これからの幾何学

深谷賢治

たまたま図書館で手に取った一冊。
思った以上にずっとおもしろかった。

深谷氏が物理と数学をどう考えているのか。
数学者の視点で物理はどう見えているのか。あの、デュアリティーフィーバー
は数学者にどう伝わったのか。

はっきり言って、私は、深谷氏が理解していることよりもずっと皮相な理解し
かしてなくて、彼の説明を今読んで、ふーん、そうだったのか、とか思うこと
しきりであった。

特に、サイバーグ・ウィッテンは大学院のころから良く判ってなかったので、
と言いつつ、私には、深谷氏の超弦理論の説明の方がずっと難しかったのであっ
た。読んで思ったのは、この本は、98年当時の本で、それからいろいろおもし
ろいことがわかったらしいが、どうなったんだろう。
大学院生当時、私には、いくつか、超弦のdualityで納得いかない点があった。
それは、私の頭が悪いせいだと思わないで、それをもう少し掘り下げていれば、
なんか判ったのかも知れないなあ。

数学者の視点で見たときこんなにも判らないことが、この分野にあったのか。

ところでこの本は、
物理などの問題が数学になる瞬間とは、なんなのか、という視点がずっとある
ように思う。サイバーグ・ウィッテン、超弦、という数学的にも意味がありそ
うな物理的領域が、まだ数学的に整備されてないために数学の言葉で完全に言
えないこと。カオスとかフラクタルが、数学として豊かそうな状況だが、まだ
問題設定ができないこと。
数学としての問題設定、ということについて考えさせられるものがあった。
物理としての問題設定は、そこに実験結果があるからであり、世界がそこにあっ
てしまっているから、なのだが、そこから数学の問題を抽出すること。それこ
そが数学なのであろう。
カオス、フラクタルは、まだ数学の問題として抽出し切れていない。
私は、てっきり、サイバーグ・ウィッテンなどは、既に数学があるところを物
理に応用した、もしくは、いくつかの数学を新たに準備したかも知れないが、
大体の部分は数学は既に準備ができていたのかと思っていた。しかし、サイバー
グ・ウィッテンは、数学的にはまだ問題として確立されてない所で物理が答を
求めたようなもので、数学としてどう問題を抽出するのかは、(1998時点では)
まだ、完全には見えてない状況だったのか。

なるほどなあ。微分幾何学とコホモロジーとグロタンディークと、と、この2
年ほど勉強している分野を俯瞰するような氏の視点は、とてもおもしろかった。

なお、コホモロジーを応用から切り離してそれだけを取り出すことには反対。
数学の構造主義を否定する立場もまた、勉強になった。(が、それはそれとし
てコホモロジーの世界をまとめて見たい気もする。

2004/07/20