教育権は誰のものか?−四権分立論−


憲法第26条に、すべての国民は「教育を受ける権利」を有することと「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」を負うことを規定しています。
この権利と義務はすべての国民に帰属するもので、個人の権利ということができます。
学校の設立は教育基本法、学校教育法により国又は地方公共団体と学校法人にまかせていますが、教育権は文部省や地方公共団体にあるのでなく、個人に帰属するのです。
しかし、実際の教育現場でこのことがどれだけ自覚されているでしょうか?

故槌田龍太郎阪大教授は「教育の重要性」を強調され、「明治時代のように戦争によって国威を輝かせと教えるのも教育なら、敗戦直後のように戦争は罪悪であるから断じてこれを繰り返してはならないと教えるのも教育である。」「明治・大正の好戦教育を受けていない若い世代が心から平和を望んでいるのに、明治の生き残りは、まだこりずにミサイルだ戦闘機だと国費を乱費してもう一度国民を地獄への道にかり立てている。これは子供の頃に受けた教育が、いかに根強く心の底にしみ込むものであるかを示すものである。義務教育の重大さはここにある。」とされ、「明治以来の漢学の影響を受けた暗記中心の教育方針は、高等文官向きの官僚の卵などを育てるには都合がよかったかも知れないが、科学教育には適しなかった。」「明治の官僚政府が上に述べたようなひずんだ教育を行った目的は、国民の批判力を奪って国家権力に盲従するような忠良な臣民を飼育することにあったのである。」と所信を述べられました。
さらに戦後の教育について「教育委員の公選制が廃止されて教育の実権は完全に政府の手に帰し、小、中、高の校長は管理職手当ての目くされ金で政府の目あかしになってしまった。」「かくて私たちのたいせつな子供たちが、自民党の思いのままに飼育されようとしているのに、親たちは憤りも悲しみもしない。」「今かりに社会党や共産党が政権をにぎったとしても、第二次大戦前の教育を受けた日本人が政権をとり、同じ飼育を受けた国民がこれに盲従するかぎり、悪い政治−悪い教育−悪い政治の悪循環はとめどもなくくり返されるにちがいない。」と述べています。

国家権力に盲従する飼育教育、政党と政府による教育支配を排除するために、槌田教授は「教育権を立法、行政、司法の3権と並んで独立させる必要がある。」とされ「教育権の独立と教育委員公選復活と教育予算の確保によって、教育を政党の魔手から救い出して、主権者たる国民みずからの手に取りもどさなければ、日本民族の将来は、はなはだ危ういのである。」と指摘されています。(1959年化学10月号参照)

故槌田教授が60年も前に指摘された飼育教育の弊害と戦後米国のGHQによる洗脳教育を受けた高齢者の自虐史観は、今なお健在です。


中央教育審議会−審議会情報−

教育改革国民会議

21世紀教育新生プラン