どうも、こんちわ。管理人の藤沢です。

ここはそんなに人がこない事を前提に色々とヤバメな物を置いていますが、

今回載せるのは半端なモノではありません。

このHPの古くからの常連さん方はご存知かもしれませんが、

以前、『生き人形』にまつわる話を募集した事があったのです。

その時にメールでおくられてきたのが、これから載せるモノです。

はっきり言ってコピペである可能性百パーセントなんですが載せちゃいます。

ここは内緒の部屋ですし。

ですが、今回なぜ俺がこんな前置きをここでするのかというと、

これから載せるモノが『本気でヤバイ』モノだからです。いろいろと。

ですから、ここから先を見て

『なにか危険な事態に陥っても俺、藤沢信玄は一切責任を持ちません』

という事をここに宣言しておきます。

この先を見るか見ずに帰るかはご自身でお決め下さい。

忠告としては、あまり雰囲気をつくりすぎずに見て下さい。それでは。


生き人形



私の職業は人形師です。人形を作ったり直したりする職業で、色々な人形に会う事が出来ます。

重要文化財に指定された人形なども、依頼を受け直したりする場合もあります。

ここでお話するのは、ある人形を作った時から約20年ほど続いた話です。私自身忘れたくても忘れられない、怖くて悲しい話です。

昭和47年、私がまだ人形師になり立ての頃、師匠から人形を試作するように命じられ、 1年以上もかかり漸く出来ました。

その人形は市松人形で、目には青いガラスを入れました。着物は赤いボタンの花が刺繍してあり、

帯は黄色でこちらも小さい花が刺繍してありました。

何故目に青いガラス玉を入れたのだと言うと、戦争中にアメリカから送られた人形を焼却したのを小さい時に見たのが今だに思い出され、

その時の人形の目が悲しそうだったのを思い出し、青い目を入れました。

案の定師匠には怒られ、目のガラスを変える様に言われましたが、こればかりは聞けませんでした。

それからと言うもの、師匠はこの人形を見る度に怒りだし、挙げ句の果てには人形に目掛けて物を投げたりしました。

私は丹精込めて作り上げた人形に物を投げつけたりする師匠に腹を立てましたが、

師匠には絶対に逆らっては人形師としてやって行けなくなるのでガマンをし、師匠に内緒で新たに人形を作り青い目の人形と交換して、

青い目の人形を自分の家に持って帰って毎晩可愛がりました。

新しく作った人形を見た師匠は「やっと人形らしくなった。いい腕になったな」と誉めてくれました。

たかが人形の目の色だけで、青い目の人形を嫌う師匠を私は心の底で「心の狭い人だなぁ」などと思っていました。

しかし師匠が嫌うのも無理も無いのです。彼は戦時中に青い目の兵士に捕まり、強制収容されていた経験があったのです。

厳しい制限のなか強制労働をさせられ、多くの友を亡くしたのです。それで青い目の人形を嫌った訳なのですが、

もう昔の事、私が作った人形は何もしていないのに、そこまで嫌う事無いと思います。

私は師匠の仕打ちが可哀相で、より青い目の人形を大事に可愛がりました。

そのうち師匠は青い目の人形の事を忘れ、また元のガンコだけれど優しい師匠に戻りました。

毎日人形に丹精込めて命を授けていきます。月日が流れ、私も益々腕に磨きを掛け、師匠の人形と一緒に展覧会に出品する事になりました。

私は宙を舞うくらい嬉しくて、益々人形作りに力を入れていきました。

忘れもしない、あるデパートの展覧会の前日。

師匠に付いている8人の弟子(私も含む)で、デパートの展示場に人形を並べてあるのを見に行きました。

すると私が初めて作った青い目の日本人形がメインの場所に飾られてありました。そこは師匠の人形が飾られてあったはず……。

師匠は狂わんばかりに私に罵声を浴びせました。しかし、私はこの人形は家に置いてあったはずで、この人形の存在は私しか知らない……。

誰かがわざと置く、いや置けるはずが無い。私は不思議な気持ちで一杯でした。

他の弟子達は師匠の人形を探し回り、机の下にあるのを見つけ出しました。

師匠はこの人形は作り直されて無い物と思っていたので、その怒りは物凄いものでした。私は師匠に破門を言い渡されました。

人形師への道が無くなってしまいます。私はもう必死になって師匠にすがりました。

なんとかデパートの人の口添えもあった事で、破門は間逃れましたが、今回の作品の出展は断念せざるをえませんでした。

その日の夜、急に師匠の奥さんから電話がありました。「師匠が自分で自分の首を絞めている。お願い助けて!」と言う内容でした。

私はびっくりして師匠の家に向かいました。師匠の家には自転車でものの5分とかかりません。

師匠の家の玄関に入ると、奥さんの物凄い叫び声や泣き声が聞こえてきました。私は急いで声のする部屋へと入ると……。

寝室で寝ている師匠が自分の手で自分の首を絞めて、口から泡を吹き、目が白目を剥いていました。

私は咄嗟に力いっぱい師匠の手を首から放そうとしましたが、物凄い力で全く歯がたちません。

師匠の奥さんと私は途方に暮れました。そして私はいきなりなぜそう思ったのか、師匠の顔を引っ叩きました。

すると師匠は手を首から放し、首に手を当ててせき込みました。


「たっ助けてくれ!にっ人形が……」


それだけ言うとパタッと倒れ、寝息を立ててねてしまいました。

師匠の奥さんと私は何がなんだか解からず、その場に立ち付くしました。そして目を師匠の首にやると、生々しい絞めた跡がありました。

私達は一応先生に見てもらおうと言う事になって、近くの医者に来てもらいました。

医者は師匠の首の跡を見て私か奥さんが師匠を殺そうとしたと思ったらしく、

師匠の首に包帯を巻き終わると私達の話も聞きもしないでさっさと帰ってしまいました。

暫くして、病院の先生から連絡を受けたと警察官が6人ほどやって来ました。殺人未遂ではと思っていたらしいのです。

私と師匠の奥さんがいくら説明しても信じてもらえず、私達は連行され調書を取られましたが、師匠が目を覚まし、

私達は何もしていない事が解かるとすぐ返してくれました。

展覧会当日、またも奇妙な出来事が起こりました。また青い目の人形が置いてあったのです。

師匠は顔色がサッと引いて、すぐに下げる様弟子に言いつけました。

私は青い目の人形を昨日確かに持って帰り、今日家を出る時には人形は家にあったのですが、

何故ここに人形があるのかさっぱり解かりませんでした。

師匠は青い目の人形の事には全くふれず、その日来た関係者と笑顔で応対していました。

しかし、昼過ぎに関係者の一人が師匠に「面白い人形を作ったんですね」といいました。

「何の事だろう」と師匠は思ったらしく「どの人形の事ですか?」と聞くと

「ほら、あの青い目の人形。師匠のお作りになった人形ですよね。あれ頂けます?」


と指を差した先には、また青い目の人形が……。

師匠はお客様の手前「あれは冗談で弟子が作った人形なんです。すみません。

すぐ片づけさせますから……」と側に居た私に目で合図を送ってきました。

私はすぐ自分の人形を片づけ、師匠の人形を机の下から見つけ、机の上に置きました。

私は狐に摘ままれた気分です。何故か何度も展示会場に置かれる青い目の人形。

私はその人形を人に見つからない様に黒いピニールのゴミ袋に入れ、私の荷物の近くではなくごみ箱の近くに置いて、展示会場に戻りました。

展示会場では関係者だけでは無く、一般の人まで入って来ていた為熱気でムンムンしていました。

私が会場に居るのを見つけると、先ほどの関係者が近づいて来て「あの人形を譲ってほしい」と言ってきました。

「あの人形は師匠から認めてもらっていないので、それはちょっと……」私はそう言い澱みましたが、

私の人形に客がついた事で内心心が踊っていました。

「師匠には内緒にするから、頼むよ」何度もその人に頭を下げられ、私も師匠に内緒であればと、承諾しました。

それから展示会が無事終わり、帰ろうと控え室に行くと、私が人形を入れた袋が無くなっていました。

私は辺りを隈なく探しましたが、見つける事が出来ませんでした。弟子の一人に聞いてみると、他のゴミと一緒に捨ててしまったとの事でした。

私は焦って辺りが真っ暗になったデパートの裏のゴミ捨て場に行きました。が、もうゴミの収集車が来たらしく、何も残っていません。

私はがっかりと肩を落とし家に帰りました。

家に付くと、いつも置いてあった場所に目をやりました。やはり人形はありません。

何故人形が展示会にあったのか色々考えましたが、結局なにも解からぬまま、床につきました。

夜中「ダン!ダン!ダン!」とものすごく大きなドアを叩く音がしました。

「こんな時間に誰なんだろう」と私は音に起こされ、機嫌が悪くなっていました。

「誰だ!こんな時間に!人の迷惑考えろ!」そう叫び、玄関の戸を開けました。

すると、誰もいない……。

キョロキョロ辺りを見回しましたが、誰もいません。気のせいかと思いドアを閉めようとすると、

玄関の外のノブに黒いビニール袋が掛かっているのを見つけました。

私は首を傾げながら、それを手に取ってその場で開けてみました。


「えっ、人形……」


私はびっくりして、唾を飲み込ました。私の人形が……。なんと、捨てられたはずの人形が、黒いビニール袋の中に入っていました。

私は人形が帰ってきたのを手放しで喜ぶ気にはなりませんでした。

一体誰が持ってきてくれたんだろうか、その疑問が頭の中で一杯になりましたが、これでお客に人形を渡せるという、安堵感も芽生えていました。

私は訳の分からない気持ちになりながらも人形をいつも置いてあった場所に戻し、眠りに尽きました。

私がウトウトし始めると、電話が鳴りました。「もう今日は一体どういう日だぁー!」と腹立たしく思いながら、電話を取りました。

また師匠の奥さんからでした。師匠がまた自分の手で自分の首を絞めて苦しがっているとの事。

私は奥さんからの電話を切り、すぐ警察に電話を入れました。

なぜそういう行動に出たのか解かりませんが、きっとまた疑われるのではという気持ちからだったと思います。

急いで師匠の家に行くと、まだ警察は来ていませんでした。私はまた奥さんの声のする部屋へ行くと、師匠が自分で首を絞めて苦しがっていました。

とそこへ、先ほど連絡していた警察官が駆けつけて、目の前の光景にびっくり……。

ハッとわれに帰り、師匠の腕を首から放そうとしました。が、全く離れません。警察官3人で手を解こうとしても一向に外れず、

益々師匠は首を強く絞めていきます。私は昨日やった通り、師匠の顔を叩いてみました。

が、師匠は首から手を解こうとはしませんでした。師匠は口からよだれや泡を吹き、白目をむき出しにし、そのまま息を引き取ってしまいました。

誰も何も出来ず、ただ師匠の手を必死に外そうとしましたが、なすすべもなく亡くなりました。

警察官は医者を呼んでいたのか、亡くなってすぐに医者が駆けつけ、手を解こうとしましたが、

今死んだばかりなのに「死後硬直が始まっているので、この手は外す事が出来ないみたいだね」と言われました。

「いや、今目の前で亡くなったから、そんなはずは……」と警察官は答えると「君は人が苦しがっているのに、見ていたのかね」と……。

これはその場に居た人にしか理解の出来ない出来事でした。

次の日、あれほど元気だった師匠の通夜が静かに営まれました。

師匠は人形師の中では有名な人だったため、病名は心筋梗塞と言う事で、通夜がおこなわれました。

多くの訪問客が来られ、静かに行なうつもりだった通夜でしたが、家の前に長蛇の列が出来るほどの来客がありました。

それほど師匠は人に慕われていたのだと、私は久しぶりに涙を流しました。

弔問客からお棺を開けてほしいと要望が多々ありましたが、結局葬式の間もお棺が開けられる事も無く、

火葬場で血縁関係や私達弟子だけになって初めてお棺が開けられました。

お棺を開けると、師匠が見えて……

「あっ……」

その場に居た人は一斉に声を挙げました。師匠はお棺に入れられる時に手は外せなかったけれど、綺麗に死に化粧をされてあったはず。

それに師匠の目を私達弟子が閉じたはず。それが、師匠は死んだ時と同じ様に白目をカッと見開き、口からは泡が吹き出ていました。

私は声にならない声で「早く閉めてください」と叫びました。誰も私の言った事に文句を言う人はいませんでした。

普通は火葬場で最後の別れをするのが当たり前ですが、師匠には最後の別れも無く、炉に入れられて行きました。

「皆様、ご苦労様でございます。仏様は3時間ほどで戻ってこられます」火葬場の人にそう告げられ、

火葬場に来ていた人はみんなハッと我に帰った様に、控え室に行き、腰を降ろしました。誰も話をしようと言う者はいません。

静かな時間が流れて行き、師匠の葬儀が何事も無く(?)終わりました。

それから暫く経って、青い目の人形を欲しいと言ってた客が私の所に来ました。

私の試作品が、今の金額ではそれほどではありませんが、その当時ではとても高い金額で買ってくれました。

人形をその人に渡し、私は人形があった場所に空間が出来て寂しく思い、別の自分が作った人形を飾りました。

その日の夜、人形を買って行った客から電話が鳴りました。「今直ぐ来て欲しい」との事。

何事かと思いましたが「夜も遅いので、明日伺います」と、電話を切りました。

翌朝、私はその人の所へ出掛けようとすると電話が鳴りました。私が行こうとしている人が自殺して亡くなったとの事でした。

私はその電話を置き、焦る気持ちを押さえながら急いでその人の家に行きました。

その人の家に着いた時には、すでに警察が現場検証を終え帰る所でした。私は警察を横目にその人の家のチャイムを鳴らしました。

するとその家の奥さんらしい人が出てきて、目に手を当てながら応対してくれました。

「私は昨日電話で、今日にお伺いすると言ってあった者ですが……」

そう言うと、帰ろうとしていた警察官に聞こえたのか「今日会う約束があったんですか?」と怪訝な顔をされました。

どうやら自殺したらしいのですが、遺書や自殺の原因など何も出て来なかったらしいのです。

私は昨夜の故人からの電話の内容を細かく訊かれ、嫌な思いをしたのは言うまでもありませんが、人が亡くなったので仕方無いとも思いました。

私はそのままその人の家に上がる事無く、家路に着きました。

2日後、葬式があったため、私は再度その人の家に行き焼香をして帰って来ました。

その時に亡くなった人の親戚か誰かの子供が、私の作った人形で遊んでいるのが目に入りました。

”私が作った人形で遊んでくれてるんだぁー”と私はこういう時になんでしたが嬉しく思い、大切にしてね。と心の中で呟きました。

が、またも私の回りの人間が亡くなりました。私と同じ弟子仲間の一人がお風呂場で亡くなったのです。

しかもその亡くなりかたにまたも疑問点が残りました。風呂の中にうつ伏せになって、湯船の中に頭を突っ込んで亡くなっていたそうです。

彼は既婚者だったため発見が早かったにも関わらず、死後5時間は経過していたらしいのです。

奥さんの話では、風呂の中に入って20分も経っていないとの事でした。それなのに何故死後5時間も経過していたのでしょうか……。

何故なんでしょうか。私の身近で人が亡くなるのが多いのは。私は弟子仲間であるF氏に亡くなったD氏の事を聞いてみました。

が、別に何も気が付く様な事は無かったと彼は言いました。

私の気のせいだろうか……。そう思っていたのですが、またしても死者が出ました。私の人形を買ってくれた人の子供が亡くなったのです。

その子の死亡原因は突然死だそうです。子供に良く見られるらしいのですが、何か嫌な胸騒ぎがありました。

しかし、それが何なのかその時の私に知るよしもありませんでした。

私は青い目の人形を忘れる事ができず、新しく飾ってある人形がどうしても気に入らないため、もう一体青い目の人形を作る事にしました。

人形の顔になる部分の木をあれこれ探し回り、自分が納得出来る木が見つかるまで探し、着物にも錦織りの反物を探しました。

確かに今まで人形を作る時は厳選した素材を使ってきましたが、もう一体青い目の人形を作ろうと思ってからの、

私の人形へのこだわりが益々酷くなって行きました。

目の玉も、少しでも気に入らなければ気に入る物が見つかるまで探し、髪の毛一本にまで気を使って探しました。

そして漸く材料が揃い、人形ができるまでに3年も費やしていました。

その間、私も生活をしなければならないので、人形の修理や依頼されて作った人形もありましたが、

青い目の人形に勝るものは一つもありませんでした。

本当に何故私は青い目の人形にこだわってるのか、その頃になると全く自分でも理解出来なくなっていました。

新しくできた人形の出来に満足し、私の部屋で一番良い場所に置き、私は毎日その人形を見て、良い出来だという余韻に浸っていました。

ある日、久しぶりに昔の弟子仲間に会いました。私は師匠が亡くなってから、誰にも弟子入りする事無く自分だけで腕を磨いていたので、

昔の仲間に会うのは本当に久しぶりの事でした。それどころか、外出さえしなくなっていた私にとって、久しぶりの外出でもありました。

久しぶりに会った友人が私を見て初めての一声が

「どっどうしたんだ?そんなに痩せてしまって。顔色もかなり悪いし、何かあったのか?」と言うんです。

私は別に変った所も無く元気だと答え、喫茶店の壁に掛けてあった鏡に目をやりました。

「えっ……」

私は鏡の中の自分の姿を見てびっくりしました。真っ青な顔色で、あんなにふくよかだった頬もこけ、目に凄い隈ができていました。

そして自分の腕を見てみると、びっくりしました。私は身長が約172cmあります。

体重は85キロと太めだったのに、私の体は痩せて昔の面影は全くありませんでした。

自分の姿に驚いていると、友人が「知ってるか?お前が作った人形の持ち主になった者が、亡くなったり気がふれたり、大怪我したりしている話。

俺はお前の事良く知ってるから、そんな事無いって言っているんだが、人形の持ち主の事を色々調べてみたんだ」そこまで話すと、

私の顔を伺ってきました。私は無表情を装っていましたが、内心焦っていました。

なんせ自分が作った人形に変な噂が立っている事が、とても腹立たしく思い、またそんな事あるもんか!と信じられませんでした。

友人の話を聞き、私が作った人形の行方を探そうと決心し、私は捜査を始めました。

しかしなかなか人形の行方は掴めず、焦りが不安に変って来ていました。

推理小説などの「解からなくなったら、原点に戻れ!」と言う言葉を思い出し、

私は最初に私の人形を買ってくれた所から、人形の行方を探す事にしました。

彼が亡くなって、親戚の女の子があの人形を気に入り、形見分けという形で人形はその子の所にあると言われ、

私はその子の住む東京まで探しに行きました。

その子の家に着くと、その女の子は数年前に他界しており、またも私の人形は人の手に渡っていました。

私は東京から盛岡へ行き、人形を持っていると教えてもらった家に行くと、またも人形の持ち主になっている子が亡くなっていました。

私は一刻も早く人形を探さねばと、必死に探しました。

人形を探し始めてから多くの人が亡くなった事を知り、益々怖くなり、人形を探すのを止めようかと思い出した頃、

人形が壊れたので直してほしいという依頼がありました。あまり乗り気ではなかったのですが、やはり生活が掛かっているため修理を承諾しました。

人形を探し初めて約6年もの歳月が過ぎていました。私は旅行中も別の青い目の人形を持ち歩いていました。

着ている着物は違っていても、私が作った人形のため、人形の顔の雰囲気は同じであるために、人形を見せて人形探しをしていました。

私は、久しぶりに家に帰り人形の顔を良く見ていると、なんだか人形も私を見ている様な気になってきました。

「人形って不思議な物だなぁ」と感心していると、なんとなく人形の目が動いた様な気がしました。

私は気のせいだと思い、あまり気にはしていませんでしたが、本当に良く見ると、私が作った時より人形がとても生き生きしている様に見えました。

なんか変な感じがしながらも、私はその日は床に就きました。

その夜、変な夢を見ました。私を「お父さん!」と呼ぶ外人の女の子の夢。悲しそうな目をして、帰りたい、帰りたいと泣くのです。

そして「私は人間になりたい。私を人形扱いする人が憎い。私は生きているのに、どうして人形扱いするの?」となんかリアルな夢でした。

私はハッと目が覚めました。辺りはほのかに明るくなっていました。

凄い汗をかいていたので、私はパジャマを着替えようと体を起こすと、なんとなく人形に目がいきました。

「えぇっ……?」

人形の目が光った様な気がしました。私は人形を暫く見ていてびっくり。なんとなく人形の顔の表情が違う様な気がするのです。

人形に近づき、人形を手にとって良く見てみると、私の勘違いだと思い、人形を元の場所に置いて、私は着替えてまた眠りに就きました。

その日を境に、私は毎晩の様に外人の女の子の夢を見るようになりました。そして決まって同じ時間に目が覚めるのです。

そして外人の夢を見始めてから10日ほど経ち、私に人形の修理を依頼してきた人がやってきました。

「この人形なんですが、直ります?」

私は依頼人の差し出した人形を見てびっくりしました。それは私が作った青い目の人形。しかし顔の表情がまるで違う……。

パッと見ただけでは、私が作った人形だとは思えないほど、人形の表情は変っていました。

なんだかとても生き生きしてるんです。目を見ていると、なんだか吸い込まれそうになる様な気までしてきます。

私が作った人形では無いのだろうか、そう思えるほど人形は変っていました。

私は自分で作った人形には私の名前を彫ってあるので、私は人形の首を外し、

私の名前が書いてあるかどうか確かめようと首と胴体を手で引っ張ろうとしました。

「えっ……」

人形を持ってきた人と私はびっくりして顔を見合わせました。人形が喋ったのです。「やめて」って……。

私は持っていた人形をびっくりした拍子に落としてしまいました。人形は私の足元落ち、落ちた拍子に首がポロッと取れてしまいました。

ゴロンと首が転がって、人形を持ってきた人の足に当たって止まりました。

「……」

何か声が聞こえてきました。しかし何を言っているのか、聞きとれません。外で誰かが話をしているのが聞こえたんだろうか?

 


 

人形を持ってきた人の足に当たった人形の首は、悲しそうな目をして、なんだか泣いているような気がしました。

私は人形の胴体と首を拾いあげ、名前が彫って有る場所を見ました。間違いない。これは私が作った人形でした。

人形は何故ここまで表情が変ってしまったのだろうか……。不思議な事もあるなぁ〜と思う反面、とても恐ろしくなりました。

人形を持ってきた人も、怖く感じたのか、人形を置いて

「娘の形見なんです。綺麗に治ったら、また伺います」

そう言って、そそくさ帰って行きました。

「えっ……娘さんの形見?」

またこの人形に関わった人が亡くなっていたのだと聞かされ、私はとても悲しい気分になりました。

その日は人形の修理をする気にもならず、私は床に就きました。そして私はまた、外人の女の子の夢を見ました。

これまでの夢とは違い、すごく怒っている夢を……。

「私、長い旅をして帰って来たのに、どうして私を人形扱いするの?私は生きてるのよ。何故解ってくれないの?私、寂しい……」

そう言って、目からポタポタと涙を流し

「私を人形として扱わないで。約束よ。約束を守らないなら……」

その後の言葉は聞き取れなかったのですが、とても怖いと思い、そこで目が覚めました。私は言いようの無い不安と恐怖が過ぎりました。

たかが一体の私が作った人形なのに……。その人形が話す訳が無い。そう私は私自信に言い聞かせました。

なぜそんな夢を見るのだろうか……?

人形に目をやると、私が新しく作った人形の横に仲良く人形が座っていました

。しかし私は人形の首をくっ付けた憶えも無く、またそこに人形を置いた憶えもありません。

無意識のうちに人形の首をくっつけて、置いたのだろうか? やはりこの人形にはなんかあるのだろうか?

真っ暗な部屋でそんな事を考えているととても怖くなり、私は今は大阪に住む姫に連絡を入れました。姫は機嫌悪そうに電話に出てきました。

「だれ?」

「私、人形師の……」

そう言ったら、姫は「あぁ〜」と眠そうな声で解ってくれました。

姫はお世話になっている人の娘さんで、姫の家系は霊を見れる家系だったため、今までにも色々と相談にのってもらっていました。

昔は姫のひぃおばぁさんに当たる人に相談をしていたのですが、その方が亡くなり、

随分年下ではあるけれど、霊に関しての知識はひぃおばぁさんと同じくらい有る方です。私は私が作った人形を見てほしいと頼みました。

姫は「大学休みで、バイトが休みなのは3日後ね。その日だったら良いよ」と言ってくれたので、私はその日までに人形を直し、姫に見せました。

姫は双子の姐の鈴姫も連れてきていました。姫は霊は見えても、聞く事が出来ないから、姉を連れてきたと言いました。

姫の姉はわざわざ東京の大学を休んでまで来てくれました。

「この人形だが……」

と紙袋を出すと、鈴姫が

「その人形生きてるよ。人形に魂が宿ってしまったのね」

そう言いました。姫は人形を袋から出したとたん

「えぇーーーーーー」

と驚いた顔をしました。私と鈴姫が人形に目をやると、人形の表情が変わり、

穏やかな顔だちだったのが一遍して憎悪が満ち、目がメラメラと炎で燃えているような気がしました。

「この人形って、Sさんの子供の魂が入ってるのね。心当たりは?」

私は独身で、子供なんて作った記憶は有りませんでした。

「なにかの間違いでは?」と言うと、

「間違いじゃ無いよ」と鈴姫に言われました。

姫達の話によると、昔付き合っていた人に子供が出来たが私と別れ、

子供を自分ひとりで育てて行く自信がなかったために、子供を殺してしまったのだと言いました。

また、子供を殺した母親もまた、子供を殺してしまった心の痛みに耐え兼ねて、亡くなっているとの事……。

私は焦りました。確かに昔、アメリカ人の女性と恋仲になったのですが、私達の若かった時代、

外人とそういう仲になり結婚なんかしようものなら、親戚にまで迷惑をかけるほど、まだまだ戦争後のゴタゴタが残っていました。

私は泣く泣く彼女と別れ、彼女はアメリカへ帰って行きました。その彼女に私の子供が出来ていたなんて、私は信じられませんでした。

私はそれから、昔の彼女の消息を探しました。異国の地なので彼女の消息はなかなかつかむ事が出来ませんでした。

私が彼女の消息を探しているのをどこからか知ったのか、姫から連絡がありました。

「その人、アメリカに帰ってなんかいないよ。Sさん、昔彼女と神戸に住んでたでしょ。彼女のお墓は神戸にあるはずだから、探してみると良いよ」

と言われ、私は狐に摘ままれた気持ちで、神戸のお寺や神社、外人墓地などを探しました。

やはり、彼女の消息はつかめませんでした。その事を姫に告げると、姫は

「何言ってるの。その人は誰も来る事も無くなって、無縁仏となり、無縁墓地にあるはずよ」と言われました。

確かに彼女には親は無かったので施設で育っていたし、友達もそれほど多いとは言えない人でした。

私は早速、無縁仏のある所を探し回りました。名前も解らず、葬られた外人の墓を沢山見つけました。私はまた姫に連絡を取りました。

姫は「六甲の無縁だと思うから、また一緒に行って見ましょう」と言ってくれました。

後日、姫と六甲の外人墓地の近くに有る無縁仏になってる墓に行きました。

姫は1時間ほどウロウロし「彼女お墓も作ってもらえなかったのね。」と言いました。そして石が一つ置いてある所を指差しました。

彼女が本当にそこに埋められているのか、今となっては知る事も出来ません。

しかし私はなんとなくその場所に彼女が埋められているような気になりました。

私はその場所を買い、彼女のお墓を建てました。そしてそのお墓に私の作った人形2体を埋め、彼女と私の子供の冥福を祈りました。

姫が子供の亡くなった命日は26日だと思うと言われたので、26日には必ずお墓参りをしました。

それから、私は人形の修理を頼みに来た人に、新しく青い目の人形を作り、それを渡しました。

もぅ何も無いだろぅと思って、私は少し安堵しましたが、それだけでは終わらなかったのです。

またしても、青い目の人形が私を恐怖のどん底に突き落とすことになるとは、その時の私には思ってもいませんでした。

また私が新しく作って渡した人形の所有者が亡くなったのです。

 


 

この話をする前に一言。今までこの話を送って頂いてた方が、最近になって原因不明で亡くなった事を知りました。

この話を記載していいか悩みましたが、この人形がどうなったか、またなぜ亡くなったか、関係者から聞いた事だけをここに書く事にしました。

ご了承くださいますよぅお願いします。 By.館長



私が彼の死を知らされたのは、9月の旅行から帰って来てすぐでした。

亡くなった原因は、警察で調べたり検死解剖をしたらしいのですが、今もって原因は判明しておりません。

関係者に話を聞いてみるともっと奇妙な事が解かりました。

彼の遺体を発見したのは、彼の友人の一人で1999年の9月30日。その時彼はすでに居間で白骨死体になっていたらしいのです。

しかしここで奇妙な事が……

 

成人男性が自然に白骨死体になるのは3ヶ月以上もかかります。しかも季節は夏。

近所の人が死体の匂いに気付かないはずがない。

それなのに全く近所の方は気付かなかったそうです。

それに、発見者の方によると家の中はかび臭かったけれど、その外の匂いは無かったといいます。

それだけではありません。9月の29日に友人達6人で亡くなった彼に会ったと言います。割烹料理店で……。

彼が最近落ち込んでおかしいのを私を含めみんな知っていた事です。

それで彼の息抜きのために、彼を誘って割烹料理店へ行ったそうですが、ここで時間の食い違いが。

私の文章力が下手なので解かりにくかったかもしれませんが、で成人と言っても70を超える方が1日で白骨死体になるはずがありません。

警察も首を捻り、日にちを記憶間違えではと何度も念を押して関係者に聞いたらしいのですが、 6人もの人が全員記憶間違いするなんて……。

それから人形の所在が解かりました。

始めの話と続きの話で紹介していた人形は今は、彼の昔付き合っていた方と一緒にお墓に入っているそうです。

もう一体の青い目の日本人形も今はお寺で供養し、焼却されたそうです。

また、彼が亡くなる何日か前に、青い目の人形ではありませんが、普通の市松人形を作り、大事に持っていたのが、今は館長が入手いたしました。

 

この人形にもやはり魂が宿っており、顔の表情とかが変化したりしますので、今はガラスのケースに入れ、御札を2個所に貼って置いています。

京都にある人形寺の方に一度持って行き相談した際に寺に置いて帰るよぅ促されましたが、

ネットの友人がどうしてもその人形の画像をアップしてほしいと懇願され、気持ち悪いけれど家に置いてます。

この画像はスタッフ登録して頂いた方のみご覧になる事が出来ます。あしからず……。