《長い睫にキスをして・2》

 

トントントントントン………
先程からディスクを人差し指で叩く、不毛な仕草を繰り返している。苛立っている証拠だ。
必至で自分の記憶や情報をフル回転させて、原因を探っているのだが…全く見当がつかない。

本当に解らない……どうしてこんな事態になったのだ……
ディスク上の専用ディスプレイの上にひっそりと載せられている短い文章……

 

『ごめんね…少しの間だけ一人にしておいてくれる?』

 

緋色の軍服の総帥は、何度も繰り返している言葉を再び大きな溜息と共に吐き出した。
「……いったい何を考えている…?…アムロ……」

 

「失礼致します、大佐」
応答が無くとも入室出来る権限を持つ、彼の美しい副官がいつもの様に入室して来た。
「どうだった?」
思いっきり眉間に皺を寄せて超不機嫌表情丸出しの上司をチラリと見て、ナナイは報告を始める。
「アナハイム社の技術部門責任者に極秘に問い合わせましたが…やはりアムロ少佐は戻られてはない様子です。誰かが匿っている形跡も無い、と…」
「…まあ予想通りだがな。言葉通りの場所に居るのなら、家出の意味は無い」
「まあ…そうでしょうね」
「でなければこんな悪戯けたメッセージなど送ってくるか」
パシッとディスプレイ面を指で弾く。
先程のギュネイの泣き出さんばかりの報告態度…彼は全く気付いてなかった様だ。そしてどうやらコレは
ν ガンダムから発信されている。アムロはまだ宇宙空間に居るのだ。全ての通信&追尾システムを切って。
ただ本当に目的も原因も解らない。無事であるならば良いが…焦りばかりが先に出てしまう。

「……本当に思い当たる原因は…ございませんの?」
「…彼が拗ねたり軽い口喧嘩程度なら今までも幾度かはあった。だがその状態が翌朝まで続いた事は無い。…今更こんな行動に出る事など…全くもって寝耳に水だ」
そしてまた溜息。

さり気なく惚気られたわねっ……しかし何て情けない顔しているのかしら…ホント…もう…
こんな弱気な態度も元愛人のアタクシにだから無意識で見せるんでしょーけど…と喜んで良いのかどーかは不明よねっ

ナナイはこの自信家の男が決して思い当たらないであろう言葉を口にする。
「…まあいわゆる…マリッジ・ブルー…じゃないでしょうか?」
「?…何だ?それは…」
「聞いた事ございません?結婚前後に色んな不安が押し寄せてくる事ですよ。人によっては精神的にかなり追い詰められる事もあるそうですし…」
「…追い詰められる…?」
「つまり、何もかも
イヤになっちゃって逃げだしちゃったりー?…とかです」
弾かれる様にガタンっと椅子から立ち上がるシャア。
「アムロは…まさか…」
机に置いた手が微かに震えてくるのを自覚していた。

「……逃げ出した……と言うのか?」
「そうははっきり申し上げてはいませんけど…その可能性は大いにアリ、ですわねぇ」
自然と意地悪口調になってしまう。珍しい彼の蒼白の表情を見ているからだろう。
「…莫迦なっっ!!有り得ないそんなっ…我々は愛し合っているのだぞっ?!」
「……って、花婿の方は大抵そう言うらしいですわ」
ぐっと言葉に詰まるシャアにナナイはますます追い討ちを駆ける。
「本当に『逃げた』のであれば、大佐の責任…ですわよ?」
「私の…」
「貴方が舞い上がっていた為に気付かなかった部分…絶対にあるハズです」
「…………」
「アムロ少佐には今の状況に1ミクロンもの不安も不満も無い、と断言出来ます?」
「………………」
ほーらやっぱり言えんだろーが…とナナイは意地悪く微笑んだ。
アムロの心情に関してはおそらく婚約者であるこの上司より、自分の方が遥かに理解し易いだろう。
---同じ男を愛したから……って理由はあまり考えたくないんだけど………
アムロの場合は過去も時間も立場も…全て複雑な中に立つ危うい愛情でもあるのだから…。

「大佐……私は貴方とアムロ少佐の結婚に関しては当初は『戦略的に』反対させて頂きましたわ」
「…ああ……」
「ですが…貴方とアムロ少佐の真摯な想いに負けました」
「…………」
「あの時…私の前で少佐に誓った言葉を忘れてなどいませんわよね?」
しばらく黙っていたシャアはゆっくりと口を開いた。

「…『アムロは私が全身全霊で守ってみせる』…」

もう青ざめた表情ではなく、平常と同じ様に戻っていた。相変わらず視線は険しいが…
だがその様子にナナイは心の中で安堵する。彼女もにっこりと優しい笑顔をシャアに向けるのだった。
「ですから……宣言通りに責任を果たして頂かないと…」
「それは端からそのつもりだ」
シャアは軍服の襟元を緩めながら執務室のドアに向かって歩き出した。
「レウルーラの発進準備は出来ているのだろうな?」
「既に発令済ですわ。後30分もあれば出航可能です」
全く食えない優秀すぎる副官だ、と苦笑いするしか無いシャアだった。

 

「何故、ヤクト・ドーガを出せないんだっっっ?!!!」
「だからーっっ何度も言う様に全モビルスーツは出撃不可の待機命令が出てるからですよぉっっ!!」
先程から何度もメカニックマンに食って掛かっているギュネイの大声がMS格納庫に響き渡っている。
「そんな命令無視しろっ!俺は今すぐに少佐を捜しに行くんだっっ!俺のヤクト・ドーガを出せ!!」
「いいかげんにしなっっ!!ギュネイ中尉!」
今にもメカニックマンに殴りかかろうとする彼を制した聞き覚えある大声。はっと振り向くギュネイ。
「…レズン…副隊長…」
振り向いた先には腕を組んで仁王立ちしている、MS部隊で一番怖いんじゃないか、と噂される女副隊長の姿があった。
「アンタに何の権利があって皆に命令違反をさせられるってワケ?少しは頭を冷やしなっ!!」
「で、でも俺はアムロ少佐の護衛として……」
「その件ならもう我々の出番は不要だな」
「?!…何で…?!」
「旗艦レウルーラが出航したと報告が入った」
「ええ…!!…って事は……!」
「後は総帥にお任せするしかないって事さ」
さすがのギュネイも黙り込む。レウルーラの出航はあの総帥専用機が出る、という事なのだ。
確かにそれが一番確実で正しい方法なのだろう…だが。…だけど…俺は……
「……おれ…も……探しに……」
行きたいと。総帥が怖い、という事ではなく純粋にアムロが心配なのだ。不安で堪らないのだ。
アムロは敵方であるネオ・ジオンに来てくれた。そして望んで自分達の隊長になってくれたのでは無いのか…?
どうして…どうしてこんな事になったのだろう?何で俺は何も気付かなかったんだ…
「……我らが隊長が心配なのはアンタだけじゃないよ?ギュネイ…」
「…わ…解ってる…解ってるよっっ…」
人前だというのに男だというのに…ギュネイはポロポロと涙を零し始めた。
そんな様子がレズンには『まるで母親に捨てられそうな子供だなあ』…に見える。
「…アンタ…本当に変わったね…イイコになった。アムロ少佐のおかげか…」
ポンポンとギュネイの頭を叩きながらレズンは微笑む。その「子供扱い」にギュネイは不満そうな表情をしたが…。
「心配しなくて大丈夫さ。結婚前の痴話喧嘩と思えばいーの。…ああでも子供のアンタには解らないかー」
「だからーっっ!いーかげんに子供扱いはよせってばっっ!」
俺だってもう18になったってーっ!…と抗議で照れを誤魔化すギュネイであった。

 

 

シャアはサザビーのコクピットの中に居た。
ノーマルスーツを着るのもモビルスーツに乗り込むのも久し振りである。随分と長い事パイロットをやっていなかったのだな…と自嘲せざるを得ない。ヘルメットを膝に置いたままで、ゆっくりと目を閉じて意識を集中させる。

「そうか……」

「私は…君に試されている…のだな?」

「……!……」
微かだが感じた。呼ばれた、と思った。目を開き、通信スイッチを操作する。
「ブリッジ、艦を止めろ。レウルーラは暫く此処で待機だ」

旗艦レウルーラの艦橋にはナナイが居た。モニター越しの彼女が「了解。お気を付けて」と短く答え、そのまま専用MS格納庫に指令を送る。
「サザビーが出る。総員発進準備につけ」
『了解。今すぐでも出撃出来ますよ!』
久々の出撃にメカニックマン達は興奮を抑えきれない様子だ。総帥専用機の為だけの格納庫が俄に慌ただしくなる。そんな彼らの様子は、コクピット内のシャアにも伝わってくる。ヘルメットの位置を首元で調整しながら彼は苦笑いをした。非日常的な状況がたまには必要な因果な仕事か…
モニター画面のオールグリーンを確認し、シャアは操縦桿をONにした。
「サザビー、出るぞ!!」

 

流れるような速さで緋色のサザビーは宇宙空間を進んで行く。
この先にあるのは元工業用採掘場…現在は放置状態の小惑星地帯だ。
その手前で機体を止める。かなりの数の大小の採掘済小惑星が密集している。この手の小惑星には移動用のエンジンやジェネレーターが取り付けられている為、金属反応探査、熱源探査は難しい。
だが、シャアは迷いもせずに此処に来た。つまりこの場所の何処かにアムロの存在を感じたわけだ。
少しだけ小惑星群に入り込む。もちろん少しでも気を抜けばどれかにぶつかるかもしれないのだが…元赤い彗星はそんなヘマはしない。そのまま目を閉じて意識を探る。

----成る程……この鮮明さは……やはりサイコフレームの共振のせいか…?

--------居た……!!!
パッと目を開き一点の方向を見やる。それと同時にサザビーの背後に装備されているファンネルが専用ボックスから2つ…ゆっくりと離れたかと思うと、一気に加速し猛スピードでその一点を目指していく。
「其所だ!!」
シャアの叫び声と共にファンネルからビームが放たれる…と同時にそれは同じビーム攻撃で瞬時に拡散された。予想通り現れたのは
ν ガンダムのフィン・ファンネルだった。

----酷いー!本気で攻撃したねっ?!

頭の中にアムロの声が響く。
「酷いのはどっちだ!」
バーニアをフル加速させてその場所に向かう。1秒でも速く!途中で小惑星を避けるのが面倒になったのか、ビームショットライフルで撃ち壊す無謀さである。
やがて全方位展開の視界は小惑星の窪みに片膝を付いて座り込んでいる
ν ガンダムの姿を捉えた。
…ν ガンダム…」
彼が初めて見るその機体の廻りでは、やはり2機のフィン・ファンネルがまだこちらを威嚇していた。シャアはサザビーのファンネルを機体に戻し、
ν に更に接近を試みる。フィン・ファンネルが動かない事を確認してから頭部コクピットをゆっくりと開けた。自分の姿を見せるとν ガンダムに向かって「おいで」と手招きをする。
10秒くらいの間の後で、フィン・ファンネルはその背中に戻された。そしてコクピットが開かれてアムロが姿を現す。その姿を見やり、やっと自分の全身に安堵感が満ちてくるのをシャアは感じる。操縦桿を握る手が震えるなど初めての経験だ。アムロはコクピットから出ると、トンと後ろ足で機体を軽く蹴り慣性でシャアの処までやってきた。腕を伸ばして彼を抱き留め、強く引き入れる様に自分の膝に座らせた。
コクピットを閉じて空気が充満したのを確認してから2人はヘルメットを外す。

「……アムロ……」
やっと顔を見る事が出来た愛しい存在の名を呼び、シャアはその身体を強く抱き締めた。「痛いよシャア」という抗議の声はもちろん完全無視だ。やがて長い間抱き締めていた身体をやっと離し、アムロのその顔をじっと見つめた。アムロの瞳には戸惑いと喜びと緊張と…色々な感情が混ざり合っている気がする。
「…君の方からキスしてくれ」
シャアのお願いに苦笑して、アムロは彼の首に手を回してからゆっくりと唇を重ねる。角度を変えて2度3度…湿った音がコクピット内に響くのを感じながら…シャアはひたすら耐えていた。本当なら今直ぐにでも自分から激しい口吻を与えたいところなのだが、ソレをしてしまったら絶対にとんでもなく暴走してしまう…今は我慢するしか無いのだ。
「…絶対に貴方が迎えに来ると思ってた…」
アムロはじっとシャアの蒼氷色の瞳を覗き込んだ。この体制だとアムロがシャアを少し見下ろす形になる。
「私を…試したのだろう?アムロ…」
「んー…そんなつもりは無かったのだけど…結果的にそうなっちゃったね…ゴメン」
シャアはアムロの細い腰に手を回して更に抱き寄せると彼の胸の位置に顔を埋めた。
「本当に心臓が止まると思った……何故私にこんな酷い事をするのだ?」
「……そんなにショックだったの…?」
意外、という口調にシャアは少なからず傷付いた様子であった。顔を上げて自分を睨む彼の額にキスを送る。
「…ごめんね……本当にちょっと一人で考えたかっただけ…なんだ」
「だから何故…」
そのままの体制でアムロは少し後ろを振り向き、眼前の
ν ガンダムを見つめている。
「『この子』の最終調整して…初めて乗り込んだ時に色々と思い出して……ね」
アムロは俯き沈んだ表情になった。
「……何故…このガンダムを俺が設計したのか…知っているよね…」
「…私を…殺す為なのだろう…?」
そんな言い方っ…とアムロは一瞬目を見開いたが、すぐに首を振った。
「……そうだね…その言い方…で間違ってない…」

「貴方と…共に生きる為には必要は無いんだよ…なのに…『この子』は……完成してしまった」
段々と今にも泣き出しそうな表情になってゆくアムロ…。
「…俺は…凄く凄く嬉しかったけど……でも…同時に…これで良かったのか…って…」
シャアは愛しい彼の頬に手を当てて自分の方を向かせた。彼の大きな瞳には涙が浮かんでいる。そのまま手を首に回して自分に近づけ、その涙に濡れた長い睫に頬に唇に…と幾度もキスを繰り返す。
「アムロ……そんな顔をするな」
本当に傷付いた子供の表情だな…とその泣き顔を見てシャアは思う。
「この…いや『この子』の存在理由は…まだその目的でも構わないのだと思うが…」
「…?!シャア…何を言って…!!」
「忘れたのか?…君は…私を正しく導く為に側に居る、と言った」
「あ………」
両手でアムロの頬を覆い、真っ直ぐと自分に向かせる。
「君が側に居てくれれば、私は道を誤らないからだ……だが、君が居るのに誤ってしまった時は…」
一呼吸置いてからゆっくりと吐き出す様に言う。

「……私を殺す…と…そう言ってくれた…」
アムロは更に泣き出したいのをグっと堪えている様だ。そのままシャアの首に縋り付き顔を埋める。
「…そう…だよね……その時は貴方を殺して……俺も…死ぬ…」
アムロを抱き留める手を更に強めた。
「私は…君を決して殺さないさ……だから私を信じてくれるなら…」
子供をあやす様に背中を撫で摩りながらシャアは優しくアムロに言い聞かせた。
「『この子』の存在理由は君が変えてあげれば良い…」
シャアに何度も頬ずりしながら…アムロはこの男を愛した事を決して後悔しない、と誓っていた……。

 

「さて…どうせエネルギー切れなのだろうから…レウルーラまで曳航してやらねばな」
「あ、大事に扱ってよっ…決して傷付けないでねっっ」
アムロはすっかりいつもの調子に戻っているようだ。
「私の腕を疑う様な言い方は止めて欲しいものだが…」
「…だって…さっきは本気で攻撃して来たクセに…」
疑いの目をシャアに向ける。
「君の大事な『子供』に傷付けなどしないさ。いや、君の『子供』なら私の子も同然だしな」
「…ちょっとソレ恥ずかしいです……」
「散々子供呼ばわりしていて今更何を…」
サザビーがνガンダムの腕を掴み、引っ張り上げた動作が…どうやらお気に召さなかったらしい。
「…やっぱり俺が操縦するっっっ!!」
シャアの膝の上でくるりと体制を変えて、アムロはシャアから操縦権をもぎ取ってしまった。
「……アムロ……」
体制的には嬉しくもあるが、嬉々としてサザビーを操るアムロに溜息を漏らす。
「へえ…さすがこの半端じゃないアポジモーターとスラスター推力…卑怯なくらいのパワーだなあ」
さすが総帥専用機のスペック、と本当に嬉しそうなのである。彼はそのパワーマシンを見事なまでに操り、小惑星群の中をスイスイと流れる様に
ν ガンダムを曳航してゆく。
…君は本当はコレが…したかったんじゃないだろうな…とまさかな、思いつつ…時々後ろからアムロの身体に悪戯する事で憂さ晴らしをする(もちろんベシッと叩かれながら)総帥シャア・アズナブルであった……。

 

FIN

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ν ガンダムを「この子」と呼ぶアムロ…アンタはファ○ィマかっ…とツッコミしてくだされっっ
ああ…でもホントこんなに甘甘で……もうっっ……書くのが楽し過ぎるでねーかっっ!(2008/7/30)