松井 孝司(薬学博士)
しかし、薬を飲んで楽しくなるかどうかはこれを飲む人間側の条件にも依存します。同一物を投与しても対象により反応が変わることは生物実験で確かめることが出来ます。サリンのような猛毒も植物にとっては毒ではありません。植物につく害虫を殺してくれるのでサリンは植物にとって薬なのです。動物と植物が大きく異なることは当然としても、動物間の種差も意外に大きいことが判ってきました。
薬の作用機作が分子レベルで確かめられるようになり、薬の受容体となるのは酵素や生体膜上の糖蛋白などで構造や条件が異なると、同一分子を投与しても生体側の挙動が変わることが判りました。また分子構造が異なる分子を同一と認識する受容体があることも判ってきました。受容体の認識は厳密なものではなく、かなり曖昧なものであることが判ってきたのです。
一体受容体は何を認識しているのでしょうか?
おそらく荷電分布も含めた分子のかたちであることはほぼ間違いないでしょう。分子のかたちが情報の担体になっているのです。分子のかたちが意味を持ち、同一分子でも条件により意味が変わること、分子のかたちは少々変形してもその意味は変わらないことが判ってきました。
このような特徴は言語に共通するものです。言語は音素、形態素が組み合わされて一つの体系がつくられますが、これには目にみえない意味の体系を伴っています。薬という分子レベルの言語にも意味の体系を伴っているに違いありません。「薬」と「毒」はモノの世界ではなく、意味の世界でこそ定義できるのではないでしょうか?「モノ」ではなく「関係性」で定義されるのです。今まで何の疑問も持たずに使用されてきた薬が大規模臨床試験の結果その連用に疑問がもたれるようになった例などは意味を問わずにモノを連用することの危険性を示すものでしょう。
意味の体系は部分を見ただけでは解明できません。全体を知る事によってはじめて見えてくるのです。この分子で構成される言語の体系の解明こそ情報薬学(Pharma-Informatics)の使命と考えています。