ご近所散歩道シリーズ・
彼女
一年ぶりに彼女に会った。
目覚めてすぐのその姿は、ぼんやりとまどろんでいる最中のはず。わたしはまだ
そう思っていた。
だけど彼女はピンク色の肌を透けるように輝かせて、もうすでに活動していた。
唇の端を上げるようにして笑う。美しく弧を描くそのかたちは、まるで生まれたて
の三日月のようだった。
一年ぶりね、そう言って彼女はにこりと笑う。その親しげな言い方に気持ちが緩
んだ。
一年ぶりだね。元気だった? わたしはそう返した。
元気とか元気じゃないとか、わたしは自分のことをそういうふうに感じられない
の。ただ、季節が流れてゆくから、ここにいるだけ。もっともいつかは老いるのだ
ろうけど。それもまた、流れの中でやってくるだけ。それを虚しいとか哀れだとか、
そういうふうに感じる気持ちは、わたしにはないの。
相変わらずだ。その、ありのままをそのまま受け入れてゆく気高さ。ぴんとはり
つめた花びらのように、彼女には迷いがない。
なにを考えてた? あなた今、遠くにあるぼんやりしたものを探っていた。それ
は、一体、なに?
ああ、図星だね。彼女はやっぱり鋭い。
遠くにあるぼんやりしたものは、あいまいだけど。
ここ数日、どうしても身体から離れなかった感覚だ。
教えてほしいのはわたしよ。
どうしてそんな気持ちになってしまうのか。
ふふふ。わたしのせいね。よくわかるわ。
どうしようもなくざわめいて、傍らに誰かを探してしまうのは、多分わたしのせ
い。
ああ、そんな感じ。いとしい人がいるわけでもない。かと言って、誰でもいいわ
けじゃない。ただ。むやみやたらにざわめいて、歩いていてもそのまんま、誰かの
頬の体温をたしかめたいくらいに誰かを捜してて、どこにいても、その微熱に浮か
されるようにして、なぜだか、そんな恋しいような気持ちが押さえられなくなって
しまうのは。
あなたのせいなの? あなたがそう思っているってことなの?
わたしは何も思ってないわ。
わたしは何も思っていない。だけど、みんなわたしの元に、そんなものを置いて
行ってまうのよ。
あなたは足元に死体を隠してる。
死体の思いがそのまま残っているってこと?
死体なんてありゃしない。あれはみんなが勝手に言ってること。
でも実際、いろんな人が、心がざわめくと、それをわたしのせいにして、わたし
の中に置き去りにしてゆく。
知ってる? ざわめく気持ちってね、案外どこへも持って行けないもんなの。愛
情やいとしさとも違う、ざわめきだけはね、相手にぶつけようとも、理解して受け
止めたりはできないないもんなのよ。
だから、みんなそれを宙に漂わせてゆくようにして、わたの元に置いてゆく。
あなた、それに感応してしまったのね。
そうかもしんない。
どうしようもなくざわめいてるよ。地が揺れる、繋がっているはずのものが揺れ
て、ここにいてもどこかを飛んでいる。ふわりと微妙に揺れていて、血がたぎって
ゆく。どくどくと流れて人恋しくなって、誰でもない誰かを、むやみやたらに抱き
しめたくなって、何もかも忘れて飛んじゃうくらいに、激しく手足を絡めたくなる
くらいに、ざわめいてる。
誰もいないはずなのに。誰でもない誰かが、たまらなく恋しくて、ピンク色のも
やの中で、微熱のようにわたし、誰かを捜してる。
ねえ、わたし、どうしたらいい?
彼女は笑う。三日月の唇が、金色の宇宙をその中にかいま見せていた。
ざわめきつくしなさい。
悪いもんじゃないでしょ?
人はいつも流されてゆくの。自分以外のもの、自分の中のわけのわからないもの
を抱えて、理由のない感情に囚われてゆくものなの。どこにも行けないままにざわ
めいていけばいい。
どうして、なんて捜してはいけない。
ただただ、心のままにざわめいて切なさをつくせばいい。
わたしは。
あなたをそういう気持ちにしたくて、こうしてこの場所にいるだけなのかもしれ
ないのだから。
今年のさくらは雄弁だ。
通りぎわに立ち止まったわたしに、そう、語りかける。
さくらは笑う。
答えを出すためにここにいるのではないと、さくらは笑う。
そうしてわたしは風に追い立てられ、ざわめきを抱えたまま、その場所を過ぎて
ゆく。
こがゆき