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気学とともに。


 
気学との出会い

 私がまだ小学校に入学する以前からのことです。祖母に連れられて、千葉県の成田や
安房小湊、また時には埼玉県の秩父、茨城の竜ヶ崎などに、毎年必ず1〜2度出かけてい
ました。出先では、お店に入って食事をしたりしたあと、井戸から水を汲んで帰るのが常で
した。あちこちと連れて行かれ、好きなものが食べられるのですから、祖母から「出かけるよ」
と言われるのが楽しみでした。
 小学校高学年から中学生にかけては、さらに「○○の場所に行って30分立って帰って
おいで」と言うことがありました。
こうしたことが実は方位学、気学によるものだとうすうす気がついたのは、中学、高校生になってからのことです。

 高校受験、大学受験、就職と人生の大きなポイントで、それほど挫折も感じることなく進めたのは、気学による祐気取りのおかげだったのではないかと思っています。

 それまで順調に来たことからの思い上がりと油断があったのかもしれません。
昭和48年に、取材で南米に出かけることになりました。旅行の準備を進めているときに母親が、
「できるならば出かけない方が良いのだけどね。帰ってきたら、お前の境遇は180度ひっくり返るようなことになるかもしれない」
 私を心配しての事だったのですが、若さの至りで母親の言葉を無視して出かけたのです。随分と後になって、このときの年盤、月盤を調べて、絶対に出かけてはいけない凶方位であったことを知りました。帰国してから、世界的なオイルショックが襲いました。以後、何かに流されるように出版社を転社したり、編集プロダクションを設立したり、有為転変の10年余がつづくことになりました。
 
 方位の作用を無視しての取材旅行の思いがけない結果に、以後、祐気取り、方位除けを一生懸命に心掛けたのです。長期にわたる旅行でしたから、短期間には作用を消せないものの、月日が過ぎるにつれて徐々に運気が好転して行くようになりました。時間と共に仕事も人間関係も変わりましたが、仕事の成果も評価されるようになり、気力も充実していったように思います。
 
 平成4年。やがて私にとって、ひとつの転機が訪れました。
 普段お世話になっている人から山梨の有名な霊蹟に勤務するように勧められたのです。全く見知らぬ地で、どのような環境が待っているのか、大きな不安がありました。ともかく総責任者となる方に会うだけ会ってお断りしようと出かけました。その方とは初対面ではなかったので、笑顔で私を待っておられました。
 ひと通り仕事の内容についての説明、私個人の履歴などを訪ねられました。そして、不慣れな事への不安を理由にお断りしようと言いかけたところ、用意をして来られる日がいつになるのかと聞かれて、とてもお断りする雰囲気ではありませんでした。しばらく準備に時間を頂きたい旨を申し上げて辞しました。
 実は、訪問の前に方位を調べて、胸中ある種の期待があったのも事実でした。私にとって運気を伸長発展させる九星の方位に位置していたのです。胸中、大きな不安がぬぐえなかったものの、それこそ「当たって砕けろ」の覚悟で新しい環境の中に飛び込んでいったのです。赴任して3日目には、執事としての立場に立つことになり、3年間の任期に向かってスタートをきりました。

「困難にあったら西に向かいなさい」
 私が幼少の頃から常々言われていたことでした。その理由を祖母は言ってくれませんでした。高校から大学にかけては登山が大好きで、夏休み、春休みには丹沢、南アルプスなどを歩き回っていました。もし遭難したら日の沈む西に向かえば、必ず助かる、とも言われました。私にとっては、西の方位が特別な意味を持っていたのです。そして、山梨は自宅から西の方位に位置していました。そして3年の任期を終えた後、新しい人生展開が待っていたのです。
  

 
初めて見る相伝書
 
 3年間の任期を終えてから、次の職務に入るまで、2か月ほど特になにもすることはせず、充電期間に当てることにしていました。自宅でゆっくりと本を読んだり、実家の母親を訪ねたり、心身の疲労回復につとめました。
 ある日、私が母親と話しているとき、ふと目の前に差し出したのは、筆書きの原稿をコピーして簡単に製本した分厚い2冊の本でした。1冊が約3〜4センチですからかなりのページ数になります。
「もうお前に渡しておいた方が良いと思って・・・」
 と、手渡してくれたのです。薄緑色の表紙をしたその本をめくってみると、方位盤の図、家相の説明図などとともに、びっしりと筆書きの文字がならんでいました。ページをめくるごとに、私の家にこのようなものがあったことに、興奮というよりも感動をおぼえました。

 ページをめくって行くと、家相と方位、病気と方位の関係、さまざまな人生上の問題の方位から来る原因や、解決の方法などが書かれていました。袴姿で先生と対面しながら聞き取ったと聞いていますから、何故そうなるのかといった詳細な説明は省かれていて、理由は私自身が研究する必要がありそうです。しかし、方位学の基本がしっかりと分かっていればかなりの部分は理解できるものでした。
 分厚い2冊の本と同時に薄い和綴じのB5判ほどの冊子も渡されました。それは月盤表、時盤表でした。幾度も開いて使用されたようで、部分的にほころびもありました。気学の実践にはどうしても必要となるものです。

 様々な項目がならんでいる中で、私の目にとまったのは方位と病気の関係を述べたページでした。
凶方を犯した場合の方位の作用として現れる病気の種類、人体の各部に現れる病状、症状が九星毎に述べられています。その一方で、病気によって治療法として用いることのできる方位が書かれていました。

 平成23年の春、ガンで闘病中の知人から抗がん剤の投与で副作用が激しく、食欲も出ないので大変苦しんでいるという相談がありました。方位を活用して、少しでも苦痛を和らげる方法はないものかと連絡をしてきたのです。そこで生年月日から祐気の方位を調べてみると、痛みを和らげるために用いられる方位がありました。ちょうどこの年の3月は年月日揃いの月でしたので、家族の方が日時を合わせてお水と土を取ってきたのです。
 取った水を飲み、土は木綿の袋に入れて身体の下に敷いて寝ることにしました。4月から5月にかけて、今までのような痛みに苦しむことは少なくなり、日々の生活にも気力が回復してきたと思われるような言動が現れてきました。
 
(つづく)
私と気学との出会い、関わりを徒然に書き綴ってゆきたいと思います。

          
          自己紹介


昭和20年、埼玉県に生まれる。
早稲田大学文学部を卒業後、出版社に入社。
昭和61年、祖母の死を契機に出版界を退く。
日蓮宗の僧籍を取得。気学の研鑽と霊的な修行を重ねる。
平成4年〜7年、身延山・奥之院・思親閣執事。
平成9年、岡山に転居。一寺を建立。
気学と遁甲の研究会を主宰。
九星気学を用いて、多くの人の悩み事、相談にのり、今日に至る。

気学の会           代表  宮本 師p 
   
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