ユーカラの時代考証 2014/12/03 これは、金田一京助博士のユーカラノートに書かれていたことを参考にして推測したものですので・・・ 歴史学・考古学などとの整合性が無い部分もあるかと思われます。あくまでも仮説ですのでご了解下さい。 時代は8世紀まで遡ることになるのは、コポアヌ媼がKeomante を伝えるのに 米麹のことを Kamtachi (カムタチ)と云っていることに依ります。 |
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飛鳥時代 | 奈 良 時 代 |
平安時代 | 鎌 倉 時 代 |
南 北 朝 |
室町時代 | 安土桃山 | 江戸時代 | 明治時代 | 昭 和 |
平成 |
続 縄 文 |
オキクルミ (シシリムカ) ポイヤウンペ |
シュムンクルの文化 (西側日本海交易圏) 樺太も含む。 |
樺太・日本本国との交易が 未だ確保されていた |
シャクシャイン に依って壊滅 |
青苗文化 |
渡り党 | 安東から蠣崎→松前 |
オホーツク 文化 |
樺太・メナシクル文化 (オホーツク・太平洋交易圏) |
→ → → | 蠣崎(松前)に依る交易支配 (トパッツミの横行) |
ユ カ ラ カ ム イ |
悪 夢 の 曲 |
赤 焰 白 焰 |
川 口 人 の 戦 物 語 |
口 琵琶 媛 の 曲 |
覆 舟 変 化 物 語 |
金 獺 記 |
ポ ン ケ マ ラ ッ キ |
蘆 丸 の 曲 |
八 串 肉 串 の 戦い |
草 人 形 の 戦 |
虎杖 丸 の 曲 |
最後 の ユ カ ラ |
1 4 5 6 |
コ シ ャ マ イ ン |
1 6 6 9 |
シ ャ ク シ ャ イ ン |
マシケ場所 |
1 7 8 9 |
メ ナ シ ク ナ シ リ |
陣 屋 配置 |
現在、アイヌ民族として一括りに論じられておりますが、西側陣営の文化と東側陣営の文化は違っており
そこに渡り党と云う東北アイヌの進出があり、その三つ巴の葛藤をユーカラとしてシュムンクルの都、沙流で
記録して居たんだと思われます。ワカルパ翁に依ると、十勝などにもHau(沙流以外のユカラ)が有ったらしいですが
トパットミ(夜盗)が横行してコタンの人々殺されて、一つも残っておりません。シュムンクルの新冠のHauは
沙流に若干残っております。又、メナシクルのサコロペ(女子の謡い物)も金田一博士が二曲筆録されていて
トパッツミに依ってアイヌ文化が失われて行ったことが窺えて、残念なことでありますよね。
そのトパッツミの警告として、生まれたのがウポポ(座り歌)で東側陣営の文化であります。
現在は、その東側の文化のみが取り上げられて演じられており、片手落ちの状態です。
矢張り、西側(シュムンクル)のユーカラの実演が為されて初めて、アイヌ文化が蘇ると考えます。