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まえがき
「パストラル・ケア」とは、もともと、パスター(Pastor:羊飼い)が羊を世話するように、人々をケアするというところからきた言葉である。そして、現在、アメリカを中心に広がっている「病院でのパストラル・ケア」というのは、病人やその家族の「心」を専門的にケアすることである。このような仕事を専門にする人々を「チャプレン」と呼ぶ。「チャプレン」という言葉は「チャペル」(病院などの礼拝堂)と関係のある言葉で、そのため、従来は「チャプレン」といえば神父や牧師だけを指していた。しかし、今では、病院で「パストラル・ケア」の仕事を専門にしている人々は神父や牧師以外の人々も多いので、従来の「チャプレン=神父、牧師」のイメージは変えなければならない。そして、このような病院専門のチャプレンを養成するコースを
CPE(Clinical Pastoral Education)という。
日本にはまだ正式のCPEはない。そして当分できそうにもない。それは宗教や文化の違いから無理からぬことである。しかし、宗教や文化に関係なく、「人の心」をケアすることは非常に大切であり、多くの人々が求めているところである。
本書は、アメリカのパストラル・ケアに学ぶことによって、患者およびその家族の「心のケア」を効果的にすることができるように人々を導くことを目的としている。そのため、本書は、医療機関に従事している人々だけではなく、家族や友人に病人を抱えている全ての人々を対象としている。
私が訓練を受けたところは、患者の90パーセント以上がクリスチャンであった。そのため、アメリカと同じように日本ではできないということは容易に推察できる。しかし、両者には大きな共通点もある。皆、人間である。皆、病気はいやである。皆、愛する人が死ぬのは辛く、悲しい。これだけ、根本的なところで共通しているのだから、何とかなるはずである。この確信に基づいて、日本における「患者と家族の心のケア」の可能性をアメリカのパストラル・ケアに学びながら探ってみたい。
<心のケアをする人に関して>
心のケアをする人は、なにか宗教を信じている人でなければならないということはない。しかし、苦しんでいる病人や末期の病人、時にはそれらの人々の死に直面しなければならない者にとって、しかも、それらの人々の心のケアをしていこうとする者にとって、何らかの宗教的な価値観は必要であろう。純粋に唯物論的な考えだけでは難しいと思われる。このことをもう少し順を追って考えてみよう。
生命の尊厳の認識と確信
心のケアをする人々は、まず、人間の「命」の尊厳性について、深い認識と確信が必要であろう。どんな状態の人間でも、その命はすばらしいものであるという確信が本人になければ、健康を損なっている病人に対して積極的に取り組んでいくことは難しい。
「非宗教的な人間観」すなわち純粋に科学的・物質的な価値観のみを認める立場からも、人間のすばらしさ、人間の尊厳性を見ることはできる。例えば、他の動物にはないいろいろな人間の能力のすばらしさを見るとき、人間のすばらしさ、人間の尊厳性を見るような思いである。立派な科学者や大事業家、その他いろいろと能力のある人々をみるとき、人間という存在者のすばらしさに感心させられる。しかし、それは、外見もよく、性能のすぐれた車を見て、そのすばらしさを賞賛しているようなものである。純粋に科学的、物質的な観点からは、そのような見方が当然であり、外見も悪く、スピードも出ないポンコツの車の価値は低く判断されて当然である。しかし、この見方によれば、何らかの原因で障害を持っている人々や、能力的にあまり優れていない人々は、人間としても低く評価されて当然という結論になる。
この考えは、病人にも当てはまる。回復して、また社会復帰できる病人はいいけれども、そうでない病人は、存在価値が低くなってしまうのである。人間を、純粋科学的、物質的な観点からのみ見れば、これは当然の結論である。しかし、このような考えの持ち主が、末期の患者の心のケアをすることは非常に難しいと思われる。
他方、「宗教的な人間観」すなわち非科学的・非物質的な価値も認めるという立場であれば、命の尊厳性をどのように見ることができるであろうか。この立場は、何らかの形で、絶対者(神、仏等)を認めているので、命のすばらしさを、その絶対者との関係でみることができる。それは、例えば、親の形見の時計の値打ちをみるようなものである。子にとっては、それより何倍も高い時計よりも、その形見の時計の方が価値があるはずである。その時計がどんなに古くなっても、正確な時間を刻まなくなっても、たぶん、止まってしまっても・・・
キリスト教などでは、絶対者(神)は全ての人を愛しているという考えを持っている。それは丁度、親と子の関係のような考え方である。ある家庭に、元気で能力的にも優れている子供と、病気がちで、能力的には色々なことがあまりできない子供がいても、親からみれば、どちらもかわいい、大切な子供であるように、神からみれば、すべての命が、大切な、価値のある命であると考えることができるのである。
このように、絶対者との関係で、人の命の価値をみることができれば、能力や健康状態で人の価値を判断することはなく、全ての命にすばらしい価値をみることができる。このような考え方があれば、もう二度と社会復帰はできそうにない病人であってもその人の存在をすばらしいものとして受け入れることができ、患者の心のケアに積極的に取り組むことができると考えられる。
死の意味の確認
死に直面している患者やその家族に対して心のケアをしようと思えば、ケアする本人が、死というものに対して何らかの意味を見い出していなければ無理であろう。この観点からも、そのような人々の心のケアをする人は、宗教的な価値観が必要だと思われる。すなわち、身体は滅びてしまっても魂は生きているという確信、または、この世ではお別れであるが、来世で再び会うことができるという確信、あるいはこれに近いものがなければ、死に直面している患者やその家族の心のケアをすることは難しいのではなかろうか。
キリスト教では、「死ぬ」という代わりに「帰天する」という表現をしばしば使用するが、それは、この地上の生を終えて、天の父である神の元へ帰るという確信の表れである。それは、死によって全てが終わってしまうのではないというだけでなく、さらにすばらしい生き方に入るという希望へとつながっている。
別れの悲しさの理解
しかし、上記のようなアイディアから、しばしば、キリスト教で間違った考え方をする人々がいる。すなわち、死というのは天の父の元へ帰ることだから、死者を見送ったクリスチャンの遺族が悲しむのは信仰が弱いからだという考え方である。これは、全く、人間というものを理解していない人の考え方である。愛する人と別れる辛さは、その人がどこへ行くかという行き先には関係なく辛いのが当然なのである。
例えば、愛する娘が、遠い外国の人と結婚するために日本を去って、二度と帰国することはないというような状況の時に、悲しまない親がいるであろうか。たとえ、その結婚が、確かに幸せな、すばらしい結婚であるという確信があっても、別れの辛さに涙して当然なのである。ただ、人間の感情というものは、時間と共に変化していくので、その辛さや寂しさの気持ちも時間によって和らげられるであろう。気持ちが落ち着き、理性的に考えることができるようになったとき、愛する娘の行き先が、すばらしい幸せな生活のためであるという確信がある場合と、例えば奴隷として売られていった場合とでは大きな違いが出てくるのは当然である。
同じように、たとえ、来世を信じていて、死というのは、天の父の元へ帰って行くのだということを信じているクリスチャンでも、「死」ということによって、この世ではもう二度と会うことができないということを考えたときに、悲しむのは全く自然なことである。その時に、悲しまないように説明を試みることはナンセンスであり、全く不必要なことである。そのようなときに心のケアをする人が負うべき役目は、悲しい人が悲しめるように、力を必要としている人に力を与えるように努めることである。
延命措置について
上記のように、死によって全てが終わりではなく、魂は生き続けるのだという確信があれば、いたずらに延命するということは意味をなさなくなる。確かに、この世において、命は非常に高い価値を持っている。しかし、それは絶対的な価値ではない。精神的、霊的な観点から、ある種の命より高い価値のあるものがある。いわゆる、Quality of Life (生命の質、生活の質)を考える必要性がここにある。人間らしく生きるという限界を越えた形で生き続けることに疑問を感じるわけである。人間らしく生きることができる限り、この世で生きるように努力すべきであろうが、ただ無意味に、または、なにがなんでも命だけを延ばすというような方法をとることは必要ではないと思われる。この考えは、身体が駄目になっても、魂は生き続けるという考えがあればなおさらである。ただし、人間は、複雑な生き方をしているので、どの様な生き方が「人間らしい」生き方であるかということになると、人によって意見の分かれるところである。そのようなことを考える場合には、少なくとも人間を、身体的、精神的、文化的、社会的、宗教的等あらゆる角度から総合的に捉えて考えるべきである。
<病院に関して>
日本の病院で、心のケアができる専門家を入れるかどうかは、まさに、病院が、そのような人の必要性を認めているかどうかにかかっている。患者側からは、そのような人が病院にいてくれることを望む声はかなりあると思えるのだが、病院側からはどうであろう。長時間待って短時間の診察しかしてもらえないと悪名高い日本の病院で、入院患者が満足いくように、医師がゆっくりと応対できそうにもない。ただでさえ、看護婦の手が足りないといわれている病院で、看護婦が入院患者のベッドの側でゆっくりと話を聴いている暇はないのが普通であろう。
そのような状況の時、医師や看護婦にもう少しゆとりが持てるようにとその人数を何人か増やす代わりに、専門的に患者の心のケアをする人々(チャプレン)をごく少数雇う方が得策であるという結論を出したのがアメリカの病院である。これは一重に、病院が、患者のケアをどれほど大切なものとして考えているかにかかっている。人間は、肉体的な存在だけではなく、精神的な存在でもある。医師や看護婦は主として患者の身体のケアをしているので、患者の心のケアをする人が別に必要なはずである。アメリカなどでは、だからこそ病院が医師や看護婦を雇うのと同じように患者の心のケアをする人々(チャプレン)を雇うのである。しかし、精神的・霊的価値を非常に大切にしているキリスト教の影響力の強いアメリカでさえ、このような専門職としてのチャプレンはなかなか認められなかったということを考えるとき、日本の病院で、いつになれば一般的になるか想像もできないというのが現状である。
しかし、だからと言っていつまでも待っているわけにはいかない。今でも毎日多くの人々が心のケアを必要としているのである。そこで、患者や家族に接する人々が、本書によって、よりよく彼らの心のケアができるようにと希望しているのである。
1.よい聴き手になる
患者という立場は、ほとんど自分でイニシアティブをとることができない。治療や薬に関して希望通りにいかないのはもちろん、食事や病室の掃除に関しても自分の望みの時間通りとはいかない。だから、せめて、心のケアをする人が訪ねたときには、患者が自分からイニシアティブをとることができるようにするというのが大切なことである。患者がイニシアティブをとるということは、できるだけ、患者に話したいことを話させて、心のケアをする人は「聴き手」になるということである。
さらに、心のケアをする人が「よい聴き手」でなければならない根本的理由がある。以下に詳しく述べるように、パストラル・ケアで患者やその家族の心のケアができるのは、チャプレンと患者やその家族が「気持ち」のレベルで溶け合って(一致して)、心の深いところで通じ合って初めて可能になるのである。そのためには、相手の気持ちの奥深いところで肝心なものに触れ合うことが必要であり。しかし、その肝心なものが何であり、それがどこにあるかは本人しか知らない(しばしば本人にさえよく分かっていない)ことなので、心のケアをする人はよい聴き手となって相手をうまく導く手助けができるようにならなければならないのである。
以上のことからも明らかなように、患者がよく喋ったからといって、パストラル・ケアのレベルでは必ずしもよい聴き手であったとは限らない。もちろん多くの患者は、話の内容には関係なく、自分の話に注意深く耳を傾けてくれる人がいるというだけで満足するであろうし、それはそれなりに心理学的にも意味は見い出せる。たしかに、ある患者にとって(特に身体的にかなり元気な患者にとって)はしばしばそういうことが必要で、それだけで十分かも知れない。しかし、患者の心のケアをしようと思う者は、ただ、相手に多く話させればよいというだけではなく、心の深いところで通じ合うことができるような内容を話してもらえるように心がけていなければならない。このことは、特に、非常に深刻で、困難な立場の人々(例えば、手術で手足を切断しなければならない人、不治の病人、末期の患者、愛する人を亡くした人など)を訪問するときに必要になってくることであり、そのためには日頃から訓練しておかなければならない。
また、同様の理由で、対話中に質問をするときも気を付けなければならない。なぜなら、質問の仕方によって、患者が話そうと思っていなかった方向へ話が行ってしまうからである。たとえば、患者が、自分は家でどのような立場に置かれているかという話を始めたとき、その家族の一員のAさんについて質問をすれば、以後はAさんの関係の話になってしまって、その患者はもっと自分の話をしたかったとしても、自然の流れとして、別の方へいってしまうであろう。要は、他人の話であれ、本人の話であれ、患者の心の深いところに触れるような話ができればよいのであるが、少なくともそのことを意図した「よい聴き手」であるためには、日頃からかなり意識しておく必要がある。そのためにはそれなりの練習が必要である。練習としてはロール・プレイ(二人で役を決めてする練習)も一つの方法である。また、本番用の練習としては、日常生活の中で誰かと話をするときに、この点を意識するということも大切である。多くの場合、話の内容に気を取られてこのような点はおろそかになってしまっていたということに「後で」気が付くであろう。それでは、実際に患者やその家族を前にしたときだけうまくできるというわけにはいかないのである。
このように、「よい聴き手」というのも状況によって必ずしも一様ではないが、肝心なときに患者が心の奥深くへ入っていけるような聴き方をするのがよいのである。こうして、訪問中に相手の「心の琴線」に触れることができると、二人だけの秘密を持ったようになり、両者はより近い関係になる。こうして二人の心と心が通じ合うようになれば心のケアができるようになるのである。
このような「よい聴き手」を例で説明してみよう。
患者を「目の見えない人」、心のケアをする人を「その人に肩を貸してあげる目の見える人」とする。この二人が散歩に出かけた場合、いくつかの可能性がある。ひとつは、目の見える人が、自分のペースで、適当に道を選んで歩いていくという方法である。単に運動するためだけならこれでもよいはずである。これは、何でもよい、おしゃべりさえできればよいという患者の「聴き手」である。また、目の見えない人が、「XXへ行きたい。」とはっきり言ったならそこへ連れて行ってあげればよい。これは、患者の方からはっきりと「寂しい」とか「悲しい」などと自分の気持ちを言ってくれた場合の聴き手のケースである。
しかし、実際には、特に不治の病人や末期の患者の場合など、上記のどちらにも属さないことが多い。すなわち、本人にさえどこへ行けばよいのか分かっていないという状態である。このような時のよい「聴き手」を上記の例でいえば次のようになる。目の見える方は、分かれ道に来る度にその状況を説明し、右へ行くか左へ行くかは本人(目の見えない人)に選んでもらう。そのような行為を繰り返しているうちに、本人も予想していなかったところで、「こんなところへ来たかった。」というようなところへ着いたら大成功なのである。これが、心のケアをする人が「よい聴き手」となって、訪問の初めには患者本人でさえも考えてもいなかった「心の琴線」に触れるようなところへ到着した時の様子なのである。
そして、この心の琴線は「気持ち」や「感情」のレベルにあるということを多くの経験が示しているので、次はそのことについて触れよう。
2.気持ちのレベルで共に歩む
多くの経験が示しているように、心のケアをするためには、医学も他のいかなる知識もほとんど役に立たない。よい心のケアができるのは、ただ気持ちのレベルで触れ合うことができたときだけである。このように、心のケアをするためには、気持ちのレベルで相手と深く交わっていかなければならないので、チャプレンの養成コース(CPE)の訓練の中心は、知的訓練ではなく、実践的訓練である。すなわち、いかにして相手の気持ちを正確に把握し、心の奥深く入っていくかということを実践的に訓練するのである。われわれもそれをここで学んでみよう。
まず、患者の気持ちを正確に把握するために、患者に自分の気持ちを「言葉で」表現してもらうことができればそれが一番よい。しかし、自分の気持ちといっても、簡単に言葉で表現できるものではない。自分の気持ちをうまく言葉で置き換えることができない人もおり、また、しばしば本人にも自分の気持ちがはっきりしていないということもある。このために、しばしば、心のケアをしようという人が患者の気持ちを言葉で表現して確認していく必要がある。言葉で表現すれば、正しいときは、患者が肯定するであろうし、間違っていれば、否定する。言葉で表現しないで、推察だけで応答しても実際にその推察が当たっているかどうかは分からない場合がある。
例として、私の経験を一つ紹介しよう。これは、日本の、ある結核病棟で実際に起こったことである。そこは大部屋で6人の患者がいた。その中の一人のAさんが自分のテーブルの上の小さな醤油瓶を床に落として割ってしまった。自分のベッドの下で割れてしまった瓶の破片を拾い、飛び散った醤油をティッシュで拭き取りながらAさんは泣いていた。大部屋で、皆の視線を集めているAさんがいかにも惨めに見えたので、わたしは、Aさんが「惨めさ」か「悔しさ」のために泣いていると思っていた。しかし、側に寄っていった私に返ってきたAさんの答えは違った:「嬉しいんです。こうやって自分で後始末できるようになったことが・・・」
さらに、心のケアをする人が言葉で患者の気持ちを表現することで、患者自身が、自分の気持ちをはっきりと認識することができるという利点もある。
確かに、実際に患者の気持ちをいつでも言葉にして言うわけではない。それはケース・バイ・ケースである。しかし、よい心のケアをする人になるための「訓練」としては、常に患者の気持ちを言葉で表現する練習は必要である。この練習ができていなければ、必要なときにも患者の気持ちを言葉で表現することはできないであろう。さらに、言葉で表現しなければ、分かっている「つもり」でも、本当に正しく把握しているかどうかのチェックもできない。少なくとも訓練中や練習としては、あらゆる機会を捉えて「人の気持ち」を言葉で表現する練習をしておくべきである。
自分の気持ちを言葉で表現する
そのために、実際のCPEの訓練では、「自分の気持ち」を言葉で表現することを学ぶ。それは、自分の気持ちでさえ言葉で表現できない者が、他人の気持ちまで表現できるはずがないからである。また、常に自分の気持ちを言葉で表現しようと意識することによって、「気持ち」というものに対して敏感になり、より正確に他人の気持ちを把握することができるようになるのである。
また、自分の気持ちを言葉で表現するというのには、すばらしい副産物がある。むずかしい状況におかれている患者やその家族を応対し、ケアする本人が、精神的に不安定であったり、いらいらしていたのではよい仕事はできない。自分の気持ちをうまく言葉で表現することができれば、心理学的にみても、ストレス解消に役立ち精神衛生上もよい結果を生むことが期待できるのである。
このように、実際のCPEの訓練の中心は、自分の気持ちを的確に言葉で表現することを学ぶというところにある。その訓練の主な場が、「自己紹介」や「グループ・ミーティング」、および、「対話形式レポート」や「患者訪問記録」を題材としたミーティング等なのである。
ここで少しそのやり方を紹介してみよう。例えば、「自己紹介」の時、スーパーバイザーは、実習生が、淡々と自分の過去について述べていても興味は示さない。このときにも、まず、当時の自分の気持ちがどうであったかを言葉で表現することを勧める。それも、「嬉しかった」とか「楽しかった」とか、いわゆる「よい気持ち」ではほとんど乗ってこない。誰かが、当時、非常に「辛かった」とか「情けなかった」とか「腹が立った」とか、とにかく、誰もあまり好まないような気持ち、思い出したくもないような気持ちについて話し出すと、身を乗り出して、ぐいぐいとそれを掘り下げていく。多くの実習生は、それで本当に泣いてしまう。というより、泣くまで話させるという方が正しいかも知れない。
当初は、そのような指導者のやり方に、つまずいたり、反発したり、ついて行けなかったりしていた実習生もいた。しかし、そのやり方には、チャプレンの訓練として、二つの意味がある。
一つは、多くの場合、患者が持っている気持ちは、「嬉しい」や「楽しい」よりも、「苦しい」「辛い」「寂しい」「腹が立つ」という類のものであるということである。そのために、そのような気持ちに敏感になる必要がある。さらに、誰にとっても、「嫌な気持ち」を言葉にする方が「いい気持ち」を言葉にするより難しいので、まず、自分たちがそれを学ぶ必要があるということである。次に、そのような「嫌な気持ち」を言葉にすることによって、心の中の嫌なものを外へ出す必要性、すなわち、外へ出してしまった後の気分の爽快さというものを経験するということもしばしば役に立つ経験となるのである。
気持ちを表現する言葉
実際に自分の気持ちや他人の気持ちを言葉で表現するためには、それらの言葉を日頃から口にする練習も必要である。他人の気持ちはもちろん自分の気持ちでさえ「言葉」で表現するのは意外と難しいものである。以下に参考例として気持ちを表現する言葉をいくつか挙げておく。
(嬉しい気持ち):嬉しい、すごい、楽しい、ありがたい、頼りになる、勇気がわいてくる、感謝でいっぱいである、喜びでいっぱいである、楽観している、誇りに思う、よく思われている、解放された、落ち着いている、気に入っている、平安である、気が楽になった、満足している、幸せである、安心である、好きである、懐かしい。
(悲しい気持ち):悲しい、沈んでいる、空しい、疲れきった、どうしようもない、もう駄目である、希望がない、傷ついた、惨めである、受け入れられていない、ふさわしくない、恥ずかしい、寂しい、失望した、がっかりした、孤独である、残念だ、気が動転している、無力である。
(怒りの気持ち):怒っている、裏切られた、憎らしい、名誉を損なった、腹が立つ、嫉妬している、傷つけられた、虐待された、苦悩に満ちている、不満である、いらいらしている、落ち着かない。
(不安な気持ち):不安である、こわい、恐ろしい、ショックである、傷ついた、驚いた、もう駄目だ、不信感でいっぱいである、びくびくしている、我慢できない、緊張している、心配である、無力である。
(どうしてよいか分からない気持ち):困っている、煩わしい、不確実である、すっきりしない、疲れている、気を使う、不憫である。
怒りの気持ち
上記の、いろいろな気持ちの中でも、特に「怒り」の気持ちがしばしば問題となる。「怒り」は多くの患者が持っている気持ちの一つであると思われるにもかかわらず、ある人々にとっては非常に厄介な気持ちのようである。なぜなら、多くの人々が、たとえ内心では怒っていても、怒っていることを否定したり、それを表に出すことを避けたりするからである。怒っていることを否定するのは、おそらく、「怒る」ということは倫理的、宗教的に悪いこと、クリスチャンにとっては、いわゆる「罪」である等と思っているからであろう。また、怒りを表に出さない人々は、そうすることが美徳だと思っているからであろう。少し、この点について考えてみよう。
まず、怒りの気持ちを持つことは、少なくとも倫理的には、何も悪いことではないということを確信する必要がある。なぜなら、それは、自分が意識的にすることではなく、「自然に」起こってくる気持ちだからである。キリスト教で、「罪」というとき、「悪いことと知りつつ、自由意志で、それを行う」時、初めて罪を構成する。誰も、自由意志で、腹を立ててやろうと思って腹を立てるのではなく、何かが起こったときに「自然に」あるいは「突然に」、すなわち自分の自由意志とは無関係に、「腹が立つ」のである。このように、自分の自由意志とは無関係に起こることに関しては、倫理的には責任がないのである。すなわち、「腹が立つこと」「怒ること」は倫理的には悪いことではないのである。
さらに、クリスチャンで、怒りの気持ちを持つことを罪と考えている人々のために、ちょっと聖書を覗いてみよう。
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イエスは・・・人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。 |
イエスでさえも「怒った」と言われているのである。もし、「怒ること」が罪であるなら、一度でさえも、聖書に「イエスは怒った」という表現は出てこないはずである。
以上の考察から、怒りの気持ちを「持つこと」は、倫理的には悪くはない、宗教的にも罪ではない、ということがはっきりした。問題なのは、怒りの気持ちを持った結果、どの様な行動をとるかということである。この区別が正確にされていなかったために、多くの人々が、怒りの気持ちそのものを悪いことと思い込んでしまっていたのであろう。
例えば、空腹感を覚えることが倫理的に悪くない、というより、倫理の問題でさえないように、怒りの気持ちを持つことは倫理の問題でさえないのである。倫理の問題は、その空腹の人がどの様に振舞うかにかかっている。レストランへ入って食事をする、あるいは、自分で料理して食べることもできれば、人の物を盗んで食べることもありうる。ショーウインドーにあるダイヤモンドを見て、ほしいという「気持ち」を持つこと自体は悪くはないのである。そこで強盗に入るといけないのである。
「お腹がすいた。」「このダイヤモンドがほしい。」と言うこと自体に何の問題もないように、「いま激しく怒っている。」と言ってよいのである。倫理的、宗教的問題は、その後の行動次第なのである。
その目でもう一度聖書を見てみよう。確かに、聖書には「怒る」ことがいけないように書いてあるように見えるが、とがめられているのは、実は怒りの気持ちを持って行なう行動の内容なのである。
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兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。兄弟に「ばか」と言う者は、最高法院に引き渡され、「愚か者」と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。(マタイ 5:22) |
兄弟に対して、「ばか」とか「愚か者」というのは、キリスト教で最も大切なものとしている「隣人愛」に直接反している行為なので、とがめられて当然である。パウロは聖書の中で、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。」(エフェソ 4:26)と言っている。ここでも、「怒ること」と「罪を犯すこと」とははっきりと区別されている。しかし、怒った気持ちのままでいると、前向きに生きていくのが困難になり、大切な「隣人愛」を実行することさえ難しくなっていくのが人間である。パウロも、先の言葉に続けて、次のように言っている、「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」怒りの気持ちを持つことが罪ではないからといって、それを好んで持つ人もいないであろう。またできることなら、持っている怒りの気持ちを取り除きたいであろう。ではどうしたら、怒りの気持ちを取り除けるであろうか。この解決のため、まず、怒りの原因について考えてみよう。
怒りの原因
怒りの原因については、本書の第3章で紹介する Facing Anger『怒りに直面する』の第2部に詳しく書かれている。同書によれば、怒りは、人間がもともと持っているある種の「願望」が達成されなかったときに起こるという。その願望とは、権力への願望、独立への願望、重要視されたいという願望、完全への願望である。ただし、これらはあくまで、人間の「願望」であって、現実の人間というものはそのようなものではないので、それらの願望が達成されなくて当り前なのである。だからこそ、人間はしばしば怒ることになるのである。
例えば、自分が決めたことに対して誰かが従わなかったとき、人は怒る。自分の権力が絶対的でないということを思い知らされるからである。(絶対的でないということが事実なのであるが・・・)また、自分が一生懸命に練った計画が誰かにつぶされたとき、人は怒る。自分の計画が完全でなかったということを思い知らされるからである。(完全でないということが事実なのであるが・・・)同様に、自分がちゃんと独立できていないということを思い知らされたときや、自分が重要視されていないということを思い知らされたとき、人は自然と腹が立つのである。このように、人間は、非現実的な願望、いわば、幻想に基づいて腹を立てているのである。
怒りの処置
では、そのような怒りの気持ちを持ってしまった場合どうすればよいであろうか。まず、現実問題として、怒りの程度が「あまりひどくない」場合と、「非常に激しく」怒っている場合とを分けて考える必要がある。なぜなら、その怒りの程度は、自分の理性をどの程度利用できるかということに大いに関係しているからである。
怒りの程度があまりひどくないとき、すなわち、腹は立ったけれどもまだ冷静に判断するだけの余裕があるときは、まず、先ほどの「怒りの原因」のどれに自分が当てはまっているか考えてみるのもなかなか効果がある。4つの中のどれかに思い当たると、なるほどと思い、一人でおかしくさえなってくるものである。そして、自分は、所詮普通の人間で、スーパーマンでもなければ、まして神でもない、このような結果になっても不思議ではない、と納得すれば、怒りの気持ちも徐々にさめていくものである。
ところが、非常に激しく怒っているときには、その程度では収まらない。そのように考えることすらできないであろう。しかし、いくら腹が立ったからといっても、ピストルで「ズドン」というやり方を避けることができている限り、まだ理性は働いている。そのわずかの理性を使って、なんとかまともに生きてみよう。
そのようなとき、精神衛生上から見ても、まず、内に持っている怒りの気持ちを外へ出すことが必要である。その出し方に、人間としての振舞いが要求されるのであるが、とにかく腹が立ったその時に「今の言葉(態度)で、私は非常に傷ついた」と「言葉で」言うことである。そのためには、腹が立てば、「その時にそのことを言う」ということを日頃から心構えとして持っておく必要がある。そのためにも、先に見たように、「怒りの気持ち」を持つことは、倫理的にも宗教的にも、全く悪くないのだという確信が必要である。そして多くの人々が経験することであるが、そのように怒っていることを相手にはっきりと言うと、相手から謝罪の言葉を受けたり、何かの誤解が原因であると分かったりして、実際に怒りの気持ちがさめることがある。たとえそのようなよい反応がなくても、「いま非常に怒っている」ということを口にすることによって、フラストレーションの風船に風穴を開けることができるので、内でひどく怒っていながら、表面上はなにもなかったように振舞ったときに比べれば、自分にとっての結果はよいはずである。
もし、怒りの程度がもっとひどく、後の言葉さえ続かないようなら、何もいわなくてもよいが、とにかく「いま怒っている」ということだけは「言葉にして」言っておく必要がある。態度である程度は分かるとしても、やはりはっきり言わないと「あまり怒っていない」と誤解(?)される危険性があるのと、自分の怒りの気持ちにも穴を開けておく必要があるからである。
それほどの怒りの気持ちをクリスチャンが持った場合、しばしば他の人々以上に悩むようである。なぜなら、彼らは、最も大切なこととして「隣人愛」ということを教わっているので、自分の態度がそれから大きく外れているのではないかと悩むのである。しかし、もし、そのような相手に、挨拶や会釈の一つでもしているならば、そのような悩みは無用である。それほど腹の立っている相手に、そこまですれば充分に「隣人愛」の教えに従っていると確信してよい。それは、自分の大好きな人の仕事を一日中手伝うのと、非常に腹を立てている相手に挨拶するのとどちらの方が難しいか、どちらの方が犠牲が大きいか考えてみれば分かることである。大好きな人の仕事を手伝うのは、何の犠牲もいらない、むしろ進んでしたいことであろう。それに反して、非常に腹を立てている人に挨拶をするのにはかなりの努力を必要とするはずである。前者は、人間的な愛情でしていることであるが、後者は、まさにキリスト教的愛に基づいた態度なのである。もしも、もっと腹が立っていて、挨拶さえもできないほどであっても、落胆する必要はない。それほど腹が立っているのに、その人を(尊厳のある)一人の人間として認め、その人を殴らないというだけでも、その状態でなら十分な「隣人愛」の実行である。
また、苦しんでいる人々の場合、怒りの対象が、「神」になることが多い。神に対して怒っているのが自分であれば、遠慮なく怒りの気持ちを神にぶつければよい。そして、もし自分が聴き役なら、何の心配もなく聴いておればよい。本人にとって、怒りの気持ちを表現することは必要なことであるし、神は、私たちが守ったり、弁護したりする必要は全くないからである。
最後に、怒りの積極的な利用法は、それをエネルギー源として利用することである。これは、格闘技等ではすぐに表れることであるが、私たちの日常生活においても、利用の仕方次第では、大きなエネルギー源になるはずである。
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ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。(ヨハネ 2:13-17) |
このイエスの態度は、どう考えても、激怒した人の行動である。イエスは、正義のためにその怒りの気持ちを大きなエネルギー源として行動している。必要とあれば、ここまで許されるとなると、私たちにもまだまだ余裕があるのではなかろうか。
心のケアをしようと思う人は「祈り」についても知らなければならない。一般的に言っても入院患者は「不安・恐れ・疎外感」等を感じているのが常である。特に、不治の病であるということを知らされたり、死が近づいて来たりしたときの患者の気持ちはそれらに輪をかけたものである。そのようなときにこそ「心のケア」が要求されている。その場合にも、もちろん先に述べた「よい聴き手」(時には沈黙していて、どちらも話さない場合もあるが、それも状況によってはベストの聴き手であり得る)、および、「気持ちのレベルで共に歩む」というのは有効なのであるが、このような場合、特に、「共に祈る」ということが効果的な場合が多い。
「祈り」といっても、キリスト教的な祈りもあれば仏教的な祈りやその他の形式も考えられる。また、いわゆる既成の祈り(祈りの本などに書いてあったり、熱心な信徒なら暗記しているような祈り)もあれば、その場で自分の言葉でする即興の祈りもある。心のケアをする人と患者が同じ宗教を信じている場合は、その宗教の既成の祈りを利用することも可能である。しかし、そのようなケースでも、ましていわんや両者が異なる宗教を信じている場合にはもちろん、患者の状況に合わせた「即興の祈り」がしばしば効果的である。
誰に、何を、どう祈るか
祈る対象は、患者が信じている絶対者(神、仏、先祖等)に向かって祈るという方法をとる方が効果的であろう。患者がそのような祈りの対象を持っていない場合、心のケアをしている人は、相手の了承を得て自分の信じている絶対者に向かって祈るという形をとればよいであろう。祈るときの注意点は以下の4点である:
1)祈り始める前に少し沈黙の時をとる
2)あまり長く祈らない
3)患者の名前を祈りの中に入れる
4)患者の望みやニーズ、家族の気持ちなどを祈りの中に入れる
上記の4)について少し詳しく触れてみよう。それは、結局「何を祈るか」ということであり、もちろん状況によって使い分けなければならないが、一般的に言って以下のような要素を入れるとよい:
イ)その状態での本人の気持ちを祈りの中に取り入れる
ロ)「否定できない事実」について触れながら、「今それを受け入れることは困難である」というような言葉を添える
ハ)もっと状況の悪い人のことを思い出させることによって、自分が最悪の状態ではないということに触れながら、「今はそのような考えは慰めにはならない」
というような言葉を添える
ニ)そのような状態でも何か感謝できそうなことがあればそれに触れる
ホ)一人ぼっちではないということを知らせる
ヘ)その状態で最も大切なことを祈りの中に入れる
例えば、不治の病であることを知らされて、不安と絶望の気持ちを抱いているAさんと共に祈る場合、上記のイ)〜ヘ)を当てはめると以下のように祈ることができる。
「(神様)Aさんのために、Aさんと共に祈ります。今は、Aさんも私も、Aさんが不治の病であるということをなかなか信じることはできません。そのことを考えるとき、Aさんの気持ちは不安でいっぱいです。この不安な気持ちを取り去って下さい。それでも、とにかく、私たちはこうして一緒に祈りを捧げることができることを感謝致します。たしかに、痛みや苦しみのために、祈りさえ静かにできない患者さんもいることを知っています。しかし、そのことは、今のAさんにとっては大した慰めにもならないでしょう。Aさんのために多くの人々が心配して祈っていて下さっていることも分かっています。しかし、今のAさんには、目に見えるかたちで、身体で感じることができるかたちで助けが必要なのです。Aさんのことを心配している多くの人々の愛をAさんに感じさせて下さい。今、Aさんが望んでいることは、不安な気持ちから解放され心身の平安を保つことです。そのために必要な勇気と力をお与え下さい。」
もう一つ、愛する人を亡くした人々と共にする祈りの例をあげてみよう。
「(神様)今Bさんを見送った私たちは悲しみに沈んでいます。何をどうしてよいか分からないくらいです。ただ、少なくとも私たちがBさんのご冥福のためにこうやって一緒に祈ることができることを感謝致します。また、ただ一つ慰めになることは、Bさんはもう苦しまなくてよいということです。私たちは、また、いつの日かBさんに会えることを信じていますが、今は寂しさと悲しみでいっぱいです。私たちには<今>慰めが必要です。どうか、私たち一人一人の心の中にBさんが生き続けているということを実感を持って感じさせて下さい。私たちが<今>を乗り越えることができるように必要な力と慰めをお与え下さい。」
上記の例でも分かるとおり、本人に理解してもらいたいと思うようなことに触れながら、特殊な状況におかれている本人、すなわち、冷静に判断することが難しい状態におかれている本人の気持ちを考えているのである。そのようなことを、祈りの形式で言うことによって、本人の精神状態に応じて本人の心に染みていくことを期待しているのである。
祈りの中には、明らかに「奇跡」を願っているようなものもあり、心のケアをしようとしている人がそのような祈りを聴いたとき、その処置に戸惑う場合があるかも知れない。例えば、ダンプカーにはねられる直前の我が子を見た母親であれば、目をつぶって「子どもがダンプをはねとばすように」祈るであろう。同じように、両足を事故で切断した患者またはその家族なら「もう一度両足が生えてくること」を祈るかも知れない。また、医学的に末期の状態の患者やその家族は「奇跡的な回復」を祈るかも知れない。自然科学的にいえば、これらの祈りは「不可能なこと」を願っているが、当事者としては、それは心からの叫びであり、感情的な祈りなのである。感情の動物といわれる、生身の人間として、そのような叫びをあげることを誰も制することはできないし、制する必要もない。それがその人のその時の正直な「気持ち」なのだから。このような場合に、心のケアをする人は「よい聴き手」となって「彼らの気持ちのレベルで共に歩む」ということに専念すればよいのである。
<個人的にできるところから>
日本の多くの病院に、組織的にパストラル・ケアが取り入れられるのには、まだまだ時間と啓蒙が必要であろう。しかし、上に示したように、小グループで、または個人的に、パストラル・ケアの精神を実行することは可能である。特に、医師や看護婦ばかりでなく、自分の祖父母、親、兄弟姉妹、親戚、友人などが入院したときに、その精神を生かすことができれば好結果を生むであろう。いわば、無資格なチャプレンの真似ごとのようなものになるかもしれないが、その精神は、患者の尊厳性を大切にし、患者の気持ちを最大限に考慮に入れて真に思いやりのある応対を心がけるのであるから、何の知識も準備もなく訪問や世話をするよりも、ずっとプラスの面が期待でき、特に心配しなければならないようなマイナス面もないので、挑戦してみる価値は十分にある。
日本では、まだまだ、正式のチャプレンの養成コース(CPE)を受けることは無理で、米国でそれを受けることができる日本人はごく少数の人に限られているのが現状である。そこで、小グループや、個人で、少しでもパストラル・ケアの精神を会得したいと考えている人々に本書を大いに利用していただきたい。もちろん本書を初めから終わりまで通して読んでいただけばそれでもよいのであるが、この第1章の終わりに際して、特に「心のケアをする人」のための「マニュアル」として本書を利用するときの利用の仕方をまとめて示しておこう。
1)まず、第1章の中の「心のケアをする人に関して」によって、「人間、病人、死」についての自分の信条を確認する。
2)次に、本書の第3章に紹介してあるCPEに関する基本的な本の中より、特に以下の本の書評を利用して、パストラル・ケアに関する基礎知識を得る。(それらの本は、クリスチャンを対象に書かれているが、クリスチャンでない人々は、キリスト教独特の要素を省いても役に立つ部分は十分に残るはずである。)
Ministry to the Sick(病人への応対)
The
Making of a Pastoral Person(パストラル・パーソンの養成)
Pastoral Companionship(友としてのパストラル・パーソン)
Living
with Dying(死にゆく人々と共に生きる)
3)次に、自分の「気持ち」を表現する練習をする。毎日の生活の中で、しばしば実際に自分のそのときの気持ちを言葉で表現してみる。必要なら、第1章の「気持ちを表現する言葉」を利用して、口に出して言ってみる。
4)第2章の事例を利用して、患者(または、他の対象者)の、その時その時の気持ちを推察してみて、それを言葉で表現してみる。
5)よい聴き手、よい応答者になる練習をする。そのために、二人で「患者」と「訪問者」のように役を決めて練習する。
6)最後に、第2章の事例を利用して、自分を「チャプレン」の立場に置いてみていろいろな応対の可能性について考えてみる。いわば、実際に病人やその家族に応対するときの予行練習をする。(この練習は数人でする方が効果的であろう。)この練習のために、特に第2章の「対話形式レポート」およびその「解説」が大いに役立つであろう。
ここでは、アメリカで実際にチャプレンがどのように患者やその家族と接し、心のケアをしているかということを紹介する。そのために、私自身が経験したケースの中からいくつかを取り上げてみる。そのため、内容は、いわゆる「キリスト教を基盤とする社会」のものになっているが、必要に応じて日本とのギャップを埋めるヒントを第1章から得てほしい。この章の目的は、これらの事例を、第1章で学んだことを実践に移すための「教材」として利用する事、および、これらの事例を見ることによって、将来、日本でもそのような専門職が多くの病院で実現するきっかけとなることである。
それぞれのケースの取り上げ方は、実際にチャプレンの養成コース(CPE)で使用されている2つの方法を取る。その一つは「患者訪問記録」というもので、もう一つは「対話形式レポート」というものである。さらに、よりよいパストラル・ケアへのヒントとして、「対話形式レポート」のあるものに「解説」を付け加えておく。
<「患者訪問記録」より>
「患者訪問記録」というタイトルのレポートは、対話形式をとらないで、記述方式で、私(チャプレン)が患者やその家族との関係を描写していくものである。これは、次の項目にしたがって書くことになっている。1)データ(誰が、何を、どうした、ということを客観的に)、2)分析(自分と相手、または、自分の中で起こったことの解釈)、3)意味(その経験の人生に対する意味、聖書との関係)、4)今後(目標と限界、自分との関わり)。
<データ>
<キャサリン、女性、91才、カトリック、老人ホーム301号室>
(1991年10月24日より1992年1月9日までの訪問より)
1991年10月24日以来、すでに10回以上訪問している。キャサリンは1991年9月13日に脳卒中の発作を起こして入院した。私が訪問したときは、彼女はすでに老人ホームに入っていたが、後遺症として左半身が麻痺していた。私が最初にキャサリンを訪問したとき、挨拶が終わるや否や、彼女は「家に帰りたい。」と言った。以来、彼女はしばしばその言葉を繰り返した。最初の訪問の日に、キャサリンは、自分は昔看護婦であったと話してくれた。彼女には3人の娘がおり、その中の二人も看護婦であると言う。老人ホームでは、彼女は誰も信用していないようであった。長女のエリザベスはキャサリンを非常によく世話していたし、毎日見舞いにも来ていたが、あるとき、キャサリンは、「私をここへ入れた長女を絶対に許せない。」と言っていた。キャサリンとスタッフの関係は非常に悪くなっていた。彼女はスタッフに対して非常に怒っていた。私の訪問中、何度も「スタッフたちは私を人間として扱っていない。」と言っていた。そしてしばしば「自分も看護婦だったからわかるんです。あの人たちは要するにあまり働きたくないんです。」と付け加えた。最初の訪問のとき、キャサリンが頼む度に、車椅子を押して、廊下の向い側にある電話の所まで連れて行った。彼女は10回ほど、娘や孫の所へ電話をかけていたが誰も出なかった。
キャサリンは、夫が亡くなってから一人で三人の娘を育てるのがどんなに大変であったかを、よく話した。初めのうちは、家へ帰れるようにと、リハビリテーションを一生懸命にしていたが、やがてはそれを諦めたようであった。そのころは非常に荒れていて、時には手当り次第に物を投げたり、「家に帰れないなら死んでやる。」と言うようになった。私が訪問しているときにも一度そう言ったときがあった。そのときは彼女を車椅子に乗せてチャペル(礼拝堂)へ連れて行った。私たちは何も話さなかった。15分ほどしてキャサリンが落ち着いた頃、彼女の部屋へ戻った。その頃は、数回の訪問にもかかわらず何の改善の兆しも見えなかったので、私自身も自分の無力さにいやになりかけていた。
12月になって、シスターLが老人ホームの担当になり、私は病院の方の担当になったので、キャサリンをあまり訪問しなくなった。しかし、キャサリンは私に会えるように努力をしていた。クリスマス前に、クリスマス・プレゼントを準備しているので来るようにと、メッセージを送ってきた。12月31日までは、キャサリンを訪問したとき私は意図的に常に受身の状態になり、何も積極的にリードしないようにしていた。しかし1月になって私はその態度を変えてみた。キャサリンが、「家に帰りたい。」と言ったとき、私は、なぜ家に帰れないかを説明した。彼女はそれを理解したようであった。その日、彼女は「最近ここにインデアンの看護婦が来たが、彼女はとても親切だ。」と言い、それから、自分の子供の頃、近所にインデアンがいたことを話してくれた。この日、初めて、私が彼女の側を去ろうとしたときに無理に引き留めないで行かせてくれた。1月5日、100キロほど離れたところに住んでいるキャサリンの二番目の夫(彼も病人である)と孫が訪ねてきた。彼らが帰った後、キャサリンが食事することを拒否しているという知らせが入った。そうこうしているうちに、「キャサリンさんが会いたいと言っている。」というメッセージを受け取った。私が訪問したとき、彼女はすでに落ち着いていたが、「家に帰りたい。」「わが家ほどよいところはどこにもない。」「私の人生は大変だった。」というようなことを繰り返して話した。
<分析>
キャサリンの望みはただ一つ「家に帰ること」であった。その理由には積極的なものと消極的なものがあった。積極的な理由とは、彼女がしばしば繰り返していたように、「わが家ほどよいところはどこにもない」すなわち「彼女にとって自分の家がベスト」だからである。消極的な理由とは、彼女によれば、「ここでは人々は自分を人間として扱ってくれない」からである。だからキャサリンは老人ホームをなんとかして出ようとしたのである。初めは正攻法で試みた。彼女はリハビリを一生懸命にやり、食べるものもできるだけたくさん食べた。そして、彼女の長女がきたときには、家に連れて帰ってくれるようにという期待を込めて、自分がよくなっていることを見せようとした。しかし、これらの努力が報われないと悟ったとき、キャサリンは腹を立て、あまり食べなくなってしまった。
私が訪問する度に、キャサリンは、夫の死後三人の娘を自分一人で育てるのがどれほど大変であったかということを繰り返し話した。この話からも、積極的な点と消極的な点の両面がうかがえた。積極的な点とは、父親なしでも3人の娘を立派に育てた自分への誇りである。消極的な点とは、なぜその娘たちは、自分が昔世話をしてやったように今自分の世話をしてくれないのかという不満である。こうして、彼女の言うところの「人を人として扱わない」所に入っていなければならないことに対していらいらしていたのである。彼女がいらだっていたのには他にも理由があった。彼女は元々非常に行動的な人だったので、自分一人では何一つできないということがたまらなかったのである。また、彼女の考えでは、ここのスタッフたちは最小限のやるべきことさえしていないと思っていたので、これも彼女がいらだつ原因となっていた。
私の見たところではキャサリンはとても信仰深い人であった。ミサ(注:キリストの最後の晩餐に倣ったカトリック教会の特別な儀式)やその他の宗教的儀式に参加することができなかったときはいつも非常に残念がっていた。だから、彼女が「もし家に帰れないのなら死んでやる。」といったときも、本気で自殺を考えたのではなく、それは彼女の大きなフラストレーションやいらだち、また自分の無力さを嘆く一種の表現方法だと解釈した。彼女が上記のように言った後でチャペルへ行ったとき、彼女は十字架の道行(注:キリストが十字架上で亡くなるまでの過程を14枚の絵に描いたもの)の絵をゆっくりと一枚ずつ見ていた。彼女は、自分の苦しみを十字架の道行のキリストの苦しみと比較しているようであった。
キャサリンに対する私の態度を、受身的に聴くという態度から積極的に自分の意見を言うという態度に変えたのには二つの理由があった。一つの理由は、10回以上も訪問しているのになんの変化も見えないようだったので、そろそろ何か方法を変えてみるべきだと思ったこと。もう一つの理由は、何回も訪問したことによって私とキャサリンとの間にはすでによい関係ができあがっており、私が何かを説明したり意見を述べたりしても問題はないと感じられたからである。もし私が初めから彼女の話をよく聴くという態度をとっていなかったら、彼女は私を信頼しなかったであろう。なぜなら、私が彼女を訪問し始めた頃は、彼女は、みんなが彼女の意志に反して彼女を老人ホームに閉じ込めておこうとしていると思っており、人間不信に陥っていたからである。
キャサリンは、死にかけているという状態ではなかったが、キューブラ・ロスのいわゆる「死に行く過程」をほとんどそのままいっているようであった。彼女はすでに3つの段階、否認・怒り・抑うつを経験していた。もし彼女がキューブラ・ロスの言う典型的な過程を経るとすれば、死を受容するまでに何らかの取引をするかもしれない。
<意味>
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はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ 21:18) |
ヨハネによれば、この句は、ペトロがどのような死に方で神の栄光を表すようになるかを示すために、イエスが言ったのである。しかしこのことは、ペトロや殉教者のためだけでなく、全ての高齢者に当てはまる。キャサリンを訪問したとき、この聖書の箇所がすぐに私の頭に浮かんで来た。キャサリンはすでに91才であったが、まだこの事実を受け入れる準備はできていなかった。しかしそれは当然であろう。誰でも、元気で自由に動き回ることができている間は、そのような事態に対して現実的な準備はできていないのが普通だと思われるからである。たとえ聖書の、「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(マタイ 24:44)という言葉を知っていたとしても、普通の人にとって、自分の好まないことを受け入れるのには時間がかかって当然である。キャサリンもこの事実を受け入れるのが非常に困難であるということを示していた。
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自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。(ルカ 6:32-35) |
キャサリンが、夫の死後、三人の娘を育てるのにどんなに苦労したかということを繰り返し話したとき、私には、彼女はそのことを誇りに思っていると同時に、娘たちがいま何かを返してくれることを期待している、というように聴こえた。というより、もっとはっきりと「今なぜあの子たちは私の面倒を見てくれないのか?」という怒りの声として響いてきた。ここでも、全てのクリスチャンに求められている、「無条件の愛」の実行のむずかしさを思い知らされた。そのような見返りの期待が親子の間でさえあるのなら、他人との間で私たちはどのように実行していけるのだろうか?
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正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。・・・魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。 |
理論的には、私は多くのすばらしいことを知っている。しかし、キャサリンは、それらを実行に移すことのむずかしさを教えてくれた。頭では、それらを実行に移すことは決して易しくないということも、実は、知っていたつもりであった。しかしどこまで実感としてそう思っていたかは疑問であった。キャサリンは、私にそれを実感として感じさせてくれた。彼女は私に「あなたが理論的に知っていることを、実際にはどうするつもりですか?」と問うているようであった。
<今後>
現在のところ、キャサリンにとって、家に帰れる条件は整っていない。それが現実である以上、彼女は老人ホームでの生活に意味を見いだし、そこで平和に過ごせるようになることが必要である。その「意味」を見いだすためには、先ず、現時点では自分は家に帰ることはできないのだという事実を受け入れる必要がある。もし彼女が、キューブラ・ロスの「死に行く過程」に従うとすれば、その事実を受け入れる前に、何か「取引」が必要かも知れない。たぶん、「一度でもいいから家に帰ることができれば・・・」というのが、彼女にとっての取引であろう。もう少し、現実的な取引が見つからないものだろうか。彼女の頭ははっきりしているので、今後の話合いの中でその辺を探っていけるかも知れない。また、老人ホームで平和に過ごすためには、誰か信頼できる人が必要である。幸いなことに最近彼女はそのような一人のスタッフを見つけたようなので、その人と相談したいと考えている。
<データ>
これは上記のキャサリンの、1992年5月より7月11日に亡くなるまでの記録である。
5月になってキャサリンを訪問したとき、彼女は非常に弱っており、ほとんど眠っていた。時々彼女は私になんとか自分を助けてくれるように(すなわち、家へ連れて帰ってくれるように)と頼んできた。そして、もし家へ帰れないのだったら早く死んでしまいたいという望みをぶつけてきた。もはや、老人ホームでは生きている気はないようであった。だから、食べることには全く関心を示さなくなっていた。ある時、毎日彼女を見舞っていた長女が無理に昼食を食べさせようとしてスプーンで食べ物を口に入れたら、キャサリンはそれを全部吐き出してしまった。長女は怒りと悲しみの表情で後始末をしていた。
彼女が亡くなる2カ月ほど前より、私が訪問するといつも歓迎はしてくれたが、ほとんど話さなくなっていた。そこで、ほとんどの場合、彼女の神経の通っている右手を握り、彼女が眠りにつくまで側に座っていた。そして、彼女の状態によって、沈黙のうちに祈ったり、声を出して祈ったりしていた。この頃、私はキャサリンに、夫や娘のため、そして私のために祈りを捧げるように頼んだ。
死の1週間ほど前、彼女は「ゆるしの秘跡」(注:信者が自分の罪を司祭に告白して神より許しを受ける儀式)と「病者の塗油」(注:祈りと油を塗ることによって病人の心身の救いと平安を願う儀式)を受けることを希望した。そしてキャサリンは1992年7月11日に帰天した。
<分析>
キャサリンは自分の家へ帰ることを非常に強く望んでいた。彼女の唯一の望みは家に帰ることであった。だから、彼女は、たとえ毎日お見舞いにきてくれても、自分を老人ホームへ入れた長女を決して許すことはできなかった。キャサリンは老人ホームに居たくなかったので、スタッフたちのすることはことごとく気に入らなかった。彼女は非常に活動的な人だったので、寝たきりでいることが我慢できなかったのであろう。
夫と娘の家族が100キロほど離れた町からお見舞いに来たときはいつでも夫が彼女を連れて帰ってくれることを期待していた。(夫自身病気で、自分のことすら満足にできないので、これは非現実的な望みであった。)だから、かれらがキャサリンを老人ホームに残して帰った後はいつでも怒り、沈んでいた。彼女が食事を拒否したのはほとんどそのようなときであった。
キャサリンはときどき混乱することがあった。彼女はしばしば「夫が病気になったとき、私は毎日彼を見舞った。今、彼はもっと頻繁に見舞いに来るべきだ。」と言っていた。実はそれは20年も前のことで、現在は、夫は年も取っているし病気で簡単に来ることができないということが分からないようであった。あるとき、キャサリンが家へ連れてかえって欲しいと言ったので、誰が面倒みてくれるのかと聴くと、「母がみてくれる。」という答えが帰ってきた。(お母さんはとっくに亡くなっている。)
キャサリンは、ベッドの上で寝ているだけの老人ホームの生活には何も意味を見いだせなかった。だから、家へ帰れないのだったら早く死にたいと真剣に思っていたようである。そこで私は、彼女にはまだ人のために祈ることができるということを言ってみた。夫のため、娘のために祈ることができると。そのとき、彼女は黙ってうなづいた。この頃、私は看護婦長に、キャサリンは本当に早く死にたいと思っているようだということを報告した。(自殺の可能性がある場合は責任者に報告することになっている。)彼女が本気で自殺を試みるとは思えなかったが、たとえ本気で彼女が自殺を考えたとしても、当時の彼女は、一人では自殺することさえできなかったであろう。
キャサリンが亡くなる1週間ほど前、彼女は「ゆるしの秘跡」を受けたいと言ってきた。もちろん、その時、私は彼女が一週間以内で亡くなるとは知らなかった。むしろ、とても、一週間以内に亡くなるとは想像もできなかった。しかし彼女が亡くなったということを聴いたとき、キャサリンは自分の死が非常に近いということを「あのとき」感じていたのではないかと思った。
7月7日に私がキャサリンを訪ねたとき、長女のエリザベスが個人的に話があるといってきた。キャサリンに点滴をするかどうかを医師に尋ねられているということであった。それはエリザベスにとっては非常にむずかしい選択であった。なぜなら、「早く死ぬこと」というのがその時点でのキャサリンの唯一の望みであるということをエリザベスはよく知っていたからである。私たちはしばらく二人だけで話し合った。まもなくミサの時間になったので、エリザベスはミサに与って、そのむずかしい選択のために祈りたいと言った。私も彼女と彼女の母親のために祈ることを約束して別れた。
キャサリンが亡くなったのは7月11日の午後であったが、丁度その日の午前中に、100キロメートルほど離れたところに住んでいる夫と娘の家族がキャサリンのお見舞いにきた。そして、皮肉なことに、ほとんど毎日お見舞いにきていた長女のエリザベスは、その日、お見舞いに来ることができなかった。後ほど、エリザベスはそのことについて私に語ってくれた:「初めはとてもショックで、あの日、母をお見舞いできなかったことを非常に悔やみました。しかし、後で考えたんです。私はほとんど毎日母を見舞っていましたので、たまたまあの日に見舞えなかったけれど、母にとっても私にとってもそれはたいしたことではなかったのです。また、私の妹は、日頃ほとんど母を見舞えなかったので、死の直前にお見舞いができて本当によかったんです。でなければ、妹は一生悔やんだでしょうから。」この言葉を聴いたとき、私は、エリザベスができる限りのことをしたという満足感を持っていることを知って安心した。
7月16日、キャサリンが亡くなって5日目に、老人ホームでエリザベスに出会った。エリザベスはキャサリンの残したものをすべて整理し、お世話になったスタッフたちにお礼を言うために来ていた。彼女は私に出会ったとき、パストラル・ケアの事務所に寄って私を訪ねるつもりだったと言った。彼女はキャサリンのために私がしたことに非常に感謝してくれ、「神父さん、母が好きだったのはあなたと療法士のJさんだけでした。私たちが好きではありませんでした。」と言った。私はエリザベスのお褒めの言葉には感謝したが、彼女が「母は私たちを愛していました。」と言えなかったことを気の毒に思った。しかし、彼女が「ここの人たちは皆、母に対してとてもよくしてくれました。ただ、母が、それをありがたいことだと気が付かなかっただけです。」と言って笑い、「母は眠るようになくなりましたし、お葬式もとてもすばらしいものでした。今はとても幸せなはずです。」と言ったとき、今は、キャサリンもエリザベスのしたことに感謝してくれているはずだという確信を持っていること、そして、エリザベスもやっと、物理的にも精神的にも、解放されたのだと知り安心した。
<意味>
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「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいるところに、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 ・・・ 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」(ヨハネ 14:1-4, 6-7) |
自分の家にはもう帰れないということを知ったとき、キャサリンは本当に早く死ぬことを望んだ。彼女は深い信仰の人だったので、私は、そのような彼女の言葉や振舞いを、早く天の父の元へ行きたいという望みの表現だと解釈した。彼女は、老人ホームでの生活に、生きている意味を見いだすことがなかなかできなかった。しかし、私が彼女に「まだ人々のため、夫や娘や私のために、祈りを捧げることができる」と言ったとき、彼女は静かにうなずいた。
動けない病人でも、祈りによって他者のために役に立てるということは、私自身が強く信じていることである。少なくとも理性が働く間は祈ることができるし、これこそ、そのような状況の中で他人のためにできる唯一のことである。しかし、もし混乱してしまって、理性が正しく働かなくなったとき、何ができるであろうか。自分の生きている意味は?実際には、まだ、だれかの愛の対象として存在する価値があっても、「自分が」その存在の積極的な意味を感じることができなければ・・・キャサリンの気持ちはこの辺にあったのだろうか。
キャサリンは、多くの人々が彼女のためにしてくれたことに対して感謝の気持ちを持つことができなかった。むしろ、老人ホームのスタッフや施設そのものに対してしばしば怒りをあらわにした。しかし、彼女の最後の1週間は穏やかそうであった。たぶん自分の最後が近づいていることを感じ取ったのであろう。そのころ「病者の塗油」というカトリック教会の病人用の特別な儀式を受けることを望み、最後は眠るように天に召された。まさに、神を信じて信仰に生きる人の最期を見た気がした。それは、言葉通り「神の元へ帰って行った」ようであった。同様に、神を信じて生きてきた家族の人々も、キャサリンの死を「神の国への帰省」としてみることができたように思われた。
しかし、そのような信仰を持っていない多くの日本人にとって、死は本当の意味でその人の「最終」であり、それが不安と絶望の原因となっているようである。もちろんこの結果として、「死を受け入れること」がよりむずかしくなっている。このためであろうか、日本では、まだほとんどの医師は不治の病の病名を患者本人に告げることを躊躇している。もちろん、クリスチャンにとっても、死の受容が易しいわけではない。しかし、90パーセント以上がクリスチャンの患者だった病院での1年間の経験で、死に関して日本と大きく違う何かを体験した。今それをデータをもって示すことはできないが、キャサリンの死はそのことを私に強く印象づけた一件であった。
<今後>
今ここで私が日本の宗教そのものや宗教的価値観の違いについて嘆息してみても無意味である。それが現実なのである。私はその現実の中で生きているのである。だから、そのような状況の中でのパストラル・ケアの道を探って行かなければならない。キャサリンの死も含めて、私は米国で多くのすばらしい経験をすることができた。今の私の課題は、この経験を、環境、状況の全く異なる日本でどのように応用することができるかということである。これは私にとっても、また将来私が訪問するであろう患者さんにとっても大いなる挑戦となる。この挑戦を受けて立つつもりである。
<データ>
<ジェローム、男性、52才、ルーテル派>
(訪問期間) 1991年12月6日 〜 12月30日 (ICU 3号室)
12月31日 〜 1992年1月17日 (704号室)
1992年1月17日 〜 1月21日 (905号室)
1992年1月24日 〜
(907号室)
(12月6日) 電気によるショック治療中、ジェロームは突然昏睡状態になる。直ちにICUの3号室に移され人工呼吸器がつけられる。私はICUの看護婦より呼び出され、待合室にいる患者の妻が取り乱しているから行ってやってほしいとの依頼を受ける。
(12月X日) 12月6日以来、機会を見つけてはジェロームをICUに訪ねる。その間に、口に取りつけられていたジェロームの人工呼吸器が気管切開によるものに変更される。
(12月29日) ジェロームが23日振りに意識を取り戻す。彼は目を開け、訪問者を認識しているようである。
(12月31日) 7階の704号室へ移動。依然として話はできない。
(1月2日) 相変わらずお互いに理解し合うのは困難。(スタッフはコミュニケーション板を使用している。)
(1月6日) 人工呼吸器および全ての管が取り除かれる。
(1月8日) ジェロームは一生懸命話そうとするがなかなか言葉が出てこない。声は非常に小さい。
(1月9日) 私がジェロームに「大した進歩だ。」というと、「ゆっくり過ぎる。」と不満を漏らす。
(1月11日) 少し話せるようになる。
(1月13日) 話すことに関しては、かなりの進歩が見える。
(1月14日) リハビリテーションを開始。かなり話せるようになったが、声は依然として小さい。この日、ジェロームより初めて「自分のために祈って欲しい」と依頼される。
(1月15日) しばらく話し合った後、一緒に「主の祈り」を唱える。
(1月16日) 声はまだ小さいがかなりよく話せる。この日、ジェロームは「私が昏睡状態のとき、松本神父とG医師が訪ねてきたのを覚えている。」と言って私を驚かす。
(1月17日) ジェロームの調子は上々である。朝、704号室を訪ねた私に、「病室を変わります。看護婦が私の荷物をすでに持って行きました。神父さん、
私の部屋が変わっても来てくれますか。」と尋ねる。
この日の彼の話の主な点は次のようなものであった。
「私はいろいろなことを忘れてしまった。しかし、英語とドイツ語とフランス語は覚えている。」
「治療室でいろいろな人と出会う。そこはまるで、神の失敗を人間がなおしているところのようだ。」
「私は人を殺したこともなければ物を盗んだこともない。なぜ私は今ここにこのような形でいなければならないのか。」
「私の誕生日を知っているか。1992年1月6日。この日に私はこの病院で生まれた。」
「神父さん、私の部屋はここですから間違わないでください。もう7階じゃありませんから。」
(1月20日) 午後4時頃に訪問する。ジェロームは非常に疲れている。最近の彼のスケジュール:8:00am(作業療法)、8:45am(言語治療)、10:00am(理学療法)、
1:00pm(作業療法)、2:00pm(言語治療)、3:00pm(理学療法)。
(1月21日) 上記と同様のスケジュール。ジェロームは筋肉痛を訴える。
(1月24日) 初めて同室者がいる部屋へ移る。この日の彼の話の主な点は以下のようなものであった。
「昨日、歩行補助器を使って50メートル歩いた。」
「家へ帰れるようになるまで、後どれくらいかかるだろうか。」
「治療のために病院へ通えるように、病院の近くに家を捜している。」
<分析>
ジェロームは23日間昏睡状態であった。その間、私は何度も彼を見舞ったが、ジェロームはたぶん意識を回復することはないだろうと思っていた。だから、気管切開されたときその必要性に疑問をもっていた。しかし、誰が未来のことを確実性を持って断言できるだろうか。もし、彼が意識を取り戻すことがなかったならば、「人工呼吸器をもっと早く止めてもよかったのでは?」とか、「気管切開は必要なかった。」とかいう意見も出たであろう。ジェロームの意識が戻ったときでさえ、私はまだ、人工呼吸器や気管切開の必要性に関して疑問を持っていた。なぜなら、その時点ではまだ、目を開けてなんとか人を認識できても、一生話すことも歩くこともできないという可能性もあったからである。しかし、事実は、彼は話せるようになったし、リハビリをするまでになったのである。私にとって、ジェロームのケースは、人工呼吸器の脱着の問題をますますむずかしいものにした。
ジェロームの意識が戻ってから、私が彼を訪問すると、いつも彼は涙を流した。このような患者は涙もろくなっているということは知っていたが、私の知識では、それは、患者が、親、兄弟、配偶者や友人など、特に親しい人の顔を見たときだと思っていたので、昏睡状態になるまでに一面識もない私の顔を見て涙するのを不思議に思っていた。しかし、この私の疑問は、ジェロームが「神父さん、私は昏睡状態のときあなたが訪ねてくれていたのを知っています。」と言ったとき(1月16日)に解決した。
ジェロームが、自分のために祈ってほしいと言ったとき、私は非常に感動したと同時に、少し後ろめたさを感じた。なぜなら、彼の意識が戻って以来、彼と話をするようには努力してきたけれど、一緒に祈るということをしなかったからである。宗派が違うということに躊躇の原因があったように思うが、それは全く取り越し苦労であった。このとき、私は、彼が私を「パストラル・パーソン」として必要とし、求めているのだということを強く感じた。
ジェロームが自由に話せるようになったとき、たぶん長い間持ち続けていたであろう問題を持ち出してきた。それは、いわゆる「悪」の問題と「善人の苦しみ」の問題である。治療室へいったとき、彼はいろいろな病気で苦しんでいる人々に出会った。彼にとって、それは正に「神の失敗を人間がなおしているところ」と思われた。ジェロームがそう言ったとき、彼に尋ねてみた、「ジェロームさんは、本当にそれらは神の失敗と思いますか。」彼はしばらく考えていたが、結局その質問には答えなかった。そして彼は逆に私に質問してきた。「私は誰も殺したこともありませんし、物を盗んだこともありません。なぜ、いま私はこんな格好でここにいなければならないのでしょうか。」
ジェロームにとって、この「なぜ?」の答えは、非常に大切であると同時に切実なものであるということが感じられたので、私は少し哲学的な説明を試みた。(ジェロームという、52才の頭のきれるドイツ出身者ー15才で渡米ーでなければ、たぶんこのようなアプローチはしなかったであろう。)まず、イ)神が直接にジェロームに「苦しみ」を与えたと考える必要のないこと、ロ)神はこの世を創造したとき一定の法則・秩序も与えたこと、ハ)この世では、全てのものはその法則・秩序に従って機能していること(この結果、科学が成り立っていること)、ニ)故に、その機能の対象が善人か悪人かには関係なく、法則・秩序通りに結果が発生すること、などを、例をあげながら説明した。
このまじめな議論の後、ジェロームは、「私の誕生日を知っていますか。1992年1月6日なんですよ。私はウィスコンシン州のこの病院で生まれたんです。」と冗談をいって笑った。それは彼が全ての管から解放された日である。彼のこのジョークの中に、彼が本当に意味したいことを感じることができた。確かに彼はその日に、あの忘れられない、忌まわしい出来事から解き放たれて、この世に生まれ直したのである。
いまジェロームは家に帰ることを楽しみにしている。それが当座の彼の目標である。彼も私もその日はそれほど遠くないことを感じ取っている。彼は今、そのゴールが現実のものとなろうとしているところまで来ている。しかし、彼の最終目標、すなわち、精神的にも肉体的にも普通の人に戻るというのは、まだまだ時間がかかりそうである。
<意味>
ジェロームは以前にいろいろなことのために何回も神に感謝したことであろう。彼は、自分の回りで起こっている出来事は全て、一つ一つ直接に神によって引き起こされていると信じていたようであったから、何かよいことがあった度に彼は神に感謝していたはずである。しかし、そのような信仰は、今回彼を苦しめる結果となった。なぜなら、苦しみも神によって引き起こされると信じていた彼は、それは悪いことをした者が神に罰されているというように納得していたからである。こうして彼の「なぜ私が?」という質問が出てきたのである。自分はそんなに悪いことをした覚えはないのに、「なぜ私が?」彼は一時成功して金持ちであったが、最近その職を失っていた。そして病気になってしまった。彼は少し前からこの病院に入院していた。そして今回昏睡状態にまでなってしまった。そして意識が戻ったとき、彼は一層苦しんだようである。なぜなら、身体的な苦しみの上に、自分の状態がどのようなものかもよく認識できたからである。
ジェロームは「なぜ私が?」という質問を1月17日に初めてした。しかし、たぶん彼はもっと前に、もっと苦しんでいたときに、そのことをずっと考えていたはずである。そのとき彼は旧約聖書のヨブと同様の叫び声を神に向けてあげていたことであろう。
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なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。(ヨブ 7:20) なぜ、あなたは御顔を隠し、わたしを敵と見なされるのですか。(13:24) |
ジェロームは、この苦しみも含めて、全てのことは神によって直接に引き起こされていると信じていたので、彼が「なぜ私が?」と質問したとき、それはまず「私」を強調した神への質問であった。「神様、私と同じ程度の多くの善人の中で、また、私と同じように弱い多くの人々の中で、なぜ、この『ワタシ』を選ばれたのですか?」そしてジェロームはその答えを見つけることができなかったのである。
ジェロームの「なぜ私が?」という質問は、また、「なぜ?」を強調した神への質問でもあった。「こんな仕打ちを受けなければならないとは、私が『なにをした』と仰るのですか? なぜなのですか?」彼は神が直接にそれを引き起こしたと信じていたので、なぜ神がそのようなことをしたのか理由が必要であった。ここでも彼はヨブと共に叫んでいたことであろう。
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神は・・・理由もなくわたしに傷を加えられる。(ヨブ 9:17) 神が奪うのに誰が取り返せよう。「何をするのだ」と誰が言えよう。 だからわたしは言う、同じことなのだ、と。神は無垢な者も逆らう者も同じように滅ぼし尽くされる、と。(9:22) |
結局、ジェロームはその「なぜ?」という質問の答えを得ることはできなかった。そこで、神は彼を治すことができると信じていたジェロームは、神に向かって治してくれるようにと頼んだはずである。彼が自分の苦しみや回復の遅さにについて不平を言ったとき、やはりヨブと共に次のように叫んでいたのであろう。
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わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。(ヨブ 9:16) もはや、わたしは息も絶えんばかり、苦しみの日々がわたしを捕らえた。 夜、わたしの骨は刺すように痛み、わたしをさいなむ病は休むことがない。病は肌着のようにまつわりつき、その激しさにわたしの皮膚は見る影もなく変わった。わたしは泥の中に投げ込まれ塵芥に等しくなってしまった。神よ、わたしはあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお答えにならない。 (30:16-20) |
私たちは、ヨブの物語はヨブにとってハッピーエンドであることを知っている:「主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を2倍にされた。・・・ 主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。」(ヨブ 42:10,12) ジェロームにとっても同様にハッピーエンドになりそうである。今では話せるようになったし、歩ける見通しもついた。そして、何よりも今回のことで妻や子供との強い絆ができたことは、今後の大きな財産になるであろう。しかし、ある人々はそうはうまくいかないということも事実である。多くの人々は回復することなくそのまま亡くなってしまうのである。ジェロームの質問に対する答えは、回復するかしないかに関わらず、全てのケースにとって満足いくものでなければならなかった。
あらゆること(災害、事故、病気など)が直接神の意志によるということを信じている人にとって、自分がそのような状態に直面したときに行き着くところは、「神を信じなくなる」か、神を信じ続けるとすれば「神に対して激しい怒りの気持ちを持つ」のいずれかであろう。ジェロームも神に対して怒っていたのかも知れない。しかし、彼が「なぜ私が?」という質問をしたときには、あまり怒っているようには見えず、単純にその質問に対する答えを捜しているように見えた。そこで私は「自然の法則、秩序」について説明を試みたのである。
彼の理解を助けるために、いろいろな例をあげた。例えば:そのような「法則、秩序」がなく、いちいち神の意志でものごとが動くのなら、昨日飛んだ飛行機が、今日飛ぶかどうか分からない。「今日の神様のご機嫌はどうだ?」ということになってしまうが、現実はそうではない、というようなこと・・・また、自然は、そのような「法則、秩序」に従っているので、昨日ナイフでりんごが切れたら、今日も切れるということに確信が持てる。そのかわり、同じナイフで、誰かが人を刺したら、人も切れてしまう。刺された人が「善人でも悪人でも」、というようなこと・・・さらに、「このような悲劇の起こらない秩序を神は決めることができたであろうに」という質問に対しては次のような例をあげた:車の製作者は、大きな事故が起こらないために最高時速10キロしか出ない車を製作することも可能である。しかし、現実には150キロでも出せる車を製作している。それをどう運転するかは運転手の理性と自由意志に任されている。誰かが間違った使い方をして事故を起こしたとき、責任は、車の製作者か運転手か。製作者は、やはり事故など起こらないように最高10キロしか出ない車をつくるべきだと考えるか・・・というようなことなど、ずいぶん話し合った。
このような話し合いの後、ジェロームは、「説明はよく理解できたけれど、本当に納得するのには時間が必要だと思う。」と答えた。
<今後>
私は、もう一度ジェロームが前向きに生きていくことを心から願っている。そのためにも、彼には「なぜ私が?」という質問の答えがどうしても必要だと思った。彼の苦しみを引き起こしているのは神ではなく、善人にも悪人にも関係なく起こる自然の秩序の中で起こっている出来事だということを理解することによって、神の方へ向き直ってほしい。これは、彼に対する神の罰などではないということを理解することによって、神との距離を縮めてほしい。もし必要ならば、今後もこの点で彼の理解を助けていきたい。
<コメント>
私はこのコメントを、上記のジェロームに関するレポートのほぼ1年後に書いている。理由は、当時の自分の観察は必ずしも正しくなかったと思う点があるからである。ジェロームが、ドイツ人で頭の切れる哲学肌の人であったため、私のアプローチがあまりにも理性的になり過ぎているというのが反省点である。今でも、ジェロームにとって、私の哲学的アプローチは役に立ったという確信はある。しかし、その反面、彼の気持ちのレベルを捉えきれていなかったと思えるので、ここでその点に触れてみたい。
ジェロームが「なぜ私が?」という質問をしたとき、彼はあまり怒っていなかったように当時思っていたが、それは誤りであろう。彼の言い方は確かに静かであったが、その質問自体が、彼の怒りの表現であったと言うべきであろう。そして、当時は、私との話合いで彼の気持ちが落ち着いていったように思っていたが、彼が心の平安を取り戻すことができたのは、心の中でながくくすぶっていた神への怒りを声に出してぶつけたことによって、再び神との対話が成り立ち、神との距離を縮めることができたからであろうという点を見逃していたように思う。
同様に、<今後>のところでも、よりよく「説明する」ことによってジェロームを援助しようという姿勢ばかりが目立っているが、多分、ジェロームの方からは、私がしばしば訪問することによって、私のジェロームに対する気持ちや態度、すなわち、常に気に掛け、心配し、なんとか手を差し延べたいという姿勢が通じて、ありがたいと思ってくれていたのではないかと思えるのである。極端に言えば、話の内容などはどうでもよかったのではないかとさえ思えるようになってきた。
ジェロームは1992年の3月3日に退院して、その後はリハビリのために車椅子で病院へ通っていた。入院中の私の訪問の「結果」がよかったことは、その年の8月に行われた私のCPEの全コースの修了式の日に、ジェロームが家族で出席してくれたこと、そして、初めて車椅子なしで杖だけで歩いている彼を見て驚いている私に、「今日は、神父さんの特別な日だから、歩いてきた。」と言って抱擁してくれたことで十二分に表わされていた。
<データ>
<ロバート、男性、76才、カトリック、救急病室、ICU 12号室、733号室> (1992年1月11日より1月27日までの訪問より)
(1月11日)
12:30 電話交換手より救急病棟へ行くようにとの指令を受ける。私が着くとすでに応接室に、ロバートの妻、二人の息子、二人の娘および
一人の義理の娘がいた。妻は私に、「何が起こったのか分からりません。彼が倒れて、私は支えられませんでした。」と大きな声で言った。
彼女は車椅子を使用している。かなり取り乱しているようである。わたしは彼女を気の毒に思った。息子のうちの一人は泣いている。
医師が応接室へ入ってきて状態を説明する。「今は、ロバートさんの心臓は動いています。しかし自分で呼吸することはできません。
看護婦が風船のようなもので空気を送っています。救急隊員によれば、彼らが到着したときは心臓は止まっていたそうです。」
12:40 家族と共に病室に入り病者の塗油を授ける。S医師が人工呼吸器をつけたいと申し出たが、息子の一人が拒絶する。ロバートの妻は、
状況を把握できていないようである。わたし自身は人工呼吸器をつけるかつけないか判断に苦しんでいた。
12:50 B医師が応接室へ入ってきて、ロバートに人工呼吸器をつけるように説得を始める。結局家族はその説得を受け入れる。
なかなかむずかしい選択であった。
13:20 ロバートは集中治療室の12号室へ移される。
14:05 家族と一緒に集中治療室のロバートを訪ねる。意識は無い。
(1月13日) 意識回復。
(1月16日) 少し微笑むが、話はできない。
(1月20日) ロバートは人工呼吸器なしで椅子に座っている。少し話せる。エレベーター前でロバートの妻に会う。ロバートの驚くべき回復について話す。
彼女はわたしがロバートを訪問していることに感謝する。
(1月21日) 娘に電話したいと言う。わたしがダイヤルしてあげると娘と電話で話す。非常に嬉しそうである。
(1月24日) 同室者のいる733号室へ移動する。妻に電話したいのでダイヤルしてほしいと言う。わたしにお礼を言ってから妻と電話で話し始める。
ロバートが手を振るので私も手を振って部屋を出る。電話で話している彼はとても幸せそうである。
(1月27日) ロバートは「腕の方はよくなったが、足の方がまだ弱い。」と言う。午後退院。
<分析>
私が応接室で初めてロバートの家族に会ったとき、皆かなり取り乱していた。彼の妻は「何が起こったのか分かりません。」と繰り返すばかりであった。一人の息子は自分の妻の腕の中で泣いてばかりいた。ロバートの妻と娘はタバコをしょっちゅう吸いたがった。(もちろん院内はすべて禁煙である。)これも彼らが非常に神経質になっていたためであろう。
その時私にできることといえば、医師からの正式の説明を不安のうちに応接室で待っている家族に、できる限り多くの情報を集めて知らせることであった。私は受付や看護婦、そしてたまたま病室から出てきた医師に簡潔に状況を聞いて、家族に、いま何がどうなっているかを説明した。そうこうしているうちに、医師が応接室に来てロバートの状態について説明した。「患者は重体です。」と言うことであった。私たちが病室に入るまで、後数分待ってほしいとのことであった。
医師の許可が出たので、私たちは病室へ入って初めてロバートに会った。自分では呼吸ができないので、看護婦が風船のようなもので空気を送っていた。病室に入る前に、病者の塗油を授けたいと申し出て了解を得ていたので、秘跡を授けて皆で一緒に祈った。その後、皆でロバートを囲んでいると、医師が、人工呼吸器をつけたいと申し出た。その時、応接室にいるときから泣いていた息子が、間髪を容れず「ノー」と叫んだ。彼は父親が人工呼吸器につながれているのを見るに忍びなかったのであろう。その息子の反応があまりにも強かったので、他の家族の者は意見を述べるチャンスさえ見つけられなかった。ロバートの妻は「私には分かりません。」とだけつぶやいた。
応接室に戻って少しすると、先ほどとは別の医師が来て、「ロバートの心臓の鼓動は非常にしっかりとしているので、いま、人工呼吸器をつけるとまだ希望が持てます。もしいまつけなかったら、彼は自分で呼吸できないので死ぬしかありません。」と言って家族を説得した。このとき家族たちは人工呼吸器をつけることに同意した。
それは非常にむずかしい選択であった。誰も未来のことなど分からないのだから。人工呼吸器をつけたままの遷延性意識障害者、いわゆる植物状態の患者、が大勢いることもよく知られている。おそらく、最初に人工呼吸器をつけることに反対した息子はそのことをよく知っていたのだろう。確かに、あの時点では、ロバートが植物状態になる可能性は充分に考えられた。結果的には彼はそうはならなかった。「今」なら、人工呼吸器をつけるという選択は正しかったと言える。しかし、その選択を迫られたとき、誰もその確信は持てなかったはずである。人工呼吸器をつけることに賛成した人々は、患者を愛していたからこそそう望んだということは確かである。同様に、つけることに反対した人々も、まさに患者への愛のために反対したのである。
遷延性意識障害者を多く見れば見るほど、人工呼吸器をつけることを認めるのがむずかしくなる。しかし、また逆に、意識不明の状態から回復した人を見れば見るほど、人工呼吸器をつけることに反対するのがむずかしくなる。
ロバートは驚くような早さで回復した。救急病室へ来てから10日目ですでに電話で話ができた。16日目には妻が待っている老人ホームへ帰って行った。彼の妻も車椅子生活なので、彼の今後の生活は決して楽なものではない。しかし、退院するとき、ロバートはとても幸せそうであった。
<意味>
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何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、 殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、 泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、 石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、 求める時、失う時、保つ時、放つ時、 裂く時、縫う時、黙する時、語る時、 愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。 |
ロバートが救急病室へ来たとき、それは彼にとって死ぬ時ではなかったのか。それとも、それはまだ彼の死ぬ時ではなかったので、彼は死ななかったのか。彼が病院へ来たとき、もし家族全員が人工呼吸器をつけることに反対していたら、確かに彼は死んでいたはずである。それとも、ロバートにとってまだ「その時」でなかったので、家族が人工呼吸器をつけることを認めるようになったと考えるべきなのか。その家族の決定は彼らの自由意志に基づいて行われたのではないのか。神は人間の自由意志にさえも干渉することができるのだろうか。神にはできるかも知れない。しかし神はそうしないであろう。なぜなら、神は人間に「自由意志」を与えると決めたのだから。
確かに「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」そして神は「その時」を知っている。なぜなら、全ての出来事、すなわち、全ての自然現象、事故、病気、その他何であれ、世の創造の初めから与えられている一定の法則・秩序に基づいて起こっていると考えられるからである。もし私たち人間でも、その「法則・秩序」を完全に知り、いま何がどうなっているかを分かっていたら、自然現象であれ、病気であれ、「その時」を言うことができるはずである。だから私たちは「神は『その時』を知っている。」と言えるのである。しかし、私たち人間は、いつでも「その時」を知っているわけではない。なぜなら人間は、その出来事を引き起こしていることについて全てを知っているわけではないからである。もし、医師が、ロバートの身体に起こっていることを完全に知り、人間の身体に備わっている法則や秩序を完全に知っておれば、医師は家族に、ロバートの「時」がいつであるかをはっきり言うことができたはずである。あるいは、人工呼吸器をつけたらどうなるかを「はっきり」言うことができたはずである。私たち人間は、知識が「不完全」なために「その時」をはっきり言うことができないだけなのである。
まだ人工呼吸器などなかった時代には、人々は全てを自然に任せていた。しかし高度技術のおかげで私たちはあたかも「自然に反する」ことができるようになったようであるが、実は、それも元々ある「自然の法則や秩序を利用している」だけなのである。例えば重い飛行機を飛ばすことなどを考えてみれば明らかである。自然の法則や秩序を利用して、重たい飛行機が空を飛ぶようにしているのである。そして、私は、飛行機の場合、ある燃料でどれくらいの距離飛べるかを言うことはできないが、パイロットはできるはずである。これもひとえに、私が飛行機に関して知識を持っていないからに過ぎない。同様に、神は全てのことに関して「その時」を言うことはできるけれど、人間には無理なのである。こうして、時には、もはや決して回復しない患者に人工呼吸器をつけてしまうこともあり得るのである。ロバートの場合には、医師の判断は正しかった。それでも、「あの時」には、ロバートの回復を絶対的なものとして言うことはできなかったのである。
<今後>
心肺蘇生術に関しては、倫理的にもいろいろな問題があると指摘されている。患者本人の希望の問題、患者の自主性の問題、心肺蘇生術を行うことによる患者の利益の問題、蘇生術を受けたり拒否したりする患者の能力の問題、費用の問題、蘇生術を行うか否かを決定する人の問題などである。これらのあるものは、いわゆる
”Advanced directives”(生前の意志表示)によってかなり解決されたと言われている。しかし、アメリカにおいても、”Advanced
Directives”を正しく理解している人は少ないと言われているし、実際にそれを作成した人となるともっと少ないわけである。現代は、高度技術の影響で、医学的な決定に関して、以前よりもさらに高度な知識が要求されるようになったことは事実である。しかし、技術に振り回されて人間性を見失うことだけは避けなければならない。
ロバートに関しては、退院後は連絡をとることはないと思う。
<データ>
<ベティー、女性、88才、カトリック、老人ホーム612号室>
(1992年2月7日より3月17日までの訪問より)
1992年2月7日、パストラル・ケア部の秘書を通じて、ソーシャル・ワーカーよりメモを受け取った。それには、「老人ホームのベティーがカトリックの司祭に会いたがっている。」と書いてあった。以来、私はしばしばベティーを訪ねるようになった。
初めてベティーに会ったとき、彼女は、「私はとても淋しい。誰でもいいから私を世話してくれる人がほしい。」と言った。彼女は車椅子に座っていた。非常にゆっくりだが、何とか自分で車椅子を動かすことはできた。私の訪問中にボランティアが来て、「バレンタインのパーティへ来ませんか。」と誘ったが、彼女は断わった。そして、私に、「パーティには興味がありません。そこでは何か食べたり飲んだりすることを強制されるんです。私は夕食を気持ちよく食べたいのに。スープをおいしく飲みたいのに。ビンゴ・ゲームにも興味はありません。」と言った。彼女は目があまりよく見えないので、テレビは好きではない。(左目は全く見えなくて、右目もあまりよくは見えない。)それでも、彼女は本を読むことが好きである。
私の訪問中、彼女はいろいろなことを頼んでくる:「その本を取ってくれますか。」「このブレスレットを直してくれますか。」「この眼鏡はきつ過ぎる。」「あのコップを取ってくれますか。」「ポップコーンが食べたい。」等。彼女はもっとよく自分の面倒を見てくれる老人ホームに移りたいと言う。
CPEコースのユニットとユニットの間の2週間の休暇後、彼女の部屋へ行くと「私をこんなに長く放っておかないでくださいよ。淋しかった。二度とこんなことはしないでくださいよ。」と言ってきた。正直言って、2週間の休暇後、訪ねて行っても私を覚えていないのではないかと思っていたので、彼女の反応に驚いた。そして、絵はがきの一枚でも送ればよかったのにと、後悔した。
彼女の夫はずいぶん前に亡くなっていた。彼女には娘が3人いる。三女は一日おきにベティーを訪問している。
ここ2回ほどの訪問では、部屋に入って握手すると彼女は私の手にキスをするようになった。そして、最近は以前のようにあまりいろいろと頼み事をしなくなった。また、最近は、私が帰ろうとしてもあまり引き留めなくなった。しかし、必ず、次はいつ来るかと尋ねるか、「またすぐ来て下さい。」と言うのが常であった。
<分析>
初めてベティーを訪ねたとき、彼女は口では言えないほどの孤独感を味わっていたようである。そこで誰かに来てほしいと思い、パストラル・ケア部に頼んだのであろう。しかし、パーティとかビンゴ・ゲームを断わるのを見ても分かるとおり、大勢の人がいるところへ行くことはあまり好きではなかった。誰かが自分のためだけに何かをしてくれることを望んでいたのである。だから初めの頃はいろいろなことを頼んできた。初めは、同情心もあって、それに応えていたが、ある時、ポップコーンを買って来てほしいと言ったとき、私はその要求に応えなかった。なぜなら、そのような要求にまで応えていたら、彼女の要求がますますエスカレートすると思ったからである。そして、もし、私が彼女の要求をなんでも聞いていたら、彼女を甘やかしてしまい、そのようになんでも聞くことのできないスタッフに対して彼女の不満がますます大きくなって行くと思ったからである。ポップコーンを買いに行くのを断わって以来、彼女の態度は変わっていき、以前ほどいろいろなことを頼まなくなった。
ベティーの要求に無条件で応えるということはしなくなったが、その代わりに特に気を付けるようになった点がある。それは、彼女にとって必要なことは「愛」であり、自分は誰かに愛されているということを感覚的に感じる必要があるということである。そのため、できるだけ訪問の回数を増やし、できるだけ親切にするようにした。多分そのために、私が休暇で留守をしたときに早く会いたいと思ったのであろう。今、彼女は私を好きだと思うし、そのために私を失いたくないと思っているであろう。これが、多分、彼女が最近私にあまりいろいろなことを要求しなくなった理由であろう。
人が年を取ると子供や赤ん坊のようになっていくといわれるが、ベティーも例外ではなかった。しばしば彼女は子供のような振舞いや言い方をした。ときどき、子供が母親に何かを頼むように私に頼んだ。初めのうちはそのような振舞いは見られなかったので、これは彼女と私の関係が近くなったからであり、彼女が私を信頼するようになったからであろう。
成熟した大人としては、ベティーは目が不自由であるにもかかわらず本を読むことを好んだ。彼女は特に宗教的な本を好んで読んでいた。彼女は、昔のタイプの信心深いクリスチャンであった。目が疲れて本が読めなくなると、彼女はロザリオの祈りを唱えた。彼女は自分で「私は信心深いクリスチャンです。」とよく言っていた。彼女の祈りはほとんど、いわゆる「お願い事」の祈りであった。ベティーは、ある時、「私の目を治してくれるようにと祈ったのに、主は聴いてくれません。」と不満を漏らした。このままだと、彼女の信仰が揺らぐのではないかと、少し心配になった。
<意味>
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御顔を向けて、わたしを憐れんでください、わたしは貧しく、孤独です。 悩む心を解き放ち、痛みからわたしを引き出して下さい。 |
詩編のこの節はベティーの祈りそのものである。詩編の作者は、孤独、悩み、痛みからの解放を願っている。詩編の作者は非常に具体的なこと、非常に人間的なことを願っている。まさに、ベティーも具体的なもの、すなわち人間的な愛が必要なのである。人が非常に苦しんでいるときには、理想的な愛や永遠の生命のような高い価値のあるものを受け入れることはむずかしい。その前に、というより、それらを受け入れるようになるためにも、まず人間的なニーズが満たされなければならないのである。これは動物的な存在である人間にとって全く当然なことである。人間的なニーズが満たされてはじめて、より高い価値あるものを受け入れる可能性が出てくるのが普通の人間なのである。
ベティーはこの過程を私に見せてくれた。初めの頃は、彼女の状態は非常に悪かったので、キリスト教的な隣人愛を実行する余裕もなかったというのが現実である。しかし、少し落ち着いた頃には、彼女は思いやりの気持ちを少し表すようになった。彼女がもっと精神的に平安な気持ちを持つことができるようになったとき、彼女はクリスチャンらしく振舞い、将来永遠の命への旅立ちにふさわしい準備になるような、価値ある生き方ができるようになるであろう。
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もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、「ここから、あそこに移れ」と命じても、その通りになる。あなたがたにできないことは何もない。 (マタイ 17:20) |
ベティーは身体のいろいろなところが不自由で苦しんでいた。しかし、本を読むことが大好きだったので、彼女は目が癒されることを特に願っていた。そのために毎日祈っていた。ある時、彼女は私に、キリストが二人の目の見えない人を癒されたテキスト(マタイ 9:27-30)を使って祈っていると教えてくれた。そして、またある時には、「主は私の祈りを聴いて下さらない。」と不平を言っていた。
ベティーは、自分の信仰はかなり強いと自負していた。「私は宗教的な人間です。」とさえ言っていた。そこで、自分の目が治らないのは、「主が私の祈りを聴いてくれないからだ。」という結論になるのである。この考え方は、悪くすると、神を信じられなくなるか、少なくとも彼女の信仰に陰りが見えてくるかも知れなかった。単純な信仰を持っている人は、このようになっていく可能性が大きい。そのような信じ方をしている人々は単純な考え方で神に感謝する。例えば、よい天気に感謝する、などはこの例である。このような人々は、よい天気を祈ったのに雨でも降ろうものなら、簡単に神を疑ってしまう危険性を秘めているのである。私は、そのような単純な信仰を持っている人々を、あえて惑わす気はないが、そのような考えが彼らの信仰を危うくするのなら、何とかその間違いに気付かせてやりたいと思っている。ベティーのケースは、これに当てはまりそうであった。
<今後>
ベティーには、心と身体の両面で平安を保ってもらいたい。そうすれば、キリスト教的な隣人愛も実行できるようになるだろうし、永遠の命に至る価値あるものを求めるようにもなるであろう。そうすれば、結局、この世においても心からの幸せを感じることができるようになるであろう。最近、彼女はこの点において進歩したと思える。しかし、まだあくまでもその途上にいることは明白である。今後もしばしば訪問することによって、彼女と一緒にこのゴールを目指して進んで行きたい。
彼女の祈りと望みに関しては、彼女と一緒に祈る機会をもっと持つつもりである。そして、私の言葉で祈りを唱えるとき、ベティーに祈ってもらいたいような内容を私が祈ることによって、ベティーに、どのようなことを祈ればいいのか分かってもらいたいと思っている。とにかく、今は、ベティーも私を信頼してくれているようであるから、私たちはいい関係の中で人生や信仰について分かち合いができると確信している。
<データ>
<シェリー:ピーター(52才)の妻、カトリック、救急病室>
(1992年6月5日、午前10時35分より12時50分の間の出来事より)
10:15 交換手より救急病棟へ行くようにとの指令を受ける。救急病棟の受付で、「患者は救急車でこちらに向かっている。彼は、6月2日に胆嚢の手術を受け、翌日の6月3日に退院したばかりである。」との情報を得る。
10:35 患者が救急車で到着。救急隊員が車付き担架の上で蘇生術を試みている。
10:38 患者の妻のシェリーが到着。彼女は、まず医師に「家で何が起こったか」を説明、その後、私は彼女を応接室へ案内する。
10:45 3日前にピーターの手術をしたA医師と今日彼を担当したB医師が応接室に入って来る。B医師は、患者は助からなかったと告げる。シェリーはショックを受け、大声で泣き出す。B医師は、患者が病院についたときの状態を説明し、解剖の許可を求める。シェリーは死因を突き止めるために解剖に同意する。それを聞いてB医師は出て行く。A医師と私は両方からシェリーさんの肩をさする。もう一人別の医師が入ってきて、シェリーに、「あなたがお家でなさった処置は正しかった。」と言う。シェリーは、「正しかった?死んでしまったらそんなこと意味がありません!」と叫ぶ。その医師は、シェリーを慰めようとして、彼女はするべきことをすべて正しくしていた、と説明する。そして、A医師と共に出て行く。シェリーさんと私だけが部屋に残る。ティッシュの箱を取ってシェリーの横へ置く。彼女の側に座って、彼女の気持ちに自分の気持ちを近づけるように努力する。
11:00 学校で試験を受けていたはずの息子が入って来る。シェリーが父親の死を告げる。二人で抱き合って泣く。しばらくは二人だけの方がいいと思い、私は部屋を出る。
11:10 看護婦が、遺体のある部屋にもう入ってもいいと言ってきたので、その旨をシェリーに告げ、一緒に病室へ入る。シェリーが、夫の口に入ったままになっているチューブを外してほしいと言うので、そのことを看護婦に頼む。看護婦は、解剖するまで抜くことはできないので口の中で切るだけで我慢してほしいと説明する。私たちは応接室に戻る。
11:15 救急病棟の受付係は、患者の家族をよく知っており、彼らは教会の神父と非常に親しいと教えてくれる。そこで、教会の神父に知らせてほしいかとシェリーに尋ねる。彼女は主任司祭に知らせてほしいと言う。教会へ電話すると、主任司祭は留守で、助祭が出る。ピーターの死を知らせると、「オー、ノー!何が起こったんですか。」と驚く。彼に病院まで来れるかと尋ねると「すぐ行く。」との返事。
11:22 シェリーに(州の法律に基づいて)臓器の提供について尋ねる。彼女は、「夫はきっとそう望んでいると思います。」と答える。
11:25 主任司祭と助祭が到着。部屋に入ってきてシェリーを慰める。
11:35 娘が入って来る。父親の死を知らされると激しく泣く。
11:50 息子のガールフレンドと娘のボーイフレンドが入ってきて、お互いに抱き合いながら泣く。
12:00 全員で遺体のある部屋に入る。まだ亡くなった父親に会っていなかった娘が特に激しく泣く。主任司祭の先唱で祈りを捧げる。祈りの間、母と息子、娘は抱き合っている。
12:20 シェリーに、臓器提供に必要な書類にサインをもらう。その後、彼女は、葬儀に関して主任司祭と相談する。
12:25 皆帰って行く。
12:50 必要事項を所定のファイルに記録した後、救急病棟を後にする。
<分析>
患者が胆嚢の手術を3日前に受け、その翌日に退院したということを知ったとき、本当に何が起こったのか不思議に思った。もちろん、この「予期できなかった」出来事が起こったということが、シェリーのショックをより大きなものにした。応接室で、二人だけになったとき、彼女は、「夫の手術の後で医師は私に、『ピーターは、今度の日曜日にはゴルフをしてますよ。』と言った。」と話してくれた。だから、夫が死んだと聞かされたときの彼女の気の動転ぶりも想像がつくというものである。しかし、私を非常に驚かせたことは、シェリーはその事実を意外に早く受け入れたということである。彼女は、事実を否定しなかった。彼女は、すぐそれを事実として受け入れて、そして、泣いた。その時の彼女の態度を見たとき、この人はすごい人だと感心した。
シェリーは、一度だけ怒りをあらわにした。ある医師が「彼女が家でとった処置は正しかった」と言ったときである。夫の死を知らされた直後だったので、その言葉が、彼女にとってあまりにも空しく聞こえたのであろう。ここで、まず彼女は自分の気持ちをストレートに表現した。そして、すぐに、医師は、夫の死に対してシェリーには落度はなかった、だから責任を感じることは何もないと言うことによって、彼女を慰めようとしているのだと気がついた。もちろん、あの時には、それもたいして慰めにはならなかったはずであるが、それでも、シェリーは、その医師が彼女を慰めようとしたということに感謝した。さらに、彼女は、3日前に夫を手術したA医師には、一度も非難めいた態度も言葉も示さなかった。
この時点で、私は、シェリーに対して尊敬と驚嘆の気持ちを持った。このようなときでさえ、他人の気持ちの理解と思いやりの態度のとれる彼女を、本当にすばらしい人だと思った。
予期せぬ「父親の死」は、もちろん息子と娘にも大きなショックを与えた。病院へ駆けつけたときには、父親に何か起こったことは予感していたが、まさか死んだとは考えてもいなかった。だから、彼らが大きなショックを受けたことは全く当然であった。そこで、彼らは大声で泣いた。ここでも、私は彼らの非常に健全な感情の表現を見た。彼らは約5分ほど、母親に抱きついて、本当に激しく泣き、それから少し話し、また感情が高ぶると泣いた。
この家族の、悲しみや嘆きの感情の非常に健全な表現の仕方を、言葉で説明するのはむずかしい。しかし、初めから終わりまで彼らと共にいて感じたことは、この家族は、全く健全ですばらしい、ということであった。
シェリーと共に、今回、私が同情したのは3日前にピーターを手術したA医師であった。A医師は、当日救急病室でピーターを担当したB医師と一緒に応接室へ入ってきて、B医師が出て行ってもまだ部屋に残っていた。そして、A医師はシェリーに、「お気の毒に。」と言う言葉を繰り返していた。彼にとって、あの場所でシェリーと一緒にいるのは、非常に辛いことであったろう。多分、できることなら、一刻も早くあの部屋から出て行きたかったであろう。しかし、彼はたっぷりと時間をとりシェリーの側にいた。(解剖の結果、死因と3日前の手術の間には関係がなかったということを、後で聞いたが、あの時点では誰にもそのことがはっきりしていたわけではなかった。)
<意味>
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このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。 (マタイ 24:43-44) |
私たち人間は、将来のことを確実には知らない。「確実には知らない」ということをよく知っている。さらに、いろいろなことが、全く予期しないときに起こるということも経験している。上記の聖書の言葉を知っている人もかなりいるだろう:「私たちも用意していなければならない。人の子は思いがけない時に来るから。」しかし、多くの人々は、あたかもこのようなことを知らないかのように振舞っている。もちろん、常にそのようなことばかりを考えているわけにはいかないのも事実である。しかし、準備はできているが、ただ、「常に」そのように振舞っていないだけか、実際に準備もできていないのかは、予期せぬ出来事が現実になったときに表れるであろう。そして、その「予期せぬ」出来事が、自分または親しい人の「死」である場合、ことは重大である。
シェリーが、予期せぬ出来事に対して備えておくということを、日頃からどれほど意識していたかは知る由もないが、特にこのような夫の突然の死という、予期していなかった大きな出来事に直面した時にとった彼女の態度は、日頃から培われていたであろう彼女の信仰と人間性のすばらしさを示してくれた。その点は、彼女の子供たちも同様であった。ここから、亡くなった患者自身も立派な信仰と人柄の持ち主であったろうと推察することができるし、こんなに早く呼ばれるとは思ってもいなかったであろうが、それでも、呼ばれたときには準備はできていたであろうと考えることができた。
実際に、教会の神父たちとの日頃からのよい関係が、今回も、シェリーを精神的に支えるのに大いに役立った。このような特別なときに効果を発揮する神父との人間関係や信仰は、長年にわたって培われてきたものに違いない。病院に神父が着いたとき、神父は彼女の実の父親のように振舞い、彼女も実の娘のように振舞った。もちろん、最悪のニュースに、まず彼女の気は動転した。それは全く自然である。しかし、その後の彼女の振舞いは、ただ感心するばかりであった。
この家族について、後ほど少し知ることができたが、知れば知るほど、この家族はすばらしい人々であり、多くのすばらしい友人を持っているということが分かった。これらのことが、その後もこの家族の大きな助けになったであろうことは疑う余地もない。
病院でシェリー家族を見送ったとき、私は妙な気持ちになった。ある人の突然の死という、いわば最悪のケースであったにもかかわらず、自分がこのケースに関係できたことを非常に嬉しく思った。それは、生きている本当の信仰に触れることができたからであり、また、すばらしい人々に会うことができたからである。この経験によって、生きている信仰について多くを学ぶことができ、また同時に、困難な状況に置かれている人々への仕事に勇気を与えられた。
<今後>
「あなたがたも用意していなさい。」私はもちろんこの聖書の言葉を知っていた。しかし、この予期せぬ出来事の患者はまだ52才であった。好むと好まざるとにかかわらず、遺体を見たとき、私は自分のことを考えないわけにはいかなかった。そして、まるで当分は死ぬことがないという保証でも持っているかのような生き方をしている自分を見てしまった。「用意していなさい。」シェリーたちを見送ったとき、この言葉が私にこだまのように響いてきた。
たとえ予期せぬ出来事に日頃から備えているつもりでも、実際に何かが起こると、誰でも思っていた通りには振舞えないのが普通であろう。シェリーと子供たちは、ピーターの死を知らされたとき、多分無意識のうちに日頃から培っていた信仰に基づいた行動をとったのであろう。だからこそ、彼らの信仰は本物でありすばらしいと思った。ほとんどがクリスチャンでない日本の人々が、このような予期しない死に直面したとき、通常、どのような態度をとるのであろうか。霊的価値や来世や神を信じていない多くの日本人に、また、キリスト教とは異なる価値観を持っている多くの日本人に対しても、シェリーのときと同じように接していけるかどうかが今後の課題である。しかし、何よりもまず、自分の死に対してよく準備しておくことが大切であるということを実感した。
<データ>
(1992年6月19日の訪問より:全患者、以前に数回訪問済み)
アン(女性、77才、731号室、宗教=特になし)
酸素マスクを使用。病室に入って挨拶すると目を開けるが、すぐに閉じて、後は閉じたままである。右手をとって一緒に祈る。私が今から祈るというと右手をぎゅっと握りしめる。非常に弱っている。ほとんど何も話せない。
バーバラ(女性、75才、738号室、カトリック)
右の手は麻痺している。その右の手に点滴をしている。両手とも握ったままである。左手はゆっくりと動かすことができる。私の言うことを彼女は分かっているようであるが、彼女の言うことは私には全く分からない。私が話しかけると、「アー、アー」と相槌を打つ。まず、今日はどんな具合いかと尋ね、それからしばらくの間、手をさする。また来るといって手を振って別れる。彼女は左手を少しあげる。
コニー(女性、78才、736号室、カトリック)
以前に気管切開している。今は、穴の開いている喉に酸素マスクを当てている。喉の穴がはっきり見えている。だから、彼女は話すことができない。頭はしっかりとしていて、すべて分かっているようである。聖体拝領(注:パンの形でキリストの身体を頂くこと)の後、手を彼女の左肩において詩編を唱えて祈る。約5分後に彼女は眠ってしまったので、静かに去る。
ドンナ(女性、74才、735号室、ペンテコスト派)
気管切開して管をつないでいるので話せない。しかし、一生懸命話そうとする。私の言うことは理解しているようである。左手の甲を指すので、そこをしばらくさする。ティッシュを渡す。口の回りを自分で拭く。彼女の右手を握り5分ほどそこにいて、また来ると言って去る。彼女は手を振ってくれる。
エスター(女性、74才、703号室、カトリック)
気管切開している。彼女は話そうともしない。ベッドの側に訪問者がいて彼女の代弁をしてくれる。その人によると、エスターは気管切開したところから入れてあるチューブが嫌いで外そうとすると言う。「また来ます。」と言うとうなづく。
<分析>
6月19日、1日のうちに訪ねた患者で、意識はあるけれども話すことのできない5人をここに取り上げた。最近は7階(内科)を担当しているのでこれらの患者を毎日のように訪問している。私は、初めのうち、うまく意志を通じ合うことができないのでいらいらしていたが、やがて、私の立場で、この人たちに何ができるかを観察してみた。
(アンさん)
患者のリストによれば彼女には特定の宗教がない。だから、私は、彼女は自分のために祈ってもらうことは好まないだろうと思っていた。そこで、私は、初めのうちは何ができるかを考えて悩んでいた。私は彼女を訪ねたとき、沈黙のうちに祈っていた。しかし、ある日、彼女を見舞いに来ていた友人が、彼女は祈りが好きだと教えてくれた。それ以後、彼女を訪ねる度に、彼女と一緒に祈るようになった。私が一緒に祈りましょうと言うと、いつでも彼女は私の手を強く握り返してきた。これによって、彼女がそれを喜んでいるのが分かった。このことが分かったとき、私は彼女のためにできることが見つかったのでとても嬉しかった。6月19日、彼女は老人ホームの方へ移動した。
(バーバラさん)
私は、3日前に、彼女に老人ホームで病者の塗油を授けていたので、病院へ来る前から知っていたことになる。しかし、病者の塗油を授けたときは、彼女はほとんど意識がなかった。病院へ来てから、彼女は日増しによくなっていた。私の見たところ、彼女は、寂しくて不安そうであった。そこで、彼女には、しばらくの間、腕をさすってあげることにした。彼女にとって動かすことのできる唯一の部分である左手を、私が病室を出るときに振ったのを見て、私のしたことを彼女は喜んでいると感じた。彼女は6月24日に退院した。
(コニーさん)
私は彼女がICU(集中治療室)にいるときから知っている。彼女の喉の穴を見て、彼女が話そうとしているのに話せないことを知ったとき、非常に気の毒だと思った。それでも、彼女が聖体拝領できるということに驚いた。聖体拝領を望むかという質問にはいつでも「イエス」と答えた。また、彼女は長い祈りを好んだ。そこで、私は祈りとして、詩編をよく利用した。いつでも、私が「祈りますよ。」と言うと、彼女は嬉しそうであった。ときどき、私が祈っている最中に彼女は眠ってしまった。私はこれを、むしろ、彼女の魂の平安の表れだと解釈した。彼女は6月28日に帰天した。
(ドンナさん)
彼女は非常に寂しそうであった。特に姪がフロリダへ旅行に行ってからは、ますます寂しそうであった。しばしば、看護婦や掃除婦の手をつかんで放さなかった。彼女は非常によく物事を人に頼んだ。彼女は末期患者であったので、彼女の希望はできるだけ聴きいれるように努力した。気管切開をしており、日に日に弱っていく末期症状の彼女を訪問するのは非常に胸が痛んだ。このレポートを書いている時点では、彼女はまだ病院にいた。
(エスターさん)
私は彼女がICU(集中治療室)にいたときから知っている。彼女がICUにいたとき、彼女は私の訪問をあまり好んでいなかった。この日、私が訪ねたとき、彼女は非常に弱っていて、私の訪問に対して感情を表すことさえできなかった。結局、この日は祈りを捧げることを躊躇して、声に出して祈りを唱えなかった。しかし、帰り際に、「また来ます。」と言った私にうなずいたので、以前より私を受け入れていると感じた。彼女は6月23日に帰天した。
<意味>
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あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイ 6:7-8) あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイ 5:48)
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通常、患者からのはっきりとした反応がないのに、彼らが何を望んでいるのか、何を必要としているのか、はっきりと言うことはむずかしい。だからこそ、チャプレンは、彼らのよい聴き手・応答者でなければならないのである。現実には、自分の意志をはっきりと表すことができない患者もかなりいる。そういう場合には、患者のニーズを推察する以外に方法はない。初めのうちは、そのような推察をすることはかなりむずかしいと感じていた。しかし、徐々に、患者が何を必要としているか、何を望んでいるかが分かるように思えた。患者は患者なりに、いろいろな方法で意志表示をしているのである。
ここに取り上げた患者たちのように、意識のある人々は、態度や顔の表情や目でメッセージを送っているのである。また、多くの場合、患者の家族や親戚、親しい友人たちは、すでに患者のことをよく知っていて、患者のニーズを把握している。
例えば、アンは、患者リストによれば、「宗教は特になし」ということだったので、私は、多分彼女は宗教的なことは好まないだろうと推察した。しかし、付き添っていた友人は、彼女が祈りを非常に大切にしているということを知っていた。そして、実際、私が祈ると、彼女は、私の手をきつく握り返すことによって自分の感謝の気持ちを伝えてきた。この場合、もし、私がその友人と話をすることがなかったならば、アンにとって最もよい方法で手を貸すことはできていなかったであろう。
しかし、大切なことは、あくまでも、その時の患者のニーズを知ることであり、家族や友人のニーズや便宜と取り違えないようにしなければならない。
いろいろなケースで、初めのうちは、患者にとって最も必要なことが何であるかを見極めることは非常にむずかしいと感じた。しかし、同じ患者を何度も訪れているうちに、徐々に分かってきたように思えた。その結果、ここに取り上げたケースのように、患者によって応対が異なってくるのである。
もちろん、完全であることは不可能である。聖書のマタイの箇所は、不完全な私たち人間に、ベストを尽くすように勧めているものと解釈した。これこそ、CPEのコースを受講している大きな目的である。このコースを受講することによって、よりよく「患者とその家族に対して」働くことができるようになるためである。さらに、マタイの箇所に並行するルカの箇所では、「完全な者」の代わりに「憐れみ深い者」となっている。この「憐れみ深い者」というのは、「相手の気持ちになって振舞う者」というニューアンスがある。私には、「憐れみ深い者」になる方が、「完全な者」になるより易しそうである。
<今後>
いろいろと異なったタイプの患者がいる。全てのタイプを前もって経験することは不可能である。だからこそ、チャプレンは、常に「予期せぬ場面」に備えていなければならないのである。今回の、話すことのできない患者たちの経験は、どの様な患者に対しても何かできるということを学ぶのに大いに役立った。チャプレンにとってまず大切なことは、患者の置かれている状況、状態や患者の気持ちをできるだけ的確に把握して、そのニーズに応えることである。そのためにも、今後も、いろいろとタイプの異なる患者に会えることを、むしろ求めていきたい。
<「対話形式レポート」より>
チャプレンの養成コース(CPE)で「対話形式レポート」というのは、次の項目に従って書くことになっている。1)身元確認(氏名=仮称または頭文字、年齢、性別、出身地、訪問日時、訪問回数、病室番号、ベッド番号、訪問の長さ、宗教)、2)訪問計画(訪問理由および目的)、3)観察(入室時の印象、病室内の配置)、4)対話(対話の再現)、5)評価:@患者(身体的、精神的、社会的、宗教的観点より)、Aチャプレン(主観的に感じたこと)、B応対(患者に対して、何が、どうできたか、このケースを取り上げた理由)、C自分への結論。
レポートは以上の項目にしたがって書くのであるが、よりよいパストラル・ケアへのヒントとして、最初の2つのケースについて若干の「解説」を加えてみる。
<身元確認>
ドローレス/65才、女性/1991年12月31日/14:30〜15:00/初回/
738号室、ベッド2/無教会のクリスチャン
<訪問計画>
他のチャプレンのお陰で、1週間のクリスマス休暇がとれたため、この日は1週間ぶりの患者訪問であった。そのため、ほとんどは私の知らない患者になっていたので、この日は、とにかくできるだけ多くの患者を訪問して自己紹介し、彼らの話に耳を傾けようと思っていた。ドローレスは、その中の一人であった。
<観察>
部屋にはベッドが2つあったが、ベッド1には誰もいなかった。ドローレスは、入口に近い方のベッドの端に座って、テーブルの上の雑誌を読んでいた。部屋には特に飾りもなく、訪問者も誰もいなかった。私は彼女に向かってベッドの横に立った。
<対話>
チャプレン1「こんにちは。私は松本神父で、パストラル・ケアから来ました。あなたは・・・」
ドローレス1「はい、私はハンソン、ドローレス・ハンソンです。」
チャプレン2「ICUから移ってこられたのですね。」
ドローレス2「はい、そうです。昨日、胸が痛くなって、そろそろ病院でチェックしてもらった方がいいと思って・・・
それというのも、88年に心臓発作を起こして、そのときにバイパスの手術をしているんです。診察後、お医者さんは、心臓の方は問題ないけれど、
糖尿病が問題だと仰るんです。そこで今日、ここへ移ってきたというわけです。実は、バイパスの手術の関係で、あるお薬を飲まなければならないんです。
それが糖尿病の原因なんです。」
チャプレン3「そうなんですか。」
ドローレス3「すぐにでも帰りたいんですが、もう少し体力をつけないと。家は二階建で、寝室もバスルームも二階にあるんです。その上がり降りがとても大変で。」
チャプレン4「お一人でお住まいなんですか。」
ドローレス4「実は、昨日で丁度1才になった曾孫を預かっているんです。バースデー・ケーキを手で食べて、顔中チョコレートだらけにして喜んでいました。
高い椅子に座っていたんですが、そのうちに眠ってしまって、顔をケーキに突っ込んで・・・それはおかしいったら・・・」
チャプレン5「目に見えるようです。」
ドローレス5「この子の母親は18才で、『子供はいらない。』と言って私に渡してどこかへ行ってしまいました。私は彼女のために特別な服を作りました。
高校で妊娠が目立たないように。昼はずっと寝ていて、夜になるとどこかへ出かけていました。私にはどうしようもありませんでした。
ただ、オロオロして見ているだけでした。赤ん坊をどこかへ養子に出そうと思いましたが、適当な人が見つかりませんでした。
ここのお医者さんにも頼んでみましたが見つかりませんでした。」
チャプレン6「今は、赤ちゃんはどこに。」
ドローレス6「別の娘の婚約者のところです。彼は、すでに4人の子供を育てているので、赤ちゃんには慣れていると言ってくれました。この1月11日に
二人は結婚する予定です。娘の結婚式の準備もしてあげたいんですが・・・彼女にも一人子供がいます。彼女の婚約者は、5人も6人も
大した変わりはないと言ってくれてますので、彼がその赤ちゃんを養子にしてくれるよう、希望してるんです。」
チャプレン7「そうなればいいですね。」
ドローレス7「彼は散髪屋で、収入は安定しています。彼はクリスマスに家を飾り付けるのが好きではありません。先日、娘と私で、彼のいない間に、
電球で散髪屋の窓を飾り付けたんです。彼は帰ってくるなり、『誰がこんな変な飾り付けをやったんだ。』とどなりました。
娘が、『私よ。』と言うと、『OK,OK』と言って、電球と電球の間隔を測ってきれいにやり直しました。彼はとてもいい人です。」
チャプレン8「お家にはどなたか他にいらっしゃるんですか。」
ドローレス8「夫は、私の手術の6カ月後に亡くなりました。この病院の廊下で亡くなりました。」
チャプレン9「病院の廊下で?」
ドローレス9「そうなんです。夫は私の手術にも来ませんでした。きっと手術や死というものに恐怖感を持っていたのだと思います。そのとき、
夫は糖尿病で入院していました。医師に、下へ行ってレントゲンをとるように言われたんですが、下へ降りて行くことを非常に恐がっていました。
きっと、手術か何かをされると思っていたのでしょう。下へ降りて行く途中で亡くなりました。」
チャプレン10「悲しい話ですね。」
ドローレス10「私たちには子供が9人いました。父は91才で亡くなりました。96才の母は、79才になる私の姉の面倒を見ています。」
チャプレン11「96才のお母さんが、79才の娘さんの世話をしている、ですって?」
ドローレス11「そうなんです。実は、姉が母の面倒を見るために母の家へ行ったんですが、その姉が、老人性の糖尿病になってしまって。
結局、96才の母が彼女の面倒をみてるんです。
チャプレン12「あなたの家族はとても大家族で、長生きする家系のようですね。」
ドローレス12「そうなんです。父は91才で亡くなりましたが、祖父は103才まで生きましたし、祖父の父は106才まで生きたそうです。」
チャプレン13「それはすごい。」
ドローレス13「人生はおもしろい・・・(電話がなる)すみません。もしもし。どなた?彼女はもうここにはいません。ちょっとお待ち下さい。
(私に)すみませんが、看護婦さんを呼んでいただけますか。」(看護婦を呼んでくる。)
チャプレン14「そろそろ失礼致します。お話できてとてもよかったです。またお寄りします」
ドローレス14「ちょっと、しゃべり過ぎました。どうぞまた寄って下さい。ありがとうございました。」
<評価>
@患者
イ)身体的:患者は美しい花模様のローブを着てベッドの端に座っていた。彼女は小柄で、白髪である。チューブとか点滴などはいっさいつけていない。声は小さく、
すこし早口である。
ロ)精神的:オープンで親しみやすく、よく話す。自分でもおしゃべりだと自覚しているようである。
ハ)社会的:1988年、彼女の心臓のバイパスの手術後6カ月の時に夫を亡くす。子供は9人。96才の母親が79才の自分の姉と住んでいる。
1才の曾孫を育てている。
ニ)宗教的:患者のリストによると、彼女は無教会のクリスチャンである。訪問後も、彼女の宗教に関してはこれ以上は分からなかった。
Aチャプレン
これが初めての訪問だったので、患者に関して何も知らなかった。だから、初めのうちは、他の多くの患者と同様に、少し挨拶してすぐに部屋を出るであろうと思っていた。(ドローレスは、その日の最後の患者であった。それまでに16人の患者を訪問していたが、そのうち15人までは5分以内の短い訪問で、一人だけが10分ほどの訪問であった。)私の期待以上に、ドローレスは話してくれた。話を聴いているうちに、ドローレスには、誰か、ゆっくりと話を聴いてあげる人が必要だと感じた。たまたまではあったが、彼女を訪問できてゆっくりと話を聴くことができたことを嬉しく思った。
B応対
この訪問を書き上げた理由は、正直に言うと、この日の患者訪問では、これだけがレポートにできそうな長い訪問であったからである。しかし、それは同時に、この訪問では、他の短い訪問に比べて、何か内容のある応対ができた可能性があるということである。「対話」のところで明らかなように、この訪問では、私はあまり話す必要はなかった。これほど患者が流暢によく話したのは珍しいと思うほど、ドローレスはよく話した。それは、誰かが、彼女の話を聴いてあげることが必要だということである。だから、私の仕事は、彼女の話を聴くことであった。このケースでは、よい聴き手になるのは難しくなかった。これは最初の訪問であったし、電話で中断された格好だったので、さらによいパストラル・ケアをするためにできるだけ早くもう一度訪ねる予定である。
C自分への結論
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こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。(ヘブライ 12:1-2) |
話の中には、非常に大変な内容も含まれていたにもかかわらず、ドローレスは非常に明るく話してくれた。彼女の人生について、全く不平の言葉は聞かれなかった。何が起こっても、神様に任せてあるという感じであった。いろいろなことを理性的、人間的に考えすぎて、神への信頼を忘れているのではないかと自分を反省させられた。
<解説>
本番ではあまりゆっくりと考える暇もなく、他のことにも気を使わなければならないが、ここではゆっくりと考えることができるので、よりよい「心のケア」へのヒントとして、上記の対話の中からドローレスの気持ちの主なものを拾い上げてみよう。
まず、「ドローレス2」では、「心配」や「不安」な気持ちが読み取れる。「ドローレス5」では、「困惑、心配、惨め、失望、悲しさ」などの気持ちを持っているようである。「ドローレス6」では、「安心感、感謝、喜び」の気持ちと共に、自分でしてあげたいことができないことに対して「残念」な気持ちと共に一抹の「悲しさ」も伝わってくる。
「ドローレス7」では娘の婚約者に対する「安心感、満足感」と共に「好意」も感じられる。「ドローレス9」では、自分の手術にも来てくれなかった夫に対して「不満」の気持ちを持つと共に、夫への「同情心」も持っている。またその結びの部分では、亡くなった夫のことを思い出して「残念」と感じると共に、病院側がもう少しよく説明してくれていたならばあんなことにはならなかったのではないかという「怒り」の気持ちもうかがえる。
患者の心のケアをしようと思うとき、このような気持ちを、全ていちいち取り上げるわけではないが、必要に応じて取り上げ、患者の気持ちを確認すると同時に、患者の気持ちの世界へ自分も入って行くことが必要なのである。こうして、第1章で指摘されているように「患者の気持ちのレベルで共に歩む」ことによって「心のケア」が可能となるのである。
次に「よい聴き手となる」ということで見落とされがちな点に触れておこう。
たとえば「チャプレン4」の質問であるが、ここではこのように質問したために、曾孫の話になり、その母親の話になって行った。ドローレスは、曾孫の話よりも、自分の将来の不安について話した方が「心のケア」という観点からは良かったのかも知れなかったのである。「よい聴き手」になるためには、ここの例のようにこちらの質問の仕方次第で(こちらのペースで)話題をどこへでも持って行ってしまうことができるということに注意を払わなければならない。
同様に、「チャプレン6」では、その曾孫の「母親」のことを非常に心配しているドローレスの気持ちをくんだ方が良かったかも知れなかったのを、当時、チャプレンは、「赤ちゃん」に話題を持って行ったので、以後の話はその方向へ進んで行った。また、「チャプレン9」でも、ドローレスの夫が「亡くなったこと」に焦点を当てて、ドローレスの「孤独感」や「寂しさ」の気持ちを聴く方が良かったかも知れなかったのを、当時、チャプレンは、ドローレスの夫の亡くなった「場所」に焦点を当てた質問をしたので、その方向へ話が行ってしまった。
確かに、神ならぬ人間に、どの質問の仕方の方が良かったかは、実際には分からないのであるが、少なくとも、「良い聴き手」になるために、質問の仕方次第で(こちらがイニシアティヴをとって)どこへでも話を持って行ける(持って行ってしまう)ということを常に意識しておかなければならないのである。
<身元確認>
マルセッラ/70才、女性/1992年3月15日/1:15 a.m.〜 3:15
a.m./
カトリック/末期癌患者エドワード(73才、男性、735号室、ベッド1)の婚約者
<訪問計画>
日曜日の午前1時10分、交換手より、至急7階へ行くようにとの指令を受けた。必要な情報を得るために、7階の看護詰所に寄って分かったことは、患者は危篤状態で、患者の婚約者が側についているということであった。そこで、私は、祈りを捧げることと、その婚約者の話を聴くという予定で病室へ入った。
<観察>
患者はゼーゼーと苦しそうに息をしており、マルセッラは、ドアーの反対側の窓側で、ベッドの側の椅子に座っていた。患者は酸素吸入をしていたが、点滴はしていなかった。私が部屋にはいると、マルセッラは立ち上がった。私はベッドを挟んで、マルセッラの反対側に立った。
<対話>
チャプレン1「今晩は。松本神父です。」
マルセッラ1「今晩は、神父さん。」
チャプレン2「具合いはどうです。」
マルセッラ2「苦しそうです。ときどき呼吸が止まります。」
チャプレン3「彼のために一緒に祈りましょう。彼はカトリックだということですが、あなたは?」
マルセッラ3「私もカトリックです。」
チャプレン4「ああ、そうですか。では、彼が病者の塗油を受けたかどうかご存じですか。もし受けたとしたらいつごろか・・・」
マルセッラ4「はい、受けたと思いますが、いつかは分かりません。」
チャプレン5「分かりました。看護詰所へ行って調べてきます。もし、1週間以上前でしたら、もう一度授けましょう。」(看護詰所で調べて戻ってくる。)
「3月11日、4日前に受けていますね。では塗油なしでお祈りしましょう。」
「父である神よ、あなたは預言者イザヤを通して言われました、『たとえ、女が自分の子供を忘れようとも、私は決してあなたたちを忘れることはない。』と。
いま、私たちが、あなたの子、エドワードのために捧げる祈りを聞き入れて下さい。私たちは彼をあなたの慈悲と愛に委ねます。彼の上にあわれみを垂れ、
あなたの力で彼を支え、あなたのご加護で彼を守り、あなたの愛によって彼に平安をお与え下さい。私たちの主、キリストによってお願い致します。アーメン。」
(患者の頭の方へ移動して祈りを続ける。)
「親愛なる兄弟、エドワード、私は、あなたの創り主に信頼して、あなたを全能の神に委ねます。地上の塵からあなたを形造った方のところへ帰りなさい。
この地上の生より来世へ移るあなたを、全ての聖人が迎えて下さいますように。あなたのために十字架にかけられたキリストが、あなたに自由と平和をもたらして
下さいますように。あなたのために死んで下さったキリストが、あなたの全ての罪を許し、選ばれた民の中にあなたを加えて下さいますように。
あなたが、あなたのあがない主を、顔と顔を合わせて仰ぎ見、神のみ栄を永遠に楽しむことができますように。アーメン。」
(祈りの後で、マルセッラの横に座る。)
「彼はいつ入院したんですか。」
マルセッラ5「この水曜日です。1月21日に入院したとき、私たちは、彼が膵臓癌であることを知りました。そこで、彼は家に帰り、5週間家で過ごしました。
私は毎日彼を訪ねました。私の最初の夫も13年前に癌で亡くなりました。まー、私の夫を、最初の夫だなんて。私はまだエドワードとは一緒になった
ことはないんですよ。婚約してもう6年にもなります。なんとなく、もう結婚したような気分ですが・・・彼は農夫なんです。もう引退していますが。
彼は、両親が亡くなるまで、一緒に住んでいました。彼は結婚したことがないんです。彼はとてもいい人です。他人の面倒をよくみます。」
チャプレン6「親切な人なんですね。」
マルセッラ6「そうなんです。とても親切な人なんです。そして働き者でした。体重も普段は85キロほどだったんですが、今は45キロほどになってしまって・・・
こんなに急激に体重が減るなんて・・・妹さんがインディアナからこちらに向かっています。いい飛行便がなかったので、イリノイまで飛んで
そこから誰かが車でここまで連れてきてくれます。飛行機でどこへでも行けると思っていましたが、そうではないということが分かりました。(沈黙)
私には子供が二人います。もちろん二人共もう大人ですが。私は90才の母と一緒に住んでいます。」
チャプレン7「お母さんはまだご健在で。お元気なんですか。」
マルセッラ7「少しボケ始めています。明日は、母のために七面鳥を料理するつもりです。あなたは一晩中働いているんですか。」
チャプレン8「4階に特別な部屋があって、9時以後なら寝ていてもいいんです。しかし、今晩は、私が当番なので、呼び出しがあればいつでも出てきます。」
マルセッラ8「こんなに真夜中でも出てきてくれるというのはとてもありがたいです。」
チャプレン9「私たちがここにいるのはそのためですから。」
マルセッラ9(エドワードの顔をのぞき込みながら)「こんなに汗をかいて、心臓はすごく早いし・・・」(二人で、患者の顔や腕を拭く。)
「昨年、彼はバーでよくトランプをしました。」
(二人連れが入ってくる。立ち上がって挨拶する。)
チャプレン10「松本神父です。ここのチャプレンです。」
訪
問 者1「今晩は、神父さん。私はメアリーで、こちらはケヴィンです。彼の様子はどうですか。」
マルセッラ10「ずっと同じ状態です。ときどき呼吸が止まるけど、すぐ元に戻ります。」
チャプレン11「もう一度彼のために祈りましょうか。」
マルセッラ11「ぜひお願いします。」
(まず詩編23を朗読し、続けて、「主の祈り」「天使祝詞」「栄唱」を皆で一緒に唱え、最後に自分の言葉で祈りを結んだ。)
(看護婦が、シーツを取り替えるために入ってきた。私たちは病室を出て、廊下の端の椅子に座って少しの間おしゃべりして、病室に戻った。)
チャプレン12「諸聖人の連願を祈りましょうか・・・」
マルセッラ12「はい、お願いします。」
チャプレン13(『病人のパストラル・ケア』というハンドブックの中から、第1形式を選んで唱える。)
「マルセッラさん、あなたにもお仲間ができましたので、私は部屋へ戻ります。いつでも御用があれば看護婦に言って下さい、私はすぐに来ますから。」
マルセッラ13「ありがとうございました、神父さん。」
<評価>
@相手
イ)身体的:マルセッラは小柄な白髪の女性で、眼鏡をかけている。えんじ色のセーターを着て、濃い青色のずぼんをはいている。私が病室へ入ったときは、ベッドの側に座って患者の右手を握っていた。
ロ)精神的:私が病室に入ったとき、マルセッラは私を快く迎えてくれた。そのとき、患者は非常に苦しそうで、彼女はどうしてよいか分からない様子で、非常に不安そうであった。
ハ)社会的:マルセッラは夫を13年前に亡くしている。夫も癌であった。患者と婚約して6年が経っている。
ニ)宗教的:マルセッラはカトリックである。私が詩編23を唱えたとき、彼女はなにも見ないで一緒に唱えたので、日頃からよく教会へ行っている、熱心なクリスチャンであろう。
Aチャプレン
通常、危篤の患者のために、緊急呼び出しを受けたときは、少し不安で、何をどの様にしようかと思案するものである。しかし、今回は、病室へ入った途端、そのような気持ちは吹き飛んでしまった。そして、今回はなんだかやり易そうだという気になった。それは、多分にマルセッラの雰囲気のおかげであろう。それでも、とにかく、このような状況にもかかわらず、落ち着いて伸び伸びと振舞えたことに非常に満足した。
B応対
これは、患者が危篤になったときの典型的なケースである。愛する人を失うときの嘆きの気持ち、自分の力ではどうすることもできない無力さ、エドワードと自分の将来に対する不安などのマルセッラの気持ちを、ひしひしと感じた。そこで、私は、マルセッラへの応対の目標、およびその目標達成のための方法を定めた。その目標とは、マルセッラの心身の平安であり、その目標達成のための方法とは、マルセッラに嘆きやその他いろいろな気持ちを表現していただくこと、および彼女を支えるための祈りを捧げることである。この考えに基づいて、マルセッラが十分に自分の気持ちを表現できるように、時間をゆっくりととることを決心した。また、祈りも、回数を多くし、少し長い祈りを唱えるようにしたのは、マルセッラは非常に信仰心の厚い人と思えたので、そのような祈りは彼女の励みとなり、彼女を支えることになると思ったからである。残念ながら、彼女の将来に対する不安な気持ちには特別に何もすることができなかった。
C自分への結論
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恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けて下さい。人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。それにもまさる喜びを私の心にお与え下さい。平和のうちに身を横たえ、私は眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。
(詩編 4:7-9) |
聖書のこの言葉は、まさにマルセッラの祈りである。彼女は神を信じ神に信頼しているけれども、まだ不安は残っていた。祝福と喜びと平和を求めているけれども、現実には、彼女は嘆きのうちにいた。このような、不安や嘆きの気持ちは、私たち不完全な人間が、それらのすばらしいものを手に入れるための必要な過程なのである。マルセッラは、宗教的にも性格的にもすばらしい人であった。そして、彼女は、人間にとって大変なときにこそ、人間的な過程を経ることの大切さを示してくれた。彼女は、背伸びするでもなく、卑屈になるのでもなく、ごく自然に振舞った。結局、それが、愛する人を見送るという悲しいときに、彼女を支えていた。私たちは常に、この世で生きている限り、そのような人間的な過程を大切にしなければならないということを、マルセッラは教えてくれた。(エドワードは、この日の正午に帰天した。)
<解説>
ここでは、「よい聴き手」としてのヒントを失敗例から見てみよう。「マルセッラ5」で、「毎日彼を訪ねた」というところに、マルセッラの「不安」な気持ちとエドワードへの「愛情」の両方がうかがえる。そのため、ここを受けるとすれば、「チャプレン6」では、「とても心配なさったでしょう。」とか、「彼のことをずいぶん愛していらっしゃるのですね。」とか言って受けるべきところである。また、「夫を13年前に癌で亡くした」というところを受けるとすれば、「夫も(エドワードと同じ)癌で亡くしたのですか。」とか「夫を亡くしてもう13年にもなるのですか。」というような内容で受けるところであろう。そうすれば、マルセッラは(多分)自分の心の奥深いところに持っている「気持ち」を出してきたのではないかと考えられる。
実際には「チャプレン6」で「親切な人なんですね。」という言葉で受けてしまったので、マルセッラの心の深いところまで入って行くことができなかった。これは、誰でもよく陥る失敗である。少し長い話の場合、最初の部分をパスしてしまって、最後の文に対して応えてしまうからである。「よい聴き手」とは、話の初めの部分か終わりの部分かに関係なく、相手の心の深いところで大きな部分を占めていると思われる「気持ち」を聴き出せる人なのである。
<身元確認>
ロザリーン/年齢不詳/1992年5月17日/13:45ー14:15/カトリック/
アルコール依存症のアルフレッド(74才、男性、738号室、ベッド1)の妻
<訪問計画>
この日は、カトリック司祭としての当番のため、カトリック信者の新入院患者を順番に訪ねていた。アルフレッドは、そのうちの一人であった。だから、患者の妻と話すことになるとは予想していなかった。ただ、入院患者を訪問するときはいつでも、機会があれば、患者の家族や友人と話そうという心構えはできていた。この意味では、ロザリーンの話を聴く準備はできていた。
<観察>
アルフレッドの病室のドアーのところへ行ったとき、婦人が一人訪問中であるのがわかった。私が部屋にはいると、彼女は立って挨拶し、自分は患者の妻であると言い、自分の座っていた椅子を私に勧めた。(患者はドアーよりのベッドに横たわっていた。)少しして、患者が私と個人的に話をしたいと言ったのでロザリーンは部屋を出ていった。アルフレッドの訪問を終えてから、廊下でロザリーンに会った。彼女が少し話したいと言ったので、廊下の隅のところの椅子に座った。近くに二人いたけれど、ロザリーンは話し始めた。
<対話>
ロザリーン1「こんにちは、神父さん。」
チャプレン1「こんにちは。失礼ですけど、お名前は?」
ロザリーン2「ロザリーン」
チャプレン2「ロザリーン?」
ロザリーン3「はいそうです。神父さん、アル中は病気の一種だということは知ってます。それは知ってるんですが、アル中は恐ろしいです。彼が傷つくだけでなく、
私も傷つきます。彼が私を殴ることはありませんが、私が彼を殴ってしまいます。彼が飲むと、私は自分をコントロールできないんです。(涙)
チャプレン3「苦労なさったんですね。」
ロザリーン4「はい・・・」(沈黙)
チャプレン4「何年ぐらいアルコール中毒になってるんですか。」
ロザリーン5「30年・・・多分40年。」
チャプレン5「そんなに長いこと・・・」
ロザリーン6「アル中は悲惨な病気です。むしろ癌の方がよかったと思います。癌が治らないということは知ってますが、アルコール中毒も同じです。
何回『もう飲まない、約束する。』と言ったと思います? 2週間経てば元の木阿弥です。」
チャプレン6「それは病気なんですから、約束では治らないでしょう。『もう絶対風邪をひかないように約束します。』と言うわけにはいかないでしょう。」
ロザリーン7「それはそうです。彼は支援グループにも行ったことがあります。しかし、それは自分には役に立たないと言うんです。息子たちには会わせないように
していますが、それでいいでしょうか。」
チャプレン7「どういう意味ですか。」
ロザリーン8「息子たちには、父親の病気のことは言ってないんです。息子たちに言うべきだとお思いですか。彼らは知りたがっているんです。ときどき私に、
『お父さんはどうしたの。』と聞きます。」
チャプレン8「そうですね・・・初めの頃は、あなたのやり方でよかったと思いますが。息子さんたちは子供だったし、あなたも若かったし・・・
しかし、いまは・・・あなたが倒れてしまいますよ。あなたはもう・・・」
ロザリーン9「そうなんです。私も年老いてきましたし。彼のアル中には嫌気がさしています。もう、本当にいやです。」
チャプレン9「それなら、息子さんたちに言った方がいいと思いますが・・・そうすれば、あなたも少しは楽になれるでしょう。」
ロザリーン10「しかし、息子たちは皆とても忙しいし・・・」
チャプレン10「息子さんたちが一番心配しているのはお母さんの身体のことでしょう。」
ロザリーン11「そうなんです。私はもう、本当に参っています。もう、夫のアル中の面倒は見きれません。ある時なんか、アルコールの空瓶15本を散らかして・・・」
チャプレン11「15本?」
ロザリーン12「そうなんです。15本の大きな瓶です。全部、空で。今までに、何百、何千ドル飲んだか・・・私たちは小さな町に住んでいるので、
私は、恥ずかしくて外へ出ることもできません。みんなが知っていて、『彼の具合いはどうです。』と聞いてくるんです。本当に、
アルコール中毒ではなくて、癌だったらよかったのにと思います。」
チャプレン12「なるほど。あなたは、家の中でも、家の外でも、惨めだったんですね。」
ロザリーン13(涙、沈黙)「長くお引き留めしてすみません。」
チャプレン13「いいえ、いいんですよ、今は時間ありますから。」
ロザリーン14「この頃は神父さんも少なくなりましたから。私たちの教会の神父さんも隣の町の教会へも行っています。彼は忙しすぎます。
神父さん、やがてまた、司祭の数は増えてくると思われますか。」
チャプレン14「そうなってほしいですが・・・」
ロザリーン15「同感です。この頃の若いものは、自分たちが何をしているのか分かっていません。瓶からアルコールをがぶ飲みする・・・恐ろしいことです、
彼らは何も分かっていない。もう少しアルコール中毒について知っていたら・・・最悪です。癌より悪いです。日本の若者はどうですか。」
チャプレン15「たいして変わらないと思いますが・・・」
ロザリーン16「そうですか・・(沈黙) さて、そろそろ夫のところへ帰らなくっては。神父さん、どうもありがとうございました。お時間をとらせまして。」
チャプレン16「どういたしまして。こういうために私たちはここにいるんですから。あなたのためにお祈りしています。」
ロザリーン17「ありがとうございます。私のためより、多分、夫のために・・・」
チャプレン17「あなたも必要だと思いますよ。お二人のために祈ってます。」
ロザリーン18「そうですね、公平にお願いします。」(笑い)
チャプレン18「承知しました。お大事に。」
<評価>
@相手
イ)身体的:ロザリーンは白髪の小柄で細い婦人である。ピンクのセーターを着て、茶色のずぼんをはいていた。眼鏡をかけており、話声は普通である。
ロ)精神的:この日の朝、老人ホームでの私のミサに与っていたということで、私がアルフレッドの病室へ入ったときから、ロザリーンは私のことを知っていた。そのためであろうか、初めから非常に親しそうに話してくれた。それでも、会話中に、彼女の夫に対する怒り、および、将来に対する不安と恐れを感じ取ることができた。
ハ)社会的:3人の息子がいるが、みな遠くに住んでいる。彼女の住んでいる町は非常に小さな町である。だから、町の人が皆、彼女の夫のことや家の中で起こったことを知っていると思っている。その町に、夫の掛かり付けの医師がいる。彼女も何度もその医師と相談している。
ニ)宗教的:この日の朝も、老人ホームでのミサに参加していたし、教会の神父のことをよく知っているので、活動的な信者であろう。しかし、私との会話中、神に言及することはなかった。夫のアルコール中毒は、夫の意志の弱さが原因だと思っている。多分そのためであろうか、彼女が神に対して不平を言わないのは・・・
Aチャプレン
初めは、とにかくロザリーンの話を聴こうというだけで、気持ちの上でも、それ以上特に何もなかった。しかし、彼女が「夫がアル中ではなくて癌の方がよかった。」と言うのを聞いたとき、彼女の気持ちを察して、心が動かされた。家の中ではもちろん、一歩外へ出ても、非常な惨めさと孤独感を味わっていたのだと思った。そこで、なんとかして彼女を援助したいと思ったが、何ができるか分からなかった。彼女にとっても、状況が一向に変わらないのを気の毒に思った。
B応対
これは、通常のように、患者の訪問記ではなかったので特に取り上げてみた。相手が、患者ではないので、私の応対は、患者に対するよりはもっと「相談に乗る」という方向でよいと考えた。そういうわけで、ときどき、意図的に指導的な話し方も取り入れた。とにかく、彼女の重荷を少しでも軽くしてあげたいと思った。そのために、彼女が、何も一人だけでがんばる必要のないことを理解してもらいたかった。自分の回りにいる多くの人々、息子たち、友人や教会の仲間たち、チャプレンや教会の神父、そして何よりも自分が信じているキリストなど、自分を支えてくれる人々が大勢いるということを理解してもらいたかった。しかし、この点で、もう一つ成功したとは思えなかった。
C自分への結論
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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ 11:28-30) |
ロザリーンは約40年もの間、重荷を一人で担ってきた。その結果、彼女は疲れ果てて、今にも崩れそうである。彼女自身年老いてきて、これ以上はもう担いきれないというところまできている。その重荷を誰かと一緒に担ぐことを願っている。特に、息子たちおよび、キリストと。この40年間、その重荷を自分一人で担ごうと努力してきたので、今はまだ、「軛は負いやすく、その荷は軽い」と言うキリストの言葉を信じることはできないであろう。彼女が、「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というキリストの言葉に耳を傾けるように希望している。そうして、残りの人生を、意義あるものとして、喜びのうちに過ごせるように期待している。もちろん、ロザリーンはこの聖書の言葉をよく知っているはずである。しかし、彼女自身が、重荷で打ちひしがれていたので、その言葉を、自分のためだとは気が付かなかったのであろう。私も、自分が大きな苦しみや問題のさ中にいるときには、客観的に物事を見ることができなくて、最悪の選択をすることがあるかも知れない。ロザリーンはこのことを私に示してくれた。
<付記>
後日、私は、ALANONという、アルコール依存症の人を家族に持っている人々のための支援グループのことを調べて、ロザリーンに手紙を書いた。以下はその手紙へのロザリーンの返事の抜粋である。
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親愛なる神父様 私たちのことを気にかけていて下さり、わざわざお手紙を下さって、本当にありがとうございました。 (中略) 今のところ、夫は非常によくやっています。このまま少しずつでもよくなっていくことを望んでおります。彼もやってくれると信じています。とうとう、彼は自分一人では駄目で、誰かの助けが必要だということを認めてくれました。そして、私も、夫同様、誰かの助けが必要だということを認めました。それでも、まだどうなるか分かりませんので、どうぞ私たちのために祈り続けて下さい。私たちもあなたのために祈っています。 日本への帰国の旅がすばらしいものでありますように。私たちはあなたにお会いできたことを本当に嬉しく思っております。お忙しいところを、私たちにお手紙を下さいまして、本当にありがとうございました。 愛と祈りのうちに
アルフレッド & ロザリーン |
<身元確認>
シェルドン/76才、男性/1992年6月10日/14:15〜14:45/初回/
734号室、ベッド1/バプティスト派
<訪問計画>
シェルドンは新しい入院患者で、これが初めての訪問だったので、特別なプランはなく、ただ患者の話に耳を傾けようと思っていた。一つだけ予感があったのは、患者が76才の男性だったので、戦争の話が出るだろうということであった。すでに、何度もそのようなケースに出会っているので、その心構えはできていた。
<観察>
病室にはベッドが二つ並んでいた。シェルドンは奥の方のベッドにおり、手前のベッドは空であった。部屋には、花も絵も何もなかった。シェルドンは、頭の方を少し上げた状態でベッドに横たわっていた。私は、初めは二つのベッドの間に立っていたが、やがて椅子を持ってきて座った。
<対話>
チャプレン1「こんにちは。私は松本神父で、ここのチャプレンです。この階の患者さんを皆さん訪問しています。」
シェルドン1「ようこそ。私はシェルドンです。よろしく。」
チャプレン2「こちらこそ、よろしく。」(握手)
シェルドン2「お国は?」
チャプレン3「日本です。」
シェルドン3「ああ、日本人ですか。私はもうすこしで戦争に行くところでした。1941年4月28日に入隊の予定でした。丁度そのとき、母が亡くなって、
父の面倒を見なければいけなくなって・・・もし、戦争に行っていたら、今ここにいないでしょう。戦争はとんでもないものです。戦争は大嫌いです。
私の村の若者たちも大勢戦争で死にました。日本人の若者も大勢死んだんでしょう?」
チャプレン4「はい、そうです。」
シェルドン4「私は平和主義者です。平和が一番です。今は、アメリカと日本はよい友達です。すばらしいことです。ロシアのエリツィン大統領も戦争は嫌いだと思います。」
チャプレン5「私もそう思います。ちょっと座っていいですか。」
シェルドン5「もちろん。(椅子を持ってきて、ベッドの横に座る。)私はバンガーに住んでいます。そこはとても静かで気に入っています。一日に車が2、3台しか
通らないときもあります。郵便屋さんは家まで来てくれます。今は一人暮しです。妻は18年前に死にました。(涙) 彼女のことをよく思い出します。
彼女はノルウエー人でした。おじいさんとおばあさんが1881年にオハイオからこちらに移ってきました。おばあさんの話では、一度大きなインディアン
が家へ来たそうです。別に危害は加えないで、何かを頼んだそうです。しかし、彼女は非常に恐かったそうです。私は3代目です。息子も同じ村に住んでいて、
二人の子供がいます。ですから、5世代が同じ町に住んでいるということです。
チャプレン6「なかなかの歴史ですね。」
シェルドン6「私は心臓の弁膜が悪いようです。倒れたときに顔を打ちました。家には誰もいませんでした。私は一人暮しですから。自分で起き上がって誰かを呼ぶしか
ありませんでした。私の呼吸器官もよくないようです。日本にも、呼吸器官の悪い人は多いですか。」
チャプレン7「結構いると思いますよ。大気汚染の問題を抱えていますので・・・」
シェルドン7「大気汚染があるんですか。非常に悪いんですか。」
チャプレン8「最近、少しはよくなってきているようですが・・・」
シェルドン8「日本には人が多すぎるんでしょう?」
チャプレン9「そうなんです。人口はアメリカの半分くらいで、土地はカリフォルニア州くらいしかありませんので。」
シェルドン9「地震はしょっちゅうあるんですか。」
チャプレン10「多分、ご想像ほどではないと思いますが・・・大きいのはそうしばしばではありません。」
シェルドン10「日本は石油が出ますか。」
チャプレン11「99パーセントは輸入してると思います。」
シェルドン11「では、製品にして輸出してるんですね。日本製品は非常にいいです。技術がいいんですね。私たちはオークの木を日本へ輸出しています。」
チャプレン12「そうなんですか。」
シェルドン12「私は果物が大好きです。キーウィ、すいか、ぶどう・・・日本でもぶどうを作っているでしょう。この頃、ぶどうが高くなりました。私が子供の頃は、
1ポンドで15セント位でしたが、今は75セントから1ドルします。私は5年前にハワイに行きました。ハワイへ行ったことがありますか。」
チャプレン13「はい。」
シェルドン13「すばらしいところです。とてもきれいで・・・果物もいっぱいあって。ハワイは日本に近いんですか。」
チャプレン14「そうですね。丁度本土との中間くらいです。」
シェルドン14「沖縄は日本人に返還されたんですか。」
チャプレン15「はい、返還されました。」
シェルドン15「沖縄は大きな島なんですか。」
チャプレン16「いいえ、小さくて、本土からはかなり遠いんですよ。」
シェルドン16「そうですか。以前、一度、日本人が息子の家にホームステイしたことがあるんですよ。それ以来、何も連絡はないようで、どうしたのか知りませんが・・・
あなたのご家族は?」
チャプレン17「私の両親のことですか?」
シェルドン17「そうだ、あなたはカトリックの神父だから、結婚していないのだ。私はバプチスト派の信者です。バプチストには、保守派とリベラル派がいて、
私が行っている教会はリベラル派の教会です。私たちは誰でも歓迎します。カトリックでも、メソジストでも、長老派でも・・・私は争いは嫌いです。
私は平和主義者です。あなたが患者を訪問するとき何か特別なことをしますか。」
チャプレン18「いいえ。普通、こうして患者さんのお話を聴いたり、話したりしています。」
シェルドン18「文化の違う人の話を聞くのはいいもんです。(外を見て)曇ってきましたね。今、雨がいるんです。」
チャプレン19「そうですね。ではそろそろ失礼します。どうもありがとうございました、シェルドンさん。またお邪魔します。」
シェルドン19「どうもありがとう。」(握手)
<評価>
@患者
イ)身体的:シェルドンは中肉中背の男性で、病院のガウンを着ているが、身体はほとんどシーツで覆われている。グレーの髪の毛を短く切っており、顔の右側に大きな内出血の痕がある。右手もかなり内出血している。歯はほとんど抜けてしまっている。そのためときどき聞き取りにくいときがあったが、声は大きい。
ロ)精神的:シェルドンは、最初から、非常にオープンで親しそうに話してくれた。笑顔が非常に印象的であった。18年前に亡くなった妻を今でも非常に懐かしがっている。
ハ)社会的:彼は一人暮しであるが、息子と孫も同じ村に住んでいる。自分の村が好きで、誇りを持っている。
ニ)宗教的:彼はバプチストである。教会との関係は非常によさそうである。彼はリベラル派で、その立場で非常に満足している。自分の教会が誰でも歓迎するのを誇りに思っている。
Aチャプレン
私が日本人だとわかると、シェルドンは、戦争の話を始めた。それは、私の予想通りだったので、私は非常に冷静に聴くことができた。その話題は、私にとって、あまり歓迎するものではないが、この頃はだいぶん慣れてきていた。シェルドンの人なつっこさも手伝って、この訪問は非常に楽しいものであった。
B応対
このケースは、話の弾む患者の典型的なものである。シェルドンは寂しいので、訪問者を歓迎し、よく話すのだと思う。彼は、次から次へと話題を見つけて、話が途切れないようにしていた。シェルドンは、私に興味のある話題を提供しようと意識していたようである。だから、私の役目は、シェルドンの話によく耳を傾けることであった。彼はまだ一人暮しをしていたが、遅かれ早かれ、それは無理になるであろう。そうなれば、彼が大好きな自分の家を出なければならなくなるであろう。ゆえに、チャプレンとしての私の役目は、そのような将来に対してそろそろ準備をするように持って行くことであろう。今までは、非常に楽しく、喜びを持って毎日を過ごしていたようであるが、将来、どこに行ってもそのような過ごし方をしてほしい。今回は、最初の訪問で、そこまでいけなかったが、これから何回も訪問できそうなので、そのあたりを目指してみたい。
C自分への結論
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心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。 平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイ 5:3,4,9) |
シェルドンは、「心の貧しい人」、すなわち、聖書で言われている子どものような人に見えた;「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(マタイ 18:4)
シェルドンは、18年前に亡くなった妻のことで、まだ嘆き悲しんでいる。亡くなった妻のことについて話したときだけ、彼は悲しそうな顔をした。この点で、もっと彼と気持ちを分かち合いたかった。それは、彼が本当の慰めを感じるために必要なはずであるから。
シェルドンは平和を実現する人になることを望んでいる。彼は、私の訪問中、平和主義者という言葉を2回使用した。彼は本当に平和を望んでいる。彼が自分の村が好きなのはそのためであると思われる。そこはきっとのどかで、争いもなく、平和なところなのだろう。このように、シェルドンはすでに天の国のすばらしさを味わっているようである。彼にそのすばらしさを意識してもらいたい。
この章は、アメリカにおけるチャプレンの養成コースについて、もっと具体的に詳しく知りたいという読者のために書かれている。そこまで興味はないという読者でも、チャプレンにとっての基本的な知識を得ようと思えば、以下の「必須読書」の紹介部分( 頁〜 頁)に目を通すことを勧める。
チャプレンの養成コースである CPE(Clinical Pastoral Education)には、全米の協会 ACPE(Association for Clinical Pastoral
Education)があるが、最終的資格の認可に関しては、それぞれブロック別に行われている。また、その養成コースも、資格のあるスーパーバイザーのもとに、それぞれの病院で行われるので、必ずしも全米均一ではない。むしろ、それぞれの病院で、ある程度の特徴があるので、受講者はそれを見て選べばよい。ただし、その数があまりにも多いため、実際にそこで受講した人の経験を聴かない限り、それぞれの特徴はつかめそうにない。おおまかな点は全てのCPEのコースに共通であろうが、具体的な点ではかなり異なっている可能性がある。というわけで、ここでは、私自身が受講したコースについてのみ書くことになる。それは単に一つの例に過ぎないかも知れないが、その例を知ることによって、CPEのコースというものがどのようなものであるかということを、ある程度具体的に知ることができるであろう。
現在CPEのコースをもっている病院は全米で約500あり、1ユニット11週のコースを4ユニットとると一応修了ということになっている。こうして資格を得た者が病院で実際に「専任職員」として働く。70年代の初め頃のアメリカでは、まだこのようなチャプレンは病院内で確固とした地位を得ていなかったようであるが、今ではこのようなチャプレンが各病院に、ベッド数約60につき一人の割合で配置されるようになってきている。
私は、全米の500ほどのコースの中から、結局、以前からなじみのある中西部に的を絞り、カトリックのシスターが経営している病院を選んだ。ウイスコンシン州のラクロスという、人口約5万人ほどの町にある病院で、ベッド数は約350、渡り廊下でつながっている老人ホームは約100床、そのうえ、在宅看護のホスピスも担当している。
この病院の専任のチャプレンは7名(神父1、牧師1、シスター4、婦人信徒1)であった。チャプレンの仕事は一日24時間、週7日の休みなしであるが、原則として午前8時より午後4時まで勤務、夜と週末は当番制であった。週末の当番は必ずCPEの実習生の担当で、このときは一人で全病院を担当しているようなものであるから、大変であると同時にすばらしい体験もできた。チャプレンはそれぞれがポケット・ベルを持っており必要に応じて呼び出される。この病院では、特別な呼び出しのないときはまず自分の担当する階の新しい入院患者を全員訪問し、それ以後は以前から入院している患者を適当に訪問して回る。こうして患者を訪問している中にパストラル・ケアを本当に必要としている人々に出会うのであるが、やはりポケット・ベルで特別に呼び出されたときに特殊な経験をする場合が多い。
CPEのコースは、1ユニット11週で、4ユニットとると修了ということになっているが、必ずしも続けてとる必要はない。ユニットとユニットの間に何年開いても構わない。私が受講した4ユニットの間、受講者は常時7〜8人で、内訳は、神父=1、牧師=1、神学生=0〜1、シスター=3〜4、主婦=1〜3であった。スーパーバイザーはベテランのシスターで、コファシリテーターは、メソジストの牧師であった。
CPEのスケジュールは、火曜日、水曜日、木曜日が通常のスケジュールで、金曜日から月曜日の4日のうち2日が休みで、2日が勤務である。
通常のスケジュールの時の時間割は、午前8時にCPEの受講者だけの朝の祈り(誰かが当番で準備しておく)で始まり、講義、グループ・ミーティング、病人訪問記録の分かち合いなどが午前中になされ、午後にはそれぞれ担当の場所の病人を訪問する。そして、午後3時15分からのミサで一緒に祈って解散する。このミサはテレビで各病室に流されている。
週末には、授業はなく、当番の者がチャプレンとして勤務する。特に、土曜日、日曜日は必ずCPEの実習生が当番になる。「朝からの部」と「午後からの部」に別れているが、それぞれ1名のみで責任をもたされる。朝からの部は午前7時から午後3時まで、午後からの部は午後1時から翌朝8時まで責任を持つ。午後の当番は、夜9時以降は休んでいてもよいが、呼び出しがあればいつでも応えなければならない。
平日も毎日「朝からの部」と「午後からの部」にそれぞれ1名の当番が決まっており、当番のチャプレンは、チャプレンの緊急呼び出しの時などに応える。平日は、もっぱら専任のチャプレンがその当番に当たっている。
<チャプレンの日課>
まず、正規のチャプレンの日課で、平日の午後や週末などにはCPEの実習生も行なうことになる共通の日課について述べよう。
「朝からの部」の当番の役目
日曜日以外は、手術があるので、まず、その日に手術を受ける予定者全員を手術前に訪ねる。手術は、通常午前7時半頃から始まるので、この仕事は7時前からスタートする。だいたい、毎日15名前後が対象者となる。
その間に、時間を見つけて、聖体授与者を各階別に決めて名前を書いたリストを所定のところに貼る。それらの聖体授与者は、当日勤務についているチャプレン(実習生も含む)および、その日に指定されている聖体授与のボランティアの人々の中から選ぶ。
午前8時頃、院内放送のマイクを通じて「朝の祈り」を唱える。
その後、新しく入院した患者を可能な限り訪問する。残れば、午後の部の当番に任せる。平日の場合は、各階担当のチャプレンも働いているのでその人々に任せる。ICU(集中治療室)の患者を、午前中に1、2回訪問する。またいつでも、院内にコード99(緊急指令)が発せられると、当番のチャプレンは応えなければならない。
2時45分頃、午後の部の当番と引き継ぎをして、3時に義務から解放される。
「午後の部」の当番の役目
午前の部の当番が残した、聖体授与、当日の入院患者の訪問を引き継ぐ。午後に新しく入院した患者をできるだけ全員訪問する。3時15分に始まるミサの準備をする。その間、常にコード99(緊急指令)に応える。翌日手術を受けるために入院してきた人々を訪ねる。
午後7時半頃、新しく入院した患者の聖体拝領の希望の有無を書き込んだリストを受付へ持って行く。午後9時頃、「夕の祈り」を院内放送のマイクを通じて唱える。それ以後は、どこで休んでいるかを交換室に連絡して、緊急呼び出しに備えておく。
病人訪問
この病院の方針は、入院患者は24時間以内にチャプレンの訪問を必ず受けるというものなので、チャプレンはその人々を優先する。最初に訪問したとき、カトリック信者には、入院中聖体拝領を希望するかどうかを尋ね、プロテスタントの信者には、自分の教会の牧師に連絡をとってほしいか否かを尋ねる。
その日の新しい入院患者を全員訪ね終わったら、以前から入院している患者を適当に訪問する。患者に関する資料が見たいときは、チャプレンは、看護婦の詰所にある患者の診療録を自由に見ることができる。その代わり、緊急指令で呼ばれたときはもちろん、それ以外の時でも、患者に関して何か顕著なことがあれば報告書に記入する義務がある。もちろん、患者の死を担当すれば、必ず報告書に記入するが、その時には臓器の提供の有無についても特別な書式に基づいて報告する義務がある。
ウィスコンシン州の法律では、病院で亡くなった場合、全員に、臓器を提供する意志があるかどうかを確認しなければならない。これはかなりデリケートな仕事なので、それをするのはチャプレンの役目となっている。患者の死後だいたい1時間以内で遺族は引き上げるので、その質問は死後30分頃にしなければならず、なかなかタイミングがむずかしい。また、臓器提供といっても、「目だけ」の場合と「全ての臓器」の場合とに分かれるのが通常である。ちなみに、私個人が扱ったケースでは、提供者は20パーセントで、提供する場合は「全ての臓器」を提供した。
知 的 訓 練
講 義
すでに前述したように、CPEのコースの中心は実践的なものである。訓練の主眼は、むしろ知的な要素をできるだけ使用しないで、相手の気持ちのレベルに立つようにというところにある。それでも、病院で働くチャプレンとして必要な知識を得るために、1年間でかなりの講義も受けた。それらを列挙してみると以下のようになる。「コミュニケーション論」「倫理学」「人間の発達」「エイズ」「知ることに関する女性学」「幼児の死」「霊性」「照会の仕方」「終末論」「老年」「聖書」「自殺」「アルコール依存症」「人間論」「教会法と結婚」「教会論」「精神病理学」「ストレス」「危機の調停」「怒り」「むずかしい患者」「死」「主張訓練」、その他、講演会やワークショップにも何度か出席する機会があった。
毎週の提出物
毎週、または、ユニット単位で出す提出物もかなりある。これもどちらかといえば知的訓練の部類である。
まず、毎週提出するものとして、「週間自己評価」と共に、最初の3週間は「ジャーナル」と呼ばれるもの、その後は、「対話形式レポート」または「患者訪問記録」がある。「対話形式レポート」および「患者訪問記録」は、第2章で具体的に取り上げたので説明は不要であるが、「ジャーナル」および「週間自己評価」について簡単に説明しておこう。
「ジャーナル」と呼ばれるものは、チャプレン養成コースの初心者が患者を訪問したときに書くレポートである。まず、訪問した患者の中から次の二つのケースを選ぶ:
1)その日に訪問した患者の中で最もうまくいったと思うケース
2)その日に訪問した患者の中で最もよくなかった訪問と思うケース
そして、上記の二つのケースについて:
イ)患者に関するデータ
ロ)「心のケア」という観点から何をしたか(しようと試みたか)
ハ)訪問中の「自分の気持ち」はどのようであったか
ということについてレポートするのである。
「週間自己評価」は、次の7項目のうちより5項目を取り上げて書くことになっている。1)自分との関係、2)同僚との関係、3)スタッフとの関係、4)スーパーバイザーとの関係、5)CPEプログラムとの関係、6)患者との関係、7)今週の出来事について。
この、「週間自己評価」および、「ジャーナル」、「対話形式レポート」または「患者訪問記録」を毎週月曜日の午前8時までに提出する。「週間自己評価」は、毎週1回あるスーパーバイザーとの個人面談の時のよい材料となる。「対話形式レポート」または「患者訪問記録」はグループでの話合いのとき、自分が当番になると、どれかを選んでコピーを全員に配り、話合いの材料として提供する。
ユニット単位の提出物
ユニット単位で提出するものとして、まず、「書評」がある。ユニット毎に3冊づつの書評が求められる。
第1ユニットでは、Gerald R. Niklas & Charlotte
Stefanics の Ministry to the Sick (Alba
House, New York, 1982) と Niklas の The Making of
a Pastoral Person (Alba House, New York, 1981) が指定図書で、3冊目は、推薦図書はあるものの、自分の好きな本を選んでもよい。私は、CPEの初期の状態について知りたいと思いRobert
D. Wheelock の Health Care Ministries - A guide
to organization, management, evaluation - (The Catholic Hospital
Association, St. Louis, 1975) を選んだ。CPE理解の助けとなると思われるので、上記の本の内容を簡単に紹介する。
<Ministry
to the Sick (病人への応対)の紹介>
(第1章:入院患者の情緒的ニーズへの応対)・・・入院した患者の反応をよりよく理解するために、現代の病院は「大きなビジネス」になってしまっており、それがいろいろな問題を引き起こしているということを認識しなければならない。また、入院患者の3つの特別な気持ちを認識する必要がある。それらは、「不安」「疎外感」「恐れ」である。現代の病院においては、以前にもましてパストラル・ケアを担当する人々の役割は重要なものとなっている。彼らに求められていることは言葉による奉仕ではなく、耳による奉仕である。
(第2章:祈りを通じての応対)・・・祈りによって、パストラル・ケアをする人は患者を神に近づけるのである。そのためには、神と病人の双方をよく知っていなければならない。患者が希望するときはいつでも祈るべきであり、通常の会話の中にもそのような要素が含まれているのが望ましい。祈りをするときには次の4点に気を付けること:1)祈りを始める前に少し沈黙の時をとる、2)祈りは短く、3)患者の名前を祈りの中にいれる、4)祈りの中に、患者のニーズや望みをいれる。
(第3章:秘跡を通じての応対)・・・秘跡は、行動、すなわち主に出会うことである。それは、魂のためだけのものではなく全人間のためのものである。機械的、魔術的な概念を除き、本当に神と出会う場にすべきである。
(第4章:産婦人科の患者に対する応対)・・・むずかしい問題を抱えている患者に対しては、本人が判断し易い雰囲気をつくるべき。パストラル・ケアをする人は患者の気持ちを重要視し、神を、罰を与える方としてではなく、愛してくれている方として見ることができるように配慮すべきである。
(第5章:手足の切断や外見の変形で苦しんでいる患者に対する応対)・・・これらの患者が、自分たちの苦しさを表現できるように助けること。パストラル・ケアをする人は彼らの強さの源になるべきである。
(第6章:集中治療室にいる患者に対する応対)・・・患者が死に対する恐れや不安の気持ちを表現できるように、また、患者のことを気にかけ、心配している人がいるということに気が付くように配慮する。そのような患者の家族に対しては、彼らの不安な気持ちを和らげるように配慮する。
(第7章:老年の患者に対する応対)・・・老人も、一人の人間として、精神的、社会的、霊的ニーズがあるということを忘れてはならない。
(第8章:末期患者に対する応対)・・・患者のニーズに合わすため、それが現れるまで待つ必要がある。パストラル・ケアをする人は患者や家族が自分たちの気持ちや感情を表現するように助け、神に対する怒りなども決して咎めてはいけない。患者の最も望んでいることが何であるかを把握するように努める。死に直面している患者に対する応対のポイントは、死ぬことにも何か意味が見いだせるように助けることである。家族に対しては、医師が試みている医学的処置の限界や目的を正しく理解させるように助ける。
(第9章:死の直後の遺族への応対)・・・パストラル・ケアをする人は遺族がその死を受け入れることができるようになるまで、しばしば、しばらく待つ必要がある。患者を死なせてしまったことに対する責任感や罪悪感を取り除く。嘆きの気持ちを表現させ、神に対する怒りの気持ちがあればそれも遠慮なく出させる。
病人の種類に関係なく、全体を通じて主張されている共通点は次の4点である。1)パストラル・ケアをする人は一人の人間として「よい人」、すなわち、神とよい関係にある人、でなければならない。2)パストラル・ケアをする人は常に患者の「気持ち」と「感情」を理解しなければならない。3)パストラル・ケアをする人は患者を生身の弱い人間として、正しく受け入れなければならない。4)パストラル・ケアをする人が、本当に患者のために何かしようと思えば、患者の家族のためにも何かをしなければならない。
<The Making
of a Pastoral Person (パストラル・ケアをする人の養成)の紹介>
これは、Gerald Niklas がCPEのスーパーバイザーとしての経験より、パストラル・ケアをする人はいかにあるべきかということについて書いたものである。
最初の3章は、パストラル・ケアをする人について一般的に述べている。著者は、経験から、CPEの学生をいろいろな種類に分けている。ある人は、まるで「医学生」のようであり、ある人は「問題解決マン」、ある人は「チアーリーダー」、ある人は「祈り屋さん」であるという。いずれにしても、パストラル・ケアをする人は、自分がどのような人間であるかということを的確に把握することが大切であるという。それは、他人(患者)をどのような人であるか正しく把握するためである。
この本が最も力をいれているポイントは「気持ち」についてである。著者は、気持ちを意識的に把握することの大切さを強調している。それは、基本的な5つの気持ち、すなわち、「怒り」「恐れ」「苦痛」「信頼心」「愛」を心理学的観点から吟味すれば明らかだと言う。そして彼は次のように結論付ける。「私たちが他人に対して、自分の怒り、恐れ、苦痛、信頼心を表明するとき、その人を愛する可能性が出てくる。その人と同じ立場になり、どのように感じているかをお互いに表明し、その気持ちをオープンに分かち合うことができれば、お互いの距離が近くなったことを実感できる。このように、愛は、全ての気持ちの集大成なのである。」(39頁)
毎日の生活で、人と人の関係は非常に大切なものである。著者は、最もすばらしい人間関係を得るためには、お互いの「気持ち」を分かち合わなければならないと強調する。なぜなら、私たちがお互いの気持ちを分かち合うとき、理念や知的判断を越え、その人生の一大事に関して気持ちのレベルで二人が一致することによって、二人の人間関係が特別なものとなるからである。
私たちの持っているいろいろな情感の中、著者は第6章で特に「怒り」の気持ちを取り上げている。なぜ「怒り」だけを特別に取り上げているかというと、怒りというものは、それ自体罪であると考えている人々もおり、少なくとも怒りの気持ちを表に出さないように努力すべきだと考えている人々がかなりいるからである。著者は、「怒り」の気持ちを表現することがいかに大切かということと、なぜそれが大切かということを説明している。(この点については、本書で後ほど詳しく述べる。)
<Health
Care Ministries (病院でのパストラル・ケア)の紹介>
これは、病院におけるパストラル・ケア運動が盛んになり始めた頃に出版された本である。これは、CPEの生徒のための本ではなく、病院におけるパストラル・ケアについて、病院の管理者用に書かれたガイドブックである。ゆえに、主に、病院内に設置されたパストラル・ケアの事務所の組織およびその評価について書いてある。さらに、実際に病院内にパストラル・ケアの事務所を開設するときに参考になるいろいろな具体的な例が挙げてある:組織図(10頁)、自己点検表(16-20頁)、パストラル・ケア・サービス・ノート(24頁)、患者用質問用紙(25-34頁)、パストラル・ケアに関する質問用紙(35-40頁)、週間統計レポート(65-66頁)、事務所用書式例(70-73頁)、訓練用プログラム(81-103頁)、同意書(105-107頁)等。
この本は今となっては古すぎるかも知れないが、当時は大いに役に立ったであろう。また、現在でも、アメリカにおけるパストラル・ケアの発展について勉強するのには貴重な資料である。
第2ユニットでは、John B. Cobb の Theology and Pastoral Care (Fortress Press,
Philadelphia, 1977) と Kevin D. O'Rourke & Dennis Brodeur の Medical Ethics : Common Ground for Understanding,
Volum 2, (The Catholic Health Association of the United States, St. Louis,
1989) が指定図書で、3冊目は自由である。そこで、3冊目として、Harold S. Kushner の When Bad Things Happen To Good People (Avon Books, New York, 1981)を選んだ。以下、これらの本を簡単に紹介する。
<Theology
and Pastoral Care (神学とパストラル・ケア)の紹介>
タイトルが示しているように、著者は、「神学」と「パストラル・ケア」の関係を書こうとしている。まず、パストラル・ケアをする人を単なるカウンセラーと比較する。「あるカウンセラーが絶望するようなケースでも、パストラル・ケアをする人は希望を持つことができるであろう。」(3頁)「入院患者を訪問することによって、パストラル・ケアをする人は自分の特別な役割を効果的に実行できる。パストラル・ケアをする人は、援助を必要としている人々に対して、このようにしてイニシアティブをとることができるが、カウンセラーは、最初は、相手が訪ねて来るのを待つしかない。」(7頁)
次に、著者は、クリスチャンの大切な目標として、魂の健康の必要性を強調し、魂に中心を置いた全人間の完成をクリスチャンの最終目標とする。さらに、その完成は健康と救いにあると主張する。このように、著者は、救いと健康、魂に中心を置いた全人間および、身体に中心を置いた全人間を考察することによって、神学をパストラル・ケアと関係付けようと試みている。そのために、魂について、感情、意志、理性等との関係で言及し、最後に、神とパストラル・ケアの関係に言及するが、この本は全体的に非常に難解である。
<Medical
Ethics (医学倫理)の紹介>
これは、非常によくできた、有益な医学倫理書である。著者は、二人ともカトリックの司祭で、そのため、時々カトリック教会の教えに言及するが、本書は、全体を通して、非常に科学的かつ理性的に書かれている。ゆえに、本書は、医療機関の専門家や管理者のためだけでなく、医学倫理に関して、具体的な回答やヒントを求めている全ての人々にとって有益なものである。
本書は3部から成っている。第1部は、多様な社会における医学倫理の概念の吟味を行っている。特に、第4章の「医学倫理の決定者は誰か」が興味深い。著者は、「法律や裁判所の決定は倫理に基づいて行われるべきであって、逆であってはならない。」(17頁)と主張する。しかし、現実には、多くのケースで、医師がある種の手術を行なっても問題がないのは、法律や裁判所がそれを認めているからであり、法律や裁判所が認めていないことはできないのである。著者は、医師が、倫理学者や哲学者と一緒になって、医学倫理の規範を決めるべきであると主張する(18頁)。そうでなければ、医学に関しても倫理に関しても専門家ではない立法者や裁判所が、医師のために医学倫理の規範を決めるという習慣が、今後も続けられてしまうからである。
第2部は、医学倫理のいくつかの一般原則について取り扱っている。その中では、特に、15章の「点滴による栄養摂取に関するAMA(American Medical Association)の決定:倫理的分析」が興味深い。そこでは、いわゆる「延命装置」の倫理、すなわち、人工呼吸器や点滴による延命の是非について述べている。著者は「延命の努力の効果が望めないか、生命の目的を考えたとき意味がないような結果しか期待できないならば、生命を引き延ばす倫理的義務はもはや存在しない。」(106頁)と主張する。「役に立たない治療」を「生命の目的」との関係で述べている点は注目に値する。
第3部は、全て具体的なケースを取り上げているので非常に興味深い。その中でも、特にエイズに関する3つの章(22章ー24章)は、私たちが今すぐにでも解決しなければならない重要な点を指摘している。また、Advance Directives (生前の意志表示)に関する28章、特に、「治療方法決定代理人」に関するところも時期を得たテーマである。
<When Bad
Things Happen To Good People (悪いことが善人に起こったとき)の紹介>
ラビ(ユダヤ教の指導者)である著者は、自分の息子が早老症であると知らされたとき、「なぜ悪いことが善人に起こるのか。」という質問について考え始めた。著者が神を万物の創造主として信じているということを除けば、本書は哲学的に、すなわち、理性に基づいて知的に書かれている。
まず始めに、苦しみの意味を説明している伝統的な考えを紹介している。それらは、「罰」だという考え(9頁)、「美しいタペストリーの裏側」だという考え(17頁)、「教育的な意味がある」という考え(19頁)、等である。その後、著者は、それぞれの説の弱点を示す。そして、最後に、「それらの説は、全て、神がその苦しみを引き起こしているという考えに基づいており、なぜ神は私たちが苦しむことを望まれるのかということを説明しようと試みている。」(29頁)と指摘する。そして、読者に全く別のアプローチを考えてみるように勧める。「神がその苦しみを引き起こしているのではないのではないか。」(29頁)と。
「なぜ悪いことが善人に起こるのか。」という質問に対する著者の答えは、「自然の法則」というものである(第4章)。自然の法則は誰にでも同じように働く。善人と言えども例外はない。自然の法則に従って、悪いことが善人に起こっているのであり、神が起こしているのでもなければ、それを神はとめることさえできないと主張する。
この考えに基づいて、著者は、悪いことが善人に起こっても、神に対して怒る必要はないと説明する。そして、本当の質問は、「なぜそれが起こったのか。」ではなく、「その起こったことに対して、今、何をしようか。」であるべきだと言う。
以上のような考え方であるにもかかわらず、著者は、神は無力ではなく、私たちの祈りにはまだ意味があるということを説明する。まず大切なのは「何を」神に願うかということであり、著者は、例として、「力、忍耐、希望、霊的資源の刷新」などをあげている(第7章)。そして、最愛の息子を14才で亡くした著者は、最後に、「許すことができ、愛することができるということは、この不完全な世の中で、充分に、勇敢に、そして、有益に生きることができるようにと、神が私たちに与えて下さった武器である。」(148頁)と言う。(本書は、日野原重明・斎藤武により『ふたたび勇気をいだいて ー 悲嘆からの出発』と題して1985年にダイヤモンド社より邦訳出版されたがすでに絶版となっている。)
第3ユニットになると、指定図書はなくなる。とりあえず、CPEに役に立つ本を3冊選べばよいのである。自分の希望により、私はこのユニットで、ICU(集中治療室)とホスピスを担当することになっていたので、重症患者への応対に役に立つと思われる次の三冊を選んだ。1) Gerald J. Calhoun, Pastoral
Companionship : Ministry with Seriously Ill Persons and Their Families,
(Paulist Press, New York, 1986). 2) Elisabeth Kubler-Ross, On Death and Dying, (Macmillan Publishing, New York, 1969). 3) Glen
W. Davidson, Living with Dying : A Guide for
Relatives & Friends, (Augsburg, Minneapolis, 1990). 2番目の本は、日本でも『死ぬ瞬間』というタイトルで出版された有名な本(キューブラー・ロス著/川口正吉訳
『死ぬ瞬間 : 死にゆく人々との対話』、読売新聞社、1971年)である。今回、病院で実際に「死ぬ瞬間」に出会っている状態で、もう一度この本を読んでみたくなって取り上げたが、ここでの紹介は省略する。
<Pastoral
Companionship (友としてのパストラル・パーソン)の紹介>
著者は、「重症患者への応対」を「主の名における信仰の友」と定義する。第1部では、その定義を、「主の名における」「信仰の」「友」の3つに分けて説明する。
「主の名における」に関して、二つの点から考察している:1)自分の名においての応対、2)主の名においての応対。
「信仰の」に関しては、信仰を6つの観点から取り上げている:1)パストラル・ケアとの関係における信仰、2)信仰の本質、3)信仰の歩み、4)信仰の意味、5)希望の再発見、6)共同体における信仰。
「友」に関しては、このような「友」となるための重要な要素を5つあげている:1)その人全体について深い関心を示すこと、2)病人とその家族が、自分たちの時間割とペースでことが運べるようにしておくこと、3)心を込めて相手の話を聴くこと、4)重症患者が嘆き悲しむのを助けること、5)重症患者が、その時をできる限り精いっぱい生きることができるように励ますこと。
第2部では、重症患者とその家族が直面する主な点を3つ取り上げている:1)重症患者が祈るのを助けること、2)重大な決断を迫られている人を支えること、3)死んでいく人のそばにいること。
第3部では、できるだけ最善のパストラル・ケアを、重症の患者とその家族に提供するために、「重症患者のために正義を追求する必要性」や「一般の人々にパストラル・ケアのトレーニングをする必要性」等、パストラル・パーソンのために必要ないくつかの点をあげている。
この本は、全て、重症患者やその家族との実際の経験を基にして書かれている。
<Living
with Dying (死にゆく人々と共に生きる)の紹介>
著者は、シカゴ大学で、キューブラー・ロスを含む4人のチームで、最初に死にゆく患者について研究したときのメンバーの一人である。本書は、600人を越える末期患者、その家族や友人、および、それらの人々のために働いていた病院関係者たちとのインタビューに基づいて書かれている。ゆえに、著者が、実際に経験したケースを利用しながら非常に具体的に書かれている。そして、私たちがそのようなケースに直面したときに役に立つ具体的な勧めが示されている。本書は、分かりやすく、役に立つ本である。
著者は、「死ぬこと」という言葉の意味を吟味することによって、この本のテーマに迫っていく。そして、「死ぬこと」の定義は、結局、私たちが「いのち」から何を期待しているかによって異なるという。いろいろな考察の後、「いのち」を贈物として捉えてみるように勧め、もしそうなら、「死ぬこと」はその贈物の一部であるといえると説明する。著者は、「死ぬこと」の5つの意味を示し、一つ一つを説明する。その5つとは、「喪失」「変化」「戦い」「苦しみ」「勝利」である。
この本は、死にゆく人々やその家族および友人が悲しみをうまく表現できるように助けるには、どうすればよいかということを教えてくれる。この本には、実際に役に立つ多くの示唆が与えられている。
もちろん第4ユニットの必須読書も自分で好きな本を選んでよい。本書の第2部で触れたように、「怒り」や「憎しみ」などの気持ちをうまく表現することが、CPEのコースでは非常に重要視されたので、このユニットの読書として、以下の2冊を選んだ。 1) Pierre Wolff, May I Hate God?,
(Paulist Press, New York, 1979). 2)Norman Rohrer & S. Philip Sutherland, Facing Anger, (Augsburg Publishing House,
Minneapolis, 1981). そして、コース最後の必須読書として、沼野尚美の『信仰の道』(1990年、自費出版)を選んだ。
<May I Hate
God? (神を憎んでもよろしいか)の紹介>
タイトルが示しているように、著者は、苦しみや怒りの結果としての「憎しみ」に焦点を当てている。この本は8章から成っている。1章では、他人との関係、特に苦しんでいる人々との人間関係の大切さが強調されている。2章では、「憎しみ」というものが人間関係の中でも非常に強いものであるということが主張されている。3章では、憎しみの感情をオープンに表現することの必要性が説明されている。4章では、完全な義人であった旧約聖書のヨブが神に対して何をしたかを思い出させ、私たち、不完全で弱い人間が、神に対して憎しみの気持ちを持ったからといって罪悪感を持つ必要はないということを説明する。著者は、われわれが、憎しみの気持ちも含めて、心の中にあること全てを天の父に言うことができるほど彼を愛しているかどうか吟味してみよと迫ってくる。
5章では、キリストさえも十字架の上で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか。」(マルコ 15:34)と叫んだということを例に挙げて、私たちに、自分の全ての「なぜ?」を神に向かってぶつけるように勧める。6章では、「私たちが持っているものはすべて神のもの」ということを信じているのなら、感情も含めて、自分の全てを神に捧げるべきであると言う。7章では、私たちの神への最高の贈物は、「私たちが最高の贈物だと思うもの」ではなく、私たちの「苦痛・傷」などが神にとって最高の贈物となるのだということを説明する。そう言えるのは、私たちが不完全で罪深いものだからであると言う。そして、最後の章では、人が自分の嫌な感情を表現できるようになったとき、その相手に対して「すでに」大きな愛の気持ちを持っているはずであると説明する。
<Facing
Anger (怒りに直面する)の紹介>
本書の著者は、ジャーナリストと心理学者の二人である。この本は3部に分かれている:1)怒りの理解(1章ー3章)、2)怒りの原因(4章ー7章)、3)怒りの対処(8章ー9章)。
怒りを理解するために、まず1章は、「怒りとは何か」という質問で始まる。そして、次のように答える。「怒りは感情の一種である。それは願望や望みがかなえられないときに起こる。」次に、怒りの原因となる種々の願望を取り上げる:権力への願望、独立への願望、重要視されたいという願望、完全への願望。(これらの4つの怒りの原因については第2部で詳しく述べられている。)
第2章では、「人々は怒りというものを否定したかったので、怒りに関する多くの神話が登場した。」と述べ、怒りに関する6つの神話について説明する。第3章では、「怒りというものは非常に複雑な応答である。それは、ある状況に対するその人の個人的な反応であって、他者によって自動的に起こされるものではない。」ということを強調している。怒りというものは、状況そのものによって作り出されるものではなく、その状況に対するその人の解釈によって作り出されるものであるということが繰り返し説明される。この意味で、「怒りは常に一つの選択である。」という。
第8章「他人の怒りをどのように扱えばよいか」では、怒りを持って行動している人の怒りを取り除くのに役に立つ8つの一般原則が示されている:1)怒りの原因を突き止める、2)怒っている人の感情に巻き込まれないようにする、3)自分に対する非難を認めない、4)その怒りと引き換えに何を手にいれようとしているか見極める、5)文句のごみ箱になることを引き受けない、6)怒っている人の幻想を増大させない、7)どの様な種類の怒りか見極める、8)他のことも総合的にみることができるように助ける。
最後の章「あなた自身の中の怒りをどのように扱えばよいか」では、怒りを総合的に扱うことを勧める。すなわち、怒りを自分の性格の他の面と組み合わせるように勧めている。そして、これこそ怒りを扱うもっとも健全な方法であると言い、怒りが自分の他の性格と合成されれば、怒りも、人間であるための大切な価値あるものであるということが分かるはずであると結論づけている。
<『信仰の道』の紹介>
この本の副題は「淀川キリスト教病院での恵み」となっている。著者は、1990年に退職するまで、同病院で8年余りチャプレンとして勤め、1984年に病院内にホスピスが開設されてからは、同ホスピスでもチャプレンとして働いていた。本書は3部から成っている:1)信仰の道、2)思い出の患者さん、3)病床伝道の心得。
第1部では、どうしてプロテスタントのチャプレンからカトリックになったかを説明している。第2部では、一般病棟で出会った人々の中から3人、ホスピスで出会った人々の中から5人を選んで紹介している。
第3部では、自分の経験から、パストラル・ケアにとって大切な点をいろいろとあげている:イ)病床伝道の盲点、ロ)病める方と共に歩む、ハ)訪問のあり方、ニ)臨死患者と共に歩む、ホ)お見舞い品、ヘ)クリスチャンであるがゆえの苦しみ、ト)励ましの言葉、チ)家族への配慮、リ)病める方の牧会者への期待、ヌ)病める方の望み。この第3部は、パストラル・ケアに関する、貴重な日本語のテキストである。
第2ユニットからは、各ユニットに一つづつ、ケース・スタディとして、何かテーマを選んで研究レポートを提出しなければならない。第2ユニットでは、丁度アメリカで「患者の自己決定法」が施行された時に当たったので、それとの関係が非常に深い「治療のための委任状」について勉強し、それをまとめて提出した。第3ユニットでは、自分が実習していた病院のいろいろな統計をとったものをまとめて提出した。第4ユニットでは、帰国後役に立つと思い、全米のカトリック医療施設のための指針である『カトリック医療施設のための倫理および宗教的指針』というものを、日本語に訳して提出した。(日本語の分からないスーパーバイザーは「良さそうに見える。」というコメントを書いてくれた。)
結構大仕事なのが、各ユニット毎にある「中間評価」と「期末評価」である。
「中間評価」は各ユニットの丁度中頃に書くのであるが、それは以下の項目に従って書くことになっている。
1)チャプレンとして持っている自分の素質
2)自分についての特別な発見
3)グループの中で自分はどのように行動したか
4)スーパーバイザーとコファシリテーターとの関係
5)チャプレンとしての行動は自分の祈りの生活にどのように影響したか
6)患者との関係でどのように行動したか
7)将来どの方向へ成長して行きたいか(特に選びたい分野)
8)プログラムの評価:講師、先生、学習課題、グループ・ミーティング、祈り
9)自分の目標を設定し、現在の位置を確認する
10)現時点で、チャプレンの仕事を定義してみる
11)その定義によって自分の現在の仕事ぶりを評価する
12)同僚一人一人について以下の点を書く
イ)成長した点と変化した点
ロ)変化のために見られた本人の努力
ハ)自分が援助し、支えた点
ニ)彼らの今後進むべき方向
13)コメント
「期末評価」は各ユニットの終りに書く。これは以下の項目に従って書くことになっている。
1)自分の目標の評価
イ)目標をリストアップする
ロ)その目標は現在の自分にどのように反映しているか
ハ)その目標が必要であった理由
ニ)プログラムの中で、その目標達成のために役立った点
ホ)自分の成長ぶり
ヘ)次の目標
2)患者との関係(人数、年齢、性別、宗教、関係の質)
3)スタッフとの関係
4)同僚との関係(関係の変化、関係の善し悪し、今後の進歩に役立つ点)
5)スーパーバイザーおよびコファシリテータとの関係
6)自分の専門分野との関係
7)簡単なプログラム自体の評価
以上の「中間評価」および「期末評価」はそれぞれ全員分のコピーを準備しておき、当日自分の番がくると発表する。「中間評価」および「期末評価」のためには、全員車座になり、一人約2時間かかるので、2日を要する。一人につき2時間もかかるのは、これが
各人の「気持ち」を言葉で表現する訓練の場でもあるからである。
CPEの訓練の中心は、知的訓練ではなく、実践的訓練である。そして、教室で行われる実践的訓練の大部分は自分の「気持ち」を言葉で表現することである。そのために利用されるのが、「自己紹介」(1ユニット毎に、一人約2時間で計14、15時間)、「グループ・ミーティング」(1ユニット30時間)、「対話形式レポート」または「患者訪問記録」を使用したミーティング(1ユニット34時間)、そして、「中間評価」と「期末評価」(両方で1ユニット約30時間)である。それ以外の実践的訓練はもちろん実際の患者訪問である(1ユニット約250時間。さらに1ユニット中に数回の夜勤がある)。
最後に、アメリカのCPEのコースに関心がある読者のために、CPE協会の住所を記しておく。(CPEのコースを持っている病院やセンターのリストの載った "The ACPE
Directory" を発行している。)
Association for Clinical Pastoral
Education, Inc.
1549 Clairmont Road, Suite 103
Decatur, Georgia 30033
U.S.A.