Web進化論

梅田望夫

話題の本。ちょっとおそいような気もするけど。 さすがにGoogleのことにしてもAmazonのことにしても驚きはしない。

私はこの本をずーっと、ああそうか、これからはSEなんてやっても生きて行けないか ら、プログラムは趣味で、Open Sourceの成果は公共物として利用させてもらって、別 分野で生きていくべきだよなあと思って読んでた(今現在の私は、大量のデータ処理な ども必要な半導体エンジニアという立場なので、よかったなあSEにならないでよかった。 と心の底から思って読んでいた。

ところが、最終章で著者の主張はそうじゃないことに気づいた。著者の主張は、「君こそ 次のGoogleを作ろう」みたいだった。

うーん。これからの世の中価値観が変わったりもするかもしれない、ということは心すべき であろう。でもGoogleを作ろう、とは思わないなあ。もちろんそういう逸材がいないとおも しろいことはうまれないんだろうけど、起業みたいのをエンカレッジされてもな。

なんというか、インターネットがすっかりインフラになってしまって、水道みたいに、あって 当たり前、安くて旨ければなおよし。こっちはそれを使ってもっと面白いことやっちゃうもんね みたいなものになっているので、水道局でがんばって働くよりは、DIYで時々水道工事の真似もやり つつ、庭木をそだてる方やらしてもらうわ。旨い水の作り方やデータベース化、効率のよい新 規配管システムの構築なんかは、やった人は大もうけするかも知れんけど、庭木や花の方がきれい だもんね。 しかし水道のプロには水道をちゃんと通してほしいけどね。

というような考え方が、理系白書的、技術者軽視につながっていくのか? インターネットとかイントラネットって総務みたいなものでしょ。企業を代表する業務は製品開発部 とかがやってるわけ。でもそこで作られてる製品は実は別の会社の製品の部品だったりして、結局は マーケティング部とか、商品企画部とかが客に届く商品とかを考えてる。 でもその商品が写すのは結局、広告だったりアイドルだったり、使うのは政治家だったりして、 そういうピラミッドでものを考えちゃうと、理系=作る人、文系=使う人、なので使う人のほうが 強いのだ。ということで理系のうだつはいつまでもあがらない。

Web2.0とか言ったところで主役は書き手=文系だしなあ。

なんかよくわからなくなってきた。最近理系白書が文庫落ちしたのがいけないんだな。Googleみたい に理系が価値を作っちゃうってのも痛快か。そういうことか。