コンストラクターズ争い〜独走と混戦・技術革新の歴史

1998年〜1999年はマクラーレン・メルセデスが抜きん出て強く、常に1位を周回しているように見えます。このような状況はF1の歴史ではよくあることです。昔はもっと1位を独占した時代がありました。一方、どのチームにも1位をとるチャンスがある混戦の時代もありました。それを見ていきましょう。

コンストラクター順位別1位周回率

ピンク色がその年のコンストラクターズ王者がとった1位周回率で、水色が2位チームの1位周回率、薄緑が3位チーム・・・です。1950〜1957年はコンストラクターズタイトルがなく、計算上の順位です。

1位周回を90%以上独占したのは4回。1950年のアルファロメオ(96.6%)、1952年のフェラーリ(92.1%)、1955年のメルセデス(92.8%)、1988年のマクラーレン・ホンダ(97.4%の最高記録)。50年間の平均は50.9%。現在の最速といえるマクラーレン・メルセデスですが、1998年の1位周回率は68.2%と史上11位にすぎません。

一方、混戦だったのは1974年のマクラーレン・フォード(8.2%の最低記録)、1982年のフェラーリ(15.4%)、1970年のロータス・フォード(19.0%)で、いずれもその年の最多1位周回チームではありませんでした。また、最も多くのチームが1位周回を記録したのは、1975年の10チーム(フェラーリ、ブラバム、ヘスケス、ティレル、マクラーレン、シャドウ、マーチ、パーネリ、ヒル、ロータス)です。1970年代は毎年6〜7チームが1位周回を記録する群雄割拠の時代でした。

 

コンストラクター順位別優勝率

今度はコンストラクター順位別の優勝率です。100%を達成したのは1950年のアルファロメオ(6戦全勝)1952年のフェラーリ(7戦全勝)です。レース数が少ない時代でした。1988年のマクラーレン・ホンダは16戦15勝で勝率93.8%でした。逆に最も低いのは1982年のフェラーリで16戦3勝、勝率18.8%です。

 

コンストラクターズ・ランキングの変遷

1950年代

戦前から無敵を誇ったアルファロメオを、フェラーリが1951年イギリスGPで倒し、1952、1953年を制しました。1954、1955年はメルセデスの独壇場。1957年に登場したミッドシップ車のクーパーが1959、1960年に輝きました。(正式なコンストラクターズタイトルは1958年から。1950〜1957は計算上の順位。下線はドライバーズチャンピオン輩出チーム)

レース 1位 2位 3位 4位 5位
1950 6 アルファロメオ フェラーリ タルボ マセラーティ ゴルディニ
1951 7 アルファロメオ フェラーリ タルボ BRM ゴルディニ
1952 7 フェラーリ ゴルディニ クーパー・ブリストル マセラーティ コンノート他
1953 8 フェラーリ マセラーティ ゴルディニ・アルタ クーパー・アルタ  
1954 8 メルセデスベンツ フェラーリ マセラーティ ゴルディニ  
1955 6 メルセデスベンツ フェラーリ マセラーティ ランチア  
1956 7 フェラーリ マセラーティ コンノート バンウォール ゴルディニ
1957 7 マセラーティ バンウォール フェラーリ コンノート クーパー・クライマックス
1958 10 バンウォール フェラーリ クーパー・クライマックス BRM マセラーティ
1959 8 クーパー・クライマックス フェラーリ BRM ロータス・クライマックス  

1960年代

1963年、1965年にジム・クラーク擁するロータスがモノコックシャシーで王座につきました。3リッター時代再開の1966年、1967年はブラバムが制しています。

レース 1位 2位 3位 4位 5位
1960 9 クーパー・クライマックス ロータス・クライマックス フェラーリ BRM クーパー・マセラーティ他
1961 8 フェラーリ ロータス・クライマックス ポルシェ クーパー・クライマックス BRM
1962 9 BRM ロータス・クライマックス クーパー・クライマックス ローラ・クライマックス ポルシェ、フェラーリ
1963 10 ロータス・クライマックス BRM ブラバム・クライマックス フェラーリ クーパー・クライマックス
1964 10 フェラーリ BRM ロータス・クライマックス ブラバム・クライマックス クーパー・クライマックス
1965 10 ロータス・クライマックス BRM ブラバム・クライマックス フェラーリ クーパー・クライマックス
1966 9 ブラバム・レプコ フェラーリ クーパー・マセラーティ BRM ロータス・BRM
1967 11 ブラバム・レプコ ロータス・フォード クーパー・マセラーティ ホンダ フェラーリ
1968 12 ロータス・フォード マクラーレン・フォード マトラ・フォード フェラーリ BRM
1969 11 マトラ・フォード ブラバム・フォード ロータス・フォード マクラーレン・フォード フェラーリBRM

1970年代

ウィングでダウンフォースを得る空力の時代になり、ロータスとフェラーリが覇権を奪い合いました。ヘスケスやウルフなどの新興チームが突然優勝したりすることもありました。

レース 1位 2位 3位 4位 5位
1970 13 ロータス・フォード フェラーリ マーチ・フォード ブラバム・フォード マクラーレン・フォード
1971 11 ティレル・フォード BRM フェラーリ マーチ・フォード ロータス・フォード
1972 12 ロータス・フォード ティレル・フォード マクラーレン・フォード フェラーリ サーティース・フォード
1973 15 ロータス・フォード ティレル・フォード マクラーレン・フォード ブラバム・フォード マーチ・フォード
1974 15 マクラーレン・フォード フェラーリ ティレル・フォード ロータス・フォード ブラバム・フォード
1975 14 フェラーリ ブラバム・フォード マクラーレン・フォード ヘスケス・フォード ティレル・フォード
1976 16 フェラーリ マクラーレン・フォード ティレル・フォード ロータス・フォード リジェ・マトラ他
1977 17 フェラーリ ロータス・フォード マクラーレン・フォード ウルフ・フォード ティレル・フォード他
1978 16 ロータス・フォード フェラーリ ブラバム・アルファロメオ ティレル・フォード ウルフ・フォード
1979 15 フェラーリ ウィリアムズ・フォード リジェ・フォード ロータス・フォード ティレル・フォード

1980年代

ターボの時代にパイオニアのルノーは王座をつかめず。代わってフェラーリ、TAGポルシェ、ホンダのエンジンが栄光に輝きました。

レース 1位 2位 3位 4位 5位
1980 14 ウィリアムズ・フォード リジェ・フォード ブラバム・フォード ルノー ロータス・フォード
1981 15 ウィリアムズ・フォード ブラバム・フォード ルノー タルボ・リジェ・マトラ フェラーリ
1982 16 フェラーリ マクラーレン・フォード ルノー ウィリアムズ・フォード ロータス・フォード
1983 15 フェラーリ ルノー ブラバム・BMW ウィリアムズ・フォード マクラーレン・フォード
1984 16 マクラーレン・TAGポルシェ フェラーリ ロータス・ルノー ブラバム・BMW ルノー
1985 16 マクラーレン・TAGポルシェ フェラーリ ウィリアムズ・ホンダ ロータス・ルノー ブラバム・BMW
1986 16 ウィリアムズ・ホンダ マクラーレン・TAGポルシェ ロータス・ルノー フェラーリ リジェ・ルノー
1987 16 ウィリアムズ・ホンダ マクラーレン・TAGポルシェ ロータス・ホンダ フェラーリ ベネトン・フォード
1988 16 マクラーレン・ホンダ フェラーリ ベネトン・フォード アロウズ・メガトロン ロータス・ホンダ
1989 16 マクラーレン・ホンダ ウィリアムズ・ルノー フェラーリ ベネトン・フォード ティレル・フォード

1990年代

ハイテクノロジーの時代にマクラーレンとウィリアムズが覇権を交代しあいます。

レース 1位 2位 3位 4位 5位
1990 16 マクラーレン・ホンダ フェラーリ ベネトン・フォード ウィリアムズ・ルノー ティレル・フォード
1991 16 マクラーレン・ホンダ ウィリアムズ・ルノー フェラーリ ベネトン・フォード ジョーダン・フォード
1992 16 ウィリアムズ・ルノー マクラーレン・ホンダ ベネトン・フォード フェラーリ ロータス・フォード
1993 16 ウィリアムズ・ルノー マクラーレン・フォード ベネトン・フォード フェラーリ リジェ・ルノー
1994 16 ウィリアムズ・ルノー ベネトン・フォード フェラーリ マクラーレン・プジョー ジョーダン・ハート
1995 17 ベネトン・ルノー ウィリアムズ・ルノー フェラーリ マクラーレン・メルセデス リジェ・無限ホンダ
1996 16 ウィリアムズ・ルノー フェラーリ ベネトン・ルノー マクラーレン・メルセデス ジョーダン・プジョー
1997 17 ウィリアムズ・ルノー フェラーリ ベネトン・ルノー マクラーレン・メルセデス ジョーダン・プジョー
1998 16 マクラーレン・メルセデス フェラーリ ウィリアムズ・メカクローム ジョーダン・無限ホンダ ベネトン・プレイライフ
1999 16 フェラーリ マクラーレン・メルセデス ジョーダン・無限ホンダ スチュワート・フォード ウィリアムズ・スーパーテック

 

革新的マシンがチャンピオンシップを制してきた歴史

ミッドシップ

グランプリカーの歴史は、戦前から1950年代までフロントエンジン・リア駆動(FR)が主流で、その方が有利と信じられていました。1957年にクーパーは、エンジンをドライバーの後ろに置く、ミッドシップ車を登場させました。クーパーは1959年と1960年にコンストラクターズチャンピオンになりました。F1が全車ミッドシップになったのは1961年からです。

モノコックシャシー

1962年、ロータスのコリン・チャップマンは、シャシーをそれまでの鋼管フレームから、モノコック構造に変えました。鋼管フレームは何本ものパイプで組み立てられていましたが、アルミ製の板を組み立てたモノコック構造にすることで車体をより小さくすることができ、軽量化に成功しました。燃料タンクをドライバーの両横に置き、ダンパーやスプリングなどのサスペンションもシャシー内部に収めて、空気抵抗を減らせたのです。1963年のロータス25は、ジム・クラークの活躍によりワールドチャンピオンに輝きました。

リアウィング・フロントウィング

1968年のベルギーGPでフェラーリが初めてリアウィングを搭載しました。各チームが、ウィングにより発生するダウンフォースの存在を知ったのがこのころです。同年にフロントウィングも装着され、脱落時の事故から高さの規制を受けました。しかしウィングにより空力技術が進化し、今に至っています。

くさび形シャシー

F1マシンは、60年代の円筒の葉巻型から、フロントを低く、リアを高くする、横から見てくさび形(ウェッジシェープ)の形状に変わっていきました。ウィングだけでなく、ボディの形状からもダウンフォースを得るためです。初のくさび形マシン、ロータス72は1970年にチャンピオンになりました。

サイドポンツーンとウィングカー

1970年代前半、もともと、ドライバーの安全保護のために、マシンの両側面にサイドポンツーンという出っ張りが強制されました。デザイナーは、ここをラジエターダクトに使用しました。1977年、ロータスはサイドポンツーン内部を翼状にして強大なダウンフォースを得るウィングカーを登場させました。1978年にロータス79でチャンピオンに輝きました。1983年にフラットボトム規制になるまで各チームがこの効果を得ようとしました。

カーボンファイバー・モノコック

1981年、マクラーレンのジョン・バーナードは、それまでのアルミニウム製モノコックから、炭素繊維を使用したカーボンファイバー製のモノコックでMP4/1を作成し、軽量化に成功しました。1984年、マクラーレン・TAGポルシェは16戦12勝を達成し、チャンピオンに輝きました。

セミオートマチック・トランスミッション

1989年、フェラーリのジョン・バーナードは、新車640にセミオートマチック・トランスミッションを搭載しました。ドライバーはステアリングから手を離さずにギアチェンジできるようになりました。1989年に3勝し、1990年には6勝、飛び越え変速できるなど進化していきました。1991年にウィリアムズ、1992年にマクラーレンが採用し、チャンピオンカーからテールエンダーまで全車にひろまりました。

コルセアウィング(ハイノーズ)

1990年のサンマリノGPで、ティレルがフロントノーズを上げて下方に空気を送るコルセアウィングを登場させ、新人ジャン・アレジの活躍で脚光をあびました。1991年、ジョン・バーナードがベネトンでノーズから吊り下げ式のフロントウィングを採用し、1994年にシューマッハが王座に輝きました。以後、この形が主流になっていきます。

参考文献:「歴史に残るレーシングカー」ダグ・ナイ著、「レーシングカーのエアロダイナミクス」熊野学著