CODE

ローレンスレッシグ

名著なのかなあ。
私は、途中で飽きてやめました。だって同じことを何度も言うばかりなんだも
ん。2部までは真面目に読んだけど。

結局半分しか読まなかった。コモンズを読むべきなのかなあ。

氏の言いたいことは、
「サイバー空間が本質的に規制できないものである」という論理は間違っている。
商業と政治が結びついてサイバー空間の規制は進行中である。

規制にはは4種類くらいある。
 法による規制
 社会規範による規制
 経済による規制
 コード(技術)による規制
これらは相互に関係しており、法による規制がしにくければ、別の方法で規制
するだけである。特に経済、商業と結びついたとき、商業活動をしやすくする
ためにも匿名性の排除や情報の隠匿は重要になり、政治と結びついて、規制の
方向へ動く。

規制をしにくくすることも可能である。例えばそれはオープンコード(という
語が使われている)が広まれば、規制はしにくくなる。と言っても規制がない
世界が実現できるわけでもないし、規制がない世界は理想郷ではない。

著作権の制限は、実は大きくなっている。法による規制が及ばなくなってきた
結果、経済は、コードによる規制を選択し、逆に著作権は過剰に守られる方向
にある。

で、オープンコード運動と、著作権についての論述を途中まで読んで、やめた。

実は、氏が最終的になにを主張しようとしているのか、到達しなかった。
予想としては、ネットの自由を守るための規制が必要である。というあたりに
あるのではないかと思う。自由は規制がなければ自由な状態にあるものではな
く、自由を守るための構造を組み込んだ規制を敷く必要がある。

オープンコードが普及するのが氏の理想なのか、著作権保護はもっと緩くなる
のが理想なのか、そのあたりは、読んだ範囲では理解できなかった。

オープンコードが普及すれば、政治の介入はよりし難くなる。が、それによっ
て自由が保障されるわけでもなんでもない。自由を守るための規制にとってオー
プンコードのゲリラ作戦は決して主流になれるものではないように、彼の途中
までの主張からは読みとれる。

読みようによっては、コードこそサーバー空間を完全に規制する力をもったも
のであるから、プログラマの力を削がないと大変なことになるぞ、という主張
もできそうな気もする。


ところで、「アーキテクチャー」という語がやたら使われているのだけど、辞
書では建築術、構造、設計、体系、建築物という意味である。コンピュータ用
語では、設計とか構造という意味で使われているような気がしていたが、どれ
のことを指してるのだろうか。
「コード」だって、コードで、プログラムそのもののことを指すこともあるけ
ど、手元の辞書では、法典、規約、符号、暗号。日本語コンピュータ界で最も
普通の使い方は、文字コード。ソースコードとか。もちろん「法典」のひっか
けになっているんだけど、日本語にするとしっくりこない。

私が思い出したお話。

私はPGP技術をかなり崇拝していた。会社で別に暗号でやりとりしなければら
ない私信もないわけだが、会社による検閲を避ける必要があればPGPは最適と
思っていた。が、だ。ある日会社は、暗号化されたメールのやりとりは禁止す
る、という規約を作った。実際には私は暗号メールを会社で使ったことはない
のだが、技術というものはこの程度のものであることを思い知った。どんなに
完璧で解くのに数10年かかる暗号で保護しようと、権力によって、禁止なり復
号を命じられたら、それまでなのだった。
たった一行の規約で、技術は敗れるのであった。

2004年の日本人は、ネットの規制ができると思っているし、例えばspamなどは、
もっと規制して欲しいとさえ願っている。
WindowsはLinuxの対極にある概念ではない。LinuxだってWindowsだって大して
変わらない。SCO訴訟の行方は気になるけれど、別にお金を請求されることは
ないだろう。WindowsXP上で使うcygwinやxyzzyやrubyはそこそこ快適で
Windows上でも開発はできる。

ということで、この本は、もう古いのだと思う。(と結局最後まで読まないで書いて
しまう)。いや、まあ、浅はかな判断だろうけどさ。