54日にもわたるる歩き遍路、日常では得られないいろいろな体験をすることができました。
中には夢か幻か、というものまでありますが私が感じたものをそのまま書きとどめてみようと思います。オカルトめいた話しを、信じる、信じないはそれぞれの勝手。でも、私はその真偽をを追求しない・・・・・・・、たとえお遍路初日の宿での遠隔催眠であったにせよ・・・(文中のイラスト、写真と内容/場所などの関連はありません)
あなたは、背後にふと人の気配を感じて振り返っても誰もいない、なんて経験ありませんか。マジで・・・
愛知県の三河鳳来寺の和尚さんとも同宿。真言宗の和尚さん、子供の頃から霊感が強く前回の巡礼時に経験した霊との出会いなどを聞いてしまった。深夜に聞こえる鈴の音と足音などなど・・・・。行き倒れた巡礼の霊が霊場を巡り巡礼宿を訪れているという。信じますか?あなたは。
知多弘法を廻っているときに、般若心経を唱えていて感じた不思議な気配・・・・・・、ひょっとして私にも霊感が?
(第一日日記より)
お寺に着いたお遍路は、最低本堂と大師堂の2カ所はお経をあげる。いつの頃からか私は、目を閉じて一心にあげていることが多くなった。
初めは、後ろや横で人の気配を感じるようになってきた。目を開けても誰もいない・・・・・。そんな経験を知多弘法の巡礼ですることが多くなってきた。
それが具体的なイメージとして感じられるようになってきたのが42番仏木寺からであったか・・・。
大師堂でいつものように目を閉じてお経をあげている。開経偈から始めて、やがて般若心経にかかると、なぜか涙が出て止まらない。いつの間にか声までが泣いている。別に悲しいことがあるわけではないのに・・・・。
その姿が異常であったのか、お詣りを済ませた私に、掃除をしていた坊さんが「元気でいられたら、もう一度お詣りに来てください」って言葉をかけてくれた。その時には、もう自分がなぜ涙を流していたのかも分からなかった。
お遍路といっても、大半は国道や県道を歩くことになる。当然、烈しい車の洪水に出会うことにもなる。
歩道が整備されている道路は、日本全国あいまってあまり無い。高知、愛媛では、こうした主要道路脇でお地蔵様をよく見かける。いわゆる、事故での犠牲者を悼む供養である。古いものでは昭和30年代、中には真新しいものも多く見かける。
毎日、数体のお地蔵様に出会う。当然、のこされた家族の思いが託され掃除とお供えが行き届いているものが多い。私は、手を合わせ短いお経をささげる・・・・。なにがしかの“気”がかえってくる。
高知県の中村市から足摺岬へ向かう国道321号線、久百々海岸と大岐海岸の間に遍路道への入り口がある。そこにあるお地蔵様、すざましいばかりの“気”を感じてしまった。ここは、足摺岬の金剛福寺へお詣りをした後とって返す“打ち戻し”区間。行き帰り2度ともそうである。そのすざまじさにデジカメを向けることもできなかった。残された親族の生き霊のようである。
窪川町の37番岩本寺から中村市へ向かう国道56号線沿いの車寄せに真新しいお地蔵様とベンチがある。交通安全を願いお遍路の休憩場所として掃除と管理が行き届いている。
このお地蔵様、まるで“気”が感じられないのである。お地蔵様をここに安置した時に、当然開眼供養はしているはずなのに、不思議で仕方がない。山野の自然石にも気を感じるものが多いのに。
一口に遍路宿と言ってもいろいろとある。お大師様への信仰心にささえられて細々と営む民宿から、地の利を得て団体客で繁盛している所など様々である。
そんな繁盛の宿の一つに「長珍屋」という民宿が46番浄瑠璃寺の門前にある。玄関から食堂まですべてが弘法様で溢れるこの宿に泊まった翌日、ここから徒歩15分の47番・八坂寺のお詣りをしているときのことです。
本堂でのお詣りを終え、大師堂で般若心経に入ってからであった。突然、騒がしい声が聞こえてきた。でも、なんだか変!そう、声は頭の中である。やがて、陣笠をかむった足軽たちが槍を抱えて右往左往している姿が浮かんできた・・・・・。
般若心経を終えるとこの声と姿は跡形もなく消えていった。
なんで、このお寺でこんなイメージが浮かんできたのか、未だに分からない。戦国の時代に合戦があり、多くの人が亡くなった所かもしれない、
高知、愛媛の街道はトンネルが多い。毎日のようにトンネルをくぐる。騒音と排気ガスに悩まされながら足下に気を遣って歩く。トンネルの中に響き渡る音はすごい。姿が見えないのにまるで飛行場にいるかのような轟音が響き渡る。
宇和島から大洲市へ向かう国道56号線に鳥坂トンネルがある。長くて、出口が見えない。中央部は照明もほとんど点いていない状況で、歩く者にとっては決して良い街道ではない。当然、下は濡れており歩道と言うよりは側溝の蓋と言った方がいいほどの部分を足下と、前方の車に気を遣いながら歩く。20分ほどかかるからずいぶん長く感じる。
このトンネルのほぼ中央と思われるあたりで、突然左後方の高いところに気配を感じた。
一体ではない。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・、五つはある。天井に近いところを浮遊しているようだ。
何を訴えているのかは判らない。でも、トンネルで霊体を感じたのは、このトンネルだけで・・・。
ひょっと、大きな事故があったのか、あるいは工事での犠牲者があったのか、はたまた浮遊霊が集まっているだけなのか私にはわからない。
おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだらまに はんどま
じんばら はらばりたや うん
光明真言は一切の罪障を即時取り除き、死者を極楽浄土に導くという強力な真言です。
oM amoghavairocanamahaamudramaNipadma jvala pravarttaya huuM というものです。伝統的な発音の仕方は、「オン、アボギャベイロシャナウマカーボダラマニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤ、ウーン」となります。「オーム、くまなく照らし出す[大日如来の]大いなる印の宝玉の蓮華よ、輝け、広がれ、フーン」とでも訳せるでしょうか。罪をや病をのぞき、長寿を得させてくれるという
漢語には訳されておらず、梵語で表記されます。弘法様巡礼でのお詣りに入っている短いお経で、7回繰り返して念じます。テレビなどで流れる除霊場面でも唱えられている
なんのために歩くの?と、よく聞かれる。お四国での事ではない。一日に30km歩ける身体を作るために牧野ヶ池緑地をあるいているおりである。私は、「無心になれるから」と答えていた。若い頃からスポーツとは無縁、タバコと車での生活を送っていた報いで、少しあるくと息が切れ胸が苦しくなる。時速3kmほどのスピードでもそうであったから、思考に耽りながらの散策とは趣が違う。
そうした歩きの延長である今回のお遍路、何を考えていたのかって、聞かれてもその日の宿をどうするかってことぐらいしか考えてなかったよ、と答えるしかない。そうした中で、突然頭に浮かぶ不思議なイメージ。私はそれを素直に受け入れることにした。
讃岐市から長尾寺をお詣りし、南下をする。88番大窪寺へ向かう県道3号線に沿って旧道がある。その旧道の脇、いちだん高くなった所に小さなお寺がある。あいにく名前は覚えていない。その境内で休憩をしたのであるが、お礼に般若心経をお供えした。その時に瞼に浮かんだ光景はなんともおぞましいものでした。
カマを振りかざし、髪の毛を逆立てて着物の裾を乱して追っかけてくる女性の姿。ススキの茂る荒れ野を走る彼女は戦国時代の人のようだ。この時は、この地に愛しい人を待ちこがれて気がふれてしまった女性の伝説があるのではないか、と思ってしまった。
86番志度寺は門前町を構えた大きなお寺、一山として三つのお寺が隣接する。ここの大師堂でお詣りをしたときに感じた弘法様は、あたたかく優しいものでした。知多四国とあわせて沢山のお寺と大師堂をお詣りしてきているが、このような“ホッ”とする「気」は初めて感じるものでした。
この時の「気」が、その夜に宿で体験する現象の前触れであったのかもしれません。
歩いてのお遍路が盛んであった頃はもっと賑わっていたと思われる門前町、何軒かあった遍路宿も今では2軒とか。私がお世話になった旅館は古びた木の階段を上がって2階の部屋に案内してくれた。二間続きで、のんびりとできそう。洗濯機、乾燥機もあり洗濯と入浴を済ませ食事をすれば、後は寝るだけの遍路生活。午後8時には床についた。疲れからかすぐに睡魔が襲ってくる。
どれほどの時間が過ぎたであろうか、「チリン」という鈴の音で眼が覚めた。といっても起きあがったわけではない。意識したといった方が良いかもしれない。やがてその鈴の音が近づいてくる。そして、「チリン、コトン」と音が変わる・・・・、“階段を上がっている”。 締めてあるふすまが開いたとは思えないがやがて二人の気配が部屋に入ってきて静かになった。不思議と恐くない。かといって起きあがって向き合うこともできない、不思議な感覚・・・・・・。時間だけがすぎる・・・・。やがて、気配は出ていき鈴の音と、杖の音が小さくなっていった。私の脳裏ではこの鈴と杖の音が今も消えることはない・・・・。
この頁の冒頭に入れておいた鳳来寺の和尚さんの話しにある、「行き倒れた巡礼の霊魂」が来たのだと認識をしたのが朝になってからでした。遍路宿では、こうした霊魂が訪れるというのは名誉な事であると思う。しかし、要らぬ風評にも気を遣う必要があるとおもい、旅館の名前は伏せておきます。またこの現象は旅館の方にも、志度寺にも伏せてあります。
後二つで結願という、環境におかれ、お遍路初日の宿で聞いた霊現象の話しから自己催眠に陥っていたのかもしれません。でも、深く追究はしないことにしました。
言えることは、自分に巡礼の霊魂が会いに来てくれたと、思える現象を体現できたという事実だけで良い、ということです。
仏教では、修行を積み徳を積んで悟りを開いた僧が、死んで仏になると説く。しかし、弘法大師は、悟りを得ればそれが仏、と説いたそうです。そんな大それたものではありませんが、妄想、幻影かも知れない体験を私は、素直に受け止めてこれからの生きる糧にしていきたいと思っています。
第4話まで書いて、校正をしていたら、なんだか息苦しくなってきました。そこで、「息抜き」コーナーを作り、そこに光明真言を納めさせていただきました。霊現象を信じているわけではありませんが、霊感の強い方もご来訪の可能性があると思います。もし、この頁を読んで、心身に異常を感じられたばあいは光明真言を7回繰り返して唱え、本文を読むのを中断してください。
-竹とんぼ・hiroji-1943-
84番八島寺で、妙齢なご婦人からガイドブックに載っていない展望台の方向から山を下りる道を教えてもらう。崖を降りる、と表現した方がいいような急斜面を、石や、根っこでできた足場に慎重に足を寄せて降りる。山を迂回しなくて良いだけ近いはず、と納得。でも、この筋肉の酷使が午後になって効いてきた。
坂を降りきって町のスーパーで弁当を買い、通り道にあったお寺の境内で食べる。一息ついた後、いよいよ85番八栗寺の参道へかかる。ここもロープウエーがあるほどの急斜面。終わりの1/3、膝がいうことを聞いてくれない。やっと境内に着いたのが1時30分をまわってからだった。ここで、86番まではいける、と宿を決める電話をする。持っているリストには4軒の電話番号。1軒目、「今、客は泊めてませんから」 2軒目、「食事はでないけどそれで良かったら」 3軒目、「部屋がふさがってます」。やばいことになってきたと、4軒目に電話、快く引き受けてくれた。86番門前町の、古いタイプの旅館、でも掃除は行き届き第一印象は良い。合格だ。
翌朝、おかみさん手作りのお弁当を持って出発する。6時20分になっていた。ここから87番、88番目指して一路南へ。山に向かって基本的には登りの連続になる。しかし、87番長尾寺までは緩やかである。・・・山を越えて、ひらいたお弁当の中には「またお会いできますように」と書かれた短冊が入っていた・・・・。
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