Y.夜の背中

 

 

7年前のあの日……
あの夜はその土地柄のせいかやけに蒸し暑くて……
落ち着かない気分が高ぶり、彼もそんな行動をとったのかもしれない。

 

「…慰めてくださいよ…」
自分を壁に押し付けた腕は思っていたより力強かった。カラテの有段者だと言っていた…そのせいかもしれない。
「……ダメだよ…カミーユ」
幾分強い視線で彼のその衝動を咎める。
「クワトロ大尉なら…許すのに?」
少年から青年へと変わる微妙な時期の彼は…そんな言い方で自分を挑発してきた。
「そうだよ…彼にしか許さないんだと言ったら?」
濃紺色の瞳に意外そうな感情が走り、露骨に不機嫌な表情を見せてくる。
「そんなに貞淑なヒトだとは思わなかったな…」
そう言い捨てて自分の身体を強く抱き締めてくる。全ての感情を隠さずに自分に縋り付いてくる様な…
…キズツイテイルサビシイコドモ…ナンダネ…
アムロはそんな彼の背中を優しく撫でてやる。
「…そんなんじゃ嫌です……ギュッとしてください…」
「君は本当に我が侭だね…」
苦笑を浮かべてアムロはその身体を抱き締め返してやった。苛立っていたカミーユが徐々に落ち着いてくるのが肌を通して解る。
「コレならいつでもしてあげるよ……でもコレ以上はダメだ」
「キスくらいは許してくださいよ」
それもダメ、と言おうとした瞬間に素早く唇を奪われた。ゆっくりと離れて見せるその表情は、まさしくしてやったり、と言うのに相応しい。
「……カミーユ…怒るぞ…」
「そんな顔してもダメですよ…アムロさんが本気で怒ってないってのは解るんだから」
少し呆れ気味の様子なアムロの身体をもう一度カミーユは抱き締める。
「…治まるまでこうさせてくださいね…」
明らかな若い高ぶりをずっと押し付けられているのだが…
「……僕が…クワトロ大尉くらいに成長したら…アムロさんは受け入れてくれるのかな…?」
…カミーユはきっと勘違いしているんだ…とアムロは考えた。ヒトの玩具を欲しがる子供と同じで…自分がシャアと寝ているから…だから…きっと……
「うん解った…シャ…クワトロ大尉以上にいい男になったら、カミーユを選んでやる」
思わずカミーユは顔を離してアムロを見つめた。
「…もう少し…傷付かない言い方とか考えて下さいよー」
「カミーユはそんな柔じゃないだろ?それとももう諦めたか?」
「まさか」と不敵に笑ってカミーユはもう一度顔を近付けてくる。二度目のキスをアムロは拒まなかった…

 

 

「…で?俺は大尉よりもいい男になったかな?」
あの時よりもずっと大人の表情で彼は笑う。アムロはその整った顔をじいっと見つめながら…
「うん…『クワトロ大尉』並にはいい男になったね」
と応える。その言い方にカミーユも思わず苦笑いを浮かべた。
「同等…ではダメですかね」
「だってシャアの方は…もっといい男になったからね…ハードルが上がっている」
その言い方に今度は声を上げてカミーユは笑った。
「はいはい解りましたよ…俺ではアムロさんに怖さを教えられないですね」
一旦アムロから両手を離して、カミーユは大袈裟にその手を振ってみせる。
「……カミーユが心配してくれている事…ちゃんと解っているよ…でも考えたらキリが無いから…」
アムロの伏せた長い睫毛が少し震えている。それも最もな事なのだろう。
「その気持ちも解りますよ…でもアムロさん、少しは『警戒』をした方が良いです」
「しているつもり…だけどさ…」
「アムロさんは甘い、そして優し過ぎる」
ピシャリとカミーユに言われて、アムロは思わず背筋が伸びてしまった。
「いくら本拠地とはいえ無防備になり過ぎるんです…大尉にもいつも言われているでしょう?『気をつけろ』と」
「だ…だから気をつけているつもりなんだ…けどな」
自分に厳しい視線を送ってくるカミーユに上目遣いで恐る恐る応える。…もの凄ーーく萌える表情だが、今のカミーユは心を鬼にしてハッキリと伝える事にした。何度か繰り返し告げた台詞ではあるのだが…
「アムロさんは此処の住民に対して無意識に優し過ぎるんですよ…そういう欲情を抱く事も結局は許しているんだから…俺はそれが嫌なんですっ」
「……そんな…つもり無い…んだけどな…」
アムロが本当に困り果てた表情をしたので、コレ以上苛めるのはマズイか、とも考えたが。
「貴方の優しさは確かに総帥夫人としては理想です…でも最悪の事態は常に考えておかなきゃダメですよ…それだけが俺と大尉の心配事なんですから」
「………解っているよ…」
やはり落ち込んでしまったアムロの表情を見て、やっぱり苛めちゃったなあ、とカミーユは思った。…そんなアムロの表情に「やっぱり」萌えるかも、と考えてしまうのもいつもの事なのである。

 

アムロが医務局で診察を受けた事は、当然シャアへと即時に報告されていた。勿論それを聞いた瞬間、彼の心臓は凍ったが、カミーユから「NT特有のアレですから心配ご無用」と連絡を貰って、安心する事が出来た。
原因は大方の予想が付く。久しぷりに強い欲情に晒されたのだろう。自分の妻のあまりにもの無自覚さと無防備さは、以前から悩みの種であったが…こればかりは仕方がない。喩えアムロが意識をして注意深くしたとしても、周囲の感情まで抑えさせる事などは出来ないのだから。
取り敢えずは彼の能力的に、そんな嫌な感情を受け入れずに済む事ならば…常に気を配っていて欲しいのだが…。
だが時々それが影響で発熱したりもする。それはそれで心配になる。
命の危険や精神的に重い負担が無いのであれば…今は流れに任せて諦めるしか無い、という結論だった。

 

公邸に帰ると、出迎えたアムロの傍に予想通りカミーユが佇んでいた。…まあこれは割りと見慣れた光景になりつつあるのだが。
やはり少し元気無いように見えるアムロを優しく抱き締めてやる。
「大丈夫か?アムロ…」
「ん…もう平気だよ…貴方の顔を見たらもっと大丈夫になった」
こうして抱き合っているともっと安心出来る…それが偽りない本心だった。その想いに応える様にシャアはアムロの背中を優しく撫でる様にして、何度も優しいキスを贈り続ける。
端で見ていても2人の深い繋がりが解る…そんな抱擁…
悔しいがこれぱかりは、今無くてはならないものだ…とカミーユも思うしかない。

いつもよりも静かなディナーを終えると、カミーユはシャアに「書斎で待っていろ…鍵は開いている」と告げられてそれに従う。夫婦で少し話し合いたいのだろう…それは全く賛成なので、彼は勝手知ったる、の備え付けのバーカウンターで秘蔵の酒のご相伴に与る。
「お♪大尉…コレ手に入れたんだなー」
以前来た時には無かったボトルを目聡く見つけて取り出す。自分の酒の好みはシャアに共通するモノがあって、それが意外にシャアを楽しませている様なのだ。
暫く一人でその芳潤な薫りと味を堪能していると、シャアが戻って来た。彼はテーブルの上の封を切られたボトルを見て、少しだけその端正な眉を顰める。
「ったく…目聡い奴だ」
「置いておく場所が悪いですよ」
ニヤリと笑う青年にそれ以上は咎める事もせずに、シャアも向かいのソファーに座って、用意されていたグラスにそれを注いだ。
そして問う様な濃紺色の視線に気が付き、知りたいだろうの事を告げる。
「疲れている様だから先に休ませた…それ以外の体調不良は訴えてはない」
「そうですか…今夜はそれがいいですね」
当然主語は要らない。カミーユはグラスを口に運びながら溜め息混じりに呟く。
「コレばっかりはどうしようもないのかな…色々と言っても逆にアムロさんは辛くなるだけなんでしょうね」
「そうだな…」
シャアの持つグラスの中でカランと氷の心地良い音が響く。
「それでも自分に向けられる感情の中に、その類のモノがある事は今は理解している様だ…それだけでも以前よりは随分とマシだがな」
苦笑を浮かべるその表情をカミーユは見つめる。彼のアムロに対する独占欲を考えると、妻に向けられるそんな感情は全てが許し難いのだろうが…
「アムロさんが魅力的な証拠ですからね…大尉はそんな人を手に入れた優越感で我慢して下さい」
「私の悩みも解らずに言ってくれるな」
「知りませんよ、そんなの…何を聞いても惚気にしか聞こえませんからね」
カミーユのハッキリとした物言いを、今のシャアは好ましくさえ思う。やはり自分もこの青年を、アムロと同じく本当に家族として受けて入れているのかもしれない。
「…思うんですけど…連邦軍に居た時は大丈夫だったんでしょうか?」
ふと疑問を口にしたカミーユにシャアは静かに応える。
「その時代は随分と感覚が鈍くなっていたらしいな…優秀なNTが傍に居なかった様だし」
「…まるで俺のせいで復活したみたいに言わないで下さいよ」
「ほぼ事実だろう?」
意地悪い笑いを浮かべるシャアの端正な顔を、睨み付ける様にしてカミーユは言い放った。
「それなら大尉と一緒に居る様になったからだと思いますけど?だいたいアムロさんと居る時の貴方は凄いじゃないですかっ」
「ほう?何が凄いのかな?」
全く…わざわざ人の惚気を言わせたいのかっと腹が立ってきたが…
「ほら、パーティーとかで…アムロさんに不埒な感情向けて来た奴等はいち早く捉えて、もの凄いガン飛ばしのプレッシャー送っているじゃないですか…凄いガードだと思いますよ、ホント」
「愛の力だからな」
アッサリと言ってのけるが…確かに彼のNT能力は、アムロ絡みで全て特化されているのは間違いないだろう。
「…そーですねっっ大尉の愛の力を今は頼るしかないので…お願いしますよ」
その表情ほどには本気で不機嫌になっていない事は、笑うシャアにも通じていた。

「でも本気で一度『こんな時はヤバイ』って事は教えておいた方が良いですよ?」
かなり酒が進んで良い気分になった頃にカミーユが言う。
「俺じゃ教えられなかったし…アムロさん、俺の事は怖がってくれないからなあ」
「…どういう事だ?」
シャアの声色が予想通りに低くなった。
「キスして抱き締めて欲情している証拠教えたけど…駄目でした」
「………お前な…」
そんな事をよくもその夫を目の前にして言えるものだ、とシャアは呆れるが。暫く無言で考えている様子を見せてから
「解った…考えてみるさ」
そう応えた。その秀麗な眉を顰めてカミーユは素直に口にする。
「…怒らないんですか?大尉…」
「そんなに怒って欲しいならいくらでも怒るがな」
取り合えず最後の一杯と決めた分だけをグラスに注ぎながら、シャアはこれもアッサリと言う。
「お前が…アムロが本気で嫌がる事をして傷付けたのなら、勿論今直ぐにお前を殺す…」
一瞬、その蒼氷色の視線に本気の殺意を感じて、肌がざわめいた。
「だがお前は…出来ないだろう?…私もアムロもそれをちゃんと知っているからな」
淡々と言う台詞だが、とても深い意味と想いがあるのだ。思わずカミーユの胸の奥が熱くなる…酔いが回ったかな…と自分では考えたが。
「……それ……ズルイです…よ…」
シャアは口元に笑みを浮かべて、目の前の青年を優しく見つめた。
「お前が辛いのは良く解る…だが今は私達の息子で居てくれ…私もそれを望むよ」
そして俯いているその濃紺色の髪に、そっと掌を置いて、クシャリとする。そういえば、7年前にも同じ事をしてやったな…と思い出しながら…


カミーユを部屋に戻して、シャアも寝室に向かい、その扉を静かに開ける。その音のせいか…ベッドの上のアムロが身動いで上半身を軽く起こしてきた。
「おかえり……結構呑んでいたんだね」
「ああ起こしてしまったな…すまない」
直ぐにベッドに潜り込んでその身体を優しく抱き止めてキスを贈る。
「…やっぱり結構呑んだね…身体に悪いよ、もう…」
いつも以上に酒精を感じるキスに、アムロはむううっと頬を膨らませた。
「自分の限界は解るさ……ああ、それよりアムロ…」
「…何?」
もう一度キスをしてからシャアは意地悪い表情を作って、じっと妻を見つめる。
「…いくら『息子』とはいえ、キスを簡単に許すのは私は納得出来ないな」
アムロのその琥珀の瞳が大きく瞬いた。
「えっ…ええっと…その…ね…」
やっぱりバレるよな…カミーユが言ったのかもしれないけどっっと考えながら、アムロは視線をシャアからつい離してしまう。
「少しは反省するかね?奥様…」
「え…その…だってさ…何だか仕方ないっていうか…変な感じ方しちゃって…」
その言葉にシャアの眉間の皺が深くなった。
「仕方ない…だと?どういう事だアムロ…」
「う、うん…あの…怒らないで聞いて欲しいんだけどさ…」
少し上目遣いで自分の表情を伺いながら言うアムロはメチャクチャに可愛い過ぎるなっっ…とシャアは心の中でしっかり感じた。
「怒らないよ…だから正直に話してくれ」
未だ躊躇いがちであったが…アムロはポツリと漏らす。
「…その…キス迫ってきた時のカミーユなんだけど…」
「…うむ」
少々ムカつくが、ちゃんと聞かねばならない。
「表情がさ…凄く…『クワトロ大尉』に似ていたんだよな…何でだろう?」
「……………」
「そう感じたら拒めなくなっちゃった…んだよね…ごめんなさい…」
「……………」
これは喜ぶべきなのか哀しむべきなのか…大変複雑過ぎる。
恐らくこれをカミーユが聞いたら同じように…いやもっと複雑だろう。そのままアムロの身体をもう一度強く抱き締めた。
「…どうも…君の口からその名前が出ると、何故か別の男が居る様な気がしてくる」
え?とアムロは意外そうな声を出したが…
「ああ…でもそう言われると、俺も別のヒトと愛し合ったのかも…って気がしてきた」
何っ?!と言わんばかりの勢いでシャアはアムロの顔を見つめる。そこには愛する妻の優しい笑顔があったが…
「冗談だよ…俺にとってシャアはずっとシャア…だよ…昔も今も…」
今度はアムロから抱き付いて、その拾い背中に腕を廻した。俺がずっと知っているのはこの背中でこの身体だもの…と。
「…そう思っていてくれ…ライバルは『息子』 だけでたくさんだからな」
その言葉にアムロは小さな笑い声を上げて、自ら夫へとキスを贈った。
「うん…俺が愛しているのは貴方だけだよ…シャア・アズナブル…」
シャアもその言葉に満足した様に笑う。
そしてそのまま甘く濃密な2人の時間を過ごそうと、その愛する身体をゆっくりとベッドへと沈めた……

 

 

THE END

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タイトル全然関係なくてっっすみません…涙っっ
カミーユの一番の幸せはちょっと複雑みたいだ…
(2011/2/5 UP)