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必然的だったアロンソのクラッシュ
真のスタートだった20周目以降は、マクラーレンの2台が異次元の速さだった。しかしこの2台は給油後に遅くなってしまう。図の通り28周目以降は全車がイーブンになったかのような混戦となる。特にウェバー、ベッテル、クビサはマクラーレンの2台より速かった。だがチャンピオンシップを考えるとハミルトンとアロンソの戦いである。このときハミルトンは1:29〜30秒台、アロンソは1:31〜32秒台だった。アロンソは重くなったマシンに手こずっていた。ピットアウト後の28周目にコースオフする。31-34周目は自分の前にいたクルサードにすらついていけなかった。さらに35周目にスピン。この後のアロンソはライコネンの後ろを走る。ライコネンがピットインしてフリーになった40-41周目、アロンソは相変わらず1:32秒台でペースは上がらず、ハミルトンより遅い。そして42周目にアロンソはクラッシュしてしまう。アロンソはハミルトンとの10秒差を挽回しようとして焦ったのだろうか。この週末は、フリー走行、予選、決勝、いずれもハミルトンが速さで上回っていた。誰もがコース上にとどまることで精一杯の困難な路面で、アロンソは敗退へ進んでしまった。

フェラーリはタイヤ選択の問題で序盤から後方へ沈んだ。もし連絡が正しく行われてエクストリームウェットタイヤを最初からはいていたら勝てたのか・・・否。ライコネンは軽かった37-39周目に1:32〜33秒台と遅く、給油後のベッテルに引き離されたほどだった。ライコネンもまたシケインでスピンするなど完璧ではなかった。この日のハミルトンを追い落とすことはできなかっただろう。

ハミルトンにとって、これまでの各サーキットは経験で不利だった。富士は唯一、ほかのドライバーも経験がないことで同じ土俵にいた。富士は雨でたしかに荒れたレースになったが、チャンピオンシップの場所としては公平だった。誰もがスピンする中、ハミルトンはクビサとのバトル以外ではスピンしなかった。そしてハミルトンは勝った。

ハミルトン雨の富士を制す
アロンソ致命的クラッシュ

朝から雨が降り続けるが、レース前には小降りになる。だが67周のレースのうちセーフティカー先導が19周も続く。にもかかわらずスピンする車がいるなど最悪のコンディションとなる。フェラーリ2台はエクストリームタイヤへの変更で最下位に落ちる。彼らは元の順位に戻れず。だがわかりにくかったのは、R・シューマッハがいったん順位を下げたのに戻ったことだった。
PPハミルトンと2番手アロンソはセーフティカーの最中も駆け引きを繰り返した。ハミルトンはトラブルかと思うほどスロー走行したかと思いきや、急発進。これは土曜の予選でもやっていた。アロンソはハミルトンを追い抜くかのような素振りを見せたりしていた。
セーフティカーが去ってのローリングスタートではハミルトンが首位を守る。アロンソは水煙で近づけず。
マクラーレンの2台はピットインで最後までの燃料を積む。ピットアウトでハミルトンとアロンソの間に何台も入り、アロンソは厳しくなる。マクラーレンの2台は重過ぎて遅くなり、後続車に追いつかれ接触してしまう。アロンソはベッテル、ハミルトンはクビサと。
運命の42周目、アロンソはクラッシュによるリタイヤを喫し、チャンピオンシップでハミルトンに大差をつけられることになる。
1位ハミルトン、2位ウェバー、3位ベッテル。だがセーフティカー中にベッテルがウェバーに追突して両者リタイヤ。代わってコバライネンが2位に上がる。
終盤、ライコネンがクルサードらを抜いて3位浮上。
マッサはクビサと最終ラップに抜きつ抜かれつのバトルを展開。これには有名な1979年フランスGPのビルヌーブとアルヌーのバトルを思い出した。
そしてハミルトンが優勝。アロンソは致命的な0点。富士は今シーズンの行方を決めるレースになりそうである。05-06と連覇していたアロンソは、ミスをしないことが強みだったが、皮肉にもその称号はハミルトンに移る。ハミルトンはニュルブルクリングの雨のレースで失敗したが、雨の富士を制した。トルコでのタイヤトラブルという試練も乗り越えた。新人がチャンピオンになるとすれば史上初であり、これから何連覇もしてしまうかもしれない。
 

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