アイヌ文化について 2015/02/03
 
アイヌは、文字を保持していなかった為、現在の歴史観は和人に依る記録で考えられて居て
又、文字の使用を禁止された時代があって残らなかったとも云われています。

一つのパラドックス(背理)として、アイヌは敢えて文字を持たなかったとも考えられます。
何故か? と云うと・・・文字にするとそれを読む見る人の想像力・読解力に依存して
時代を経るに従って変質する恐れもあるし、頭脳の機能として記憶が薄れる。
狩猟民族は、獲物を Chikoikip と云って、闘いと捉えている・・・鹿は yuk chikoikip
熊は、kamui chikoikip としていて、運が悪いと自分の命も危うくなる。
それには、ある年齢に達したら・・・実践の場で直に教えて行くことでしか伝わらない。
生存を脅かす事に対しては、体験の記憶を口述で伝える方が効果的である。
昔のアイヌは、連れ添いの片方が無くなると家を焼く習慣があり・・・
皮なり布に書き付けたり、板に彫刻しても記録が消える恐れがある。

ユーカラの場合、何百年も記録を残すには、そのエッセンスを詩の形にして
修正を許さない厳しいルールに耐えるだけの人間を選んで、受け継いだ。
集団の存続が掛かっていたからでありましょう。
ウポポ(座り歌)もハララキ(鳥踊り)も今では、本当の意味を知る人誰も居ない。
それは、正しくそのままに受け継ぐ人間が、百年前に途絶えたから・・・
アイヌ文化は、消滅するだろうと仰った金田一博士は正しいのでしょう。
只、余市のアイヌ違星北斗のように、本当のアイヌ文化を求めて研究する
若者が出現して、膨大な金田一京助博士の筆録ユーカラノートの中身を
解き明かした時が蘇ると考えられます。

沙流のアイヌ チセンカウクが Upashkoma として伝えて居る興味深いものをご紹介します。

『 老エンドカムイ(一説に京都のカムイ) 女子を持つ 余り(numapatek)吝嗇なるを
取り上げ 函に入れて流す 門別から先 shinitai の下に着く hakounkot と云う
処あり。その女 ホロケウカムイを持ち その子土人になる。エンドカムイの女
上がったため ハコウンコツと云う所もあり 本のモトは シャモアイヌ 一緒だと
云う ウパシコマ ある。 』

これからすると、稲作の弥生時代の前は、日本列島の住民は、同じ文化であった。
将に、弥生文化から極北にそのままの日本列島文化が残ったことになり
日本の原型の文化がアイヌ文化かも知れないという・・・浪漫が生まれる。
ここいら辺を今一度検証して見なければならないことなのでしょう。
Y染色体ハプログループDの分布図がヒントのような気がする。

その研究が緒に就いたばかりなのに・・・白老に一極集中の施設を作ると言う
のは、拙速で後悔を産むことになると思われる。
アイヌ文化と云うのは、北方領土の択捉島のチュプカ・樺太・東北も含めた
広域の文化で、地域地域で哲学・風習が違う・・・その違いを検証してから
地域の発展を図るべきだと思われるし、北方領土返還にも関わっている地域

アイヌ語研究の現状についての或る研究者の見解を読んでみて下さい。(*^_^*)
※ 上記のリンクは、消されて読めなく成りました。<(_ _)>