旬のタコいかがですか? ’06 2月
(ショスタコBeachへようこそ!)
2006年 2月
当HP(交響曲第5番関連)が「レコード芸術」にて紹介
<2> ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」における「引用」私論2006
<2−5> 自作の交響曲第4番
交響曲第4番と第5番とを聴き比べ、音楽的に同じ素材が使われている点に気付いている方は結構多いのではないかと思う。
前述のファーイ著作(P137)においても次のような箇所がある。
ショスタコーヴィチの無二の親友で、その一番の後援者であったソレルチンスキーでさえ、交響曲第5番は交響曲第4番の「残り物」でできていると断言したそうである。
ここで、第4番からの「引用」なり、「自作間流用」と思しきものの主なものを列挙してゆこう。まだ他にもあろうが、主なものということで許されたい。
@ 第5番第1楽章の3小節目の旋律線(ヴァイオリンによる)
・・・第4番第3楽章の1171小節目以降の旋律線(ホルンによる)
第5番における当該部分は、付点8分音符と2つの32分音符という特徴あるリズムが繰り返され、このリズムは、その後も、9,15,19小節目と幾度となく現われ、37小節目に至っては、第4番の例と同様にホルンでも奏されるため、関連性は一層強く感じられる。また、再現部のクライマックスにおいても243小節目、Largamennteで真っ先に強奏、再現されるのは、このリズムを持つ旋律線であり、第5番の第1楽章において相当に重要な役割を負ったものであることが認められる。
第4番においては、フィナーレの最大のクライマックスが打楽器群の強奏により(1146小節目)瓦解して後に現われる、コーダの厭世的ムードの入り口にこの部分は相当し、このホルンの旋律は続いてフルートにおいても確保される。リズムは正確に言えば第5番とは同一ではないが、2分音符と8部音符2つの組みあわせで、類似した印象は持たれるだろう。
以上、この類似は、私にとっては、まるで、交響曲第4番が終わった地点から、交響曲第5番が始まっているようにさえ感じられる。かなり意識して類似の楽想を持ってきているのではないか・・・ということで、意識的な「引用」と見て良いのではないか?ただリズムの細部や音程関係は完全な一致を見ず、無意識のうちの「偶然の一致」という可能性もなくはないので「不完全引用」ということにしておこう。
A 第5番第1楽章の6小節目以降の旋律線(ヴァイオリンによる)
・・・第4番第2楽章の中間部の主題、124小節目以降の旋律線(ヴァイオリンによる)
これは、様々な所で指摘されている。この私の論考でも<1−2>や、<2−2>@において触れられた箇所である。A−G−F−Esという3全音の下降旋律線である。
全音楽譜出版社の第4番のスコアの解説(P11)においても、当該箇所は、
「冒頭の下降旋律から、この主題は第1楽章のエピーグラフの下降モチーフから発していることが分るし、この後で作曲された第5交響曲の主要主題を予告している。」
と説明される。前述の千葉潤氏著作(P190)でも「予告」と指摘されている。
特徴的な3全音で、かつ、音高も同じ。引用元の特定についても、反対意見は少なかろう。「完全引用」としてみて良いのではないか。
ただ、ここで、注意しておきたい点が2点ある。
まずは、この旋律線の伴奏、である。第5番においては、中低弦が、D音とA音を繰り返し鳴らし、D音が主音であることを少なくとも2小節間は確実にしている。そのおかげで、この旋律線は、Dの音へと解決し、フリギア旋法として認識され、一種、安定した響きを持つ(2小節間に限った話ではあるけれど)。
しかし、第4番においてはどうか。ビオラによるC音の連続(余談ながら、第5番で中心的なリズム主題となる、タタター、というリズムで)が背景にあり、ニ調またはフリギア旋法という確立はなされず、旋律線もD音への解決はなく、極めて無調的である。第4番においては、続く139小節目以降もこの主題は繰り返されるが、今度は、F・C・Gesという不協和音での伴奏となり、さらに無調の感が強まる。そして、この主題は、318小節目以降、ホルンにより高らかに奏されることとなるが、その際の伴奏は、木管群によるニ長調の主和音であり、旋律線のF音と、伴奏のFis音が半音でぶつかる歪んだ響きを引き起こす。
この2曲は、同じA−G−F−Esという3全音の下降旋律線を使用しながら、第4番は無調、不協和的に使用され、第5番においては、調的、協和的に処理されているのが鋭く対比されている。
第5番において、第4番の素材を使いながらも、分りやすさ、または古典的秩序、に配慮した様が、如実に、そして象徴的に、この例から見て取れないだろうか。
続く2点目として、前述の全音スコア解説にあるとおり、A−G−Fという3音は、ずばり、交響曲第4番の冒頭主題(エピーグラフ)に一致する点に注目しておきたい。第4番においては、第1楽章の冒頭主題と第2楽章のトリオの主題を関連させ、楽章間の統一を図っている。この主題を、第5番の第1楽章の主要主題として配置したこと自体、ショスタコーヴィチの、第4番の復活への意思を推し量るのは、曲解に過ぎるだろうか?
この3音の一致の指摘もあえて、項目をBとして独立させておけば、
B 第5番第1楽章の6小節目以降の旋律線(ヴァイオリンによる)
・・・第4番第1楽章の冒頭の主題、1小節目以降の旋律線(木管と木琴による)
となります。
それにしても、第5番の冒頭わずか7小節間において、第4番の主要な主題を次々と登場させているのは、私としてはかなり意識的な「引用」(不完全であれ、完全であれ)と思えてしまうのだ。
そして、これらの主題は、曲の展開において、重要な役割をもって何度も何度も登場してくる。第4番撤回の怨念が吹き荒れているような第5番第1楽章、という姿を見て取るのは、ショスタコーヴィチの本意でないと断言できるだろうか・・・?
(2006.4.17 Ms)
さて、ちなみに、この3音の順次下降旋律線は、第4番においては、第3楽章の1020小節目以降、金管による勝利のファンファーレ的な和音に相対する存在として、1028小節目以降何度も繰り返される。そして、1066小節目以降、この3音下降が、短調的な変化(1066小節目以降のEs−Des−C。そして、より直接的には、1076小節目以降のEs−D−Cの反復4回。まさにハ短調を指向する動きとなっている。)を生じるのをきっかけとして、第3楽章冒頭の葬送行進曲の主題の再現が準備されるという、この交響曲の結論を左右する最重要な役割を担っていることは、強調しておかねばならない。
第1楽章冒頭の、悲痛な叫びに似た3音下降は、第3楽章最後の、取って付けたような勝利のハ長調の凱歌を破壊し、悲劇的な結末を決定付ける力を付与されているわけだ。この第4番の中心的主題を、第5番の第1楽章の主要主題が内包しているのである。
・・・そして、第4番同様、第5番においても、最後の最後で、この3音下降、聞こえてきませんか・・・。
第5番第4楽章342小節目以降の金管の旋律線、C−B−A。
第4番のフィナーレの悲劇がふと想起されるような一瞬ではなかろうか?
(音の長さに着目しても、最初の音が2小節の長さ、続く2つの音は1小節づつ、と、この2箇所の類似は単なる偶然とは私には思えないのだが・・・)
前述のN響「フィルハーモニー」2005年5月号の千葉潤氏解説でも、スコアの該当箇所に印を付けてこう指摘されている。
このファンファーレは、何度も途切られて間延びしたものとなり、まさに最高音に到達する箇所ではニ長調の文脈のなかに物悲しい短調のフレーズが挿入される。
この、ニ短調のフレーズたる、3音下降が、第4番の結末を想起させるや、第5番は先に述べたように(<2−1>B)、主和音のみが鳴り続けるのみ、新たな音楽の展開はない。つまりは、この3音下降、C−B−Aこそが、第5番の、(旋律的な動きとしては、)最後の主張、となっているのではないか。この意味するところは大きいと私は感じます。
つまり、この3音が第4番を想起させるのならば、第5番の最後の金管のニ長調主和音がひたすら鳴り響く背景に、決して現実に演奏はされず、耳には届かないものの、第4番を知るものにとっては、第4番における葬送行進曲の再現が浮かびあがってくるように仕掛けられてはいないだろうか。
ここで、2曲の冒頭(第4番においてはまさに冒頭。第5番においては6小節目ですが。)に掲げられた3音の一致(A−G−F)と同様に、短調的な変位をした3音下降が、作品の結末で長調のフレーズの中に挿入されるという共通点をもって、項目を独立しておきましょう。
C 第5番第4楽章の342小節目以降の旋律線(金管による)
・・・第4番第3楽章の1066小節目以降の旋律線(木管と木琴による)
結果、BCは、Aの引用が、それぞれの作品での展開過程において、冒頭と結末に同様の箇所が出現するという意味では、同じ指摘に過ぎないのだが、整理の都合上、わかりやすく項目を独立させておきました。
以上により、第5番に、撤回された第4番のエッセンスが要所に内包されており、第4番の精神、第4番における訴えが、第4番を知る者にしか分らない形で、第5番の中に復活している、とは言えないだろうか。
そして、将来、第4番そのものを発表する、という意思をも込めて、自作歌曲「復活」を引用しているのではないか、とも私は思うのだが・・・。
・・・ただ、Aまでは異論も少ないと想像するが、BCについては、こじつけ、と思われる方もみえるだろう・・・。たった3音の類似。あまりに限定的で、少ない音の組みあわせ、でしかない。偶然の一致の可能性は極めて高かろう。これをここまで強調して、作曲家の意識的なものとして主張できるかどうか?でも、これはご本人しにかわからないことなのだろう。
ただ、逆に、BCは、全くの無意識のうちの「偶然の一致」であると断言するのも難しいだろう・・・。
私の現在の思いは、BCも含め、ショスタコーヴィチからの、切実なるメッセージとして受け取っている次第です。
そして、さらに、D番目の指摘も用意しておりますが、これは、かなりな曲解なので、要注意です。
D 第5番第4楽章の2小節目以降の旋律線(金管による)
・・・第4番第1楽章の6小節目以降の旋律線(ヴァイオリンと金管による)
(2006.4.19 Ms)
ようは、第5番のフィナーレの第1主題は、第4番の第1楽章の第1主題の素材を使用して作られた旋律ではないか?という指摘なのだが、いかがだろう。・・・今まで指摘してきた、引用や流用という、あからさまなものではないけれど・・・。
まず、トランペットとトロンボーンのオクターブで主題提示されるという共通点は容易に見て取れる・聴き取れるはずだ。ただし、第4番においては、ヴァイオリンも重ねられているが、聴いた印象では、断然、金管の存在感が大きく、よく似た響きとして感知されるであろう。
さらに、旋律線を細かく見るなら・・・
第5番の主題の特徴は、何と言っても、4小節目にみられる上行音型、E−F−G−B−F(↑)という思い切った跳躍にあろう。それに先行するA−D−E−Fの4音は何の変哲もない、ニ短調の枠の中の音の動きだが、その続きのこの部分が、その枠を越えるような勢いを持ったものであることは、ちょっと口ずさんでいただくだけでも感じられないだろうか。この特徴が、第4番の主題にも見えて・聞えてこないだろうか。
(余談・・・A−D−E−Fの4音については、再度、項を改めて触れる予定です。)
そして、第4番の主題を見ると・・・
まず、G−A−Hという、16分音符2つと8分音符の動き、これは、第5番におけるE−F−Gと同じく、小節をまたぐところにあり、リズムも同一、音程も3度の上行順次進行である。そして、第4番においては、上行する順次進行がさらに続いてはいるが、8小節目の3拍目に、H−C−D−As(↑)というと跳躍が見られる。この7度の音程の急激な上行は第5番のG−B−F(↑)と、私には符合しているように思える。
つまり、第4番の主題提示の2小節間の動き(Gから上行順次進行が始まり、若干の下降もあるけれど、結果、Asという1オクターブを超える音高に到達)を、極端なまでに要約すると、先ほどの第5番のE−F−G−B−F(↑)になるという訳だ。
さらに、第5番の主題を見ると、初め2小節は上行指向、続く2小節は下行指向。これが2回繰り返されている。
その下行指向の部分は、主に順次進行で降りてきており、その2回目の下降、つまり9小節目に注目すると、その1拍前のAsという最高音から、As−G−F−Es−D−C−B−Aと降りてきているが、この動きは、やや装飾的な動きを伴って、第4番においても、先ほど触れた、8小節目の3拍目のAsから、同様にAまでオクターブにわたって下降する線として現われてきている(Es音・B音は、第4番においてはE音・H音となっているが)。
こじつけがましい、と感じられる方も多々みられるでしょう。正直なところ、私もそう思わないではないです・・・。
しかし、他にも、この主題提示の前後もあわせて考えるなら、まず、楽章の冒頭第1小節目が、管楽器による全音符のロングトーンにより開始されている点も共通している。第4番は装飾音、第5番はトリルによって飾られてはいるが。
そして、その短い前奏のあとに、1小節間の八分音符の刻みにのって主題が提示される点も共通している。第4番は低音域の木管・弦楽器、第5番はティンパニ。
さらに、第4番の、その八分音符の刻みは、CとEsつまり、主調たるハ短調の第1、3音で成り立っているが、第5番においても、その主題提示の後、11小節目において、DとFつまり、主調たるニ短調の第1、3音で八分音符の刻みが登場し、次の主題の伴奏として活用されている。
以上、この2つの楽章の冒頭部分は共通する発想でもって作曲されている、と私には思えるのだ。
これは、「偶然の一致」と見るべきか?それとも、無意識のうちにに似てしまったのか?それとも、意識的に、「不完全引用」したのだろうか?
これもまた、本人にしかわからないレベルの話ではあろう。しかし、第4番の撤回後もなお、この作品が、ショスタコーヴィチの頭の中を長らく旋回していたのではないか?そして、この、第5番の結論たるフィナーレに何を配置するか、といった時に、第4番で主張したかった思いを象徴する存在として、第4番第1楽章の主題が、一度解体され、そして、第5番のフィナーレに再構築されて、配置されたのでは・・・と私は邪推したくなるのだ。
しかし、それが、無意識ならともかく、意識的なものであれば、その心、は何だろう。
第4番そのものの復活への思い、だろうか?
それとも、第4番の精神なり主張の復活を込めた、のだろうか?
だとすれば、第4番の精神なり主張とは、何か?
交響曲第4番そのものに、特定の標題、言葉は掲示されていないから、「修辞的引用」として解釈はできないのだが、あえて、「修辞的」なるものを探るとするならどうだろう。
ここで、ショスタコーヴィチに、第4番に対する思い、を語っていただこう。
(2006.4.23 Ms)
わたしは、自分の仕事の一種のクレード(綱領)となるような第四交響曲の仕事にいよいよとりかかろうとしているところだ。 いまわたしは、どんな基本的課題をになっているか。 それに答えるには、現在という時間をふりかえってみなくてはならない。 学生時分わたしは、音楽というものはひと組みのさまざまな音の結合であって、その「ひびきのよさ」が音楽作品の質をも決定するというふうに考えていた。それからしばらくして、音楽がじつにさまざまな思いや感情を表現できるきわめて強靭な芸術だということに気がついた。そこではじめてわたしの世界観のためのたたかいが始まった。それは今でもつづいていて、やがて終りをつげるようにも思われない。(中略) いまわたしは、独特の、単純な、表現力にとむ音楽語法をみつけるという基本的課題をになっている。(後略) 「ショスタコーヴィチ自伝 時代と自身を語る」ラドガ出版 (P61) |
これは、自伝巻末の「初出誌一覧」によれば、「イズヴェスチヤ」1935年3月5日号に掲載のもの。第4番の作曲は1935年9月13日(前述の千葉潤氏著作による。P189)であり、作曲前の意気込み、宣言、ということか。
また、前述のファーイ著作(P124)によれば、交響曲自体は、1934年11月に着手され、その後その原稿は破棄されたようだ。それならば、第4番作曲の試行錯誤の最中の発言、ということになろうか。
さらに、最近では、あまり資料として活用もされないのかもしれないが、ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」第五章(P275、中公文庫版)においても、
戦争は多くの新しい悲しみと多くの新しい破壊をもたらしたが、それでも、戦前の恐怖にみちた歳月をわたしは忘れることができない。このようなことが、第四番にはじまり、第七番と第八番を含むわたしのすべての交響曲の主題であった。(中略) わたしの交響曲の大多数は墓碑である。(後略) |
とある。
また、前述の千葉潤氏著作(P190)においては、1974年のグリークマンとの会話として、
”音楽の代わりの支離滅裂”の後、指導部が、私に懺悔して自分の罪を償うように、執拗に説得した。だが、私は断った。当時は、若さと肉体的な力が私に味方したのだ。懺悔の代わりに、私は交響曲第4番を書いた。 |
という言葉を紹介している。
第4番にかけたショスタコーヴィチの思い、ただならぬものがあっただろう。
「さまざまな思いや感情を表現」すべく、第4番は試行錯誤を重ね、自作歌劇に対する権力側の「プラウダ批判」の後も簡単に屈する事無く作曲が続けられた。そして、その第4番を通じて語りたかった主張が何かは、私には断言はできないが、しかし、初演は撤回され、口は封じられた。
言いたいことが言えない。表現したいことが表現できない。
でも、ショスタコーヴィチは、その表現したい主張までも撤回したのだろうか?第4番という作品は撤回したものの、その、主張は、第5番にも何らかの形で流れついてはいないだろうか?それを解く鍵として、今まで見て来た、2作品共通の音の動き、を着目するのは、全くの的外れなのだろうか?
あくまで私の主観によるなら、「戦前の恐怖」そして、その被害者たちの「墓碑」、この2点のイメージを、第4番から強烈に感じ取っている。
そして、その「恐怖」「墓碑」といった感覚は第5番にも共通するトーンとして響いてくるように思える。そしてその「恐怖」「墓碑」を表現する楽想を、第5番でも活用しているように感じ取ってもいる。
これ以上に、確定的なことは決して断言はできないだろう。しかし、あえて、無謀を承知で、具体的なイメージをここに表わしてみたい。
決して、この2つの交響曲は、標題音楽・交響詩ではない。が、私は、ここで一つの仮説を提示したいと思う。
2作品ともに、全曲の冒頭と最後に目立つ形で置かれている、全曲の象徴とも取り得る、3音の下行順次進行(前述のABC)が、「墓碑」を象徴しているように思える。
2作品ともに、A−G−Fという3音に端を発する下行順次進行は第1楽章の重要な主題としてあり、中間楽章でも折りにふれ回想されている(例えば、第4番においては、第2楽章中間部・124小節目以降で。第5番においては,第3楽章第2主題・33小節目以降で。)。
そして、第4番においては、第3楽章の最後の勝利の凱歌の最中に、「墓碑」が登場することで葬送行進曲が再現、死屍累々たるコーダへと導く。
第5番においては、第4楽章のコーダで、表面上は長調の和音で満たされるものの、確かに第4番と同じ形で「墓碑」の3音は存在しているわけだ(第4番のように繰り返し強調はされないが)。単純な歓喜ではないことを、まさに、如実に物語ってくれる3音、ではないのか?
また、さらに、あえて、根拠薄弱なる前述のDに絡んで言うなら、戦争中の恐怖ではない「戦前の恐怖」、すなわち、スターリン独裁の恐怖は、前述のDによって、2作品に共通して表現されているのだろうか???・・・こちらはかなり怪しすぎるな・・・。
こちらの指摘は、忘れていただいた方がいいかもしれない。
ただ、前述の「墓碑」の指摘は、一度、皆様にも充分吟味していていただきたい内容として再度、注意を喚起させていただきたい。いかがでしょうか。
(2006.4.26 Ms)
『余録』
第4番と第5番の、音符の共通点を追いながら、その密接な関係に迫ろう、というのが私の狙い、であった。まだ、蛇足ながら少々続けたいのだが、振りかえって、この<2−5>の項の最初に触れた、ソレルチンスキーの指摘、
交響曲第5番は交響曲第4番の「残り物」でできている
に関連して、2点ほど、些細な指摘を。
E 第5番第4楽章の32小節目以降の旋律線(弦楽による)
・・・第4番第1楽章の13小節目以降の旋律線(オーケストラ全体)
1拍ごとに、八分音符2つの同音と、3音の上行順次進行+下行、が繰り返されている。
F 第5番第4楽章の40小節目の旋律線(弦楽による)
・・・第4番第1楽章の687,688小節目の旋律線(弦楽による)
1st ヴァイオリンによる旋律の動きはほぼ同じ。伴奏の発想(他の弦楽器による、1st ヴァイオリンの旋律と同一リズムによる和音の充填)もほぼ同じ。
ただ、そもそも、第4番第1楽章の580小節目以降の、Prestoによる弦楽器の狂気じみた疾駆は、第5番第4楽章の前半の主題展開の先駆けのような感覚はあるのではないか。第5番の方が随分と、冷静さを持っているけれど。
だんだん重箱の隅をつつくような指摘になっていること、ご容赦ください。確かに、12の音の組み合わせに過ぎない、のだから、どんどん詳細に見ていけば、あれもこれも、何かと同じ・似ている、となりかねないだろう。
例えば、第5番第4楽章の冒頭主題の、A−D−E−Fの4音だけを取り出せば、第4番においては、第1楽章25小節目アウフタクトから低音楽器でそのまま現われるし、同楽章263小節目以降のファゴットの旋律もやや余分な動きはあるが、要約すればE−A−H−Cisとなり同じ。さらに、同楽章498小節目以降のファゴットも、Es−As−B−Cとなっていて同じだ(こちらはリズムも同様)。・・・きりがない。
しかし、あれもこれも、同じ、似ていますね、という指摘だけで片付けたくはない、というのが私の思いである。少なくとも、前述の@からC、さらにDは重要な主題同士の共通点として、E以降とは別格な意味を持っているのでは、と思うのだ。単発で出てくる旋律が突発的に何かと似ているのと、重要な役割をもって、何度も展開されてゆく主題同士の類似を同列に見るわけにはいかないだろう。
この<2−5>の項の私の主張だが、交響曲第4番の「残り物」を第5番の中から探しあて、それこそがショスタコーヴィチの言うところの
「音楽がじつにさまざまな思いや感情を表現できるきわめて強靭な芸術」
たることを物語っている証拠になりうるのなら、まさしく、「残り物」の中の「福」、ということになろう・・・そんな宝捜しに私が成功したのかどうか・・・これは、結局は、ショスタコーヴィチにしか分らないのだろう。
しかし、この謎解き、かなり私は熱中して楽しませていただいた。ショスタコーヴィチに感謝。
・・・と、ここで終わるわけではありません。この第4番の背後にある巨大な存在にも触れざるを得ないでしょう・・・マーラーという巨人。
(2006.4.30 Ms)
続きはこちら(次回は、マーラーについて)
『さらなる余録』
興味深い文章を見つけたので、ご紹介。
N響の定期演奏会パンフレット誌「フィルハーモニー」の、2001/02 Vol.2において、「N響楽員による曲目解説」なるコーナーがあり、ヴィオリスト、小野富士氏による、ショスタコーヴィチの交響曲第4番の解説(2002年5月A定期)があり、短いながらも端的に核心を突いたものと感銘を受けた次第。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を全曲演奏しているプレーヤーならではの含蓄あるもの・・・抜書きさせていただけば、
社会主義リアリズムというのは、たとえば音楽に関してありていに言えば、「大胆で進歩的な事や、奇抜なことはせず、誰にでもわかりやすく、情緒をかき乱したりもしない。そして、音楽を生活の嗜好品としか思わない、時の為政者にとって理解できないものは、国益に反するからまかりならん」というようなものだったらしい。このような制約、あるいは威嚇が常にある中でショスタコーヴィチは作曲を続けたのだ。(中略)
彼の作品が作曲技法の開発に陥らず、しかも現代感と現実感をもって私達に語りかけてくるバランスを保っているのは、彼にとって決して幸せなことではなかったにせよ、旧ソ連の「社会主義リアリズム」による曲を作る上での外面的な制約が、ショスタコーヴィチの持っていた創作力を、より音楽の内面に大きく向かわせたからだと思う。つまり、社会主義リアリズムの目をかいくぐる中でショスタコーヴィチの作品は20世紀音楽の現代性を持ちながら、演奏家に再演する必要性と喜びを喚起し、そこに共存する人々(聴衆や演奏家)の経験と共に成長してゆくメッセージとして存在するようになったと思うのだ。
ショスタコーヴィチはたくさんの妨害があったにもかかわらず、常に強い意志を持って創作し続けた。そのことは隣接する曲の間にも感じられる。
たとえば、<第4交響曲>第1楽章の第1主題は<第5交響曲>のフィナーレへ、
また<第4交響曲>第2楽章の第2主題は、<第5交響曲>第1楽章の第2主題へ、
そして<第4交響曲>第3楽章最後のチェレスタとハープの音は<第5交響曲>第3楽章のコーダへと関連発展している。(後略)
小野氏による、最後の、<第4>と<第5>の関連発展のうち、一番目は私が上記で述べたD、二番目はAに対応するものである。
一流プレーヤーによる指摘を私にとっての応援と受けとめつつ、やはり、音楽の生まれる現場からの、奏者の声というのも興味深く傾聴したいものだ。
次項<2−7>のマーラーのレントラーからの影響を示唆する、同じくN響ヴァイオリニスト永峰氏の指摘とあわせ、参考資料として紹介させていただいた。
(2007.2.16 Ms)