シュムンクルについて  『松前並東西蝦夷地場所之地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書』 上原熊次郎より 
 
 chupka unkuru(チュプカウンクル)  択捉島以東
 shimenashi unkuru(シメナシウンクル)  十勝の広尾以東
 menashi unkuru(メナシウンクル)  日高静内以東〜幌泉
 shum unkuru(シュムンクル  日高新冠〜白老 オキクルミ神の居た沙流が都
 ushor unkuru(ウショルンクル)  噴火湾の幌別から有珠礼文華
 ushikesh unkuru(ウシケシウンクル)  礼文華〜砂原
 horepashi unkuru(ホレパシウンクル)  砂原〜恵山崎
repunmoshiri unkuru(レプンモシリウンクル)  利尻島・礼文島・樺太南部

太古の日本列島 南は沖縄東は千島列島までプレートテクトニクスの最先端で地震があり
台風があり火山が爆発したり・・・皆 神々の仕業と考えたのでしょう。
それで八百万の神々の思想が生まれた・・・Y染色体ハプログループD(縄文人)

それで大陸の影響が少なかった極東の地に取り残されたのがアイヌ文化のような気がする。
言わば、日本の原始の文化ではないのか?

元々Shisam(本州)と同じ文化であったから、漆器とか刀剣・鉄鍋・米などは宝として尊重していた。
日本海側の交易圏を守る為に、沙流のオキクルミと浜益のチュプカムイ(月の神)の子供等
二人が手を組んだのがユーカラの始まりで、一番先にやった仕事がコタネチクチク(オホーツク人)
の討伐で、 (Wendarap yukara)その後も日本海側の総大将ポイヤウンペを亡き者にしようと
幾度も狙われたことをユーカラとして記録し、敵陣営の位置とか人柄も其処に盛り込んだ
所謂、日本海交易圏の軍事機密情報がユーカラの正体だと思われる。

現代人の想像を遙かに超えるダイナミックな展開が存在していたのでしょう。

白糠の四宅ヤエさんの物語に石狩方面には行ってはいけないと云うのがあって
石狩の河口には、恐ろしいツムンチカムイ(戦の魔神)が居るから行くな !!
と云う戒めが在ったのでしょう。
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一部にユーカラは、アイヌ民族の叙事詩の総称と解説されているが・・・間違いで
沙流の叙事詩の総称と言い換えるとしっくりする。
つまり、シュムンクルの都、沙流のものだけをユーカラと云い幌別(ウショルンクル)のものは
ハウと捉えるべきであろう・・・釧路のものがサコロペと云われるように・・・