一神教は何故世界宗教になったか?


 ギリシアのポリスには多くの守護神がいたが、守護神は多くいれば、それだけ心強いというものでもない。古代イスラエルの人々は多数の神々から一つの神を選び、氏族の守護神にしていたという。
ユダヤ人は全能にして唯一の絶対神ヤーヴェを独占して、バビロニア人やローマ人によって虐待されたが、ユダヤ教から派生したキリスト教はすべての人々に開放され、ユダヤ教の煩瑣な戒律も緩和されていたため、当初の迫害にも屈することなく、ローマ帝国の退廃と混乱に乗じて、心の拠り所を失った人々の間に急速に普及し、ローマ帝国の国教になるほど勢力を伸ばした。

 キリスト教という一神教が広く普及したのは、教義の内容が、利己主義という生物がもつ原理に合致していたからである。自己だけの存在を許し、自己以外の存在を許さない利己主義の原理は、生物に普遍的な原理であり、分子レベルでも免疫のメカニズムとして見出すことができる。
 「一神教は利己主義の原理に基づく」ことを発見したのはフォイエルバッハである。フォイエルバッハは「キリスト教の本質」の中で「創造説はユダヤ教の特徴的な教義であり根本教義でさえある。然しながら、ユダヤ教において、創造説の根底に横たわっている原理は、主観性の原理というより利己主義の原理である」とし、「人間が神を世界の創造者となすのは、自分を世界の目的となし、世界の主人となさんがためである。」と述べている。
 フォイエルバッハによれば、キリストは人類の原像であり、人類の概念が実存的になったものである。神性という概念は人類という概念と一致し、神学は人間学になる。神の意識は人間の自己意識以外の何物でもない。

 一神教徒は、自分が利己主義者であることをまったく意識することなく、神の意志にもとづき利己主義を堂々と実践することができるのだ。アメリカに渡ったキリスト教徒は、インデアンが所有する土地を手当たり次第に略奪したが、罪の意識は全く持たなかった。自爆テロを厭わないイスラム教徒も罪の意識はなく、同じ精神構造を持つに違いない。利己主義は、一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する原理なのだ。
 自己増殖を特徴とする利己主義は、生物の遺伝子の組み込まれた原理であり、誰びとも否定することが出来ない普遍的な原理であり、これこそ一神教が世界宗教に成り得た科学的根拠と見てよいだろう。神の意志とは利己的遺伝子の意志だったのである。

 しかし、生物の遺伝子に組み込まれた構造は自己増殖のメカニズムだけではない。遺伝子の構造には自己増殖のメカニズム以上に重要な相補性の原理が組み込まれていることを認識すべきである。
相補性原理は量子力学の父ニールス・ボーアが1927年
に提唱した原理で、光が波動と粒子という側面を持つように「すべての物事には外観上相反する側面があり、それぞれの側面は互いに補い合ってこそ、ひとつの実在が描き出せる」というものである。遺伝子を構成する核酸は、4種類の核酸塩基の相補的構造に基づいて自己複製が行われる。
生物界に存在する動物と植物の関係、動物界のオスとメスの関係など、性質が相反する個体は他者と相補的関係で結ぶことによって、個体を維持させている。

 相補性の原理こそ、生命と遺伝子を維持するための基本原理であり、個体を維持するだけではなく、集団を維持発展させるためにも必要な普遍的原理なのだ。相補性を喪失し、自己増殖だけを目的とする個体は、癌細胞のような存在で、自己増殖を際限なく繰り返すうちに、集団は勿論、自分自身も破滅させることになる。
科学が立証した普遍的原理からは、誰びとも逃げることができないし、無視し拒絶することもできない以上、現代人に求めるべきことは相補性原理を体得して利己主義の原理を克服し、無益な争いを止めることだろう。

文京区 松井孝司(tmatsui@jca.apc.org)


生活者通信2004年2月号から転載