第四十二日  2003年7月17日
第四十一日  2003年7月16日
そのW     第40日目〜 
第四十日  2003年7月15日
 目が覚めたら、4時になっていた。昨夜は8時30分に床に着いたから7時間半寝た事になる。一度も目が覚めないなんて珍しいことだ。朝食は7時半から、今朝は和食で食堂のテーブルに部屋番号が置いてある。コーヒーは自由に飲める。
 新しい靴は軽い。歩き始めての印象だ。完全に足にフィットしているわけではないがまぁまぁ歩ける。靴を新しくした時の注意は靴擦れと豆である。油断はできない。国道を離れて県道に入る。ここいらには県が設置した石の標識と遍路道保存協会の看板がある。峠をこえると突然声がかかる「こっちの方が近いよ」。「HaiHai」。しばらく行くと遍路道を示すシールが目に入った。ひとまずホッとする。ここいらは古い町並みがそのまま残る。例えば、ブリキの看板もその一つ。
 今日の予定コースは思ったより短い。20kmそこそこのはず。遍路道標識に従って東予市新町を歩く。簡易舗装の道路はコの字に戻る、直進は舗装がしてない。道路地図で直進になる。通りがかった車から舗装道路が遍路道と声がかかる10mほど戻ってまた曲がる、みなし直線か。りんりんパーク・四国屋に電話する。今夜の宿とするためである。OK!これで3日続きの温泉三昧、贅沢そのものである。
 周桑郡丹原町に入る。徳能地区で、旧道とバイパスの分岐点で迷う。標識がないのだ。休憩かたがたバイパスで良いと歩き始めると、前から来た軽トラのオッちゃん、「こっちの方が近いよ」ときた。そして横断して旧道に戻る私を待っていて「この先に小学校と農協があるからそこを右に曲がる」と念を押す。地元のひとのいうことは信じなくてはいけない、このときはそう思った。ところが、曲がって30分、標識がないどころか、方向も違うし別の山に入っていく。地図を開くと案の定、間違いである。おかげで1時間ほど余分に歩いたことになる。
 2時30分に着いたりんりんパークとは、日帰り温泉施設に宿泊施設が併用のところ、コースからは2kmほど外れることになるが60番横峰寺への登山道に一番近い宿になる。ここから10kmほど4時間ちょっとの登りコースになる。7.5畳ほどの和室はまだ新しいのか気持ちがいい。ルームサービスはないが、サウナ、露天風呂(ただし天井がなく景色は空だけ)付きの温泉は夜10時までは何回でもOK。食事は併設のレストランでつく。もちろん、コインランドリーもあるから、お遍路はもっと利用しても良いと思う。
 夕食に比べ、朝食はちょっと貧弱な感じ。でも、一泊二食朝風呂付きで7700円なら安いとするか。所変われば品が変わると言うわけではないだろうが、おもしろい張り紙があった。「脱衣場、浴室、露天風呂でのタバコはご遠慮下さい」 普通はお風呂でタバコは吸わないよね、濡れてしまって・・・・・・・・・。ところが、露天風呂でゲームボーイに熱中している中年を見てしまったから、こちらでは湯船に浸かりながらタバコをくゆらす習慣があるのではないかとも、思ってしまう。
 7時15分に出発する。昨日コースを外れた大頭交差点には7時30分に立つ。行く手には雲の懸かった山並みが迫ってくる。そんな道ばたで見かけたハマカンゾウとヤブカンゾウの花。ユリ科の植物で夜咲くものが多い。
 8kmのコースの3/4は舗装された道路。でも、だんだんと勾配が厳しくなる。左下の写真で勾配がお判りいただけるだろうか。この先を折り返したところで車道は終わり(道がない)。そこからお遍路道が始まる。昔はこれが参道である証拠に、ゴールが山門になっている。石畳と、自然の岩を削った階段、土留めの階段などとにかく厳しい登りが続く。1時間半というこの登りを私は2時間かかって登った。今日は、3人のお遍路に追い越され、3人のお遍路とすれ違った。実にたくさんのお遍路と出会う。
 60番横峰寺は霧の中でした。ここまで来ると、平日であるためか参拝者もまばら。61番への下りにかかる。距離は今登ってきた道より長い。右下の写真のような深い谷を下る。実際は尾根を縦走し、途中登りもある。急な下りでは膝と足首が悲鳴を上げる。靴は下りになると、あたる指があるがなんとかしのげそう。9.2kmの表示が嘘のように思えるほど長くかかった。途中休憩は入れたものの61番をお参りし終わったのが3時になっていた。今夜は伊予小松の旅館・小松を宿にする。ビジネス旅館と看板はなっている。本業はお肉やさん、夕食は馬刺と牛しゃぶでした。本当は今日64番まで進み、湯之谷温泉で泊まりたかった・・・・・・。
 何度か目が覚めた。壁越しにどっかからいびきが聞こえてくる。私の部屋のしきりは壁になっているのだが、木賃宿といった感じ。朝の早い人もいる。5時に起きて6時には話し声がしなくなった。どっかの工事に来ている人のようだ。
 63番・吉祥寺までは15分ほど。昨日、61番の宿坊で泊まった女性がもうお参りをしている。61番でチェックインするのを見ているから、62番は今日お参りをしているはずなのに時間の計算が合わない。まもなく、同宿だったシルバーも来た。
 教えてもらったように国道の脇の旧道を歩く。懐かしいお店が出てきた。今にも、いがぐり頭で半ズボンのガキたちが「おばちゃん、お菓子!」と飛び込んできそうな雰囲気がする。ポスターなどから今も営業していることが伺える。1時間あまりで54番に着く。驚いたことに参道の入り口には狛犬がいる。神仏混淆の名残であろうか。規模は小さいが知多弘法にも一ヶ寺ある。私にとっては何となく奇異な感じがするものだ。
 この先の行程を立てあぐねている。と、いうのはロープウエーがある66番・雲辺寺の遍路道は焼山寺に次ぐ高低差のある難所で登山口に近い徳島県三好郡池田町佐野に宿を取るようにする、とガイドにある。ここから逆に組み立てると、65番の三角寺の前に1泊するほうが 良いのかどうか・・・・。でも、実際歩いていて13時を過ぎると、がっくりとスタミナが切れてきた。暑さのせいか、それとも昨夜のいびきのせいか。いずれにせよ、無理は禁物、JR新居浜駅前のビジネスホテルマルニを宿にした。電話無しの飛び込みで・・・・。着いたのが2時30分、チェックインできたのが3時15分。朝食付きで5000円。
第四十三日  2003年7月18日
 梅雨前線が戻ってきたのか夜中から雨が降っている。ビジネスホテルでも、ここは隣の音がよく響く。たびたび目が覚める。朝食は7時から、というのは遅く感じるようになってきた。まぁ、今日は伊予三島市あたりまでと考えているのでそんなにあわてなくて良い。
 細かい雨が降り続く。リュックにはビニール袋をかけ、セパレートタイプの雨合羽を着る、という完全装備で出発。国道11号線に戻るのに20分かかる。後は一部、旧道は通るがひたすら国道を歩くのみ。方向は東なのかな?ずーっと、登り基調。その中でも土居町との境はかなりの急勾配が長く続く。ようやく、足が慣れたのか靴がしっくりとしてきた。すると、70cmを割っていた歩幅が80cm近くまで自然に伸びてきた。歩幅が小さくなればスピードも落ちるが、歩いた距離が意識のほどには進んでいないということになる。休息と相まって効果が出てきたのかもしれない。
 土居町で、一昨日の宿で同宿だったシルバーに出会う。昨日、私より先に進んだはず。ずいぶんとのんびり歩いているものだ。うどんやで昼食をとっていると、突然目の前に、広げた1000円札がでてきた。驚いていると、「お接待です」と声。隣のテーブルで食べていたおばちゃんだった。ありがたいお接待です。伊予三島のビジネスホテルの予約も取れ、後はのんびりと歩くのみ。1時半頃から急に風が強くなる。立っていられないほどの突風が混じる。歩くのは危険と感じ、電柱をよりどころにしばらく立ちすくむ。20分ほどでこの風は向きを変え治まってきた。風の向きが変わると、気温が急に暑く感じる。蒸し暑い。どうも寒冷前線でも通過したようだ。めずらしい現象に出会った。
 このホテル、食事のサービスは一切なし。エレベーターの中に「インターネット無料接続できます」とある。部屋に入って見ると、USBで接続できるようにケーブルがある。でも、我が愛用のVAIO君、適合するドライバーを持ち合わせていない。フロッピーもCDドライブも持ってきていないので何ともならない。LANでなら対応できるのだが仕方がない。いつもどうりに携帯で繋ぐしかないようだ。
第四十四日  2003年7月19日
 お遍路の朝は早い。同宿の一人は5時30分ころ、もう一人は6時30分ころに朝食もとらずに出かけていった。私は1階のコーヒーラウンジで700円の和食朝飯定食を食べてから7時30分に出かける。お天気は、今のところ雲がきれてお日様がでているが雲の流れが怪しい。
 ホテルを出て、旧道を行く。案内標識がまるで目に付かない。伊予三島駅から南に転進、三島高校の脇を通り、国道11号線のバイパスを越えてから、始めて遍路道シールが見えた。一番欲しい、国道11号線や旧道中心地にないのが残念。市街地を抜け、北岡山公園から勾配が厳しくなる。前を70代と思われるシルバーが杖をついて登っている。原付でこの公園に来てここから三角寺までを毎日歩いているという、元気なおじいちゃん。私を案内してくれるように合わせて歩いてくれる。かなり厳しい坂道であるが途中1回の休憩で登り切ることができた。ありがたいガイドであった。
 65番・三角寺はこじんまりとしたお寺さんであるが、急な石段が75段ある。あまり広くない境内ではこの寺の孫であろうか、男の子が補助輪付きの自転車で遊んでいいる。ここで、昨日別の宿に泊まった北海道からのシルバーお遍路にまたで会う。納経所では、歩きと見たおかみさんが佐野の民宿岡田への下り口を説明してくれる。そのとうりに歩くが遍路道の印が見えない。しばらく、民家の庭先の人に確かめるが要を得ない。ガイドブックを取り出し、地名と椿堂の名前を出してはじめて要領を得た。県道192号線の椿堂前7.5km、ここから民宿まで8km、この8kmが登りの連続。時間はちょうどお昼から一番気温の高いとき。汗と息切れで何度も休む。
 民宿岡田には3時に到着。66番を目指す、お遍路が集まる所、7名の宿泊者のうち、もう3人が休んでいる。その中には朝早く飛び出した同宿者2人もいる。私と同じくして入宿した人と、5時半すぎに来たシアトルから来たという外人さん。賑わしい。朝の電話で部屋がないといわれたわけが分かる。とにかく、寝れて飯を食わせてもらえればいいと頼み込んだかいがあった。夕食時の話で、三角寺への登り道での名ガイドに助けられたという人が私の他にももう2人いる。別人なのか、同一人物なのかは分からない。状況は私の場合とほぼおなじ。気取っていえば、「お大師さんの変化だったかも」ってことに。明日は、山を登ってお参りをし、下ったところのかんぽの宿でのんびりと、考えていたのが電話で断られてしまった。観音寺町まで足を延ばすことになりそうです。
第四十五日  2003年7月20日
 四国八十八カ所霊場のうち一番標高の高い所にあるお寺で登りに2時間30分と、私も持って歩いているガイドブックにあることから、この宿はいつも賑わっているようだ。お遍路が愛しくってたまらないといった感じの、人の良いオヤジさんが世話をしながらいろいろな話をしてくれる。タレントの鶴太郎がNHKの番組収録で来た話し、遍路道はたった50mしか歩かず、後は車で移動したなんて、ロケでの裏話しが出てくる。また、千葉県の松戸市の女性で毎年グループを組んで遍路道の空き缶をひろいながらお遍路する人がいるなど、興味深い話も聞いた。宿は掃除が行き届き、トイレも臭くない。今までお世話になった宿での中でも、一番の遍路宿である。
 6時前からの食事に、6時20分出発できた。およそ10分で登山口に到着、ゆっくりとしたペースで登り始める。横峰寺への山登りに比べ、登山口までの急斜面がない分、確かに楽といえる。やがて、2人に追い越される。1時間20分の急斜面の間立ったままで呼吸を調える以外腰をおろしての休憩はしなかった。後半は舗装された林道であるがこれも結構きつい。私はガイドブックのとおり、2時間30分かかって登った。国土地理院の地図を持った人が、「前半は1kmで600mあがり、後半が2kmで300mあがる」と言っていた。前半の60%の斜度はどう表現して良いのかわからない。
 66番雲辺寺で般若心経を上げていると、ロープウエーから団体がドヤドヤとやってきた。お賽銭を投じ、やおら納め札をねじ込んで、手を合わせただけで納経所へ駆け込んでいった。納経所では片手にドライヤーを持った女性が機械的に朱印を押し、梵字を書き込んでいく。両手を合わせて納経帳を差し出し、記入後の納経帳を数珠で受けても表情一つ変えない。こんな光景はここだけではないが、お寺でたっぷりと時間をかけている私には、ちょっと考えさせられてしまう。そんな、団体さんの目には留まらない位置の境内には、写真のような生き生きとした表情を持つ五百羅漢が立つ。まだ、新しいようだがしばらく見とれてしまった。
 67番・大興寺への下りは険しく、しかも長い。ここをお参りしたら近くの、温泉のあるかんぽの宿でゆっくりとするつもりが、蹴られてしまった。仕方がないので、次の68,69番までいって宿を取ることになる。電話をするが満室と断られる。やっと3軒目の木賃宿が取れた。朝から抜きつ、抜かれつで昨日の同宿者と出会う。大興寺から大通りへ出た所の表示に歩き遍路の案内がなく、自動車での参拝案内のみがある。四国内にお住まいで何度も遍路していると言うシルバー共々、その表示板に従って歩いてしまった。おかげで3kmほどの大回りになる。出会う同宿者が 一応に「70番のすぐ近くを歩いたのにどうしてお参りしてこなかったのか?」という。私は、効率よく札所を廻ろうなんて気持ちは、元々ない。ただ、きつい山越えと下りで疲弊している足の筋肉と関節が悲鳴を上げていた。ちなみに万歩計は41,150歩を計測している。
第四十六日  2003年7月21日
 「来る人も来る人も来る人もみんな福の神」こんな、色紙が飾ってあるせいではないだろうが、おかみさんの屈託のない笑顔は、商売として割り引いてもお釣りが来る。昨夜、疲れて到着した私を迎えてくれたこの笑顔に、救われた気持ちがしたものです。さっぱりした部屋に、2食付きで4800円は値打ちである。
 昨夜からの雨は、続いている。雨すじがはっきり見えるからかなりの降りである。70番・本山寺にに着いても降り止まない。昨夜、ガイドブックで調べた遍路道を、案内表示がなくっても進む。しばらくして小さな案内板が見えてきた。そういえば昨日、70番まで進むために私とすれ違った3人の遍路は自動車連絡道を歩いていた。67番を出たところと同じで、歩きのための表示がないためである。この遍路道、私がゆっくり歩いて1時間で到着したから、かなりの近道であると思う。雨に煙る五重塔は古の都を思わせる。
 納経を済ませると、ひときわ雨が激しくなった。10分ほど休憩して出発する。次第に雨は小降りになってきた。ありがたい。今日は、71番の参道入り口にある温泉施設「ふれあいパークみの」を宿とするつもり。やっと営業している喫茶店を見つけて、そこに入り休憩かたがた電話で予約を取る。三野町に入るころから、雨があがるとともに、頬にあたる風が冷たく感じられるようになった。梅雨前線の北に入ったのであろう。
 三野町で遍路道にはいる。と言っても、舗装された農道であろう、時たま車も通る。右の写真のような石灯籠や石仏が、当たり前のように道路脇に出てくる。夜歩くお遍路のための道しるべに夜通し油を油を灯していたものであろう。ここいらより、登りがきつくなってくる。遍路道の案内板がある旧道を息せききって登ると、ふれあいパークである。ここから、石段が続いて71番。祖谷寺の境内、本堂に着く。階段の段数は540段とあった。
 参拝を済ませて下りようとすると、納経帳を持ってうろうろしている人がいるのに気が付いた。曰く、「山門がない」と。山門は下の駐車場から俳句茶屋を抜けて石段を登るとすぐにあるのに。山門をくぐってから540段のかいだんがある。石段を半分パスするかたちで有料駐車場があり、そこからでは山門はない。弘法大師が若いころに修行したとも伝えられるこのお寺、楽して全部は虫が良すぎるかもしれない。
 帰りがけに俳句茶屋で休憩してうどんを食べる。150年続くというこの茶屋、オヤジさんもおかみさんも気安い人だ。3〜4年前までは歩き遍路に限り泊めていたそうだが、最近は遍路の質が落ちてきて泊めるのを止めたと、オヤジさんの言葉。気をつけたいものである。ふれあいパークには1時30分に入る。祝日のせいもあろうが結構賑わっている。露天が葡萄酒湯になっているのには驚いた。内湯には薬種湯もある。と、いうことは1780mも掘り下げた温泉は、取り立てて特徴がないということになるのでは。
 琴平温泉郷のホテルに電話を入れる。正直に、遍路の途中に金比羅様をお参りしたいといったら、泊めてくれるという。ツインの洋室を1泊2食付きで13,000円という。明日は善通寺をお参りしたらJRで琴平に行きます。
第四十七日  2003年7月22日
 昨夜から中学生の集団が宿泊している。8時に早々と床に着いた私、10時ころ女性の声で目が覚めた。どうも引率の人が各部屋を廻って注意をしているようだ。その声の間には廊下を駆け回る足音。子供のころの合宿を思い出してしまった。朝食&朝風呂付き1泊で6500円は、まあまあの値段か。町の福祉施設であろう、中学生などの研修も積極的に受け入れているようだ。
 7時35分に出発をする。祖谷寺門前の俳句茶屋まで戻り、遍路道を進む。ちょっとだけ登り、後はどんどん下る。途中、深い竹藪の中を進む。手入れがされていない孟宗竹、密生から枯れた竹も目立つ。やがてため池の縁に出ると、昨日茶屋の人の言った「まむし」もいそうな感じになる。
 72番・曼陀羅寺へは50分で着く。境内へ入っても誰もいない。ただ蝉の声だけが響く。今までにない光景に驚く。納経を済ませて、対応の奥さんに荷物を置かせてもらい73番・出釈迦寺へのお参りを済ませる。74番・甲山寺へ着くと、一足先に数人のグループが山門を入っていく。後に続くが彼らはまっすぐに納経所で掛け軸に朱印をもらっている。私が鐘楼を突き、お経をあげていると、彼らは手木魚を数回カタカタ鳴らしただけで行ってしまった。それぞれの信心とは言うものの、これはまさしく掛け軸を作ることが目的の商売人ではと思った。以前からそんな話を聞いていたから・・・。
 75番・善通寺はさすがに大きい。俗な言葉で言えば二つの町内に構えがある。本堂と大師堂とは歩いて数分の距離があり、弘法巡りではない人が多く参拝している。さすがに立派な五重塔の威厳がすごい。参拝を終えたのが11時、JR善通寺駅に11時20分着。今日はこれで打ち切りとする。
 11時58分発の列車に乗る。琴平駅には12時3分に着いた。昨日、電話で予約しておいたホテル琴参閣に荷物を預け、金比羅様へ向かう。参道に入ると両側の土産物店やうどん屋からの客引きがすごい。そのうちの1軒に入ってかけうどんを食べる。785段の石段を休まずに登れた。空身のせいもあるが、ここの石段は登りやすい。段差が15cm前後、無理をしないで登れてリズムもとりやすい。始めに粋がって登り始める人はやがてバテが来る。でも、生後4〜5ヶ月の子供を背負って登る若い母親には、ただ感心するのみであった。
 お百度石を背負った亀、お寺でも大地をせおった亀の石像を見かける。また、狛犬に「あ」形、「ん」形があるのにはじめて気が付いた。神仏、以外に共通点が多い。
 ホテル琴参閣は琴平で一番大きなホテル。11階建てと10階建ての二つのビルを繋いでいる。3時にチェックインするや10階の展望露天風呂に入ってきた。金比羅様が見え、別の方向には瀬戸内海が見えるとあるがこちらはもやで見えない。そして夕食、11品ものお品書きが置いてある本格的な会席料理。お酒が飲めない私は、田舎者のお遍路で通してしまった。性格に合わない場所での食事は本当においしいのかどうかわからない。損な貧乏性の自分にあきれる。これから、1階にある大浴場に行って来ます。とにかく、一番お風呂が良かったホテル、よく一人を泊めてくれたと思う。ツインの洋間で13000円は足摺の国際ホテルより値打ちだと思う。
第四十八日  2003年7月23日
 朝のお風呂は5時からと言う。しからばと、10階の展望露天風呂に行く。まだ、眠りについている町と金比羅山を見ながらお湯に浸かる。あ〜極楽極楽。
 あめが降り始めたのは6時すぎからだ。窓に滴が数滴あたってきた。7時からの朝食も豪華そのもの。良い経験をさせてもらった。
 JR善通寺駅に降り立ったのが8時、雨天スタイルに変身する。国道は朝のラッシュ時間、信号を待つ車の長〜い列ができている。76番・金倉寺には50分で着く。工事中なのか入り口がわからない。隣接する神社の鳥居は避けて境内にはいる。ここでも、参拝者の姿は見えない。やはりバスが来ない平日なのであろう、へんに納得する。
 77番へ向かう。突然後ろから鈴の音が近づいてくる。振り返ると20代前半の若者が追い越していった。装備から見ると野宿をしながらのお遍路のようだ。白衣の背中にはすり切れた穴までがある。
 77番・道隆寺はこじんまりとした町の中のお寺だが鳩の糞以外はきれいに掃除が行き届いている。納経所の前の花には奥さんの心遣いがしのばれる。歩き遍路と見た奥さん、乳酸菌飲料とお菓子を接待してくれた。そして、「78番へは、裏門を出て右へ行ってください」と教えてくれる。中間の丸亀市の中心部で迷ってしまう。道路ではなく、今日の予定を・・・・・。79番には宿がなく80番まで行かなくてはならない。でも、このペースでは5時を廻ってしまいそう。思案の中で78番に着く。ここにはベンチがない。荷物を下ろしても、腰を下ろす事ができない。外は雨がしとしと・・・・・・。ここで坂出市の旅館に電話をして予約する。ここから40分ほどだろう。
 電話に出た女性に場所を聞くが要領を得ない。何とかなるわ、と歩き始める。途中遅れた昼食をとって、坂出の旧市街地へ入る。迷路のようでまるでわからない。土地の人に尋ねようと思案していると100円硬貨を2個持った女性が「お接待をどうぞ」と近づいてきた。宿の場所を聞くとすぐそこだ、と先に立って歩き出した。角を曲がって3軒目の前で止まる。ありがたいお接待でした。
 宿に入って一息。明日から、一番へのお礼参りまでの距離と時間を書き出してみる。女体山越えや10番切幡寺への山越えなどから逆算すると82番で泊まる事が一番良い。ガイドブックも、そうなっている。ところが、そのガイドブックにも他の本にも82〜83番には宿が載ってない。山と渓谷社発刊のこのガイドブックの著者に聞きたい。「あんた!野宿したの?」って。たぶん、答えは「ごめんなさい、実際に歩いて書いたのではないので・・・」だろう。こんな切り方の日程が他にも何カ所かあるからたまらない。でも、宿無しで“遍路ころがし”越えを含む33km10時間の歩きは私には絶対に無理。以前は83番・一宮寺で泊めてくれてたようだが今は泊めてくれない(宿坊は閉鎖)。ここが思案のしどころになってしまった・・・・。
第四十九日  2003年7月24日
 朝食は6時20分頃と言っていたこの宿、6時5分に出してくれた。おかげで7時前には出発をすることができた。まずはJR坂出駅に出る。はじめて方角を勘違いしていたことに気が付いた。南に向かっていたはずが、本当は西に向いていたことになる。昨日、曲がり方が一つ足りなくなってくる。不思議な事だ。JR坂出駅前のコンビニでお握りを調達。今日のお弁当である。
 79番・天皇寺はお宮さんの境内の中にある。お宮さんを守るお寺だとか、不思議で仕方がない。先に来ていたお遍路姿の男、境内で托鉢を始めた。と言っても立ってお経を唱えているだけだ。あまり参拝者のいないこの頃、いくらになるのか、ご苦労様な事とさっする。ここを出たのが8時ちょうど。80番国分寺までは7km弱、昨夜調べた遍路道を行く。と言っても旧道というだけで変わりのない町が続く。やがて、国道のバイパスに入って国分寺を目指す。地図ではわからないが結構きつい坂が続く。
 国分寺はさすがに大きなお寺さん。ここの境内には七福神が祀られ、メインは弁天様という。紅一点の女神様、立て膝をして琵琶を弾いている像があったが、なかなか色っぽいといったら、お叱りを受けるだろうか。
 いよいよ“遍路ころがし”への挑戦になる。途中からは、四国の道として整備された遊歩道になっているが、登り口はお墓である。ここの用具入れ倉庫の入り口に腰を下ろして休憩していると、お墓の掃除にシルバー世代の夫婦が軽トラでやってきた。しばし、弘法様の話に花が咲いた。すでにここまでがかなり高い所に来ている。ここからは傾斜が厳しくなる。途中に、展望休憩所といって、俳句(川柳もあり?)を刻んだ石柱に導かれて入る休憩所がある。地元ハイカーへの心遣いなのか。尾根を走る県道の一本松に着いたのが12時、国分寺を出てから2時間が経過している。ここから、まだ81番の白峰寺まで6kmもある。82番まではあきらめるとする。 
 かんぽの宿・坂出へ電話をする。OKである。高松在住の支援者、Yasuoka氏に電話をかける。宿への送り迎えの依頼をしているからである。「今日は、81番近くの宿を取りましたので、明日、よろしくお願いします。」となる。電話を切ると、遍路ころがしを一人上がってくる。神奈川からの区切りうちという。彼もまた、宿をかんぽの宿に切り替える。
 お握りを食べ、休憩の後、12時30分出発、白峰寺には2時すぎになってしまった。やはり、かんぽの宿で良かった。
 かんぽの宿は、白峰寺から1kmほど。ただ結構きびしい登り道が続く。2時40分ころ、チェックインをする。すると、Ysuoka氏がすでに待っていてくれた。初対面なのに、旧知の知り合いのようにうち解けあえるのも、NET仲間の良いところ。部屋からは瀬戸大橋がよく見える。絶景の中の宿。明日は、82番から83番への歩きとなるが、このルートには宿がない。Ysuokaさんには、宿への搬送というお世話になる覚悟をした。よろしくお願いします。
第五十日  2003年7月25日
 明るくなるにつれて、窓の下は瀬戸内海と坂出の町が拡がってくる。雲が切れ晴れ間も期待できそうである。6時前の時間に2人のお遍路が白峰寺に向かって歩いていった。このかんぽの宿に宿泊していた人のようだ。朝食もとらずに元気がいい。朝食はバイキング。洋、和、両方あるがどうも落ち着かない。
 今日の予定はここから82番・根香寺へ行き、後は高松市へ向かってどこまで進むことができるか、で今後の予定が決まる。7時45分に出発する。かんぽの宿からしばらくはハイウエーを行く。結構きつい登りが続く。私より10分ほど前に出発した神奈川の人に追いつく。一本松からは山へ入る遍路道を歩く。一部登りはあるものの歩きやすい路になっている。根香寺へは予想を超える早さで到着。1時間30分である。ここで、6時前に歩いていたあの、二人に出会う。山門から石段を下がった後再び登って境内となる。つまり、本堂のある境内と山門とは沢を挟んでいるのだ。めずらしい構築ではないか。
 83番一宮寺へは、遍路道を20分ほど登った後、一気に鬼無(きなし・地名)まで下る車道になる。このころから雨が降ってきた。一時的なものと決め込んでそのまま歩く。雨粒がはっきり見えるほどの雨に白衣の袖が透けてくる。だが、この下り、私の足にあった勾配、実に気持ちよく歩くことができる。急な所は小幅で駈けるが如く、なおな所は大股で、と言った具合。一足先に根香寺を出た先の二人も追い越し、鬼無には2時間で降りてしまった。こうなれば、鬼無での宿は必要ではない。栗林公園の前にあるビジネスホテルを予約する。
 高松在住の支援者に連絡を取るがあいにく、お話中ばかり。メールをうって昼食をとっていると電話が鳴った。
 83番・一宮寺には2時40分頃に到着。すでに、支援者のYsuoka氏が待っていてくれた。デジカメで私のお参りを撮影している。恥ずかしい限り。昨日に続いての励ましに、感謝する。いつのまにか追い越していた神奈川の人が境内に入ってきた。この人に私とYsuoka氏のツーショットもとってもらう。ただし、これはすべてYsuoka氏のカメラだからここには無い。

 ホテルには途中コーヒーブレイクを入れて4時に到着。あいにく、コインランドリーがホテルになく、町のコインランドリーへ出かける。1時間と15分、じっとしているのは歩くよりつらい。半分は居眠りをしていたようだ。洗濯機と乾燥機を6台ずつ設置しているこのコインランドリーで、4台の洗濯機と乾燥機を占領して大量の衣服を洗濯している中年のおばちゃんがいた。いったい、何ヶ月分の洗濯をしていたのであろうか。

 明日はいよいよ屋島寺である。ここも山の上、ガイドブックによれば1時間の登りとか、楽ではなさそう。
第五十一日  2003年7月26日
 ビジネスホテルというものは手軽に泊まる事ができ、コンパクトにまとめられた部屋ではプライバシーも保たれるが、お風呂が狭い、足を延ばすスペースがないなど芯から休まるものではない。朝食は7時からだというので散歩にでる。栗林公園は5時から営業をしている。もちろんお金を払わなければ入れてはくれない。地元の人がパスポートを見せては入っていく。朝の体操をしているようだ。市街地はこの公園まで拡がってはいるが、何となく退屈な町、といった感じ。このホテル、1階で営業していたファミレスが閉鎖されてからはテナントが無いのか空き家になっている。
 7時30分に出発をする。国道11号線をひたすら東へ向かう。屋島の町に入ったのが9時、いよいよ険しい山道である。今日は土曜日のこととて人が多い。毎日この参道を登って健康増進につとめている人と土日参加型の家族も多いとか。登り始めてしばらく、休憩していたシルバーの一人が追いついてきて一緒に登り始めた。毎日登ってるという。すれ違う人も顔なじみが多い。私のペースに合わせて登ってくれる。ありがたいお接待となった。屋島寺に着いたときは10時になっていた。計画より早い。お参りをしている間にこのシルバー、姿が無くなっていた。観光客が結構多い。また、それらの人をガイドしている人も何人かいる。境内にあった石のタヌキ夫婦像、まだ新しい。(赤い鳥居からこの夫婦像は“狐”であろうが、どう見ても狸としか思えない-2004年2月27日追記-)
 ガイドブックに記載に従い、登ってきた坂を下りようと仁王門の方に歩きかけると、私を呼ぶ声がする。見ると、ガイドの名札を付けたご婦人、60代であろうか。別の遍路道があり、距離が短縮できるという。同じ所を戻る“打戻り”よりは、と案内を受けることにした。展望台の方向から山を下りる道を教えてもらう。崖を降りる、と表現した方がいいような急斜面を、石や、根っこでできた足場に慎重に足を寄せて降りる。山を迂回しなくて良いだけ近いはず、と納得。でも、この筋肉の酷使が午後になって効いてきた。降りきった町のスーパーで弁当を買い、通り道のお寺の境内で食べる。一息ついた後、いよいよ八栗寺の参道へかかる。ここにもロープウエーがあるほどの急斜面。終わりの1/3、膝がいうことを聞いてくれない。境内に着いたのが1時30分になっていた。86番まではいける、と宿に電話をする。リストには4軒の電話番号。1軒目、「今、客は泊めてませんから」 2軒目、「食事はでないけどそれで良かったら」 3軒目、「部屋がふさがってます」。やばいことになってきたと、4軒目に電話、快く引き受けてくれた。86番の手前700m、古いタイプの旅館、でも掃除は行き届き第一印象は良い。合格だ。
 いよいよ明日、87番から88番にお参りできる。ただ、88番の近くにある民宿が、法事のためにこの土曜日は客をとらない、ひょっとしたら日曜日もって情報がある。とすると、88番への挑戦はもう1日調整する必要がでてくる。そして、2日がかりで1番にまで戻る。ここで私の挑戦が終わることになる。私にとっては、88番よりも、88番を通った上での1番が大切ということなんです。
第五十二日  2003年7月27日
 昨夜床についてすぐのこと、チリン、コトンと杖と杖に付いている鈴の音が階段を上がって私の泊まっている部屋に来ました。男が二人いる気配なんですが姿はありません。しばらく(10〜20分)休んで出発していきました。なぜか怖くはなく、自然に受け入れている自分が不思議でした。話に聞いていた、巡礼中に亡くなった方の霊が来たようです。特異な経験をしました。
 おかみさん手作りのお弁当を持って出発する。6時20分になっていた。ここからは山に向かって基本的には登りの連続になる。しかし、87番長尾寺までは緩やかである。着いたのが8時。2〜3人のグループが二つお参りをしている。今日は日曜日なんだ。私が一休みしている間にいなくなってしまった。納経所へ入った形跡はないが掛け軸を携えていることから境内に入ったらまず一番に納経所の人たちであろう。
 ここで、88番大窪寺の門前にあるいう民宿八十窪という所へ電話をする。「今日はお休みです」とぶっきらぼうに言われてしまった。聞いていた情報どおりだが、これでは今日先に進むことができない。近くで宿泊できるところないですか?と訊くと「2kmほどはなれているが・・・・」と温泉・竹屋敷というのを教えてくれた。これで大丈夫、出発です。
 1時間あまりで前山ダムに着く。堰堤前の数百メートルから傾斜が厳しくなる。ここから、女体山越えか、助光経由かの分かれ目になる。山にはとんとダメな私は、助光経由を選択。その前に、このダム湖にある道の駅と、お遍路情報観を覗いて休憩する。
 助光までの峠は舗装をされた林道ではあるが勾配はきつい。10%から25%の登りが延々と続く。越えるのにたっぷりと2時間かかってしまった。道ばたの花が変わってくる。写真のオニユリがいい時期で、他には河原ナデシコやミズヒキ、キンミズヒキなど長野県に多く見られるものが目に付く。
 県道との交差地点で迷ってしまった。ここに道しるべがないからだ。もう少しで前山ダムに戻ってしまうところ道路地図を開いて助かった。2体のお地蔵さんが祀ってある前で、宿の手作り弁当を開く。中から「また お会いできますように」と書いた短冊がでてきた。一合一会、粋な心遣いをするものと、感心する。ここからも、上り下りが続いて突然、竹屋敷が現れた。まだ、大窪寺までは40分はある地点。とりあえず、背中の荷物を預けて身軽になって大窪寺を目指す。大窪寺へは長い登りが待っていた。約3km続く。大窪寺に近づくほど急になる。明日は荷物を背負って越えなければならないが今日は楽できる。
 大窪寺は賑わっていた。バスが2台も入っていたからだ。右の写真の立派な山門から入った。でも最初にあるのが大師堂。なんか変である。お参りと、納経を済ませ、“結願証明書”も発行していただいた(代金2,000円)。このあとで分かったのだが、本来の山門は本堂の正面であり、その周りにはみやげ屋や茶店、民宿が並ぶ。駐車場に近い所に新しく本来の山門の数倍はある山門を作ってしまう商売魂には敬服する。弘法巡りも、今は観光産業なんだなって改めて思う。
 これで八十八カ所の霊場を歩いて廻ったことになる。これもKwawada様をはじめとする多くの方の励ましと応援、そして四国在住のなえもん様、Yasuoka様のご支援のたまものと考えています。総括は家に帰ってからにしますが、あと1番に戻るまで2日ほどお遍路が続きます。霊山寺でお礼参りを済ませたときどんな感激が起きるのか・・・・・。
 今日の宿は山の中、携帯電話が通じません。ホームページを楽しみにしていただいている方には報告が遅れる事をお詫びします。
第五十三日  2003年7月28日
 温泉宿、88番大窪寺へ女体山を越え、助光経由で帰る人には良いかもしれない場所にある。でも、長い急な坂道を3kmも登ってお寺さんではちょっとつらい。純粋に温泉旅館としてならば施設、料理とも合格の範疇に入る。
 7時30分に出発。地図で念入りに検討しての決断、大窪寺へは登らずに県道で近道おする事にした。昨日までとは同じはずの景色が、暖かく見える。周りの景色を見る余裕も・・・・・。
 ところが、なんだか変、と気が付いたのがおよそ2時間が過ぎてからだった。「国道193号へ9km」の標識。なんで193号なんだ?と思いつつ、目印となるものを求めて歩を進める。やがて“三社神社”と言うお社があった。休憩かたがた地図を見る。やはり、・・・・。間違えている。曲がらねばならないところがあったはず。思い出してもどこだったのか分からない。しかも、急な下りを1時間半も降りてきている。戻っても時間のロス、とそのまま行くことにする。詳細な地図は重いので廃棄した。略図に近いものしかない。方角は見当がつく。しかし距離が把握できない。でも、大きく外れることはなく、予約した10番札所門前の宿に着いたのが4時30分だった。2ヶ月前に通過した所だ。
 間違いに気が付くチャンスはいくつもあった。例えば、徳島県の標識が見えたときなど・・・・・。でも、自分の決断を信じている時は、不思議に思わないものだ。仕方がない、お大師様が「もっと歩け」とおっしゃっているんだとあきらめた。

 宿には私の他に3人の宿泊者がいる。一人は歩いてこれから廻る、後の二人は自動車という。それぞれの思惑と制約が行き交うこのあたり、事故なく進んで欲しいと願うのみである。
第五十四日  2003年7月29日
 お遍路の朝は早い。何度も書いているが、今朝も五時にでていった人がいる。11番藤井寺をお参りして12番焼山寺まで歩くと言っていた四日市の人だ。もう一人の人は香川ナンバーの車に乗っている。この前、車巡礼を始めたとたん事故を起こして断念したとかで、今回は特に慎重のようだ。お遍路の車が事故を臆すのはよく聞く話。気をつけたいものだ。
 7時に出発、1番霊山寺を目指して一番近い道を探してある。このルートを枝分かれして2−9番までのお寺がある。でも、行きと違い近い。6番に着いたのが2時間しか経ってない9時だった。門前の茶屋に「コーヒー」の看板が見えたので休憩かたがたコーヒーブレーク。ここからは緩い登りになる。朝からのオーバーペースが響いてきたのか休憩までのインターバルが短くなる。ここいらから、歩いて先へ向かうお遍路に出会うようになる。中にはハイキングスタイルの人もいるが、真っ白でぴかぴかの衣装を気にしながらの歩きには、自分もああであったろうかと可笑しくもなる。
 なんでそんな方向に行くんですか?と聞かれたのには驚いた。なにも知らずにスタートしているようでどこまで持つのか、不安になる。この先、1番門前までに出会った若者はすべてこんな調子。大学の休みを利用しての軽いきもちが 多いとか聞いている。大半が、12番への山越えで断念するとも言う。

 道路の脇で見かけた“スイフヨウ”、夕方になると赤くなることから酔っぱらう芙蓉と言うそうです。また、路傍の六地蔵もこの徳島をでると見かけなくなったものだ。
 12時35分に霊山寺に着いた。ここでも、閑散としていて参拝者は誰もいない。本堂と大師堂にお経を上げ、納経所へ行く。「おかげさまで無事に結願する事ができました」と言って納経帳を出すと、88番の次のページにお礼参りの一行を書いて朱印と梵字を入れてくれた。”歩き”と知ると、ノートに住所氏名、スタートの日、お礼参りの日を記入、お茶とお菓子でお祝いをしてくれた。感激である。この後、三々五々と参拝者は来るがスタートの時ほどのにぎわいはない。四国在住の支援者たちに連絡の上、山門に深々と頭を下げてすべてを終えた。
 総日程54日、歩いた距離の集計はとらなかったので正確にはわからないが1300〜1400kmは歩いているはずです。お遍路が夜訪ねてきてくれた事例ばかりではなく、霊が騒いでいるトンネルとか、般若心経を唱えていたら、なぜか悲しくなったお寺、陣笠の武者が騒いでいるでいる姿が見えたお寺、等々お話のネタは沢山ありますが、寺名、地名を確かめた上で整理をしたいと思います。また話すにはしのびない霊体を感じたこともありそれは私の胸に納めておきます。霊とか超常現象は信じてはいないのですが否定もしない私、家に帰ってから整理します。

 
皆さん、本当に長い間、ご支援、ご声援をありがとうございました。
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