ご近所散歩道シリーズ・
荘島物語 2
「事件」
朝、目覚めてカーテンを開けたら、警察車両が目の前に止まっていた。
公衆電話のボックスで何やら事件が起こったらしい。
派出所のおまわりさんとは明らかに違う服装の人々が、ものものしく動いている。
黒いビニールを道路に敷き、金属探知器のようなものでなにかを探している。電話ボ
ックスの中の指紋も採取している。
「殺人事件じゃないのか」
と、夫が言った。なんかそれくらいの緊張感が漂っていたのだ。
「最初は中年の男女が公衆電話の方を見てた、それから警察が来たんだ」
よほど気になったのだろう、夫は窓から何度も覗いていたらしい。
その後、夫は会社に出かけ、続きはわたしが窓から覗くようになった。だんだん警
察の緊張感もほぐれ、小1時間もしたら、座り込んで休憩をしていた。
ほんとにいったい何だったんだろう
よくよく考えて見れば、何かの事件ならばサイレンを鳴らしてくるはずだ。人が死
んでいるとしたら救急車だって来るだろう。
だが、それもなかった。ただ捜査はひと味違った。指紋を採っているとこなんては
じめて見たし、あの金属探知器のようなものは一体何だったんだろう。
2時間ほどで警察が帰ったので、それからボックスを覗いてみた。
電話機の下の両替機が使用禁止になっている。
そうだったのか! 両替機壊して、小銭を盗ってったんだ。
だから金属探知器なのか。
公園の脇、体育館の前にある公衆電話ボックスはけっこう利用が多い。一方、この
あたりは一般の野外生活者だけではなく、若者とかも雨宿りして夜を明かしたりする。
体育館には屋根もあるし自販機もあるから、遅くまでたむろしているグループも多い。
全国でも有数のシンナー利用者の多い市だと言われているが、とりあえずこのあた
りでシンナーを吸う者はいない。
治安が悪い、というよりか、野外に人が集えるオープンな町というのがわたしの印
象だ。
まあ、でも、小銭泥棒くらいは出現するんだろうなあ・・・
それにしても。ここに両替機までついてたなんて知らなかった。
この電話ボックスはISDNとかで、仕組みはよくわからないがモジュラージャックま
でついている。つまり、パソコンまで繋げるようになっているのだ。
繁華街でもない静かな町に、どうしてこんな豪華な電話ボックスがあるのか。
そっちの方をしみじみと考えてしまった事件であった。
とりあえず人が死んでなくてよかった。
もうこの町で路上の花束なんて、わたしはもう二度と見たくなかった。
「ブス猫とにらめっこ」
天気もいいし、家の修理をしていて仕事も休んだんで、近所をブラブラして写真を
撮ってまわった。
荘島公園とかわたしの好きな木の写真とか撮ってきたのだけれど、今日の最大の収
穫はこれ。
この不細工な猫!
動物写真を撮る方ならわかると思うが、慣れてない猫の写真を撮るのはむつかしい。
レンズを向けた瞬間に、ぷいっとどこかへ行ってしまうのが常なのだ。
この黒に白ブチの猫は近所に多い。おそらく、半年ごとに繁殖を繰り返してきたの
だろう。みんなこんな顔をして、こんな感じの性格だ。
ふてぶてしく、何がきても怖れない。そんなブス猫が最初は嫌いだったけれど、最
近、こんなやつらと一緒に生きているのがなんだか頼もしくなってきた。
毎朝、丁寧にアイラインを引く。どぎつくならない程度にリップグロスをつける。
嫌われるよりか、いい印象を持ってほしい。自分だって、きれいにしてる方が気分
がいい。
だけども、心のままにこんな顔して睨みつけたら、いい感じだろうな。
未知の人物も怖れず、レンズに自分を収められたら、違った生き方もできたかもし
れない。
いや、そんなふうに自分を蔑みたかったのではない。
ふてぶてしいブス猫が、こっちをじっと見てくれたのが、実は嬉しかったのだ。
「処女の顔をした魔女の木」
この柿の木を「処女の顔をした魔女の木」と密かに呼んでいる。
左側が荘島公園、右の金網は月極駐車場(ここは以前は豊田勝秋さんという鋳造家
のお宅だったらしい)、そして柿の木があるのは近隣の工場の従業員専用駐車場であ
る。
犬の散歩にこのあたりをひとまわりして、この木を見上げる。
かなりの老木なのに、それなりの華やかさのある枝振りだと、その度に思う。
春には小さな新芽が輝くようにこの木を飾りつける。処女の顔をした魔女がウェデ
ィングドレスを着て笑っているようだ。
秋には柿の葉は落ちてしまうが、渋柿がたわわに実をつける。明るい頬紅で顔を染
めた魔女のようだ。
枝の感じは老獪な魔女そのものだ。なのに、初々しい処女のように季節ごとに自分
を飾り立てる。
きっと、わたしが生まれる前からこの場所で、そんな顔をしていたのだろう。
そんな魔女と友達になりたいとも思わないし、そんなふうに生きたいとも思わない
のだが。
「処女の顔をした魔女の木」を見ていると、時の移り変わりって、そんなにたいした
ことじゃないんだなと思うようになる。
「犯人逃走中」
「***さんが亡くなったんで今日の通夜に行きなさい」
と叔父から電話があって出かける。叔父と言っても夫の叔父である。夫の両親はと
うに亡くなっているので、この叔父夫婦がわたしたちの親代わりだ。
夫は仕事で都合がつかず、わたしが叔父に連れられて通夜に行った。遺影の顔には
見覚えがあった。法事などで何度か見かけた方だった。
「ひさちゃんの奥さん」と紹介されて頭を下げる。何度か見かけたことのある夫の親
戚にも挨拶をする。
本来ならば父母が出るべき場所に顔を出すのは苦痛であったが、最近はこういうこ
とがそつなくできるようになった。わたしも大人になったもんだな、と思った。
喪服のままTSUTAYAに立ち寄り、週末に読むべき本を買う。「野性時代」がまだ出
てなかったので「小説現代」を買い、それから緊張したせいか甘い
ものが食べたくなってセブンイレブンにも立ち寄った。
店員の金城(金城武に似ているので勝手にこう呼んでいる)が話しかけてきた。
「大牟田の殺人事件の犯人が脱走してるらしいんです。久留米にいるらしいんで気を
つけてくださいね」
と、ホスト顔負けの美しい笑顔で言う。(この顔を見ると、わたしもとたんに心優
しい人になる)
「わたしはもう、これから帰るから大丈夫だけど。店にいるあなたたちが大変ねー、
何もないといいけど、気をつけてね」
立地のいいセブンイレブンは以前、暴走族の抗争に巻き込まれて機動隊に道路封鎖
されたという経緯がある。夜勤も週末は並大抵ではない。
それにしても、こういう心遣いのできる金城は大人だ。そしてこういう返事ができ
るわたしも大人になったもんだと思った。案外喪服を着てると大人になれるのかもし
れない。
家に帰ると先に帰っていた夫が言った。
「犯人がさ、福岡地検から脱走したらしいよ、近くだからこわいよなあ」
「知ってる。さっきコンビニで金城から聞いた」
「なんでコンビニの店員がわざわざおまえに言うんだよ」
「そりゃ、わたしに惚れてるからに決まっているじゃない」
えー、何を勘違いしてるんだ、おまえなんか相手にするわけないのに、ちょっと声
かけられたくらいで・・・ぶつぶつぶつぶつ・・・
と、夫は長いことムキになって反論した。・・・冗談で言っただけなのに・・・ち
ょっと願望入ってただけなのに・・・みんな大人なのに・・・あんただけ、大人じゃ
ない・・と言ってやりたかった。
テレビではずっと速報テロップが流れていた。ニュースで状況を把握して、だんだ
んこわくなってきた。
福岡地検久留米支部って・・・TSUTAYAとは目と鼻の先じゃないか。
しかもコンビニも歩いていける距離。わたしって、すごいとこ、ひとりでウロウロ
してたんだなあ・・・恐ろしいことだ。
犯人はさきほど大牟田市内でつかまったとYAHOOのニュースに出ていた。
一家とその友人4人を殺害した犯人は、一度ふるさとの帰りたいと思ったんだろう
か。タクシーにでも乗ったんだろうか。
いずれにしろ、不穏な空気漂う週末にならなくて済んだ。
文化街はまだまだ酔客でにぎあうだろう。コンビニも朝まで客足が途切れることが
ないだろう。
わたしは「エンタの神様」を見て、それから本を読んで寝るだけだ。
「イメルダの街」
祭りのパレードがはじまる。子供たちがラッパやトロンボーンを鳴らし、町中を練
り歩く。小さな町には華やかすぎるほどの光景だ。
それから大人たちは靴を買いに行く。
ここに住む人々の85パーセントは靴マニアだ。足はひとつしかなくても、靴は何
足あってもいいと思っている。
靴工場の売店の扉が開くと、自分のサイズの場所に向かい、5、6足の靴を抱えて
る。
ほんとは10足くらい抱えたいのだが、靴は案外かさむものなのでそういう訳にもい
かない。
「ねえ、これとこれ、どっちがいい」
「うーん、どっちもいいねえ」
「どっちにしようかなあ」
「迷ったときは両方買う、これが鉄則よ!」
結局すべて買うことになる。荘島の住人にとって靴とはそういうものなのだ。
安い価格で大量の靴を提供してきた靴工場には感謝しないではいられない。おかげ
でここはイメルダの街になってしまった。
靴とはシーズンごとにまとめて買うものだと思っている。
学校に履いていけないブーツや厚底靴を子供たちは何足も買ってもらうことになる。
幸せである。ささやかだけど、同じ指向性を持った住人たちがたくさん
いる。家に帰ると、買った靴をすべて並べて、見せ合って喜ぶ。
本日買ったのは、夫のスニーカー、ショウのニューバランス、ナツのピンクのスニ
ーカーと赤のヒロミチナカノ、わたしはベージュのブーツとコンバースの
ハイカット裏ボアつきであった。
ロングブーツはワンシーズンに2足は邪魔になるんで、カナミに譲った。
コンバースはあたたかかった。すぐにそれに履き替え、もう一度お祭りに戻った。
PAの係をしている靴工場の若者にすぐに自慢する。
「これ、今日買ったんですよ」
「お、ありがとうございます。おお、これは限定品のようですねー」
ふふふと満足げにわたしは笑う。
限定品といっても市販のめずらしいものではない、試作品または見本品であって、
ほとんど売られていないってことだ、たぶん。
「猫が死んだ夜」
所用があって、夜、家の外に出たら、目の前で猫が死んでいた。
サバトラの成猫で、近所で何度も見かけたヤツだ。口から真っ赤な血が流れていた。
どうしたらいいかわからない・・・隣の坂下さんの猫だったら・・彼女は悲しむだ
ろう、と思いながら家をピンポンした。
「ああ、これはウチの猫じゃない。野良ちゃんよね」と坂下さんが言う。「ダンボー
ルに入れて、わたしが明日持って行くわ」
手伝おうと思ったけれど、どうすればいいかわからない。それでオドオドしている
と、わたしがやるから大丈夫と言って、わたしは家に帰されてしまった。
今日はサバトラの子猫の方が、口から血を吐きながらフラフラしていた。
昨日の野良の子供だろう。また、どうしたらいいかわからずに坂下さんを呼んだ。
「風邪が流行っているの、別に危ない病気じゃないと思う、ウチの猫も一匹病院に行
ってるのよ」
坂下さんは落ち着いてそう言う。死ぬという現象を前に動揺しているわたしを静め
るように。
人間にだって風邪が流行っている。だけども、わたしは病院で貰った薬を飲むし、
あたたかい布団に入って休むことだってできる。
だけども猫にとっては、風邪すらも「死に至る病」なのだ。
同年代ばかりの集合住宅からここに引っ越してきて、年長者とのつきあい方がわか
らずさみしい思いをした。
今、そんなに親密ではないけれど、わたしは坂下さんを頼りにしているんだなと思
った。
この町を自由に歩き回る猫たちが好きなのに、彼等の死をわたしは抱え込むことが
できない。彼女は、それを一人で抱え込む。
ごめんなさい、何も手伝えなくて。と、心の中で言う。
遠い死も、近い死も。わたしは上手に抱えられずに生きている。
それはだんだんと、近しい存在になりつつあるはずなのに。
「みんな」
アキは日曜の夜になると必ず行方不明になる。学校の寮に帰るのがイヤだからだ。
そのたびに両親は、いろんなところに電話をかけてアキを探す。
「でも、辞めないんだよね、せっかく高いお金払っていい学校に行かせてもらってん
だから」と言うと。
「うん、それはわかってるから辞めない。ただ・・寮はおもしろくないんだ」とアキ
は言う。
停学にもなって、それでも続けてがんばるって決めている、だけども、いまだに行
方不明になってしまう。
「もう、何度学校に呼び出されたことか・・・」
ミツの両親も嘆いている。最近ピアスをあけたらしい。教職をやっている父親は仕
事を辞めることも考えたという噂だ。
「お父さんもお母さんもいい人じゃない」と言うと。
「うん、いい人だよ。ちょっとズレてるだけで」とミツは言う。
龍とはいちど、バイク事故で死んだ少年について話した。飛び出した脳みそをお母
さんが泣きながらすくい上げたという話。
「どうして、そんなことするんだろ」と龍が言う。
「親ってね、悲しくて悲しくて、それで元に戻してあげたいって思うんだよ」と言う
と。
「おれ、ノーヘルでバイクに乗ったりしない」と、神妙な顔をして彼は言った。
なのに、このまえなんか、ノーヘルで3人バイクしていた。
龍のお母さんは、もう全然行かなくなったダンスの月謝を払い続けている。行きた
くなったらいつでもいかせてあげたいからだと言う。
みんな素直でまっすぐな子ばかりで、中3の今の時期になんでこんななんだろうと
思う。
両親は心を痛め、会うと「迷惑かけてごめんね」と言う。
なのに。自分が何をしたいのかわからない。ここがほんとうの場所なのかわからな
い。だから、やってることはめちゃくちゃで。心配かけてもそれが辞められない。
こんなに苦しんで大人になろうとしてるんだもの。きっと、誰よりも優しい大人に
なるに違いない。
そう思っているけれど。見ていると、彼等は痛々しいほど傷だらけだ。
荘島公園も夜は冷えきってしまう。
秋には毎日遅くまでたむろしていた少年たちも、今はここにはいない。
どこか別の場所で、いまだに痛みを抱えているのだろう。
* * *
荘島物語はこれにて終了です。
わたしが話す「自分の町」がおもしろいと言ってくれた友人のリクエストから始ま
ったシリーズ。「荘島物語」という名前も彼女の命名でした。
もっともっとこの町に住んでるかぎり書くことはいろいろあるはずなのだけれど。
ブログ自体が固有名詞を出すことで検索にかかることが多くなってしまったので、
やむ終えず終了することにしました。小さな町なのでたやすく場所や登場人物を特定
できるからです。
書いていて、気づいたことがひとつあります。
自分の意志で選んだわけではないこの町がずっと嫌いで、小さくて息苦しい町だと
思っていたのに、わたしはいつのまにかこの町のことが好きになっていたってことで
す。
あるいは書くという過程で好きになったのかもしれません。
そういう意味では、わたしの中ではとても大切な作品だと思っています。
こがゆき