世界経済と幸福論

 

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人間の幸福について

(現在は、よもやま話に統合)

第一回 世界観について                

                                        

 

 臨時増刊号:幸福論 慈愛のこころです。

 

 前回の幸福論で政治の話をした。そこでもいったが、私は社会周期理論の

正確さを痛感している。

 

 かつて、学生の時、社会周期理論についてレポートまとめたことがあった。

そこででた結論は、社会倫理の喪失と犯罪の増加だった。

 いまや、子供が車の中に放置されて死ぬことは珍しくなくなってしまったし、

路上では、些細なことで人が刺されたりする事態になっている。

 

 おそろしいことだ。不景気とともに日本から倫理はどんどん失われている。

しかも、その倫理性の喪失が不景気をもっと深刻にしているのだ。

 責任を取らず、従業員に押し付ける経営者、私服を肥やす政治家、

教育を放棄する親、自分だけがよければいいという若者・・・

 

 もはや、多くの国民はうんざりしている。小泉首相に期待する人が

多かったが、それも絶望に変わりつるある。

 われわれはいったいどこでまちがったのだろうか?

以前の幸福論でも触れたが物は確かに豊かになった。

しかし、こころは非常に貧しくなったと思われないだろうか?

 

 町では、老人をいたわるなどという話は全く聞かない。それどころか

若いことがいいことで年よりはまるで邪魔者扱いである。

自分たちがいずれ年をとることがわかっているのだろうか?

 

 この世は、有限である。ものは壊れる。命あるものは必ず

滅する。この理があるから、これたら泣き、人が死ねば悲しむのだ。

 核家族化がすすんで、死が見えにくくなっているのが原因かもしれない。

狭いマンションなどに住んでペットが飼えないことも原因かもしれない。

 

 どうも、現在の日本からは慈愛は消えたようだ。なぜこうなったのだろう?

どうしてこうなったのだろう?もっとみながお互いのことを思いやれば

もっとこころ豊かな生活ができるのだが?

 

 みんな、自分さえよければいいと思っているようだ。

だが、自然はそうではない。弱肉強食が摂理ではないのだ。

共生が摂理だ。自然は、これまで天変地異で、これを教えてきた。

阪神大震災の時もボランティアが盛んに行われた。

 

 いま、思い起こさなければ再び天変地異がやってくるかもしれない。

悪い冗談だと思われるかもしれない。だが、地震や台風は、年月の

めぐり合わせで必ずやってくるものだ。

 

 自然は、われわれに思いやりのこころ:慈愛を思い起こさせるのだ。

私は、特に大都会の独善的な行動を心配する。なにごとも

無ければよいのだが・・・

 

 

 

 

ここに記されている世界経済への見方は私個人の見解です。

できるだけ信頼できる情報をもとに書いていますがデータの信頼性、

完全性を保証するものではありませんし、有価証券、商品市場など

への投資勧誘をおこなう目的のものでもありません。ご了承ねがいます。

 

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