世界経済と幸福論 |
| 多忙につき今回も更新が大幅に遅れました。お待ちいただいている方には 深くお詫び申し上げます。
今月は、仕事が多忙で更新が常に遅れている。楽しみにされている方には まことに申し訳なく思っている。やはり約束はきちんと守られなければならない。 それを考えると非常に心苦しい思いだ。
本題に入ろう。 最近の本稿は、どうも主張が偏っていたようだ。バックナンバーを読み返し ても同じことをいってることが多くなっている感じがする。 いわゆるマンネリ化が進んでしまったようだ。
そのため、今回は少し経済の話を離れ、宗教の話をしたい。 とは、いっても勧誘などではない。宗教の歴史的な考察である。 アフガニスタンのタリバンは崩壊したようだが、彼らの極端な原理主義は どこからやってきたのだろうか?
これまでも、社会周期理論については述べた。私自身、歴史について学生時代 からよく知っているつもりだったが、この説に出会ったとき打ちのめされた。 私のいくつかの疑問に答えてくれたからだ。それについては以前に語ったので 省略するが、そのひとつに知識人=宗教家というのがある。
かつて宗教は知識を独占していた。中世には聖書などの本による知識、 儀式など知識を得ることは宗教家しかできなかったからだ。 そのため、彼らは自分なりの独善的な会社を利用して社会を支配し、 そのたの階層の人々を搾取していた。
つまり、知識人の時代には儀式や法典の勝手な解釈などの知識をもって 社会を支配していたのだ。 このようなことは、いくつもある欧州ならば、ローマ教皇だ。かれはキリスト教の 教えを持ってほぼ全欧州に号令をかけていた。 その背景は、司祭などの任命の儀式や法典の解釈である。それに背くものは 破門、そして裁判による抹殺が待っていた。
タリバンとこのときの違いがあるだろうか?私にはあまり違いは見られない。 今回のタリバンについても、結局は知識人の暴走であったような気がしてならない。 実際、現在のイスラム社会は知識人の末期にあたるので、タリバンが圧倒的な 支配力を持ったことも説明できる。
日本でも、室町時代末期から戦国時代にかけて一向門徒が宗教国家を 目指したことがあった。だがこのときは経済人の時代から武人の時代への 移行期だったので全くうまくいかなかった。
それは、戦前の軍部にもいえる彼らは1920年代に暴走し、中国や東南アジア はては真珠湾まで進出した挙句滅んでしまった。社会周期理論に逆らった政権は 決して長続きしないのである。
では、タリバン後の世界はどうなるのだろうか?おそらく、経済人の時代へ進む ことになる。この時代はひとつ間違えると国家が分裂するので残念なことだが アフガニスタンは長い内乱に入ることになるだろう。
そののち、一人の英雄が国家を再統一し、武人の時代へと向かっていくはずだ。 それには長い時間が必要だろう。
話をもどそう。こうみていくと宗教とはいったいなんだろう?と思ってしまう。 知識人の支配の道具に使われているとしか思えない。 実際、オウム真理教(現:アレフ)もそうであった。オウムは戦国時代の 一向門徒と全くおなじだ。自分たちがすべて正しいと思い込み暴走した。 実に悲しいことだ。
宗教は、本来の意味合いがすっかり薄れてしまっている。自分の欲のために 利用するものではないのだ。だが、日本は困ったときの神頼みがいかに多い か。皆さんもよくご存知だろう。
また、振り返ってみると実に室町・戦国時代と現在は共通点が多い。 高利貸しの横行、利益の追求、原理主義の登場、犯罪の増加・・・ どうも我々が学校で教わっている歴史の考え方は間違っているようだ。 そのあたりを考察する必要があるだろう。
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