ぼくが小学生のころ、当時としては大ヒットしてたらしいpc6800というパソコンを教室に持ってきた先生がいた。
当時はパソコンという大きな箱が、いったいなにものなのかまるでわからず、それでもこの機会があればいろいろなことができるんだと説明され、純粋にすごいなあと思ったのをよく覚えている。
例えばその先生がパソコンに分けのわからない文字列(BASIC)を打ち込むと、パソコンから音楽が出る、喋る、算数の問題を出す機械になる、日本地図がでてくる、ボクシングのゲームが出てくる等、子どもだったぼくにはこのパソコンが持っている可能性が無限にも感じられた。
一方最近はパソコンのCPU性能の向上、メモリ要領の大容量化に伴い、パソコンができる可能性も当時と比べ当然大きく広がったはずである。
現に、視覚に障害があってもOCRソフトを使ってある程度活字が読めたり、インターネットにアクセスしていろいろな情報を入手できるような世の中である。
そのような、子どものころから考えると夢のような状況ができあがってきつつあるにもかかわらず、なぜか当時のパソコンの持つ可能性ということが意識できなくなっている気がする。
今後も、当時味わったような純粋な驚きと期待を与えてくれるものが現れてきてほしい。