2004年7月10日 (43日目) 
 志度ロイヤルと言うこのホテル、ベッドの幅が狭いような気がする。朝食をとった後、7時40分出発する。久しぶりの雨が、かえって心地よい。87番・長尾寺までが以外と近く感じる。このお寺、広い境内が参拝者の駐車場になっている。線引きがしてあるわけでもないので勝手に駐める。この空間、もっと有効に活用できるはず、といらぬことを考える。

 今日の宿として、温泉・竹屋敷をあてにしていた。電話をすると、ぶっきらぼうに「満室です、すみませ〜ん」とのこと。仕方がないので、大窪寺の門前にある民宿・八十窪に電話、予約する。

 険しい山道へ歩き始めたとき、おじいさんが手を合わせて招く。「大窪寺の近くまで行くので乗ってください」と。雨が降り続いているので、ありがたいお接待と乗せてもらう。年を聞くと88歳と返事。偶然でしょうが、88歳のおじいさんのお接待で88番札所のすぐ下にあるおじいさんの家まで送ってもらう。時計を見ると10時半前。大窪寺でお参り、御朱印をいただいて結願成就。時計は11時。まだ、宿に入る時間ではない。八十窪をキャンセルして歩くことにした。一時の激しい雨も山を半分ほど下りたところで上がり、後は阿波に向けて歩を進める.。
 
 南光坊は広い境内を持つお寺さんです。道路の両脇に本堂と大師堂がある、と思っていた。地元の人は境内の中を突っ切る道路へ案内してくれるし、ほとんどの参拝者の車が、バスがこの通りから入り出ていく。よく見ると、北側の大通りに面して立派な仁王門がある。山門や仁王門はお寺の玄関であり、ここで仏に仇なす邪気が入り込まないように見張りをしているのであるから、当然参拝も仁王門から入り仁王門から出るのがまともなのにって・・・・・・・・。新しい仁王様、阿形もん形も覇気は薄く穏やかに見える。

 この南光坊から100m足らずの位置にあるビジネスホテルに入ったのが5時でした。洗濯、入浴、そして夕食の買い出しと、気が付いたら7時近くでした。

 明日は、湯ノ浦あたりが宿になりそう。

 今日の万歩計は 35,300歩 でした。
 延命寺の山門脇から55番南光坊までのへんろ道の案内板がある。前回に続いて、入ってみるがやはり途中から案内の看板もステッカーもない。しかも、しまなみ海道の開通で道路が変わっている。やはり大回りをしてしまったようだ。

 今治市内へ入る。突然、自転車に乗ったおじちゃんが声をかける。こっちは歩道が無いから危ない。本通りの歩道を通っていきなさい、と。なるほど、車は信号が赤になってからも突っ込んでいくは、横断者用の信号が赤にも関わらず突っ切る自転車のおばちゃんがいては、危ない危ない。

 今度は、乗用車が止まり、「何で遠回りをしてるの?」とくる。一帯、どうなってんの?このおじさん、近くだけどといいながら南光坊まで乗せていってくれた。
 53番円明寺はさして広くない境内に山門が二つある。しかも、大師堂は二の門の外にある。このお寺さんも、雨の当たらないベンチがない。雨はほとんど落ちてはいないが、荷物を下ろすベンチはすべてずぶ濡れになっていて使えない。

 ここから、54番延命寺までは35kmもある。これからでは日が暮れてしまう。前回は2泊もしている。その二つの宿ともあまり良いイメージが残っていない。思案の末、30kmをワープすることにした。伊予和木から大西駅までJRのワンマンカーに乗る。大西駅から今治のビジネスホテルを予約する。
 激しい雨は開店前のお店の軒を借りてやり過ごして歩いたせいか、太山寺のお参りを済ませたのが11時。小雨降る石段の落ち葉を掃除している寺男に「ご苦労様です」と声をかける。「53番までは国道を歩くことになるからお気をつけて」と返事が返ってきた。そういえば、今日は日曜日。マイクロバスを借り切って松山市近郊の札所4ヶ寺を巡っているという普通の格好の一団とも出会う。お経は般若心経だけだがかえって清々しい印象を受けたのはなぜだろうか。
 このお寺は、山門が三つある。一の門をくぐり、やがて二の門。ここは改修工事中で人も通れない。ここからが坂道、しかも庫裏を過ぎ、本堂までの坂は息が切れてしまうほどの急斜面。多くの白衣参拝者はまず、1の駐車場に車を止めて、納経帳に御朱印を受け、また車で本堂下の駐車場へ上がっていく。息せき切って登り、ご本尊とお大師様を参拝するという感激など有りはしない。
2004年6月27日 (30日目)
 道後温泉の観光ホテル、夕食は部屋でとる。もちろん布団も敷いてくれる。でも、お風呂が工事中では何とも言いようがない。新しいホテルが繁盛し、設備が古くなると厳しいという。

 三日続きの雨となる。東京からの天気予報では愛媛県には傘のマークがない。しかし、地元松山局の天気予報では午前中が傘のマーク。52番太山寺のお参りが終わるまで、ときにはバケツをひっくり返したような激しい雨が降り続いた。
どう    ぎょう    に      にん
お大師様の気を感じたくて再び巡るお四国の山や里
2004.5.22〜
“四国を歩いてみたい!”
  この願望がかなった昨年、時が経つにつれて持ちあがった“空虚感”
  これはいったいなんだろう?
   大きな写真にリンクアップしました。写真をクリックしてください(2004/7/18)。
2004年6月28日 (31日目)
 昨夜の宿、今治プラザホテルは、禁煙ルームがあるという。しからばと、お願いをした。エアーコンからはたばこの臭いは流れてこない。自分自身がなが〜い間に多くの人に迷惑をかけていたのだって気が付いた次第。

 夜中に何度と無く目が覚めた。激しい雷鳴である。鉄筋ビルのホテルの部屋で耳栓をしていててある。朝になって、愛媛県内で土砂崩れとJR不通のニュースが流れていた。
 雲は多いが今日は雨の心配なしで歩けそうだ。ホテルから40分で56番泰山寺につく。境内にハイって、ビックリ、大師堂が移動工事中ではないか。これではお参りのしようがない。本堂での合わせたお参りで、我慢していただこう。まだ、朝が早いせいもあり、参拝客はまばらだ。
 57番へのへんろ道は田圃の畦道から始まる。それが、やがて路地から農道に変わる。蒼社川の堤防近くに、行き倒れた遍路の石塔が集められている。哀れに思った地元の人が、石塔を彫り供養したものであろうか。この中には、自分が死んだことも理解できずに未だに、お遍路を続けている者もいるという。
 57番栄福寺は山裾のお寺、ちょっとした階段を登る。お参りと休憩をしていると、数人の完全装束の一団がやってきた。まず、向かったのが納経所。その後で、お参りをしている。こうなると、いくら完璧なお経をあげても掛け軸の御朱印のためのお参りとしか思えなくなる。
 58番仙遊寺は、文字どうり山の上にある、標高280mとか。でも険しい坂道がある。特に、山門をくぐってから本堂と大師堂のある境内までが厳しい(別の道で自動車、バスは境内まで上がることができる)。折悪しく、バスツアーの時間帯と合致合ったようだ。二つの団体がお参りするのをやり過ごす。どちらも、先達を雇ってのツアーのようだが添乗員が気ままに振る舞う参加者に気を遣う様は見ていても気の毒になる。この二つのグループ、どちらもマナーや参拝エチケットを教えていないようだ。先達はどうもお寺でお経をあげるためだけのようだ。でも、ご本尊の前でのお経に、御真言でなく大師法号で済ますとは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。霊場会も・・・・・・・・・・・・。
 次の59番国分寺では、対照的な二人の姿を見てしまった。ひとりは、不自由な足をかばいながら、言葉にならないお経を一生懸命にあげている。見たところ20代の青年だ。お経はその抑揚から般若心経に間違いがない。それとは対照的にもう一人はお参りも手を合わせただけで、納め札を入れる容器に手を突っ込んで引っかき回して行ってしまった、40代の女性。錦や金の納め札は何度も八十八カ所をお参りしたのと同じ功徳が得られると言うが、それを目的にしてはいかがなものか。最近は投入口を小さくして取り出せないようにしているところが増えてきた。ほとんどの人が白い納め札、それを手で引っかき回すのはその人を踏みにじるのと同じだというのである。私も何枚かの金札をゲットしているが、ひっかき回してまでは欲しくない。
 今日の宿は今治湯ノ浦ハイツに決めた。瀬戸内海としまなみ海道が見えるロケーション抜群の温泉宿。昨年は2泊もしてしまったところだ。3時にチェックイン、早速洗濯をとでかければ、1台しかない洗濯機へコインが入らない。故障している。仕方がないから、ホテルの2糟式の洗濯機で洗う。手間がかかってしまった。乾燥機は動いてくれたのが救いだ。

 と、言うことでこれから食事です。

 今日の万歩計は 31,500歩 でした。
2004年6月29日 (32日目)
 今治湯ノ浦ハイツの泉質は、放射能含有低張性アルカリ冷泉とあった。いわゆるラドン冷泉である。朝、北向きの部屋の窓から身を乗り出すと、少し前に昇った太陽を見ることができた。
 ここの朝食は7時30分から。出発は8時になる。
 次に目指すのは21番太龍寺に次いで標高の高い60番・横峰寺であるが、ここから30kmある。下りるまで宿がないから、今日一日では無理。20km先のりんりんパークに宿を取り、明日朝一で挑戦する。
 今日のコースは20kmあまり。普通に歩けば、りんりんパークにはお昼に着く。いくら何でも早すぎる。休憩をじっくりと採り、お昼を喫茶店でじっくりととり、1時30分にチェックインした。

 このコース、前回地元の人に声をかけられ「こっちだよ」って、言われた方向で1時間のロスをしたところだ。
 今回は、「四国の道」標識を見落とさないよう注意深く歩く。前回、声をかけられたところはコースを外れていたのが判った。新しく石の標識が設置されており、わかりやすい(一部は注意しないと見落としやすい位置にあった)。東予市三芳地区の今治街道を歩いていると、「お遍路さ〜ん」と声がかかる。近くの家から70代のおばぁちゃんが飛び出してきて、2cmほどのフクロウのぬいぐるみを2個くれた。「福がくる」という縁起物だとか。いずれにしても、お遍路に対して関心の高い地域のようだ。
 宿に入り、まずお風呂。ここは低張性アルカリ温泉とある。汗に濡れた物をコインランドリーの洗濯機に入れ、お金を投入。所要時間31分と出た。・・・・・・・・・・40分後、見に行くとまだ「残り時間・31分」のままである。スタートスイッチがあったんだ!ここの業務用ドラム式洗濯機は・・・・・・。改めて「すたーと」です。そんな、こんなでくつろいでいます。

 今日の万歩計は 26,300歩 でした。
2004年6月30日 (33日目)
 ドライブイン・レストランと土産屋、そして温泉と施設がある“リンリンパーク”、白装束軍団を乗せた観光バスもよくトイレ休憩をする。宿泊者もお遍路が多い。
 同宿の40代の女性が私を見つけて話しかけてきた。聞くと、地元の人に車に乗っけてもらったため早く着いて楽できたとか。それと、「横峰寺へのへんろ道は3本あるが、ここからの道が一番楽で、途中にレストランもできたそうですから明日はこの道を往復してもう一日ここに泊まるつもり」という。
 大変な、嘘っぱちを吹きこまれている。ここからのコースが一番厳しく、敬遠されるのと、車では行き止まりで「カルキがないから」と谷川の水をくみに行く人しか通らないこの道にレストランなんか経営できっこない。
 今朝の食事で、「あなたの言われたことが地図でも確認できました。今日は61番へ歩いていき、そこに荷物を預けて60番にお参りします」という。この方法がベテランのお遍路が勧める一番楽なコース、と昨夜説明しておいた甲斐があった。

 昨年の私と言い、この地区には不確かな話を“地元の人間の言うことは黙って聞け”といわんばかりに押しつける風潮があるようだ。
 朝5時前から降り出した雷雨、一時は飛ぶ鳥も落とさんばかりの勢いでした。でも、出かける7時にはすっかり上がっていた。
 舗装道路がある間は順調に進めた。昨年よりも30分早い。この林道が終点になるところに遍路小屋と、谷川の水汲み場がある。今日も2台の車がペットボトルに水を詰めている。“何か御利益のあるお水ですか?”と聞くと「カルキがないから・・・・」という。そんなためだけにローギヤーであえぎながら車を繰って来るなんて、この地域は水に苦労してるんだ、と解釈してしまった私。

 ここから、へんろ道が始まる。進むにつれて傾斜が厳しくなる。明け方の雷雨のせいなのか、川のように水が流れていたりする。そうかと思えば石畳あり、岩を削った階段あり、また薄暗い檜林のなかであったり。2時間30分もかかってやっと見えてきた山門は、感慨深い物があった。この山門、歩きでこのコースから上がった者にしかくぐることができない。ということは、ここが本来の参道なのであろう。
 11時45分に61番・香園寺に向け山を下り始める。しばらくして、同宿だった女性に出会う。61番まで1時間かかって歩き、そこに荷物を置いて上がってきたという。私より1時間近く遅れて登ってきたことになる。下りのへんろ道は、やはり急。しかも、雨で石がゴロゴロでてるから、足の置き所を見定めてからでないと着地した瞬間に足をすくわれることになる。膝と、脛にダメージが蓄積する・・・・・。61番に着いたのが2時30分、前回よりは30分早い。62番・宝寿寺,63番・吉祥寺とお参りをした後、64番・前神寺への入り口にある「石鎚温泉」にチェックインしたのが4時30分でした。

 お風呂と、洗濯はしたものの疲労が激しい。なにもせずに横になって6時を迎えた。ここは、温泉の成分表が見あたらない。ということはスーパー銭湯かも。今のところ宿泊者は3組、その内の一人は長珍屋のタオル入れのビニール袋をぶら下げていた。

 今日の万歩計は 33,800歩 でした。
2004年7月1日 (34日目)
 四国の大動脈、ルート11とJR予讃線に挟まれて建つこの宿、真夜中にもトラックと貨車が走る。3時半に目が覚めてしまった。6時からの朝食に一組増えて4組が食堂に集まる。朝から生ビールをオーダーしている豪傑もいる。「お大師様は車に乗らない」といったあるお寺の住職を思い出す。朝からビールとは、運転は大丈夫ですか?
 宿の前には赤い大鳥居がたつ。石鎚神社のものだ。少し大回りになるがここから今日の歩きが始まる。
 64番・神前寺には10分足らずで到着。同宿だった夫婦連れが車で入ってきた。お山一帯をご神体とする石鎚神社の一部であったことが伺える狛犬や建造物もある。小川を境に彼岸と娑婆を分ける境内の構成は高野山奥の院に通じる。そして本堂に通じる石段の両脇には小さな石段が左42段、右33段設えてあり、男と女の厄を一段づつ念仏を唱えて上がることにより、払い落とす構成だ。
 今日の予定は伊予三島までの38kmあまり。66番・雲弁寺への山登りに備えて佐野の民宿・岡田へいくためにである。
 ところが、歩き始めて今日は足が出ない。身体も重く切れがない。横峰寺での上り下りがじんわりと効いているのか。昨年も、途中で切っている。30分歩いては休憩するという形で国道11号線に沿って走る旧道を歩く。
 西条市に入っても、身体は回復しない。無理は禁物、ということでJR中萩から伊予三島駅までワープ、駅前の第一ホテルに着いたのが12時30分、飛び込みであるが部屋へあげてくれた。今日はここでお昼寝して、疲れをほぐします。

 今日の万歩計は 12,800歩 でした。
2004年7月2日 (35日目)
 このホテル、9階建てのビジネスホテルであるが、宿りストで調べてあるホテルとは名前も電話番号も違う。経営主体が替わったようだ。サービスで付いた朝食も10名程度の準備でしかないのが寂しい。
 昨日の静養が効いたのか、今朝は足が進む。へんろ道は前回も通っているので迷う心配はない。1時間近く経過して、戸川公園で小休止。あわせて佐野の名物民宿・岡田へ電話をして宿泊を依頼する。この公園、地元・伊予三島のシルバーが三角寺への登山とお参りのために集合する場所のようである。今日も8人ほどが賑やかに談笑している。電話をしている間にそろって出かけていった。
 険しい斜面を縫うようにして這い上がる農道、そのつづら折りをバイパスする“へんろ道”。水場を含め、記憶がある。シルバーもそれぞれのグループに分かれてきた。急斜面を勢いよく上がる人、こまめに休憩を採る人、マイペースで登る人などなど。
 坂道にかかるととたんにだらしなくなる私、そんなシルバーの最後列で距離を開けられる。
 そろそろ三角寺が見えても良さそうな頃、3種類の標識が設置してあるところに出た。なに?1枚は「700m」、もう一枚は「500m」で、下に転がしてあるのが「600m」?どれが一体ホントなの?国交省、地元自治体、霊場会それぞれが自分の意見を主張している。
 三角寺の境内は緑が多く、地蔵様などが多くあっても何となくホッとする雰囲気がある。それは、たぶん完成された庭園ではないからであろう。

 10時10分、山を下り始める。林道を歩き、通称「椿堂」のある国道192号線の川滝に着いたのが11時45分。この途中、建設会社が 善意で作ったへんろ小屋がある。ここで早めの弁当をとったが、前回から1年経って「ここは休憩所です。付近に民家がありますので宿泊はご遠慮ください。」という張り紙が増えていた。それにも関わらず、こちらの挨拶をも無視をする遍路もどきがいたのは理解に苦しむ。
 椿堂の境内に安置され、“福の神”と案内のある3体の石像、意味ありげな布をそ〜っと除けてみると・・・・・・・。椿堂からは佐野峠にかけてきつい登りが続く。大型トレーラーがあえいで登っていく。暑いのとスタミナが蓄積されていないために、苦しい。30分に一度の割合で休憩を入れる。峠をトンネルで抜けると、徳島県にはいる。三好郡池田町佐野である。ここの民宿・岡田に着いたのが2時30分でした。多くの宿の中で女将さん、あるいは親父さんの顔が浮かぶのはこの岡田だけ。愛想のいい元気な顔が迎え入れてくれた。今日は後二人女性が来るだけという。昨年は賑やかであったのにね。

 いよいよ明日は66番・雲辺寺をお参りすると、讃岐入りである。

 今日の万歩計は 23,200歩 でした。
2004年7月3日 (36日目)
 宿の外には、やがて吉野川へ流れ込んでいく、川が流れている。2階の部屋からオイカワが泳いでいるのが見える。
 5時40分に「食事」の声がかかる。準備して6時15分に宿を出発。見送ってくれる親父さん「また、来いよな」と叫んでいる。
 昨年2時間半で登った山道、今年は足も出ないし心臓も踊る。体調としては芳しくないと、言わざるを得ない。立ち休憩の回数が自然に多くなる。結果、3時間ちょっとかかってしまった。

 “雲辺寺”とは雲が漂うお寺という意味なのであろうが、今日はよく晴れている。立木が邪魔をして見晴らしはきかない。
 車で登ってきた人、ロープウエーで上がってきた人などちらほらとお参りしている。ここの納経所での応対はきわめて機械的。苦労して歩いて登ってきたお遍路は一目見れば判るはず、ご苦労様でした。の一声があればもっとありがたさが増すであろうに、と昨年も感じたことを今回も思ってしまう。それに境内の構成がわかりにくい。お堂が移動されたりしているらしい。観光化という人寄せ、つまりはお寺の営業成績アップの努力だけが見えてしまうのは何とも残念でならない。
 尾根を走る林道を歩き、やがて下りのへんろ道に入る。ここから約5kmの険しい下りがつづく。香川県側にあたるこのへんろ道、よく手入れされていて歩きやすい。飛ぶように、とはいかないが順調に下りることができた。山道を下りきったところに「青空屋」という民宿ができている。でも、佐野の岡田屋で 泊まると、お昼前にはここに着いてしまう。何とも距離的にうまくない。

 平地に下りてからペースが上がらない。やはり、連日の暑さが影響しているのであろうか。間の悪いことに自販機も見あたらない。予備のために持っている「自然水」で、乾きを癒すが冷却の効果はない。67番・大興寺には12時30分に着いた。
 岡田で同宿だった神奈川の女性、67歳とは思えない早さで雲辺寺への山道を上がって姿が見えなくなっていたが、67番・大興寺の手前で追いついてしまった。お参りの後、隣り合ったベンチでそれぞれ岡田の親父さん手作りのおにぎりをありがたくいただく。

 1時30分に、観音寺に向けて出発をする。昨年は自動車用の標識で歩いて大回りをしたために、気を付けて歩く。間違えた分岐点では、ガードレールに黒マジックで矢印があるのみ・・・・・・・。へんろ道保存協会の方、お世話ですがこれではへんろ道を歩いて知っている人でないと、気が付きませんよ!!!!!
 香川県では珍しい昨日、今日のこの暑さ、と地元の人が言う。確かに暑い。アスファルトの照り返しと直接降り注ぐ暑さがたまらない。30分歩いて15分休憩する、という苦しさ。

 市街地が近くなり小さな事業所が多くなってきた。突然、自転車のおばちゃんが呼び止めた。「なにも無いので、これで冷たいものを飲んでください」120円くれた。早速自販機へ挿入、するとその事業所から今度はおっちゃんがお饅頭を2個持って飛んできた。「あそこに休憩所があるから一休みしなさい」、と差し出した。ありがたいお接待でした。

 観音寺駅前のパークホテルに着いたのが3時45分頃。一足先に、岡田で同宿だった長尾寺の近くが家という香川のお嬢さんがタクシーを降りていた。今日は、これまでと部屋でノンビリするつもり。どっか、温泉で休足日を作りたくなっている。

 今日の万歩計は 34,300歩 でした。
2004年7月4日 (37日目)
 ビジネスホテルは気楽で良い。今朝は涼しい内に少しでも歩を進めようと6時30分に出発した。コンビニでおにぎりを買って68番・神恵院、69番・観音寺に着いたのが7時少し前。まず、腹ごしらえとおにぎりを食べる。もう白衣の人がお参りにきている。この二人、まだ納経所が締まっているのにそのまま行ってしまった。
 このお寺、なぜか69番・観音寺の境内に68番・神恵院がある。それぞれ本堂と大師堂4カ所でお経をあげる。たっぷりと30分はかかる。御朱印は2ヶ寺分戴く。「ハイ、代金は600円」となる。
 観音寺の鐘楼、天井に見事な彫り物がある。雲の間から龍が降りてくる、そんなイメージだろうか。
 70番・本山寺へは川沿いに上がる。歩き遍路用に所々小さな標識がある。まだ8時というのに日差しは強く蒸し暑い。堤防を歩くことになるのであるが日陰がまるでない。そんな中、鷺が何羽か集まっているのを見た。コサギ(小鷺)、ダイサギ(大鷺)、アオサギ(青鷺)、ゴイサギ(五位鷺)と種類は全員集合である。
 本山寺には50分で着いた。広い境内に立派な五重塔が建つ。本堂には国宝との表示がある。梵鐘は低い響きが何時までも続く見事なもの。それにしては山門がちょっと寂しい。釣り合いがとれていないのはなぜだろう。

 ここでも、お清めもお参りもなしで真っ先に納経所へ走る中年を見てしまった。最近は、讃岐あたりで掛け軸や納経帳を置き引きする事件が多発しているという。お参りをしないでお金で結果だけを欲しがるこのご時世、盗られる人もあまり 誉められたものではない。
 71番・弥谷寺の参道前にある“ふれあいパークみの”へ電話をして宿を確保する。普通に歩けばお昼には着いてしまう。昨年も立ち寄った喫茶店に入り、モーニングセットをコーヒーで採る。やはり、11時を過ぎると暑さが厳しくなってきた。国道11号線とその旧道がへんろ道となっているが休憩所も日陰もまるで見あたらない。そんな中、土塀の影や建物のわずかな日陰を見つけて休憩をとる。自販機でミネラルウオーターを買って、頭からぶっかけて冷やす。熱中症予防である。

 “ふれあいパークみの”には1時30分に着いた。ここで、今日と明日の2泊をお願いする。今回初めての「休足日」にするためです。早速、温泉と昼寝をしてしまいました。明日は、71番・弥谷寺のお参りだけでノンビリします。

 今日の万歩計は 27,700歩 でした。
2004年7月5日 (38日目)
 この温泉は人気があるようで、日帰り客も多い。泉質はアルカリ性低張性温泉とある。PH9.0は少しお肌がツルツルとした感触がある。それよりも、内風呂、露天(展望は利かない)共にオーバーフローしているお湯には汚れがない。難を言えば、湯船が深すぎることくらいだ。お尻を付けると口の中にお湯が入る、オーバーフローとしては設計されていなかったかもしれない。
 明け方までは激しい雨が降っていた。でも、朝食が終わる頃には雲が切れてきた。部屋の掃除が始まる時間帯、この間にと70番・弥谷寺へお参りにでた。このあたりで泊まっての参拝コースは無いものと見えて貸し切り状態でのお参りができる。しかし、名物の「俳句茶屋」は雨戸が立っていた。
 やがて、仁王門をくぐると、長い階段が待っている。いくら荷物を置いてきたとはいえ、汗はにじむ。そして息が切れ、心臓が踊る。
 折り返す石段を登り詰めると本堂。その下には磨崖仏が3体ある。長い間の風雨でか、衣の部分などはかなり崩れている。ご本尊をお参りして、階段を降りる。濡れて下に傾いている石段は滑りやすい。最新の注意で降りる。

 お大師堂へは靴を脱いでとの指示がある。納経所もこの大師堂にある。靴を脱がなければ、お大師様を拝めないのは61番・香園寺もそうである。香園寺は新しい巨大なお堂の1階にご本尊、2階にお大師様が祀ってある。ここでは、靴を脱ぐのに大きな抵抗を感じたものですが、この71番・弥谷寺では抵抗感なく上がることができた。
 お大師様の前で正座してお経をあげていると、普通の格好をした中年の男性が上がってきた。お参りするでもなく御朱印を受けると72番へのバスを聞いている。へんろ道で歩いても1時間で行ける。バスの通りまで歩いてバスに乗れば場合によっては2時間かかる、歩いてみたら?と勧める。
 雲が切れいいお天気になってきた。でも今日は休足日、道の駅・ふれあいパークみので時間をつぶして10時半に宿に戻る。後は温泉三昧とお昼寝です。

 今日の万歩計は 2953歩 でした。
2004年7月6日 (39日目)
 昨夜は9時前に床について4時まで途中1度目が覚めただけでよく眠れた。しかし、目覚めと共に、身体に言いようのない“けだるさ”が襲ってきた。冷房の効いたところに一日閉じこもっていたのが裏目に出たのか、つらい一日になりそうである。
 連泊の精算をして、宿を出たのが7時30分。俳句茶屋からのへんろ道は途中草が生い茂り、足下を杖で探りながらの歩きとなるが、1時間で72番・曼陀羅寺に着く。ガイドには「笠松」なる樹齢1200年の松の銘木があるとなっているが昨年は気が付かなかった。境内に入ってよく見回してみると、太い丸太を彫り抜いたお大師さまが居る。脇にある説明によると、銘木は松枯病によって枯れてしまいました、とある。おそらくはその幹で彫ったお大師様なのであろう。
 このお寺、駐車場の脇の垣根に人が一人通れる入り口がある。そこには「ここは裏口ですので参拝は必ず正面に廻ってお入りください」と看板がある。しかし、私が休憩とお参りをしている間にきた参拝者8人の内6人がここから入って、ここから出ていった。最近は日本語が読めない人が多いとみえる。

 暑いとはいえ、空気は乾燥している。日陰では汗が引いていく。73番・出釈迦寺の奥の院がはっきりと見える。
 72番でお参りをしていると、空のバスがきた。どうも、ここより500m坂の上にある73番でツアー客を降ろしてきたようだ。案の定、73番・出釈迦寺に向かっていると、大きな鞄を担いだ添乗員が2人駆け足で下りてくる。山門にかかると、ツアーの白衣がゾロゾロと出てきた。「お参りご苦労様です」と挨拶をすれども返事が返ってこない。入り口の茶屋では「大阪まで持って帰るから・・・・」と野菜を値切って居るおばちゃんの大きな声が聞こえた。
 ガイドブックに74番・甲山寺は、たった2行しか書いてない、「標高87mの甲山にへばりつくように建つ」と。なるほど狭い境内は階段で本堂と大師堂が繋がり、庫裏も窮屈そうに見える。ここで目についたのは大師堂脇に安置してある“おびんずる”さま。自分の身体の具合の悪い部分をなでると身代わりになってくれるとか、頭や膝がピカピカに輝いている。素朴ではあるが、人には判ってもらえない身体のつらさを癒すために頼ってくるのであろうか。さしずめ仏式「痛いとこ痛いとこ、とんでいけ!」であろう。

 善通寺はさすが賑わっている。参拝者の多くは白衣ではなく普通の格好、広い境内は見応えもある。ここで目につくのが犬を入れないで、という看板、愛犬の後始末をしない一部の人の行為がこうした看板の反乱を招いたのであろう。
 今日の札所は、徒歩で1時間程度の距離に分散している。宿は、宇多津駅前のホテルに電話してある。一昨々日のような厳しい暑さではないものの、お昼近くになれば厳しい暑さが襲ってくる。幸いにも日陰での休憩を30分に一度はとることができた。

 77番・道隆寺へは2時に着く。境内の休憩所にはかわいい花とカードが飾ってある。納経所を示すお地蔵さんもこのお寺ならではのもの、若い奥さんの才覚か。

 宿までは7km余り、でも今朝からの体調を考え、多度津からJRで宇多津まで移動。3時30分にチェックインすると5時過ぎまでお昼寝をしてしまった。

 今日の万歩計は 28,300歩 でした。
2004年7月7日 (40日目)
 このホテル、11階からの眺めは抜群、朝食をとりながら瀬戸大橋が作り上げてきた町を眺めた。
 78番・郷照寺は小高い山あいにある。珍しく山門の中を自動車が通ることができる。しかし、境内にはベンチがない。歩き遍路にとって休憩の場所が確保できないのは何ともつらい。仏様の後ろに高層ビルがそびえるのは、発展した町の象徴ととらえて良いのだろうか?
 宇多津の旧道から坂出の町に入る。新たにへんろ道の表示ができている。それによると、「公園をまっすぐに突っ切って・・・・・」。なるほど旧道とは本町商店街をまっすぐに通り抜けることなんだ、と感心する。前回、迷った旅館・川久米もこの道を通ればすぐに見つけることができたのにって驚く。結局、78番からは一度も県道/国道を通ることがなく79番高照院に着いてしまった。八十場の水ではところてんを売っている。良い水で食べるところてんは抜群とか。
 79番・高照院はお宮さんの一部にある。そのお寺の名前は天皇寺とある。
 ここで6番から17番まで一緒に歩いた坂出のお嬢さんが待っていてくれた。17番で別れるときの約束どうりである。用意してくれた冷たいコーヒーとバナナシャーベットは蒸し暑い中を歩いてきた遍路にとって、最高のもてなしとなる。彼女もまた、お遍路の魅力に取り憑かれた一人になっている。是非、続きの遍路をと願って別れた。

 80番・国分寺には12時過ぎに着く。このお寺さん、去年よりきわだってお金儲けに邁進しているようだ。仏教ではない七福神を弁天尼を中心にお祀りをしているのも珍しいが、石の観音さまに金箔をはりつけるなどは、どっかの国の大乗仏教を真似たものなのか。1枚300円で納経所に金箔は用意がしてある、とあった。
 12時40分に国分寺を出る。81番・白峰寺への急斜面に取り憑いたのが1時。わずか1,2kmを2時間かかって登った。特に最後の400mが厳しい傾斜になっている。白峰寺ではバスツアーの添乗員の間を縫って御朱印を戴き今日の宿である簡保の宿・坂出には4時30分に着いた。瀬戸大橋は霞みがかかっている。夕日をと待っていたら、雲の中へ太陽は消えてしまった。
 今は、部屋の窓から点滅する瀬戸大橋のランプを眺めながら、キーボードをたたいている。

 今日の万歩計は 34,400歩 でした。
2004年7月8日 (41日目)
 この宿の窓からは坂出の海と瀬戸大橋がよく見える。朝日に照らし出される瀬戸内海を何枚かとったうちの1枚が右の写真です。
 今日のコースは昨年と同じ、82番・根来寺をお参りして一気に山を下り一宮寺から高松市内まで。宿からしばらくは厳しい登り坂が続く。一本松までは県道を歩き、そこからへんろ道に入る。一本松の少し手前で中年の歩き遍路に出会う。へんろ道ではなく県道を歩いて白峰寺へ行くようだ。

 82番・根来寺は急斜面に建つ。本堂やお大師道に行くためには階段を何段も昇らないといけない。本堂へは回廊で廻る。都道府県別に安置される千体仏を見ながら薄暗い通路を曲がると本堂の正面に出る。
 根来寺をお参りして、山を下りる。突然携帯電話がなる。Yasuokaさんからだ。都合がついたのでどこかで落ち合おうと言う。この坂道は鬼無の駅の近くを通る、と言うとそこで待つと言う。あと30分と読んだが1時間近くかかってしまった。

 そこでYasuokaさんの車に乗っけて戴いて、83番。一宮寺、84番屋島寺をお参りする。今日も、強い日差しと湿気で暑い日中、汗をかかなくて済みありがたいお接待となった。そして、おいしい讃岐うどんもご馳走していただきありがたい一日でした。

 3時半にホテルへ送っていただいた後は、例によって洗濯とシャワーで一息ついているところです。明日は、ノンビリと八栗寺を登ることができます。

 今日の万歩計は 21,600歩 でした。
2004年7月9日 (42日目)
 このホテル、LAN接続ができる。久しぶりにブロードバンドの有り難さを堪能することになった。ビジネスホテルでは必要なサービスと思えるが、意外と少ない。後、徳島駅のステーションホテル・クレメントがLANで接続できた記憶だ。
 7時40分に出発する。今朝も蒸し暑い。国道も県道もラッシュの時間帯と言うのにスムーズに車は流れている。八栗寺へ近づくにつれ、勾配が厳しくなる。道路の両脇には石屋さんが目立つ。石を加工する機械の音があちらこちらから響いてくる。

 ケーブルカーの駅に着いた。昨年はここから山道を登ったが、汗の出方が尋常ではない今日は、お大師様に目をつむっていただいてケーブルカーで上がってしまった。乗客は私一人、他に山上駅に勤める職員が二人の3人だけ。

 山上で迷ってしまった。山道を登るとそこが山門なのだが、ケーブルカーはドライブウエーの終点に着く、つまりは裏口である。若いお坊さんがこちらを400m進んでくださいと教えてくれた。
 八栗寺には「歓喜天」も祀られている。形式は神道そのもの、鳥居もある。本堂と正面の方角が90度異なるだけ。不思議な構成だ。本来、神道の中に仏教が入ってきたのであるから、分けて考える方が不自然かもしれない、そんな考えが浮かんできた。

 ユックリと山を下り、歩いてみたが86番・志度寺にはお昼に着いてしまった。明日の日程を考えると、今日はここでの泊まりとなる。ホテル志度ロイヤルに電話をする。聞きもしないのに「チェックインは4時から」という。ぎりぎり早めてもらって、3時からという。しからばと、JR志度駅のベンチでうたた寝をする事にした。涼しい風が吹き抜け、実に気持ちがいい。2時過ぎると遠くで雷鳴がし始めた。昨日のような雷雨がきそう。ホテルに入ったとたん、激しい雨が降り始めた。

 ここは、ブロードバンドの設備がない。また、9,600bpsの超スローバンドでのアップになります。明日は、携帯電話が圏外の地域を歩きます。もちろん、宿もその中。徳島に出るまでは雲上の世界です。よろしく。

 今日の万歩計は 27,000歩 でした。
 今日の出来事は、明日の参議院選挙に間に合うよう帰りなさい、とのお大師様の思し召しではと、考えJR徳島線・学駅から徳島駅へ移動。ホテルクレメント徳島にチェックインしたのが4時半でした。せっかく、LAN接続のホテルにいるのに、肝心のPCがずっこけては、何とも歯がゆい。メンテナンス用の特殊な方法で立ち上げ、とりあえず文字だけはアップできるようにしました。明日の8:21発うずしお4号と新幹線のぞみで帰ります。
 始まりも、突然で、終わりも突然!でも、こんな我が儘ができるのも私の特徴とお許しください。皆さん、長い間のご声援をありがとうございました。
 今日の万歩計は 40,400歩 でした。