腕ごと固く強く

 

 

その日も何事も無く、無事に帰宅時間の定刻を迎えた。
執務室のドアをノックする軽い音が響く。
いつもの様に自分の副官職兼護衛兼運転手を務める青年士官が、これまたいつもの様に姿を現し、力強く敬礼してくる。
「失礼いたしますアムロ少佐、お帰りのお時間です」
「…うん…判っている」
「?…もう少しデスクワークをされますか?」
何となく気が乗らなそうに見えて、まだ帰り支度を始めない上司に、ギュネイ中尉は珍しい事もあるな…と思う。
「…あのさ…ギュネイ……帰る前に1時間…いや30分でいいから付き合ってくれないか?」
「は?…はい…別に構いませんが」

 

ギュネイがアムロに連れて行かれた場所は…
MS部隊総本部ビルの1階奥にある専用トレーニングジムであった。ここはパイロット達が日頃の体力トレーニングをする以外にも、事務方やこの本部に所属する軍人であれば、私的に使用する事も出来る施設だった。
勤務時間外にも広いジム内に幾人かの軍人達がトレーニングをしていた。そして珍しい人物の登場に彼等は一様に驚きの表情を隠さない。
彼等の気持ちは良く解る…俺も此処にはアムロ少佐とは初めて来たぜ…
宇宙で戦うMSパイロットには体力は必要だが、筋力は差ほど必要ではない。肉弾戦にでも及べば話は別だろうが…そして地球上で戦う時は、重力に対応する筋力は必要の様であるらしいが。ネオ・ジオン軍人には今の処は関係が無い事である。取り敢えず最低の筋力があれば充分であり、後は個人の自分への鍛え方…であるからして。
元々アムロは所謂「引きこもり」体質なので、子供の時から健康的に身体を動かすこと全般があまり好きではない。しかし、持って産まれた反射神経と運動神経の影響か、やってみれば案外何でもそつ無くこなせたりする。故にわざわざ身体を鍛えたり…などはした試しがない。勿論連邦軍時代からそうである。
「少佐が此処を利用するなんて…初めてですよね」
「うん…ちょっと…筋力付けようと思ってさ…」
「ええっ?!」
アムロの口から出るには余りにも似つかわしくない台詞に、ギュネイは上司の何やら本気らしい横顔をマジマジと見つめてしまった……

Tシャツとトレーニングパンツに着替えた二人は、好奇の視線の中で軽く柔軟体操を始める。
「失礼ですが…何で急にそんな事を考えたんですか?少佐…」
ギュネイも素直な疑問を口にせずにはいられなかった。
「ん……その…やっぱりさ……男として…このままじゃいけないって思って…」
んっしょっと身体を反らすアムロの姿が、何だか妙に可愛らしくて…ギュネイは思わず良からぬ事を考えそうになってしまい、慌てて首を大きく振る。
まあアムロがそんな事を言い出すのは、大抵がシャア総帥絡みだ。ギュネイにもそのくらいは解ってきた…敬愛する総帥夫人の感情は割りとあからさまである。
----総帥の身体を毎日見ているんだもんな…そりゃあの立派な体格は男の理想なんだろうが…
そしてまた二人の良からぬ姿の妄想が悶々と……どわーっっイカンイカン!静まれっっ俺の煩悩っっ!
と再びブンブンっと首を振った。
そんな部下の様子を見てアムロは「随分と首振りの運動するんだなあ」と単純に不思議に思う…

「…で、何かやりたいのとかあります?」
「うーん…そうだね……あ、アレ使ってみたいな」
そう言ってアムロが指差したのはチェストプレスマシン…と言われている代物だ。
「えっ?…アレは大胸筋とか上腕筋鍛えるヤツですけど」
「いいねっっ…腕太くなりたいしっっ上半身も逞しくなりたいしねっっ」
ブンブンと腕を廻しながらマシンに近付くアムロに、近くでトレーニングしていた者達が、「ええーっっ?!」と驚きの声を上げた。
いきなり彼等はアムロの周りにどどっと集まってくる。そして必死で訴えてきた。
「ダメですよっっ…少佐は今のままがイイんですからっ!」
「ちまっと可愛いのが俺達のアムロ少佐の良さなんですっっ!」
「少佐は鍛える必要なんて無いですってー!」
そんな声が次々とワイワイ上がる中で、アムロはふるふると握り拳を震わせてしまう。
「…何でっっ男が…可愛いのがイイんだよっっ!」
と思わず叫ぶと、その場の全員が一斉に叫び返してきた。
「「「「それはアムロ少佐だからっっ…ですっっ!!」」」」

その後も初めてのチェストプレスマシンに悪戦苦闘しているアムロが心配なのか、それとも別の煩悩なのか…は解らないが…皆でずっと見守っている彼等なのである。
MS部隊の連中には、アムロに対してはそういう輩なのであるからして…
毎度の事である…仕方がない…

 

「うう…筋肉痛になりそう…」
僅か1時間もないトレーニングだったが、既にアムロは後部座席でグッタリとしている。
「今夜は風呂で良くマッサージして消炎剤を塗っておくといいですよ」
訓練の一環として時々鍛えているギュネイは、バックミラー越しに気の毒そうにアムロに声を掛けた。
「公邸にも…トレーニング部屋がありませんでしたっけ?」
「家にもあるよ…シャアが運動不足を解消する為に時々使ってます」
ふう、と大袈裟気味にアムロは溜め息を吐いた。
「わざわざ鍛えているワケでもないのに…何であんなに逞しいんだろ…?」
主語がなくとも誰の事かなんて当然解る。ギュネイは敢えて応えない選択を取った。
「やっぱり人種的な違いなのかなあ…だとしたらズルいよなー…」
それはあるかもな、とはギュネイも考えたが口には出さない。
「顔もあんなに良くて、頭もクールでっ…そして体型も何もかも…ドコを取っても完璧な美形ってズル過ぎるぞっっ」
…コレは奥様の惚気だな…と考えて、これまた当然口には出さない。
「俺の事を片手で軽々持ち上げられるなんてさ…あんまりだよなっ…俺が上に乗っても全然重そうじゃないしさっ」
…相変わらず応えないギュネイだが…段々顔が熱くなってきている…
「昨夜も寝転んでいるトコロに思い切って腹に飛び乗ってやったけど、本気で痛さも感じてないんだよっ…どういう腹筋なんだよっ…ったく…」
……心臓もドキドキしてきたよ……イカンイカンっ想像するなっっ!俺っっ!!
「頭きたからさっ…跨ったまま思いっきり暴れたんだけど……聞いてるかっ?ギュネイっ」
「あ…ああ…はっはいっっ!少佐は奥さんなんだからそれでいーと思いますからあっっ…はいっ着きましたよーっっ!」
運転手役としては怒られそうな勢いでエレカを止めてしまい、公邸の使用人が慌ててドアを開けに来るのが見えたがー…ギュネイはハンドルに顔を突っ伏して…心の中で(…勘弁してくれーっっっ!)と嘆いていたのだった…

 

「お帰りなさいませアムロ様…旦那様は1時間後くらいにお帰りだそうですよ」
出迎えた女中頭のミセス・フォーンが笑顔で教えてくれた。
彼女に礼を言って自室へと廊下を歩きながら、アムロはふと思い立つ。
「1時間後か…だったら風呂に入っちゃおうかな…」

「うわ…やっぱり二の腕…凄い張っているよー」
アムロは掌でその腕を少し力を入れてマッサージする様に擦った。やはり疲れてしまったのか…程良い温めのお湯が全身に浸みるようでとても気持ちが良い。夫婦専用のバスルームにはジャグジー付きの円形バスタブがあり…勿論これはアムロのお気に入りである。
「やっぱり…鍛えるの…無理かなあ」
お湯の中に深く沈んでアムロは考える。明らかに自分に向いてない事は解っているのだか…
以前からシャアの力強い腕に抱き締められる度に…厚いその胸板を感じる度に…自分と彼の体格のそのあまりの差に…時々モヤモヤするのだ。
「確かに俺…シャアの奥さんだけど…これじゃ体格で愛されたみたいだ…」
ブクブクと顔も半分沈んでしまう。

…俺が…こんな細い身体じゃなくても…シャアは愛してくれたんだろうか……?

もの凄く莫迦な考えだとは解っているけど
俺も男なんだしっっ…一応…プライドあるしっっ……
…体格でシャアが選んでくれたなんて…思いたくない……
あ…やっぱり落ち込んできた…

ブクブクブク….。o○.。o○

 

「先に独りで入ってしまうとはずるいね…奥様」
その声に驚いて振り向く。いつの間にか入り口が開いていて、シャアが腕組みをして立っていた。
「?!…わっっシャアっっ…!」
全く気が付かなかったっっ…と慌てて起ち上がろうとして、やはり体勢を崩してしまう。思いっきり浴槽に沈みそうになる自分の身体をシャアの片手がしっかりと抱き止めた。
「ヒヤリとさせる…心臓が一瞬止まったぞ」
渋面で言われてアムロも素直に謝った
「あ…ゴメンなさい……服も濡れちゃったね…」
「構わんよ…私も今から入るからな」

というわけで夕飯前に夫婦で入浴…となってしまった。
シャアがバスタブ内に自分を後ろから抱き止める様に入ってきたので、アムロは素直にそれに従い、彼の身体に寄り掛かる体勢になった。
後ろから自分の腕を取って、シャアがゆっくりと丁寧にマッサージしてくる。
「……もう情報は行ってるワケね…」
「君が珍しい事をしたから余計にな…最速で報告があったぞ」
クスリと笑うが彼の掌はとびきり優しく、とても気持ちが良い…
「痛まないか?」
「ん…未だ大丈夫…続けて…」
シャアの大きな掌が自分の腕を優しく丁寧にマッサージを繰り返し…そのまま掌はアムロの脇腹や太腿へと移動していく。
「…あっ…そこは……」
「この辺りも辛くなるハズだよ…丁寧に解さないとね…」
そう言って項や肩口にキスを落としてくるので、どう考えても違う目的も入っている様だが…アムロは抵抗せずにシャアのされるがままになっていた。言われるままに脚も曲げて、内股も脹ら脛もシャアの掌に支配される。
「…あ……んんっ……やっ…ダメ…」
「気持ち良いのだろう?…だがマッサージだけだよ」
「ん……そうして…充分だから……はあっ…」
もどかしい痺れが全身をもどかしく巡っていく感覚…アムロはその甘さに己の感覚を全て委ねた……

 

「君の筋肉は充分に付いている方だと思うがね」
「えええー?…そうなのかなあ?」
甘い時間が過ぎても未だバスタブの中でイチャついている夫婦である。
「しなやかで綺麗だよ…でなければあんな体勢はなかなか出来ないだろうに」
そう言ってからシャアはアムロの耳元で「……や……とかな」と囁いた。
途端にアムロの顔はボンっと真っ赤になる。
「な…もっ…何言ってのっっ!…ま、まあ身体柔らかい…んだろうけど…」
「とにかく鍛える必要はない…これが固い筋肉になってしまったら私はやはり哀しいな」
そう言って自分の二の腕を再び触ってくる夫に…アムロは振り向いてその顔を見上げる。
「…あの…さ……シャアは…やっぱり…」
「何だ?」
自分を見つめるとても優しい蒼氷色の瞳…だからアムロは思い切って聞いてみる事にした。
「…俺が…小さいから……愛してくれたの?」
その蒼氷色の瞳に…本気で『理解不能』の色が乗せられた。
「…悪いがアムロ…君の言っている事が私には全く理解出来ないのだが…」
「だっだからっ…男にしては細いだろっ俺ってっ…そ、それで……抱きたくなったのかな…って…その…」
そこで後ろから腕ごと固く強く思いっきり抱き締められた。
「…全く…君は何度も私の心臓を止めるな…」
「シャ…シャアっ?」
「私はアムロの全てを愛しているが…そんな理由で君を愛し始めたわけではない…そう思われていたのだとしたら…堪らなく辛い事だ…」
抱き締めてくる力が更に強くなる。自分の髪に顔を埋める彼の姿に、アムロは自分の言葉を後悔した。
「シャア…力緩めて……貴方の顔を見させてくれ…」
素直にシャアの腕の力が弱くなり、アムロは身体を返してシャアに向き合う。そしてその傷付いた子供の様な表情の彼の唇に優しいキスを贈る。そのまま逞しい首筋に思いっきり抱き付いた。
「ごめんよ…俺は莫迦な事を言った…貴方の愛を疑ってなんかないから…」
「アムロ…」
シャアもそのままそのしなやかな身体を抱き締める。
「俺が貴方を愛したのは…外見どうとかの理屈じゃない…貴方だってそうだって…解っているのに…ゴメン」
互いの本質を正しく理解して、そして愛し合ったという事……
そういう意味では確かに自分達は「ニュータイプ」としての理想の夫婦なのだろう。
互いの魂に触れ合って、そして溶け合って…互いの中に流れ込んで、再び元に戻る様な…そんな感覚で自分達は愛し合うのだ。
…きっと他の誰にも理解出来ない…その感覚とこのエクスタシーは……
自分達はそれを知って、深く愛し合い、そして離れられなくなったのだから……
でも…
「やっぱり時々…不安になるんだよね…だから許してよ」
…だって人間だから仕方ないよね…
もう一度自分からシャアにキスすると、彼もキスを返してくれた。
「解っているよアムロ…私も同じだ」
そして幾度も幾度も口付け合う。そんな不安も愛し合っている証拠なのだろうけれど…
不安も焦りもあって当然だ。
自分達の「夫婦」としての人生は、未だ未だ先が長いのだから…

 

「まあとにかく筋トレは止めたまえ…ベッドの中で充分鍛えられているはずだからな」
「……シャアがそんなコト言うからっ反抗したくなるんじゃないかっ」
ばかっ…とその逞しい腕の中でポカポカ☆とシャアを叩いてしまうけれど…これもただのイチャつきなのだ。

取り敢えず今は…この逞しい腕に抱かれている事を幸せに思おう……
互いの愛にはそれも充分なハズだからね……

 

 

THE END

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…頭の中ではバスタブのデザインも決まってたりする…(苦笑)
(2011/9/11 UP)