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「誕生」 こがゆき 「くぅんくぅんきゃぃーん」 そんな声がして慌てて庭に出た。なんとまあ、うちの可愛いモモに、おす 犬が後ろっから繋がっている。 これは何という体位なんだろう、などと考える余裕があるわけもなく、 ホースで水をかけて追い払う。だが、そんなので効果があるわけなかった。 約60日後、子犬が生まれた。 ひと鳴きもせずに、朝、目覚めたら、小屋の中に4匹の犬を並べて、母犬 はさっぱりとした顔をしていた。 犬小屋の入り口に自分でバスタオルを敷いて、子犬が落ちないようにして いる。子犬は、誰に教えてもらったわけでもないのに、母犬の乳房に吸いつ いている。 飼い主に入り込む隙間などない。父親などもいらない。母犬は自分で産ん だ子供を母性のままに育ててゆくだけなのだ。 少し暖かくなる頃に、子犬たちは、ハイハイしながら外に出てきた。 栄養がよいらしく丸々と太ったおす犬が3匹。皆がハイハイしているの に、ひとり飛び回っている小柄で元気のいいめす犬が一匹。めす犬はチコと 名付けられた。 天気のいい日は、何時間も庭でかけずりまわった。 わが子のように、慈しむように、いろんな人が訪れては子犬を抱き締め た。 だがいつまでも四匹の子犬を飼い続けるわけにもゆかない。 離乳食を与える手間も量も馬鹿にならなくなってきた。 新聞の掲示板に掲載してもらった。 朝から電話がひっきりなしに鳴った。 死んだ老犬の替わりを探していた老夫婦。 子供が小学校にあがった機会に犬を飼いたがっていた若い家族。 遠方から車を走らせてきた人たち。 可愛らしいしぐさを喜び、一匹一匹が引き取られていった。 だんだんといなくなる兄弟を悲しみ、チコは犬小屋のすみで涙を流した。 うそだよ、と思われるかもしれないが。チコは震えながら、たしかに目に 涙をためていたのだ。 だがそのチコも、ひとり暮らしらしい中年の女性に引き取られていった。 もう今は、母犬しかいない。 写真だけが、子犬たちの像になってしまった。 ときおり子犬たちのことを思い出す。 そのたびにわたしは、生命の感触を確認してゆく。 誕生は、歓喜と慈愛に満ちている。 どういう状況であれ、望むと望まないに関わらず、誕生は無条件に代えが たい喜びを与えてくれたのだ。 もしかしたら、その後の人生は憎むべきものなのかもしれない。 悲しみや孤独や無力や死の予感は、生きているあいだ中、胸の中から消え 失せることがないのかもしれない。 だが。わたしであれ。あなたであれ。 その誕生はたしかに、無条件に歓喜と慈愛に満ちあふれていたのだ。 |
庭で子犬を遊ばせるモモ。 子犬の名前は、チコ、プーさん、ゴン、チビだった。
プーさん(左) と チコ(右) のんびりやのプーさんを噛みながら遊ぶのがチコの得意技。 プーさんは、人なつっこく、足元にすり寄ってきては しっぽを振って、おもらししていった。
生まれてまもない頃。犬小屋から出ることも少なかったが、 母犬は、こんな撮影も無条件に許していた。 写真・syohey・sugi
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