103系

103系のトップナンバーが大阪環状線にいた頃の写真。現在は阪和線に転属している。
(天王寺駅/2006.12)
保有会社 JR東日本JR西日本JR九州
元保有会社 JR東海
活躍している路線
仙石線、大阪環状線、大和路線、阪和線、おおさか東線、山陽本線、伯備線、宇野線、呉線、播但線、加古川線、赤穂線、可部線、筑肥線など
 昔活躍していた路線
中央線快速、中央総武緩行線、埼京線(赤羽線)、常磐線、成田線、川越線、八高線、山手線、京葉線、武蔵野線、鶴見線、京浜東北線、南武線、横浜線、青梅線、五日市線、中央西線、東海道本線、福知山線など
103系は101系の改良型で、駅間距離が短い路線での使用を目的として1963年に登場。その後大量量産され、1960年代末には関西地区にも進出した。1973年からはATCを導入。これにより103系は地下鉄乗り入れ仕様の1000番代や高運転台車も登場。その後もさらに増備され、1984年までに3447両が製造された。これは同一形式で日本最高量数を誇っている。中央快速線では1979年に201系が登場すると、もともと少数派だった同線の103系は1983年までに全車が中央総武緩行線や南武線などに転出した。また、その頃から105系への改造も多く見られるようになった。それでもJR発足直後の時点で関東では中央快速線、南武支線、鶴見線を除いた全路線で活躍していた働き者である。しかし後継車両の205系、209系、E231系などが登場すると首都圏の103系は減少の一途をたどり、ついに2006年3月改正で常磐快速線を最後に首都圏の103系は完全撤退した。一方JR西日本の103系は体質改善工事が行われ、関西地区をはじめ広島でも活躍中。だが最近になって321系の登場による201系の玉突きで、車両配置に変化が出ている。
JR東日本
 最初に登場した103系はウグイス色だったが、こちらは1985年、川越線の電化に伴って登場した3000番台。登場時は3両だったが、1996年に八高線が一部電化されたときに4両に増強された。しかし山手線からの205系の流入により2005年10月に引退した。
   (八王子駅/2004.7)
 武蔵野線の103系は1986年に登場。写真の高運転台車をはじめ、低運転台車も混在し、さらには列車番号表示機を省略した車両など、バラニティに富んでいた。2002年に山手線などから205系が投入された後もしばらくは「103系の天国」だったが、2005年に同線から撤退。
   (府中本町駅/2005.6)
 京葉線は1986年に部分開業され、同線の103系はその時から使用されていた。山手線から205系が大量に来たためで2005年11月に引退。また、京葉線にはスカートがある車両など、珍車が多かった。写真の車両はその後大宮総合車両センターに保存され、現在は鉄道博物館でカットモデルながらも保存されている。
   (大宮総合車両センター/2006.5)
 鶴見線の103系は首都圏の103系の中ではでは最も歴史が浅く、1990年の登場。主に南武線から転属してきた車両。1992年に101系を置き換え、その後10年あまりは全ての車両が103系という状態が続いていた。やはり山手線からの205系の転属により2005年に引退。同線の103系を最後にカナリアイエローの103系は消滅した。
   (鶴見駅/2004.10)
 常磐快速線の103系は1967年の登場。1987年には103系最長の15両編成での運転を開始した。2002年にE231系が登場し急速に置き換えが進んだが、結果的には首都圏最後の103系となった。2006年3月引退。写真は高運転台車。
   (上野駅/2006.2)
こちらは低運転台車。エメラルドグリーンは常磐線のオリジナル塗装だった。また、103系では珍しく列車番号表示機がLEDだった。
   (上野駅/2006.2)
JR西日本
 大和路線の103系は1983年に登場。その2年後には同線の101系を置き換えた。リニューアルされた車両も多く、しばらくは使われるかと思われていたが、2006年に201系が登場。6両編成の車両は撤退寸前のところでおおさか東線が部分開業。当分は使用されるようだ。
   (天王寺駅/2004.8)
 奈良線の103系も大和路線の同系と同じ時期に登場。奈良線は今のところ103系の天下で、しばらく心配はないだろう。また、奈良線の103系は全て4両。
   (京都駅/2008.1)
 4両の103系は4+4で大阪環状線に乗り入れる運用もある。ウグイス色の103系はやっぱ違和感がある。
   (大阪駅/2008.1)
 JR西日本の103系の一部は大規模なリニューアルを施した車両も存在する。特に側面窓は207系と似たタイプに改造され、リニューアル前と比べてスッキリした印象を受ける。
   (天王寺駅/2006.12)
 大阪環状線の103系の登場は1969年。同線で活躍していた101系を1985年までに置き換えた。写真は初期車で、201系の転属などで大和路線や阪和線への転属が進み、残りわずか。ちなみに、写真の車両は2008年3月現在、大阪環状線に残留している。
   (天王寺駅/2006.12)
 大阪環状線の103系は豚鼻低運転台が主流だった。こちらも初期車と同じく201系の転属などで勢力を減らしている。写真の車両も大和路線に転属した。
   (大阪駅/2008.1)
 2007年になって大阪環状線に登場したN30高運転台車。このタイプはその後急速に勢力を増やし、残った初期車を阪和線などに追いやった。
   (天王寺駅/2007.12)
 大阪環状線の103系にはN30低運転台車も存在する。ちなみにこの編成は外回り側の先頭車のみN30で、その他の車両がN40というかなり中途半端な編成。
   (天王寺駅/2006.12)
 阪和線の103系は関西圏では最も歴史が古く、1968年の登場。その後205系が登場したが、現在も同線の普通列車のほとんどが103系で、N40改造を受けた車両も存在。
   (鶴ヶ丘駅/2007.12)
 阪和線の快速といえば現在は223系の関空快速だが、ラッシュ時限定ながら103系も快速運用を持つ。写真の車両は前面窓や方向幕などが黒ゴム支持になっていて、ほぼ全ての車両が金属支持になっている阪和線では貴重な存在。
   (鶴ヶ丘駅/2007.12)
 こちらはN40の高運転台車。高運転台車は大阪環状線などに転属が進み、今では珍しい存在。
   (美章園駅/2007.12)
 阪和線の103系にはつい最近まで分散型クーラー車も存在していた。
   (天王寺駅/2005.12)
 大阪環状線から転属してきたクハ103-1。現在は阪和線でその勇姿を見ることができる。ちなみに反対側はクハ103-2。
   (鶴ヶ丘駅/2007.12)
 和田岬線は103系が使用されている。1編成しかないため、検査時は207系などが代走する。また、朝夕のみの運用で、昼間は車庫で休んでいる。写真は車庫への返却回送時のもの。
   (須磨〜塩屋/2007.12)
 播但線の103系は1998年に一部電化された際に登場。塗装は103系では初のワインレッドを採用した。N40改造を実施済みのため、しばらく心配はないだろう。
   (姫路駅/2006.1)
 103系は1994年に岡山地区に進出した。塗装はウグイス色とにているが、こちらはマスカット色。現在は213系の大挙襲来で同地区からは撤退し、広島地区へ転属。1編成のみがこの塗装で活躍中。また、現在はスカイブルーの103系が岡山地区で活躍している。
   (広島駅/2007.4)
 1992年に登場した広島地区の103系。塗装は115系同様のクリームと青のもの。写真は初期車で、他にも豚鼻車や戸袋窓残存車などが存在し、バラニティに富んでいる。オールロングシート+トイレなしのため、長距離乗車はちょっとつらいかも。
   (広島駅/2007.4)
 2005年に武蔵野線から譲渡された高運転台車。
   (広島駅/2007.4)
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