不合理「税制」の改革試案


 現在の日本における税制の出発点は明治の地租改正である。地租改正は徴収に不便で且つ不公平な「年貢」の制度改革であった。年貢は被支配者が支配者に「貢ぐ」制度であり、理不尽に支配者が被支配者から収奪する不合理な制度でもあった。

 日本国家の特徴は長期に亙ってTax Eater(支配者)とTax Payer(被支配者)の階層が二極分化しており、大化改新以来一時的に二極構造が崩壊したことはあったがTax Eaterが支配権を握る基本構造は殆ど変わっていない。地租改正で年貢の不合理は大きく是正されても、二極構造は官尊民卑の徴税の制度として温存され、主権在民になった今日でも国民が支持する合理的な税制は実現していないのである。

 年貢を納める被支配者は江戸時代には農民が主役であったが、現在はサラリーマンが農民(小作人)の代役となっている。財政が苦しくなると権力者は決まって厳しく年貢を取立て、被支配者を泣かせてきた。日本は長期に亙る景気の低迷で財政は大幅な赤字を続けており、サラリーマンに対する大増税が始まりそうだ。サラリーマンの拠出する血税の多くがサラリーマンに還元されず、公務員の給与や退職金に化けていてはかっての年貢と変わりはない。江戸時代の農民は一揆を起こしたが、現代のサラリーマンは会社人間となって発言せず、直接自分の手で税金を納めていないため納税者意識が乏しいことが問題だ。サラリーマンに代わって税金を納めているのは「法人」である。法人はサラリーマンの税金を代納するだけではなく、法人自身の所得にも課税されている。法人を通じて税金を取り立てるのは、法人が生身の人間ではなく取り立てが容易だからである。税金は取りやすいところから取る不合理税制が長期に亙って続いているのだ。これでは所得を再配分し貧富の格差を是正することにはならない。

所得課税と年金の一体化:

 憲法に国民の納税義務は定められているが、法人の納税義務はない。国政への参政権が無い法人から税を取り立てる根拠はどこにあるのだろうか?法人への課税は「代表なくば課税無し(No taxation without representation)」の原則に反する。貧富の格差が拡大する原因の多くが資産家や法人経営者の「不労所得」によるものである。「法人成り」の言葉があるように中小の法人は個人の節税のために設立されることが多いが、法人は社会の公器と考えるべきで、蓄財の隠れ蓑ではない。法人の収益は個人への給与、配当となるよう強制して個人所得を増やし、個人所得税として課税すべきだ。しかし、納税「義務」に対して、それに見合う「権利」が保障されなければ、節税を模索することになるのは当然だろう。個人所得税の用途を個人の意思で決める制度(例えばNPO法人への寄付優遇税制など)を拡大するか、または個人所得税の納税額に応じた公的年金の給付を約束すれば、国民は自ら進んで所得税を納めるようになるのではなかろうか?国民負担の観点からみれば税金納付も年金負担も変わりはないし、少子高齢化で若年者の年金負担の増大は耐え難いものになると予想される。420兆円の過去債務を持ち破綻が危惧される現行の賦課方式による年金制度は廃止して個人所得税を年金の過去債務解消の原資に当て、個人所得税と年金給付を一体化するのが望ましいと思う。年金「負担」額以上の高額の年金「給付」が過去債務を生む原因となっているので、高額の年金を受給する高齢者は率先して所得税を納め過去債務の解消に協力すべきだ。所得税と年金の一体化は、世代間ではなく個人の生涯における所得再配分である。権利と義務、受益と負担を一体化させる施策であり、少子高齢社会になっても合理性を失うことは無く、公的年金の世代間格差を解消することにもなる。所得税と公的年金の徴収も一元化し、国税庁と社会保険庁を統合すれば、大幅な行政効率の向上が期待できるだろう。

 権利と義務が対応せず課税根拠が薄弱な法人所得税は廃止すべきだ。法人所得税を廃止しても、上記施策による個人所得税の増加で、所得税総額の減収は少ないと期待されるが、企業の国際化で所得の捕捉は難しくなるし、GDP(国内総生産)が増えなければ少子高齢化による所得税の減収は避けられない。

公共財の利用価値への課税:

 所得税に代わり積極的に課税すべき対象は「公共財の利用価値」への課税である。公共財とは私物化されると弊害が大きい公共の福祉に係わる有限のリソースで、その代表は土地である。水、空気(酸素)、エネルギー、電波、通貨も占有を許してはならない国民共有の公共財だ。

 明治の地租改正は土地への課税であり、土地を課税対象とすることは正しかったが、土地の利用価値を正しく評価しなかったため、明治初期の農民を苦しめ、第二次大戦後は都市近郊地主に不当な不労所得をもたらす一方で、金融機関に巨額の不良債権を残し、金融機関だけが公的資金で救済される不合理を許している。

 土地税制こそ不合理税制の典型だ。一物四価と言われる複雑な土地評価制度がいまだに残っている。現在、日本の地価総額は土地取引価格から約1300兆円とされているが、つい最近まで地価総額は2000兆円を超えていた。このようなバブル評価は無意味であるばかりか、土地収用に巨額の税金を必要とし、土地への執着は土地収用を難しくして都市計画や成田空港がいつまで待っても完成しない悲劇を生む。土地を収益還元価格から逆算すれば日本の土地利用価値は500兆円にほぼ等しくなる筈だ。なぜなら国内の生産と消費の事業はすべて地上で行われ、その総計がGDPとなるからである。仮に年率1%を土地利用価値に課税すれば税額は年間約5兆円になる。高層ビルなどが建つ利用価値の高い土地には当然のことながら高額の利用税を課し、逆に緑地などは公益を理由に無税とすべきだろう。公共財である土地を私有財産と考えることは公共の福祉に反し、憲法第29条にも違反する。民法を改正して財産権の内容から土地を除外し、土地の相続税を免除する代わりに、土地に対する執着を断つために高い税率を課すことが合理的と思われる。地租改正時の3%の税率なら土地からの税収は年間約15兆円になる。従来の土地税制は抜本的に見直し、簡素化すると同時に土地の利用価値を正しく評価し、放置される土地にも厳しく課税して、土地の流動性を高め、有効利用を促進すべきだ。

 土地の利用価値への課税は現行の資産課税に該当するが、見方を変えれば公共財の利用料金でもある。憲法に定めが無くてもすべての利用者が利用料を支払うことは当然の義務だ。公共財の利用料は法人にも課税し、赤字法人にも外形標準課税として課税すべきだろう。資産課税と外形標準課税は統合し、課税の根拠を「公共財の利用料」とするのである。

 公共財の利用価値(=付加価値)を高め、税収を増やすことができるようインフラを整備することは地方政府(広域自治体)の役割だ。地方政府にはインフラを低コストで整備する効率経営を求めなければならない。利用価値の少ない土地は課税額を少なくすれば、税金を使うことなく民間がインフラ整備を代行するだろう。水道料金は水利権への課税であり、石油・ガソリン税は酸素消費への課税だ。現在電波利用には課税されていないが、ユビキタス社会を迎え電波の利用価値はますます高くなる。既得権を持つ一部の企業だけに電波の占用を許すべきではない。競争入札により、付加価値の高い事業を計画し、適正な利用料を支払う業者に利用を許すべきだろう。貴重な公共財を特定の利用者に無料開放してはならないのだ。高速道路を国有化して無料開放するような施策は、貴重な課税対象を放棄することを意味する。営利を目的としない宗教法人からも土地を私的に占有する場合は、利用価値に応じた利用料を徴収すべきだ。公共財を多く占用する個人、法人は高額の利用料を払うことになるので、これを地域社会に還元すれば貧富の格差是正のために最適の財源となる。

 公共財の利用価値は個人所得と異なり、少子高齢社会になっても減ることは無い。公共財に付加価値をつけることにより、むしろ利用価値は増大する。日本に投資する法人、日本を訪れる滞在客にも課税できるので課税の大きな柱にできる。この税収は地域の自立、産業基盤の整備と生活の利便性向上のために活用すべき財源であり、「地方政府」と「基礎自治体」が徴収すべき財源である。但し、地方税の大半が公務員の人件費に消え、過疎地自治体で税金を納めるのは公務員(Tax Eater)だけという現状は自分の足を食べて生きるタコ足経済であり持続は難しい。米国の過疎地には自治体が存在しない地域がある。都市への一極集中と少子化で日本でも無人の過疎地が増えるだろう。居住に適さない山間の危険地域や過疎地は地方政府の直轄地とし、米国に倣い自治体を解散する選択肢も検討すべきだ。

付加価値税による生活保障:

 公共財の利用価値への課税に加えて、法人の売上に課税する付加価値税(=消費税)がもう一つの柱になる。付加価値税はヨーロッパ型のインボイス方式とすることが望ましいと思う。付加価値税は国民全体を対象とする課税ではあるが実際には法人を通じて徴収するので、徴収漏れが少なく脱税が難しい課税とみることができる。憲法に定める国民の納税義務を徹底するために最適の課税だ。貧富の区別なく国民全員から徴収する税とみることもできるので、この税収を憲法が保障する最低限度の生活(=義務教育、社会福祉、生活保護など)を維持するための財源に当てれば、全国民の自由意志と相互扶助により弱者救済を実現することになる。

 付加価値税は国内の産業活動が生み出す付加価値の総和すなわちGDPに対する課税である。国民全体を対象にする課税ではあるが、付加価値の少ない事業を営む中小企業にとっては売り上げの一部を拠出する税であり、実態は法人の骨身を削る法人税の一種だ。付加価値税の導入で苦しむのは、消費者ではなく税務署から取立てを受ける法人である。消費サービスだけではなく生産活動も対象にする課税であり、国民が直接税務署に納める税金ではないので国民が錯覚する「消費税」という呼称は使わないほうがよいと思う。国家の安全に係わる経費を除き、コミュニティーの生活基盤を支える経費として、この財源の多くを「基礎自治体」に配分すれば、地元企業の付加価値が地元に還元されることになる。

 権利と義務が対応する合理的な税制を実現するためには、国民の支持が得られる簡素で公平な課税制度を確立しなければならない。政府は国民の納税義務の見返りに「国民の生命と財産を守る」ことになっているが、アスベスト禍を30年以上放置していたことからも判るように、これは「ウソ」である。政府歳出の内容について徹底的な情報開示を求め、国民の支持が得られない歳出は全廃すべきだ。

 資金循環の観点からみれば、税金は国内外の公的事業を行うための投資効率の悪い資金の流れに該当し、増税は国民にも法人にもマイナスに作用するので、税金の徴収は必要最小限に止めることが望ましい。自己改革力を失い借金で首が回らなくなった政府と自治体は、税金で延命させることを止め、破産させた方が国民のためだ。返済不能の1000兆円を超える巨額累積債務を抱え、財政破綻を目前にする政府と自治体を救済する立法処置を早急に検討する必要があるのではなかろうか?

 「道州制」の導入は破綻する政府と自治体を救済する方策の一つである。国家の安全に係わる権限以外の行政権はすべて新しく設立する「州政府」と「基礎自治体」に譲り、政府の巨額債務の返済と破綻する自治体の救済を州政府に託すのだ。縦割り行政と既得権に縛られる中央省庁と都道府県は解体して中央政府と州政府に再編成し、公務員のリストラまたは減給を断行することによって「小さな政府」を実現し、合理的な税制によって地域経済の付加価値を飛躍的に増大させることが日本再生のために残された数少ない道の一つと考える。

文京区 松井孝司

生活者通信第121号(2005年9月1日発行)より転載


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