生命倫理の諸問題におけるカトリックの特徴

(資 料)


松 本 信 愛
(1999.3.18)

 

 

1.人工的受胎について

 

*人工的受精(受胎)の妥当性は 「結婚観」「倫理観」「価値観」との関係で…

 

「一夫一婦制」の結婚観があれば「一夫多妻制」の結婚観もある。性的関係は結婚した夫婦間のみという倫理観があれば、そうとは限らない倫理観もある。人間は「霊と肉」からなるものだという価値観があれば「霊」を認めない価値観もある。それぞれの価値観、倫理観を背景にした「結婚観」より「人工的受精(受胎)」に対する判断がなされるはずである。

 

カトリック教会の「結婚観」およびそこから導き出される「人工的受精(受胎)」に関する教えは以下の通りである。

 

 (イ)生殖に関して

 

1.「真の結婚においてのみ、(性行為の)真の意義と道徳的正当さがある。」(p.10)
 <教理省『性倫理の諸問題に関する宣言』>


2.「男女が配偶者のみとの限られた固有の行為を通じて自分を互いに与え合う性は、決
して
生物学的なものではなく、まさに人間の最も深い存在そのものに関わるものである。」
(p.20)
<ヨハネ・パウロ2世『家庭』>


3.「夫婦行為のうちに共存する一致の意義と産児の意義との間には、神によって定めら
れ、
人間が勝手に切り離すことの許されない不可分なつながりが存在する」(n.12)
 
<パウロ6世『フマーネ・ヴィテ』>


4.「受胎が合法的に行われるのは、それが『子どもをもうけるために本来ふさわしい夫婦の営み』の結果であるときである…これに対して、夫婦の営みの結果として求められるのではないような生殖のあり方は、倫理的観点から見れば、本来の完全性を失ったものといわなければならない」(p.40) 
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

                    


5.「夫婦行為における二つの意味(一体化・生殖)の間のつながりと、結婚の二つの成果(愛の表現・親になること)の間のつながり、さらに、人間における肉体的なものと精神的なものの一体性、また生命のはじまりから備わっている人間の尊厳、これらの四つのことを考えれば、人間の誕生が、夫婦の間の愛の行為の実りとしてもたらされるべきであることが明らかとなる」(p.42) 
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

                    

 

 (ロ)非配偶者間の人工受胎

 

1.「子どもは、結婚している両親によって受胎され、この世に生まれ、育てられる権利を有する」(p.35)   
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

 

2.「非配偶者間の人工受胎は結婚の絆に反し、夫婦の尊厳に反し、親の持つ特別の使命に反する。さらに、それは、結婚によって結ばれた夫婦から自分が受胎され、生まれるという子どもの権利にも反する。…第三者の精液や卵子を用いることは、夫婦の絆の侵害であり結婚の本質的な特徴としての夫婦の一体性を損なうものである」(p.36) 
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


 

 (ハ)配偶者間の人工受胎

 

1.「配偶者間の体外受精は、非配偶者間のそれと比べればそれほど倫理的に否定的な面を持っているわけではない」(p.45)
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

 

2.「結婚の二つの成果と人間の尊厳に関する従来の教えに従って、教会は今も、配偶者間の体外受精に対して倫理的立場から反対する。このような受胎のあり方は、たとえ受精卵の死を避けるためにあらゆる注意が払われたとしても、その方法自体が不法であり夫婦の一体性と生殖の尊厳に反する」(p.45) 
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

 

3.「配偶者間の人工授精は認められない。ただし、その方法が夫婦の行為の代替としてではなく、夫婦行為の自然な目的の達成を助けるために用いられる場合には別である」 (p.46)
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


4.「その技術的手段が、夫婦の行為を肋けるかまたはその自然な目的を助けるためのものであれば、倫理的に認められるといえる。他方、その方法が夫婦行為を代替して行われるものならば、倫理的には認められない。」(p.47)
  
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>



 

2.受精卵について

 

*体外受精という新技術によって人々はあらためて受精卵について考えるようになった。

*「受精から?」「受胎から?」/「いつからperson?」

 

1.「卵子が受精したときから、両親とは別の生命体が成立することは、発生学と遺伝子学が示す通りである」(p.9)         
<日本司教団『生命、神のたまもの』>

 

2.「卵子が受精したときから(from the time that the ovum is fertilized)、父のものでも母のものでもない生命が始まる」(n.12)
<教理省『堕胎に関する教理省の宣言』>

 

3.「まさに受精の瞬間から(right from fertilization)、人間生命の冒険が始まるのであり、その各能力が配備され、活動することができるようになるまでには、時が、かなり長い時が必要である」(n.13)
<教理省『堕胎に関する教理省の宣言』>

 

4.「人間の生命は、その存在の最初の瞬間から(from the first moment of its existence)、すなわち接合子が形成された瞬間から、肉体と精神とからなる全体性を備えた一人の人間(human being)として、倫理的に無条件の尊重を要求する」(p.21)             
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


5.「人間(human being)は、その存在の最初の瞬間から(from the very  first instant of his existence)人間(person)として尊重されるべきである」(p.18)

<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


6.「体外受精で作られた受精卵は人間(human being)であり権利の主体である。彼らの

尊厳と生きる権利は、その存在の最初の瞬間から(from the first moment of their existence)尊重されるべきである」(p.27)    
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>

 

7.「無害な人間(human being)であればだれでもが『受胎のときから(from the moment of conception)死ぬまで』有している生きる権利は、不可侵である」(p.15)

<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


8.「全ての人間(human being)の生命は、受胎の瞬問から(from the moment of conception)絶対に尊重されるべきものである」(p.16)
         
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


9.「人間の生命(human life)は、受胎の瞬問から(from the moment of conception)絶対的に尊重され、守られるべきである」(p.19)
       
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


10.「人間(human being)は、受胎の瞬間から(from the moment of conception)人間(person)として尊重され、扱われるべきである」(p.21)     
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>


11.「そのどこかに線を引いて人格の有無を論ずるよりも、人格になりつつあると同時に、人格になるように方向づけられている生命体の生きる権利を認め、それを力説したいと思います」(p.9)
<日本司教団『生命、神のたまもの』>


 

3.胎内診断について

 

「受精卵や胎児を傷つけることなくその生命を尊重し、個人としてのその保護や治療のために行われるのであれば認められる」(p.22)           
<教理省『生命のはじまりに関する教書』>



 

4.遺伝子操作について

 

1.「人間の真の福祉のために生かされ……遺伝病の治療などに利用されることが望ましく、人間の尊厳が損なわれるような実験が無責任に行われることを避けねば成りません」(p.23)               <日本司教団『生命、神のたまもの』>

 

2.「治療行為ではなく、性の区別や、前もって決められるその他の特徴に基づいて人間を選別して出産することを目指す」遺伝子操作はきびしくとがめられている。(Cf.pp.29-30)                <教理省『生命のはじまりに関する教書』>


 

5.安楽死について

 

「安楽死」=「あらゆる身体的苦痛から救う目的でなされる、その本性からして、またはその行為者の意向によって、死を引き起こすような行為、あるいは不作為」(p.82)

<教理省『安楽死に関する宣言』>


→ 意図的に「死を引き起こす」もの。

 

→「どんな権威にも、合法的にこのような行為を勧めたり許したりすることは決して認められていない」(p.94)       
<教理省『安楽死に関する宣言』>

 


6.尊厳死について

 

1.「治療の方法が通常の手段の場合は行わなければならないが、通常の手段を越えた場合はそれを行う義務はない」  
<ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>

 

2.「全く希望のないケースでは、医師には、人工呼吸器を使用する権利はあるが義務はない」     <ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>

 

3.「人工呼吸器着装後数日経っても進歩がない場合、その装置を外してもよい」

<ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>


4.「死が近づき、しかもどんな手段を用いても、もはやこれを阻止することができないような状態になった場合、ただ、かぼそいあるいは苦しみに満ちた生命の維持でしかないような延命のための処置はやめてしまう決定をしても良心上何の問題もない」(p.164)
  
<教理省『安楽死に関する宣言』>


5.「そのような状態にある病人一般に普通与えられることになっている程度の措置だけは行わねばならない」(p.164)    
<教理省『安楽死に関する宣言』>

 

6.この「措置」とは、具体的には「栄養補給を含むあらゆる看護」を指しており、この「看護」とは「危険な状態にいる人々なら誰でも当然与えられる同情や愛情または精神的支え等、病人に対して行われるべき通常の援助」を意味している。    
<教皇庁科学アカデミー、1985年>


7.「もし、好ましい効果の期待できる処置がもはや他にありえないという状態に立ち至ったら、患者の同意を得た上でなら、最新の医療技術の生み出したばかりの手段を用いてみることも許される。それがまだ実験段階にあり、危険性もないわけではないというようなものであっても構わない」(p.149) 
<教理省『安楽死に関する宣言』>



7.死の判定

1.「個々のケースにおける死の実証に関しては、宗教や倫理の原理から答を導き出すことはできない。この意味でこれは教会が扱う問題ではない」

<ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>


2.「明確で厳密な死の定義を与えたり、意識不明の状態のまま死んでいく患者の死の判定をするのは、医師、特に麻酔医の務めである」

<ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>


3.これらの言葉にもかかわらず、同教皇は、一般的な考察から次のように信じることはできるであろうと言う:「人間の命は、(各器官の生命ではなく)人間としての生命機能がその活動を示している限り続く。それは、その活動が、自発的であっても、あるいは、人工的な何らかの方法の助けを借りていたとしても同様である」
   
<ピオ12世 "The Prolongation of Life" 1957年>


4.「人は、身体の肉体的機能と精神的機能を統合し調和する能力を、全て、回復の可能性もなく失ったとき死ぬのである。死は次の場合に到来する:イ)自発的な心臓機能および呼吸機能が完全に停止したとき、ロ)各脳機能の不可逆的停止が確証されたとき。議論の結果、心臓および呼吸機能の決定的停止は非常に急速に脳死へと導かれるので、脳死が死の真の基準であるということが明らかになった」

<教皇庁科学アカデミー、1985年>



8.臓器移植について

1.「当研究グループは、手術における技術の進歩、および、移植臓器が患者の身体にうまく適合できるようにする方法の大きな進歩を考慮に入れるとき、臓器移植は医学・法学さらには世間一般の人々の支持を得て当然であると考える」    
<教皇庁科学アカデミー、1985年>


2.「私たちの主イエス・キリストを信じている者は、キリストは全ての人々の救いのためにご自分の命を与えられたのだから、腎臓移植のための臓器の確保の緊急性を、自分達の寛大さと兄弟愛への挑戦であるというように認識しなければならない」

<ヨハネ・パウロ2世 "Organ Donation: A Challenge to Charity" 1990年>


3.「提供者の身体的・精神的危険性が臓器提供を受ける人のよい結果と釣り合いがある場合、臓器の提供は倫理にかなうばかりでなく賞賛に値する」(n.2296)

<ヨハネ・パウロ2世承認『カトリック教会のカテキズム』>


4.「死後に行われる無償の臓器提供は合法的であるばかりか賞賛に値する」(n.2301)

<ヨハネ・パウロ2世承認『カトリック教会のカテキズム』>


5.「臓器の提供者や法的後見人がインフォームド・コンセントを与えられていない場合は、臓器移植は倫理的に受け入れられない」(n.2296)

<ヨハネ・パウロ2世承認『カトリック教会のカテキズム』>

  


 

 

<人生両端神聖説>

 

(1)自然に死ぬことは「よい」ように、自然に命が始まることも「よい」。

 

(2)自然に死なないのは「よい」ように、自然に命が始まらない(妊娠しない)のも「よい」。

 

(3)人工的に死なす(殺す)のは「いけない」ように、人工的にいのちを始める(受精させる)のも「いけない」。

 

(4)人工的に死なさないこと(無理な延命)は「好ましくない」ように、人工的にいのちを作らない(避妊)のも「好ましくない」。






 

<参考文献>

1.               佐藤清太郎訳『十二使徒の教訓』中央出版社  1965年

2.               ピオ12世 「第4回国際カトリック医師会での講話」 1949年 (デンツィンガー、シェーンメッツァー『カトリック教会文章資料集』エンデルレ書店、1974年、3323番)

3.               ピオ12世 "THE PROLONGATION OF LIFE" (1957年11月24日、国際麻酔学会での講話)

4.               ヨハネ23世 MATER ET MAGISTRA, 1961 (小林珍雄訳『マーテル・エト・マジストラ』中央出版社 1972年)

5.               南山大学監修『第二バチカン公会議公文書全集』 中央出版社 1986年

6.               パウロ6世 HUMANAE VITAE, 1968 (神林宏和他訳『フマーネ・ヴィテ』中央出版社 1969年)

7.               教皇庁教理省 DECLARATIO DE ABORTU PROCURATO, 1974 (『堕胎に関する教理省の宣言』カトリック中央協議会 1975年)

8.               教皇庁教理省 DECLARATIO DE QUIBUSDAM QUESTIONIBUS AD SEXUALEM ETHICAM SPECTANTIBUS, 1975  (初見まり子訳『性倫理の諸問題に関する宣言』中央出版社 1976年)

9.               教皇庁教理省 DECLARATION ON EUTHANASIA, 1980 (宮川俊行『安楽死について』中央出版社、1983年、に収録)

10.        ヨハネ・パウロ二世 FAMILIARIS CONSORTIO, 1981 (長島正他訳『家庭』、カトリック中央協議会、1987年)

11.        日本カトリック司教団 『生命、神のたまもの』 1984年

12.        教皇庁科学アカデミー  "ETHICAL, MEDICAL AND LEGAL QUESTIONS ON THE ARTIFICIAL PROLONGATION OF LIFE"  (1985年10月21日、バチカンでの国際会議における科学者達による宣言)

13.        教皇庁教理省 INSTRUCTION ON RESPECT FOR HUMAN LIFE IN ITS ORIGIN AND ON THE DIGNITY OF PROCREATION, 1987(ホアン・マシア他訳 『生命のはじまりに関する教書』 カトリック中央協議会 1996年 <3版>)

14.        ヨハネ・パウロ二世 "DETERMINING THE MOMENT OF DEATH"(1989年12月14日、死の瞬間の判定に関する会議での講話)

15.        ヨハネ・パウロ二世 "ORGAN DONATION: A CHALLENGE TO CHARITY"(1990年4月30日、イタリアのバリでの腎臓病と移植に関する会議での講話)

16.        ヨハネ・パウロ二世承認 CATECHISM OF THE CATHOLIC CHURCH, 1992 (英語版  認可:1994年)

17.        生命について考える教皇庁アカデミー  "DECLARATION OF PONTIFICAL ACADEMY FOR LIFE"(1994年6月12日発表の宣言)

18.        ヨハネ・パウロ二世 EVANGELIUM VITAE, 1995 (裏辻洋二訳 『いのちの福音』 カトリック中央協議会 1996年)