世界経済と幸福論 |
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今週は、いよいよ始まった資本主義の崩壊です。
少し、先延ばしにしてしまったが、今週は資本主義の崩壊について考えたい。 2001年9月11日、世界、特にアメリカ人は何かが大きく変わったと思うようになった。 では、なにが変わってしまったのだろうか?
私は、テロが起こったとき、これは大恐慌の引き金が引かれたと思った。 それほど、インパクトのある出来事だった。しかし、クリスマス商戦が終わってみると 景気はそれほど悪化していない。それどころかテロによる世界的な金融緩和で株価は テロ前の水準を上回ってしまっている。
では、世界は前のような世界にもどっただろうか? とても、そうは思えない。いくつか特徴的な出来事が世界同時に起こっている。 それは、リーダーへの権力集中である。今回の一連の出来事で、リーダーシップが 非常に問われるようになった。ブッシュも、西欧の首脳も、はては日本の小泉首相まで テロに、非常時にどう立ち向かうか?これは、いままでなかったことだ。
特に、日本の首相は経済人の時代特有の動きで、権限が非常に分散されていた。 あくまでも行政の長であるだけで、非常時に振舞える強力な権限をもっているわけ ではなかったのだ。
だが、テロ、そして不審船騒ぎのあと、首相の非常権限を高めようとする動きは いっそう顕著になっている。いま、新聞をにぎわせている税制改革にしても、 リーダシップを採っているのは首相である。
戦後の日本政治は、ごく短い期間を除いて首相はだれかの傀儡だった。70年代は 故、田中角栄元首相、80-90年代は故金丸副総理、故竹下元首相が実際の 権力者だった。その権力も、自民党の代議士によって分散されており、公共事業の 利権をみんなで分かち合っていた。これは、鎌倉幕府や室町幕府の統治形態で あり、典型的な経済人の時代の姿だ。
アメリカについては、一見すると大統領に非常に強大な権限があるように見える。 しかし、実際は社会は金持ちがコントロールしている。ロビー活動を通じて 金持ちが自分たちの政策をアメリカの国策にしてもらうなどということは もはや日常茶飯事である。
この状況に変化が出てきたのだ。日本では有事法制や首相の権限強化が 議論になり、アメリカでは自由を制限する法律が通った。 これは、いままででは考えられなかったことだ。アメリカは自由を尊ぶ国だ 自由は、私的独占を認めるのに非常にだからだ。 自由に商売をしてもよい→自由に市場を独占しても良い 自由に生きる権利がある→なにもやっても良い
このような論理のすり替えにつながっていたからだ。 だが、安全のために通信の自由を制限する法律が通ったということは、 この考えが、多くのひとの中で変わり始めたことを意味している。
私は、従来から資本主義の崩壊が始まれば、リーダーシップ尊ばれ 道徳や倫理が復活すると言ってきた。
まだ、道徳や倫理はよみがえっていないが、リーダーシップが尊ばれ はじめている。金は、テロを防ぐ道具にはならないからだ。 いよいよ、資本主義の崩壊は始まった。これから劇的なことがたくさん起こり 唯物的な考えは、遠くに押し流されるだろう。 ただ、一方的に進むとは思えない。金持ちは死に物狂いで抵抗するだろう。 自分たちの財産をなんとか守ろうとするだろう。だが、世界経済が崩壊するなか 力のなさを思い知ることになるはずだ。
ここに記されている世界経済への見方は私個人の見解です。 できるだけ信頼できる情報をもとに書いていますがデータの信頼性、 完全性を保証するものではありませんし、有価証券、商品市場など への投資勧誘をおこなう目的のものでもありません。ご了承ねがいます。
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