コポアヌ媼の熊送り


コポアヌ媼六十八才の大正十四年八月十日朝五時に上野の着く
前の日、久保寺君にも話してあったので迎えに出ていて呉れた
二週間滞在して二十三日午後六時に上野を発つ
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この時、アイヌの童話として昭和23年に発表された「りくんべつの翁」
など筆録されている・・・その後のページに色々聞いたことも書いておられて

熊送り(一般的には、IomanteKeomante のことを詳しく記録されている。
これは、外部から観察したものでなく・・・執り行った当事者のお話なので
興味深い方いらっしゃるとと思うので・・・書いておきます。(*^_^*)

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Akunokuru に射殺せしめる 丁度、脇の下 肝の所へ射るようにするから
上手な射手をして射しめる。tonoshki にその日は、食わせないで
晩方か昼飯頃か仕事でき次第出して、元気のあるものだと
括るの面倒だから丁度に縄付ける人セットの上に行って
後、上から縄付けて袈裟懸けに付けて、出してもその綱から
外れないようにして、その縄引いて沢山、人集まってる中へ入れて
親爺ぐるっと座ってる廻り奔らせて、そこさ kamui ai を持たせて
chotcha する。いいくらい走らせて inau chipamurkuta nusa との
間から通らして、nusa の脇へ貰って来て inauneki(susu) の棒
六尺位の持って来て首絞る。余計動けぬから、そうして殺される

【 子供は脇へ危ないから寄せぬか?子供持った人は、抱いてそれに chotchare する 】

熱い血飲む人飲む 腹割って、腹の血を杯で nise して飲む
育てた人でも誰でも飲みたいと云う者に男女共に肺悪い人など飲む
ぐるっと剥いで、肉離し熊は rushi 付けて頭へ 家へ入れる
肉の上へ首 monoare しておく、
この晩ご馳走ある 村人忙しくシト拵える。ポロチセへ餅集まる
翌朝皮とりて皮張り首は、amewke する inau 付け
晩になると keomante とて夜送る
男のみで女は行かない 男達 iyomare もする。女は、 horippa して
家の中に居ることは居る。二日酒盛り 三日目今度、シト一つ一つへ
良い人は背負い余る位貰う。
百なら百を peurep koro kuru へ寄附し それを集まる人へ
その家の人から食わせ 余りは面々食わせたい人やりたい人へやる。

但し、二日目は未だ parakata 吊しておく三日目お終いに成るとき
そー呉れる。
酒もめいめい拵えるから三日も四日も飲んでヨロタしてる
肉を煮て食べさせるのは矢張り、keomante やった次の朝に
poro chise で煮て食べさせる

poro shintoko 二つも三つも中には、ashikne shintoko も立てるから
大変な酒だから毎日飲む
kamtachi を買って造る。豆を背負って豆二升と kamtach 一升と
itasare して何遍もカンタチ買う。自分でカンタチ作る人もある。
自分で moru 拵え 搗かない米買って 昔の onne utar は
どーしても酒拵えたかった。

熊繋ぐ木(punkau)tusokni 径三四寸もある五尺位の高さ
そこへ繋いで Chotcha する
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 熊の肉付け切って 皆へ imekare

まるきりの子でも女へでもやると 自分面々 好きな人に呉れる
この人、気に合った食わせたいと云う人にやるから

因みに、ペンリウク翁からアイヌ語を習ったバチェラー博士と後のニコライ・ネフスキーは
共に Iomante とは云わずに Keomate と云っている。

※ 以上から考えられるのは、沙流に於いての熊送りは、狩りの上手な人は山で一番
滋養のある部位を食べられるが、女性・子供・年寄り・体の弱い人は、食べられ無い
そこで、村の人達に等しく栄養を付けさせる為、小熊を飼って食べさせて
村の共同体の維持を図ったのが、一番の目的であったようです。
宗教的な儀式は、オキクルミの教えを守っていたことに依るものであったのでしょう。
オキクルミはポイヤウンペにも其れを教えたみたいですから・・・

現在では、薬もあるし栄養面では足りているので、敢えて熊祭りをする必要が無くなり
無益な殺生は、避けるべきでありますよね。現在では、宗教性が強調されていますが
それは、誤りだと感じます。・・・理想的で高度な共産主義社会構造
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熊殺した後、直ぐの遊びに uko とて人熊の真似してエッ エッ と云って追ったり
ukotusuku とて皆一緒、女の処に集まって太い縄引っ張る
mat peurep pmante なら女勝つ okkayo peurep omante なら男勝つもんだ
此の日殺した時には、女達 kukoro peurep unkasui unkasui と云うとほんとに女勝つものだ。
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Keomante と言うのは、ワカルパ翁によると・・・
昼送ると行ったの見る人ある。そーするとその見た者貧乏になるから夜のみ送る。
atuma のアイヌは、昼もやる。

熊送りは、そのコタンの人たちの健康を気遣ったことが主体の催し物で、村全体の秩序を
確認する意味が強かったみたいですよね。(宗教的と言うよりも)