CSN&Y History 【24】
過去への旅路 [1972]
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1972年 1月、リプリーズ・レコードはニール・ヤング 4作目のニュー・アルバム 『Harvest』 に先駆けてファースト・シングル 「Heart Of Gold」 をリリースした。ヤングはプロモーション活動を行うことなく牧場に引き籠もっていた。しかし、ヤングの新曲とニュー・アルバムを待ち続けていた多くのファンはレコードを買い求め、ラジオ曲にはリクエストが殺到した。

「Heart Of Gold」 の大ヒットもあり 『Harvest』 には予約が殺到し、翌 2月にリリースされるとたちまち 200万枚を超す売り上げを記録し全米アルバム・チャート NO.1 となった。親しみやすいメロディを持つ 「Heart Of Gold」 も全米シングル・チャート NO.1 に輝いた。本人の意向とは関係なく、ヤングは遂に音楽シーンの頂点にまで登り詰めた。

3月に入ると、ヤングはジョニ・ミッチェルのコンサートとクロスビー&ナッシュのベネフィット・コンサートにゲスト出演する。しかし、ジョニのコンサートでは 「Circle Game」 のコーラスに参加しただけであり、クロスビー&ナッシュのコンサートでも 『Harvest』 から数曲を演奏しただけだった。妻キャリーとの新たな生活に満足していたヤングは、アルバムとシングルが全米 NO.1 ヒットに輝いても本格的な音楽活動を再開しようとはしなかった。

女優である妻キャリーに影響され映画制作に興味を示すようになっていたヤングは、これまでの音楽活動を集大成した自伝的な内容を持つドキュメンタリー映画の制作に取り組もうとしていた。リプリーズ・レコードの親会社であるワーナー・ブラザーズは、映画のサウンド・トラック・アルバムをリリースするという条件で映画の製作費の出資に同意していた。ヤングはバッファロー・スプリングフィールドや CSN&Y の演奏映像を集め、架空の物語を作ろうとしていた。

1972年 5月、アメリカ大統領選挙に立候補したアラバマ州知事のジョージ・ウォーレスが、選挙運動中に銃弾を受け下半身不随になるという事件が発生した。ヤングは急遽ストレイ・ゲイターズとグラハム・ナッシュを招き、シングル曲 「War Song」 をレコーディングした。 「War Song」 は、ベトナム戦争を肯定しウォーレス候補と対立するジョージ・マクガヴァン候補を批判する内容が歌われた。

1972年 7月16日、映画制作の目処が立ったヤングはカナダのフォーク・フェスティバルに出演し、ソロで 「Heart Of Gold」 や 「Harvest」 などを演奏した。そして、 7月22日にはナッシュと共にスティーブン・スティルスのマナサスのコンサートにゲスト出演する。ここでは、 SN&Y という珍しい組み合わせで 「Helpless」 「Carry On」 「Find The Cost Of Freedom」 などの CSN&Y のナンバーが演奏された。

このマナサスのコンサートにはバーズのロジャー・マッギンもゲスト出演し、マッギンはクリス・ヒルマンとバーズのナンバーが演奏された。 8月に入ると、ヤングの自作映画 『Journey Through The Past』 とそのサウンド・トラック・アルバムが完成する。 9月には、ヤングとキャリーの間に長男ジークが誕生した。ヤングは公私に渡り充実した満足感を味わっていた。しかし、この頃から全てのことがうまくいかなくなってくる。

昨年の手術の成功とその後のリハビリにより、ヤングの腰と背中の状態は目に見えて回復し、再びツアーに出れるほどに回復していた。 1971年初頭にアコースティック・ツアーを行っていたものの、エレクトリック・ツアーは 1970年の CSN&Y のツアー以来行っていなかった。ヤングは 1973年 1月から 4月にかけて、ヨーロッパを含む 65都市を回るエレクトリック・ツアーを行うことにした。

ツアー・メンバーにはストレイ・ゲイターズにダニー・ウィットンを加えた新たなバンドを起用することになった。ウィットンは麻薬中毒のため 1971年の夏にはクレイジー・ホースを解雇されていたが、立ち直ろうと必死に努力しているという話を聞きつけ、ヤングが救いの手を差し伸べたのだった。

1972年11月、ヤングはストレイ・ゲイターズのメンバーとウィットンを自宅のスタジオに集めとリハーサルを開始した。しかし、ウィットンが立ち直ろうと努力しているという話が誤った情報であることが直ぐに判明する。ウィットンは演奏ができないばかりか、自分の状態が分からないほどに衰弱していた。ウィットンに見切りをつけたヤングは航空券と 50ドルを渡し、ウィットンを空港まで車で送って行かせたのだった。

ウィットンは既にヤングの自分に対する好意を理解できないほどの中毒に陥っていた。ロサンゼルスに戻ったウィットンが、ヤングに渡された 50ドルで強力なヘロインを手に入れる。翌日、ロサンゼルスの警察からウィットンが死体で発見されたとヤングに電話がかかってきた。大量のヘロイン摂取が死亡の原因だった。バンドで活動するチャンスを取り上げ、金を渡して帰したことが結果的にウィットンの死に繋がったことで、ヤングは大きなショックを受ける。

更に悪い知らせがヤングのもとに入る。映画 『Journey Through The Past』 の完成度の低さに不満を持ったワーナー・ブラザーズが、映画の配給を翌年まで延期してしまったのだ。 1972年12月、リプリーズ・レコードは映画のサウンド・トラック・アルバム 『Journey Through The Past』 をリリースする。 『Harvest』 の商業的成功は、ヤングの作品なら何でも売れる環境をもたらしていたのだった。

『Journey Through The Past』 は新曲は 1曲しか収録されておらず、ニュー・アルバムとしてファンを満足させるには程遠い内容であったにもかかわらず全米アルバム・チャート45位にランク・インする。しかし、映画については最終的にワーナー・ブラザーズが配給から手を引いてしまったため、ヤングは自分で新たな配給会社を探さなければならなくなってしまった。 1972年はヤングに成功と挫折の双方をもたらした年となってしまった。
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