日本人のF1成績

最近の日本人は苦戦が続きますが、過去、F1に登場した日本人の成績を見ていきましょう。

日本人F1ドライバーリスト

(1999まで)

ドライバー

予選落ち

出走

完走

入賞

表彰

FL

得点

予選最高位

在籍チーム

鮒子田寛

75

2

 

 

 

 

 

 

25位

マキ

長谷見昌弘

76

 

1

1

 

 

1

 

10位

コジマ

高原敬武

76,77

 

2

1

 

 

 

 

19位

サーティース、コジマ

星野一義

76,77

 

2

1

 

 

 

 

11位

ティレル、コジマ

桑原正美

76

1

 

 

 

 

 

 

26位

ウィリアムズ

高橋国光

77

 

1

1

 

 

 

 

22位

ティレル

中嶋悟

87-91

5

74

35

10

 

1

16点

6位

ロータス、ティレル

鈴木亜久里

88-95

22

65

25

5

1

 

8点

6位

ローラ、ザクスピード、フットワーク、ジョーダン、リジェ

服部尚貴

91

2

 

 

 

 

 

 

33位

コローニ

片山右京

92-97

2

95

33

3

 

 

5点

5

ラルース、ティレル、ミナルディ

鈴木利男

93

 

2

2

 

 

 

 

23位

ラルース

野田英樹

94

 

3

 

 

 

 

 

23位

ラルース

井上隆智穂

94-95

 

18

5

 

 

 

 

18位

シムテック、フットワーク

中野信治

97-98

 

33

17

2

 

 

2点

14位

プロスト、ミナルディ

高木虎之助

98-99

 

32

12

 

 

 

 

13位

ティレル、アロウズ

F1に登場した日本人は全部で15人います。1975年に鮒子田寛がマキという日本チームで挑戦しましたが、予選落ち2回に終わりました。1976年と1977年に富士で行われたF1では、スポット参戦で星野一義ら5人が出場しています。星野が一時3位走行、長谷見がファステストラップを記録するなど、日本人はがんばりました。しかしスポット参戦にすぎず、限界がありました。

80年代に入り、ホンダがF1で活躍し、1987年に日本でのF1が復活すると同時に、中嶋悟が初めてフルタイムのF1ドライバーになりました。そして鈴木亜久里、片山右京、中野信治、高木虎之助と続いています。

次に日本人ドライバーの代表的3人の成績を年別に見てみましょう。

 

中嶋悟−日本人最多得点

チーム

予選落ち

出走

完走

入賞

表彰

得点

事故率

完走率

予選平均

予選最高

チームメイト

1987

ロータス・ホンダ

 

16

10

4

 

7点

12.5%

62.5%

14.8位

11位

セナ

0

16

1988

ロータス・ホンダ

2

14

8

1

 

1点

21.4%

57.1%

13.2位

6位

ピケ

1

15

1989

ロータス・ジャッド

3

13

5

1

 

3点

30.8%

38.5%

21.0位

12位

ピケ

3

13

1990

ティレル・フォード

 

15

5

3

 

3点

33.3%

33.3%

14.4位

9位

アレジ

0

16

1991

ティレル・ホンダ

 

16

7

1

 

2点

31.3%

43.8%

15.8位

10位

モデナ

1

15

合計

 

5

74

35

10

  

16点

25.7%

47.3%

15.8位

6位

 

5

75

ホンダ系のドライバーだった中嶋は1987年に34歳という遅咲きのデビューを飾りました。日本のF2では無敵でしたが、、ヨーロッパの実績はなく、評価は「ホンダのおまけ」でした。中嶋が最も輝いたのは1989年オーストラリアGPで、雨の中ファステストラップを記録して4位になったレースです。予選では1988年のメキシコで6位(決勝でフェラーリ2台抜き一時4位)、日本で5位ピケと同タイムの6位というのがあります。中嶋は1990年ポルトガルで体調不良で決勝出走できず、年齢と体力的な問題から次第に事故率が増え、引退しました。中嶋の総得点16と、年間得点7(1987)は、日本人最多です。

 

鈴木亜久里−日本人唯一の表彰台

チーム

予選落ち

出走

完走

入賞

表彰

得点

事故率

完走率

予選平均

予選最高

チームメイト

1988

ローラ・フォード

 

1

1

 

 

 

0.0%

100%

20.0位

20位

アリオー

0

1

1989

ザクスピード・ヤマハ

16

 

 

 

 

 

(36.8位)

(34位)

シュナイダー

3

13

1990

ローラ・ランボルギーニ

 

16

6

3

1

6点

12.5%

37.5%

15.3位

9位

ベルナール

7

9

1991

ローラ・フォード

4

12

1

1

 

1点

41.7%

8.3%

22.9位

17位

ベルナール

6

10

1992

フットワーク・無限ホンダ

2

14

9

 

 

 

28.6%

64.3%

18.6位

11位

アルボレート

3

13

1993

フットワーク・無限ホンダ

 

16

5

 

 

 

43.8%

31.3%

14.1位

6位

ワーウィック

7

9

1994

ジョーダン・ハート

 

1

 

 

 

 

0.0%

0.0%

20.0位

20位

バリチェッロ

0

1

1995

リジェ・無限ホンダ

 

5

3

1

 

1点

40.0%

60.0%

15.7位

13位

パニス

0

6

合計

 

22

65

25

5

1

8点

30.8%

38.5%

18.0位

6位

 

26

61

日産系のドライバーだった鈴木亜久里は1988年に28歳で全日本F3000チャンピオンになり、日本GPにローラからスポット参戦しました。鈴木亜久里の栄光は1990年日本GPの3位です。日本人唯一の表彰台でした。1993年のスパで予選6位も評価されます。フットワークの撤退とともにレギュラーシートを失いました。バブルの時期に活躍し、日本のF1ブーム沈静化とともに去りました。

 

片山右京−日本人最高の予選順位

チーム

予選落ち

出走

完走

入賞

表彰

得点

事故率

完走率

予選平均

予選最高

チームメイト

1992

ラルース・ランボルギーニ

2

14

6

 

 

 

21.4%

42.9%

21.4位

11位

ガショー

4

12

1993

ティレル・ヤマハ

 

16

5

 

 

 

18.7%

31.3%

20.6位

13位

チェザリス

7

9

1994

ティレル・ヤマハ

 

16

4

3

 

5点

31.3%

25.0%

11.3位

5位

ブランデル

11

5

1995

ティレル・ヤマハ

 

16

4

 

 

 

50.0%

25.0%

15.7位

11位

サロ

4

12

1996

ティレル・ヤマハ

 

16

6

 

 

 

18.8%

37.5%

15.1位

12位

サロ

5

11

1997

ミナルディ・ハート

 

17

8

 

 

 

23.5%

47.1%

20.0位

15位

トゥルーリ、マルケス

8

8

合計

 

2

95

33

3

 

5点

27.4%

34.7%

16.1位

5位

 

39

57

トヨタ系のドライバー、片山右京は1991年に全日本F3000チャンピオンになり、1992年にラルースから28歳でデビューしました。それまでヨーロッパでは「カミカゼ・ウキョウ」という無謀なドライバーと呼ばれていました。片山のピークは1994年、日本人最高の予選順位を記録した年です。ドイツGPで予選5位から一時3位という見せ場を作りました。何しろ、スタートでシューマッハとヒルを抜いたのですから。しかし片山はマシンが低下した1995年以降はスピンや接触が多くなり、次第に光を失ってしまいました。

 

日本人の課題

日本人ドライバーは一瞬のきらめきを見せるときがありますが、コンスタントには活躍できていません。予選でチームメイトに負ける率が高いのは残念です。また、スピンや接触などの事故率も高く、レ−スの完走率が低くなっています。この辺が課題になっています。

ドライビング技術と体力が劣るとは思いません。アーバイン、フレンツェン、ハーバート、サロなど日本のF3000でともに戦ったドライバーは活躍しています。

日本人ドライバーは日本国内だけで戦い、企業のバックアップでF1に行くという図式では、トップドライバーは生まれないのでしょう。ヨーロッパのチームとコミュニケーションし、世界を転戦するためには、早いうちに日本を飛び出す必要があるのかもしれません。

いつポールポジションや優勝する日本人が出るか、いつワールドチャンピオンが出るか。21世紀、ガソリンエンジンによるF1が続くうちに期待しましょう。