲の終曲は、「その性格が、やや”デウス・エキス・マキーナ(器械じかけの神)”式であり、チャイコフスキーやベートーヴェンの特長である有機的統一を欠いている」としばしば言われ、書かれもした。」と、単純な讃美だけでなかったことは紹介されている。ここで言う、「器械じかけの神」の意味がはっきりしないが、有機的統一の欠如については、先程の千葉氏著作の引用部分とも関連する指摘となろう。
 
 さて、仮に、これら、フィナーレの弱点がショスタコーヴィチの意識的なものであって、さらに、その弱点が、マーラー仕込みなのかどうか、これを証明するのは困難だが、少し「曲解」を加えるのなら・・・

 まず、ショスタコーヴィチにおけるフィナーレの開始部分の「唐突さ」もっと言えば「わざとらしさ」は、マーラーにも例があろう。
 マーラーの第1番のフィナーレの衝撃、を想起しよう。打楽器とブラスを駆使して、前楽章の静寂をぶち壊す。
 これは、マーラーの第7番においても同様だ。ティンパニのソロに先導されて、煽動されて、ブラスが旋律を一人占めする発想はまさに、マーラー仕込みか。 ただ、ショスタコーヴィチの考えた安全策として、マーラーのように4台のティンパニを縦横無尽に叩き尽くすような開始は避けて、古典的な4度音程の繰り返しで、「古典尊重」の意思を示しつつ、第1楽章との関連性を重視している姿勢をも見せている。マーラーに倣いつつも、過激になりすぎない配慮があるようには思う。しかし、発想の根源にはマーラーがいると感じられないか。

 さらに、ソナタ形式としての不完全さ、については、前項「ソナタ形式の応用・破壊」でも触れたとおりだが、ここで、さらに、ショスタコーヴィチの第5番のフィナーレと、マーラーの第1番のフィナーレを重ねあわせて気がつく点を指摘しておく。
 マーラーにおいては、展開部途中で、それこそ唐突に、曲が終わりそうな勢いで、勝利の凱歌が現われる(378小節目)。しかし、この段階ではソナタ形式の公式上、再現部が書かれていないため、一度、勝利を引っ込めて、第1楽章の回想を挿入してから、第2主題、第1主題の再現をして、また、同じ勝利の凱歌を再登場させ(639小節目)、やっとコーダを導く。
 ショスタコーヴィチにおいては、今のマーラーの例で言うなら、展開部途中の勝利の凱歌をそのまま楽章終結部にしてしまったような形式感と私は考える。ようは、マーラーで言うなら、378小節目から一気に639小節目に飛んでしまう、というやり方となる。
 つまり、ショスタコーヴィチの例では、現に第2主題の再現が全くなく、また、第1主題の再現も随分と非力な印象であり、再現部を欠いたままコーダへ突入していると思わせる点が、ソナタ形式を途上で放棄した印象となり、この形式感こそ最も、「楽天主義」への懐疑、また、「唐突な勝利」と思わせている理由だと考えるが、この発想の原点は、マーラーの第1番のフィナーレにある!というのはいかがだろう・・・(マーラーの第1番においては、結果として、ソナタ形式の形を取りつころうことで、くどいほどの勝利の強調となったが、逆にショスタコーヴィチはそれを放棄した点で、マーラーとは聴後感が相違することとなったが・・・)。
 
 ショスタコーヴィチにおける第4楽章の形式が、マーラーからの借用、ということは、あえておおいに主張するものではないが、その可能性がないわけでもない、と私は考えている。

 以上、第4番と共通する、第5番における、マーラーからの影響について考えてきた。
 これら全てが、ショスタコーヴィチにとって意識的に、ポスト・マーラーたらんとした現われであるかどうかは断言できないが、決して、第4番で見せたマーラーへの接近を、第5番で完全に方向転換したわけではない、ということは言って差し支えないのではないか。
 プラウダ批判において、必ずしもマーラーがまかりならん、ということになったわけではないので、「古典の尊重」は充分意識し、聴衆にその尊重が届くような配慮はしながら、第4番と同じく、大切な作曲家であるマーラーからの影響を随所に埋め込んだのが、ショスタコーヴィチの第5番である、ということは言えそうではないか。

(2006.7.23 Ms)

『余録』

 ショスタコーヴィチの第5番において、第4番では見られないが、新たに、マーラーからの影響を思わせるものについて、一点だけ付け加えておく。 

 <2−2>において触れた、バッハからの不完全引用と思われる、第3楽章の24小節目から出る、第1ヴァイオリンの旋律(バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番第2楽章のフーガ主題との旋律線の一致)について、さらに、マーラーの交響曲第6番第2楽章スケルツォのトリオ主題にも似ているという点である。
 具体的には、マーラーにおいて、106小節目以降のヴァイオリン(同様の箇所が、115、129小節も)、283小節目以降の木管等々、散見される。ただし、最初の同音連打が、全て一発多く、バッハの例のほうがより、一致はしているが。
 これもまた、不完全引用として可能性はあろう。
 ショスタコーヴィチの第5番の第3楽章、特にクライマックス(121小節目)において、木琴という共通の楽器を通じて、マーラーの第6番を思い起こさせる主題を聴く時、確かに「悲劇的」なる心持ちが一層強まるのは確かだ。

 こういう細かいところまで見ていけば、きっとまだまだ、マーラー的フレーズは発見されることだと思う。が、マーラー不得手な私としては、随分てこずってしまったので、今は、先を急がねばなるまい。

次項は、ショスタコーヴィチ自身の交響曲第1番について(2006.9.13 Ms)

『さらなる余録』

 2006年9月の私は、上記のとおり、先を急いだようだが、2007年、今尚この論考を続行するにあたって、些細な点ながら、ショスタコーヴィチの第5番における、マーラーとの共通部分と言えないこともなさそうなものを見つけたので、ここに追記させて頂く。

 再現部における、半音高い調性による主題再現。

 これだけでは・・・??? 
 マーラーの交響曲第1番の第3楽章
再現部の冒頭に注目。かなり特徴的な部分だ。
 すなわち、楽章冒頭のニ短調による、有名な民謡「フレール・ジャック」の主題提示に対し、中間部の暖かな束の間の幸福感を経て、冒頭が再現される時には、半音高い変ホ短調となっている。

 例えば、ソナタ形式においては、通常は第1主題が主調、第2主題が5度上の属調で提示され、再現部において両者とも主調で再現される事で、調性の安定、落ち着きが生まれ、楽章を円満に結ぶ、というわけで(今の例示は長調の場合だが)、再現部における主調の確立、は古典的な原則・規則と言えよう(もちろん調の選択の方法としては例外もありますが。)

 まして、このマーラーの例は、ソナタ形式ではなく拡大された三部形式ではあるが、通常なら当然(ソナタ形式と同様)、冒頭の主題が主調のニ短調で帰ってくるはずのものである。さらに、中間部がト長調で穏やかに歌われた後、最後にト短調へと転調し(110小節目)、素直に関連の調性としてニ短調に復帰できるような中間部の終わり方になっている(ト短調の主和音、つまり、ニ短調の下属和音で中間部は終わる・・・参考に、下属和音から主和音への解決、という道を取れば、すなわち、古典的な「アーメン終止」そのものである。)。
 のにもかかわらず、遠隔調である変ホ短調で主題が再現し始めるので、再現部にニ短調を待望した、古典的な和声感を持った者であれば、かなり意表を突かれてしまう場面である(ト短調からニ短調へは、調号としてはフラットを1つ減らすだけだが、ト短調から変ホ短調へは、フラットを4つ加えることとなる)。和声学的には、和声が有機的に連結していないという、断絶が生じている。
 個人的には、ここの断絶は、断絶とは言え、和音の連結という側面で言えば、B(変ロ)の音が共通しており(ト短調主和音、G・B・D。変ホ短調の主和音、Es・Ges・B)、さほど違和感はないのだが(ショスタコーヴィチに慣れ親しんだ耳なのですもの・・・しかし、19世紀末の人間の耳にはかなり奇異なものとして聞こえただろうと想像はできる)、古典的な、いわゆる教科書的な転調ではないだろう。
 しかし、聴いた感覚としては、半音上(うわ)ずった主題再現は、何とも落ち着かない、不安を醸し出す効果に満ちていよう(この感覚は、多少とも、絶対音感を要するかもしれない。固定ドではなく、移動ドの感覚だと、同じ旋律の再現にしか聞こえないかもしれないが・・・)。この再現部冒頭の調性的な不安定さがあってこそ、主題自体の「あわれみ」も強調されるだろうし、その不安を強引に抑制もしくは発散させようとするが故に、その後の、自暴自棄的な瞬発的な騒動(139小節目)も誘発されよう。
 以上、見て来たように、古典的な和声感からすれば、このマーラーの、半音高い調性による主題再現は、かなり特徴的な作曲技法、と言えるだろう。

 この半音上ずった主題再現をショスタコーヴィチが、第5番で採用した場面があるわけだ・・・。

 第2楽章の再現部。しかし、再現部冒頭ではないけれど。
 こちらも拡大された三部形式で、再現部は、157小節目から。冒頭の低弦の旋律はファゴットに委任され、その後も、主題提示とは異なるオーケストレーションが施されている。そして、その発想の背景には、ベートーヴェンの第5番のスケルツォが存在しているのは以前述べたとおり(<2−1>A)。弦楽器のピチカートを主体として、木管楽器を断片的に鳴らす。
 そして、その次に現われるスキップ・リズムの連続するハ短調の主題が、再現部においては、半音上ずった嬰ハ短調で、それも木琴を伴って、何とも滑稽で、やはり、「あわれみ」をもった道化的表現に変貌する(201小節)。

 この部分への持って行き方が、マーラーに比較してさらに強引だ。
 提示部においては、ハ短調の主題への1小節前の動きが、A−H−C−D−E−Fときて、にたどり着くのだが(ハ長調と思わせて、ハ短調へと突っ込む、という、ややヒネリの効いた動き)、再現部では、A−H−C−D−E−Fisときて、Gisにたどり着く。全く、嬰ハ(Cis)を主音とする調性である用意がないままに突入するのだ。この、提示部以上にヒネリを効かせた効果は絶妙だ。そして、その発想の背景にこそ、マーラーの第1番第3楽章が・・・という可能性を指摘したい。

 ・・・なるほど、そうか・・・と思うのは早計。このMs、自分に都合のいい事実を並べているだけかもしれないぞ・・・。
 例えば、ブラームスの交響曲第2番にも似たような発想はある。
 第3楽章冒頭のト長調の優美なオーボエによる主題提示。プレスト(33小節目)の挿入楽想をはさんで、107小節目で再現。定石どおりト長調。さらに、もう一度、プレスト(126小節目)があって、その次の、オーボエ主題の再現は、194小節目、嬰へ長調。主調の半音下の調性による、これまた遠隔調による主題再現なのだ。半音ずらした調性による主題再現、と言うのならば、ロマン派の時代、19世紀半ば頃、調性のあつかいが、どんどん自由になる中で、様々な試行がなされたことだろう。しかし、この、実直なるブラームスの例を仔細に見れば、194小節目に至る前に、ちゃんと手順を踏んだ、理論的な転調がされて、万全の準備を経ての嬰へ長調なのである。決して、マーラー、ショスタコーヴィチのような、唐突な半音ずらし、ではないのが見て取れる。
 このブラームスとの比較を通して見れば、マーラーの存在を、このショスタコーヴィチの第2楽章再現部に、面影として見たくなる私の感覚、多少とも理解していただけますでしょうか。

 さらに私が思うのは、ベートーヴェンからの発想の借用をちらつかせて、ベートーヴェン崇拝を匂わせつつも、片や、ベートーヴェンの「運命」においては、ピチカート主体のスケルツォ主題再現の後に、フィナーレの壮大なる歓喜の爆発が用意されているのに比較して、ショスタコーヴィチの第5番においては、ピチカート主体のスケルツォ主題の後に、マーラーの葬送行進曲からの発想の借用を用意した点、おおいにシニカルな表現で、ショスタコーヴィチの真骨頂ここにあり、と叫びたくもなる。
 この部分における、発想の借用が、

 「ベートーヴェンの第5番の歓喜の前兆」(ピチカート主体の弱音主導の管弦楽法)→「マーラーの第1番の葬送行進曲の再現」(半音上の調性による主題再現)

と、鮮やかに(たったFisの1音を通じて)切り替わる点、もっと注目してもよろしいのでは・・・。

 ・・・「スケルツォの劇的な役割はいうまでもなく明らかである。それは、第1楽章のいたいたしく重苦しいふんい気をきよめ、楽天主義の濃厚ないぶきやけいれん的な反射作用とは反対の、精神の健康を与える。」

 井上氏著作P74からの抜書きだが、今、なかなかこういう風には聴けないな、というのが率直なる私の感想。
 (この抜書きの、ひらがなの多さは、原文のままです。変換ミスではないので念のため。)

やはり、この辺で、ベートーヴェンの第5番についても、改めて詳細に見ておく必要もありそうだ。近々手掛けようと思います。(2007.2.18 Ms)

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