この文書はネットから根こそぎ削除されまくってる、そのスジでは有名な特AAA級の怪文書である。

 

Hideの死因

サーベルタイガーというインディーズバンドのことを

皆さんはご存知だろうか。

なんてことはない変哲のないロックバンドだが、

そのギタリストでありリーダーがヒデだった。

このバンドにヒデが在籍したのは87年の解散までだった。

解散後、ヒデはエックスに加入する。

テレビやマスコミではヨシキがヒデを電話で勧誘したというが、

それは嘘である。

正確に言えば、ヨシキが六本木の飲み屋R(現在はファンの溜まり場)に

ヒデと酒をのみ、酔わせてその際に誘ったのである。

マスコミの報道は少々きれいすぎる。

ヒデの酒癖の悪さは有名で、最近では六本木のサントリービアホールで

飲んでいた際、シャ乱Qはたけと遭遇し、それを親しいルナシーの

ベーシストJと勘違いし、無礼な行為をしたというほどである。

その他、91年の「ヴァイオレンス・ジェラシーツアー」の最中、

ヨシキと一緒に店をはしごして店内のガラスを割りまくり500万円もの

弁償代を払ったこともある。

ヒデに限らず、ボーカリストのトシも92年にファンの女性グループ゛と

ラブホテルで乱交していた写真

(トシがパンティーをかぶってはしゃいでいた写真)を

週刊誌フォーカスに撮られていたのは皆さん覚えがあるだろう。

ヨシキの酒癖の悪さはアルバム「アートオブライフ」が完成した直後の

乾杯の席で大暴れしてスタジオを壊した話や、

90年のラジオ「ビヨンドザタイム」に出演した際、小室哲哉の前で

ニッポン放送のスタジオに口に含んだアルコールで

火をつけようとしたという話も聞いたことがあるだろう。

ユニットV2もそのようなヨシキの酒癖の悪さが原因で

解消したともいわれている。

とにかくエックス系の人間(ルナシー・グレイ・バクチクなど)

の酒癖と女癖の悪さはひどすぎる。

バクチクに至っては今井が覚醒剤の不祥事を起こした。

ルナシーに至ってはJが96年の武道館の際、酔った勢いでホールに

放火しようとしたこともある。

(だから彼のソロアルバムには「パイロマニア」《放火魔》という

タイトルになっている。)

グレイはさほどそのような武勇伝は聞かないが、

最近プロデューサー活動などで威張り出している

タクローあたりが今後は怪しいだろう。

話をヒデに戻そう。結局彼は自殺などではなく、事故死だろう。

大体、あの日はダイなどのスプリッドヴィーバーの面々

(こいつらも酒乱のケがある)

と半端な飲みをせず、泥酔のまままた一件はしごしたとのである。

マスコミは七時間以上飲んでいたというが・・・。

ヒデについては覚醒剤疑惑があるが、これは分からない。

ビッグスターの死については警察が公式発表の死因については

薬物などの点は伏せたり隠滅したりする。

(青少年への悪影響を懸念するということで)

尾崎豊のときもそうだった。

(尾崎は死の数ヶ月前に暴力団からクスリを買っていた事実がある。)

だからヒデのときもクスリ疑惑のせいもある

(飲酒と併発して)何かが起こったのかもしれないが、

真相は闇だ。

ただひとついえることは

ヒデはエックスの解散については相当な反対があった。

ソロでヒットを飛ばしながらもバンドを脱退しなかったのは

エックスにおける自分の居場所」を理解していたからである。

あまりマスコミにはしられていないが、彼は

93年に自作のビデオ「EYES LOVE YOU」が

海外で賞を取った。彼にとって海外進出をするには

エックスの力が大きかったのだろう。

それと彼はかなりのさびしがりやで友人が多い。

ファーストアルバム「ハイドユアフェイス」

のクレジットを見れば友人の多さが分かる。

解散して一人になったとき、寂しさに耐え切れない思いがあった。

それが酒により悪夢のように出てしまったのだ。

彼は小学校まで外国におり、帰国子女である。

ボート部水死事件で有名な逗子開成高校の

合唱部に入ってもいた。

子供のころは肥満児で、次第に成長と共に

痩せていったという。

卒業後は美容師専門学校へ。

横須賀を中心にサーベールタイガーで活躍。

ライブハウスで共演していたエックスに解散後加入。

現在に至る・・・。

ヒット作「ハイドユアフェイス」(アルバム・オリコン一位)

「ロケットダイブ」(シングル4位)など。

飲酒による幻覚症状による事故で死亡・・・。

享年33歳。

名文句

「どこかでバンドを背負っていたいんだよね。」(解散後雑誌で)

「またやりたくなったら集まってやればいいじゃん」(解散後雑誌で)

エックス解散後に増えたという酒の量が死を物語る。

死人に口なし、ですな。