アメリカの美術館


私は、長らく米国の美術館の代理をしてまいりましたが、その中でよく思うことが一つあります。
それは、米国では、スミソニアンを除いて殆どすべての美術館が、公立ではなくて私立であるということです。よって館長の責務としては、来館者の増大と寄付をつのることが、重大な任務になります。
つまり、如何に魅力的な美術館たるか、そして寄付者にとって寄付するに値するような美術館たるかということを常に心がけていなければなりません。これは、その美術館の死命を制することでこれは企業経営と同じです。

さて、日本の公立の美術館はどうかというと、毎年予算書を提出し、予算を獲得し、入場料は全額国庫または、地方公共団体に入ります。バブルの時代には、この方式でかなりの美術館が建設され、現在おそらく殆どの美術館では、採算がとれない状況にあり、税金による補填で成り立っていると思われます。卑近な例として、都内の江戸東京博物館も赤字で有名な博物館になっています。
また、ある著名な米国の美術館の学芸部長の話として、職員の数が米国に比べ日本の方が圧倒的に多いとのことです。私の理解としては、これはあくまでも役所の形態をとればどうしてもそうなるのではないかと思います。つまり収入に基づいて支出が決定されのではなく原価積み上げ方式ですべて決まってゆきます。

これは、将来を占う一つの実例に過ぎないと思います。つまりすべて税金で庶民から徴収して優秀といわれている官僚により美術館を経営するのか、またはその分減税して所得控除した形で寄付した多くの人たち、理事や館長の意思により運営されるべきなのか、いますべての面でこのような選択を迫られていると思います。
私は、極端なことを言えば、民間で出来ないのが、警察と消防と国防ぐらいで、それ以外はすべて民間でできると思います。現状の日本の状態は、旧ソビエト方式の官僚支配体制が敷かれており、旧ソビエトもそうであったように莫大な借金の山となりました。
今経済の活性化は公共投資ではなく、減税です。結論的に言えば、如何に官僚統制から逃れるかが日本の運命の分かれ道であると思います。
今日本経済の足を引っ張っているのは、こうした官僚支配にある企業(銀行)と公共団体ばかりです。
今の公共投資は再生産が効かない戦争経済と同じです。長野県知事がその解答を出しつづけています。つまり、ミサイル一発は作るメーカーが潤うだけで、お金が回りません。
土木工事も同じです。作るだけで利用する人が少ないのでは、経済効果がありません。
そのような戦争経済を続けていけるのは、国債を際限無く発行できる内だけという条件があります。さらに結論づければ国債という「大きな時限爆弾」を我々が抱えているということです。こういう状態を庶民が本能的に理解していても、日本の為政者は問題先送りで解決する意欲が見えません。つまり省益あって国益なしの状態又は党益あって国益なしです。これは太平洋戦争の時も同じで、原爆が落ちても勝利を信じていたのは、陸軍省という官僚機構であったことを思い出します。

文京区 岡戸知裕 Email: tom-okado@hat.hi-ho.ne.jp


生活者通信第67号(2001年3月1日発行)より転載