脱線好きのための理論物理学のはなし

高橋康

高橋康先生を、大学時代は知らなかった。

解析力学入門を読んだのは、大学時代どころか、この読書ノートを付けはじめ てからなので、物理から離れてしまってからだった。 解析力学入門を読んで、氏の要点に絞ったシンプルな書き様に感銘を受けた。 大学時代に読んでおけば良かった本の一冊だ。 右も左もわからない大学生には、ゴールが見えやすい方がいい。

で、その高橋先生のこのエッセイは、本当に高橋先生の教科書通りだった。 カード1枚に書けないようでは理解したことにならない。本質の本質の本質を 無駄を削ぎ落し削ぎ落してまとめる。大学時代に試験前、半年かけて学んだこ とをまとめる。一つ一つの式は追えても、なんだか全体像がつかめてない状態 から、半年間でこの講義で言いたかったことははこの式1つで書かれている、 と気付く瞬間がある。そこから、さかのぼって全体のストーリーが見えてくる わけだ。

と書きながらも、先日どこかで読んだ(2chのまとめだったかな)、数学科の人 の一言が忘れられない。とある本が、意味やイメージを良く伝えるものの証明 が略証になってしまうことに、数学屋としては証明を読む楽しみが足りないと 書いていた。 もちろんすべての数学屋がそうではないだろうが、数学の醍醐味の一つに「証 明を読む」ことがあるのだろう。定理の持つ意味だけではなく、証明そのもの のおもしろさを楽しむ。

ということで、高橋先生の本質の意味をカード一枚で理解するというのは、数 学には通じないのかもな、と思ったりしながら読んだ。

同時進行で裏で読んでいた(と言ってもこの本が約1週間で読み終ったのに対し て彼の本は半年以上をかけたわけだが)、「リー環の話」を、数学の本として、 一つ一つの式を嘗めるように読んでいった。数年前の「数セミ」で数学の本を 読むこととはなにか、という特集をしていた。この特集記事にはかなり感銘を 受けた。数学の本を読むということは、単に字面を追うことではない。読んで 定理やその証明やその意味を自分で再構成することである。2年ほど前、とにか く字面を読んで早くルート系を理解したかった私は、結局なにも理解できず、 今、半年かけて這うように読んで、13年間のもやもやをやっと晴らすことがで きそうだ。

数学の醍醐味はやっぱりそういうところにある。物理の醍醐味はちょっと違う 所にあるのかもしれないが、と言って物理にも理論はある。物理は理論の行使 のみではない、はずだ。カード1枚にまとめるためには、嘗めるように式達を 追う必要があるはずだし、追わせてくれ。

ところで、ワード高橋恒等式、が、なんだったかが、今一つ思い出せない。 そして、これを読んでいると、私が、大学時代に積み残したもう一つの大きな 宿題、「くりこみ」「くりこみ群」たちを勉強したくなってきた。