旬のタコいかがですか? ’06 2月
(ショスタコBeachへようこそ!)
2006年 2月
当HP(交響曲第5番関連)が「レコード芸術」にて紹介
<2> ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」における「引用」私論2006
<2−8> 自作の交響曲第1番
さて、プラウダ批判を受けて、マーラーの影響下に、交響曲第4番を時の政府に対する挑戦状として創作し続けたショスタコーヴィチだったが、自身の身の安全をおもんばかってか撤回、一転、名誉回復のための作品を書こうとした時、決して、後の「森の歌」のようなスターリン讃美の歌詞を用いずにそれを行おうとしたわけだ。このように、歌詞を伴わない、標題を持たない、純音楽たる「交響曲」のスタイルで、と決めた時、彼にとってのモデルは何であったか。
もちろん、ベートーヴェンの「運命」「第九」。さらにそれらの延長上にあって、そして何より、ロシアの伝統をしっかりと受け継ぐ、チャイコフスキーの4番、5番であったろうことは想像に難く無い。運命を克服する、暗黒から光明へというプロットこそ必要とされた最大の条件だっただろう(もちろん、マーラーもモデルであり続けたが、それ以上の存在として、誰が聞いても文句なしの存在としてベートーヴェンとチャイコフスキーは意識されただろう)。が、一方、私がここで挙げておきたい存在は、自身の交響曲第1番である。
「森の歌」方式により、体制べったりの歌詞を伴って復活を果たすのは彼にとって、良心が許さぬ、芸術家として恥ずべきことだったろう。まして、世界的作曲家なのである。ソヴィエト国内では名誉回復しようと、世界には通用しないだろう。その時、彼を勇気付けたのは、交響曲第1番の成功体験、であったと私には思われる。第1番の初演日を自らの第二の誕生日として祝っていた彼にとって、まさに「運命」を賭けた第5番に、第1番から受け継いだ要素は皆無ではないだろう。
第一に、外見的に、オーソドックスな4楽章制を採っていること。
もちろん、ベートーヴェン、チャイコフスキーらに倣ってのことだが、第2、第3番と単一楽章、第4番で、いびつな(巨大な両端楽章と小さな中間楽章)3楽章制を採った彼が、初心に戻ったのは、今さら指摘するまでもないか。
第二に、管弦楽編成について。
第2番における、サイレン、などという特異な音響、さらに、第4番におけるマーラーに匹敵する大オーケストラは破棄。第1番同様の標準的なサイズのオケである。
ただ、それだけでなく、ピアノの活用も第1番譲りである。第1番ほどに旋律を単独で任されるような派手さはないが、第5番でも第1楽章の展開部における弦のピチカートとのコンビネーションなど目立っている。交響曲におけるピアノの活用というのも先人がいないわけではないが、オーケストラの楽器としてのピアノ(ピアノ協奏曲ではなく)の可能性を、彼なりに第1番から継続して探究したとは言えるだろう。
これらだけなら、あえて項目として独立して書くほどのものでもないが、第三として、ホルンの独白、という点で私に思うところがあるので紹介したい。
第1番の第4楽章の第2主題の確保で、ホルンのソロが聴かれる(131小節目)が、その背景で鳴るピアノの細やかなトリルまで耳にするなら、この部分が、第5番の同じく第4楽章の同じく第2主題の確保(126小節目)における、ホルン・ソロとその伴奏を思い起こさせるものであろう。旋律線こそ似てはいないが、伴奏は同じく高音域のトリルである(第5番においてはヴァイオリンだが)。楽曲の構成上、置かれた場所も、全く同じである。フィナーレにおける第2主題が全合奏で華々しく奏された後に、余韻を味わうような形で、弱奏によりホルンの独白が挿入されているというわけだ。
ショスタコーヴィチにおいて、特に第1楽章及び最終楽章に置いて、大クライマックス(概ね、再現部の始めの辺り)が築かれた後、管楽器によるモノローグに引き継がれるケースがかなりある。
ざっと例示するなら、第7番第1楽章のファゴット。第8番第1楽章のコーラングレ。同第5楽章のバス・クラリネット。第10番第1楽章のクラリネット。第11番第4楽章のコーラングレなど。
ただ、こういう位置でのモノローグにホルンが活用されているのは第5番のみである。それも、第1、第4楽章双方にホルンが用意されている(第1楽章はフルートとのカノンだけれど)。この、クライマックスの後に独白させるホルン、という使用法は第1番での経験を踏襲したように思われる。まして、伴奏の類似を思えば、意識的な、自作からの発想の借用、と私は考える。
だとすれば意図は何だろう。
「お守り」?確かに、第1番の成功体験の再来を期して、との憶測もあろうが、それだけではないだろう。
ホルンによるテンポの緩やかなカンタービレな旋律、という使用法、他にも例があろう。シューマン、マーラーももちろんホルンに重要なソロを預けてはいるが、ファンファーレ的でない歌を託した例としては、断然、チャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章が燦然と輝いている。そして、その発想自体は、チャイコフスキーにとっては、第1番の第2楽章後半、第2番第1楽章序奏においても活用されており、ロシア民謡風な調べがホルンに託されている。
彼の後継的存在、ラフマニノフにとっても、チャイコフスキーをかなり意識したと思われる成功作かつ復活第1作たるピアノ協奏曲第2番の第1楽章の第2主題の再現部においてホルンに旋律を吹かせている。
国民楽派のボロディンの交響曲第2番第3楽章の冒頭なども好例であろう。
また、ロシア的題材に基づくストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」においても、全曲版を聴けば、王子の登場場面にホルンのソロが幾度となく使用され、また終曲の冒頭のソロなどもおおいに印象に残るものである。
私の想像では、ホルンのモノローグに、古典崇拝、それもロシアの伝統的作品への敬愛の念がにじみ出ている、という本心もしくは言い訳が見てとれるのではないか。それも、両端楽章の大クライマックスの直後という、印象に残りやすい場面での起用だ。私の新作は、ロシアの偉大なる伝統にインスパイアされているんです、とアピールできそうに私は思う。
このホルン故を持って、とは言わないが、前述井上著作P77でも触れている第5番に対する当時の批評の一つ、
「ショスタコーヴィッチの音楽はそれまでにきいたどの音楽よりもスラヴ的な音だった。」
と言わしめる一つの要素として、第1番でも使用済みのホルンの独白、位置付けられないだろうか。
次項は、カルメンについて(2006.9.15 Ms)